38・灰被りの眠り姫
――魔力の供給が行われない為、代替案として空気中より魔力の補充を行い、自己修復機能を開始します――
――魔力測定器、限定的な修復に成功――本機外装、及び内部に限り使用可能となりました――
――外装装甲、損傷度高――自己修復機能での修復は不可能と判断――外装の交換を行って下さい――
――外装武装、限定的な修復に成功――腕部連装砲「ハリケイン」、胸部速射砲「ピーコック」、肩部迫撃砲「ラファエール」――以上の武装が使用可能となりました――契約者未登録の為、使用許可が下りません――安全装置による固定を行います――
――引き続き、順次武装の修復及び、自動防衛による周辺への警戒を続行します――
◇
ディーの宣言通り、夜明けと同時に最初の村から隣村まで移動を開始した一同は、太陽が真上に来るより早く、件の物体との邂逅を果たしていた。
「あれだ。隣に大きな穴が開いてるだろう? どうも、夜中の内に土の中から這い出て来たみたいなんだが……そこからは、ずっとああして動かないままなんだ」
説明役である、三十台ほどに見える前任から引き継いだばかりだというこの村の村長が、遠くから畑のど真ん中に現れた異物に対し指をさした。
「あんな巨大なものが暴れだしでもしたら、村の住人で対抗出来るとは思えんからな。昼夜を問わず交代で監視してはいるが、正直生きた心地がしない」
畑は村の外側に広く作られており、生命線とも言える場所が謎の物体に占領されている今の状況は、村の存亡に繋がりかねない。説明している村長の顔色も、お世辞にも良いと言えるものではなかった。
「解りました。これから調査で危険があるかもしれませんので、村のひとたちは退避しておいて下さい」
「あぁ、頼むよ」
ディーの提案を受け入れ、村長は監視をしていた他の村人を引き連れて、村へと帰って行く。
「へぇ、思ったよりもでけぇな。フレサが初めてシロエの杖で出した時の、ウンブラぐらいか?」
「確かに「大きな何か」だな。土や泥がこびり付いていて、原型が全く解らん」
大穴の隣で身動き一つ取らない物体は、ひとの三倍ほどはある巨体の全身が酷い土塗れとなっていて元の姿が解らず、完成途中の土の彫像と言われても十分納得出来る有り様だ。
「シロエは、アレを見て何か解る?」
「うーん……多分だけど、人型の土人形なんじゃないかなぁ」
「あ、それ私も思った。片腕取れててちょっと変な形だけど、アレって人型だよね」
ディーが問えば、軽く首を傾げながら答えるシロエを、ファムが横から指をさして同意する。芸術肌故か、二人の目には他の者には土が盛られたようにしか見えないものも、別の見え方で映っているらしい。
確かに言われてみれば、片腕を失った、腕と胴が異様に大きな人型が、両膝を折った状態でうずくまっているようにも見えなくはない。
「すみません。皆さん、ちょっと良いですか?」
離れた位置から観察が続けている中で、フレサが片手を上げて全員の注目を集める。
「あの中に、精霊に近い存在の力を感じるんです」
「精霊に近い? 精霊じゃなくて?」
ファムが聞けば、猫の獣人は紫紺の杖を抱きながらこっくりと頷いた。
「はい。どこか作り物めいているっていうか、似ているけれどずれてるっていうか……ごめんなさい、上手く説明出来なくて」
「いや、十分だよ」
耳を垂らして謝罪するフレサを、ディーが手を振って慰めた。今まで解らなかった情報を知れただけでも、進展である事に違いはない。
「近付けば、もっと何か解るかもしれません」
皆の役に立ちたい一心なのだろう。フレサは言うが早いか、一人で畑の中へと足を踏み出し始めてしまう。
「あ、ボクも一緒に行くよ」
「私も私もー」
「三人とも、あまり不用意に近付くと危ない――」
のんきに付いて行こうとするシロエとファムを、注意しながらディーが後を追った所で、事は起こった。
今まで微動だにしなかった巨大な何かが、突然その上部に繋がった――恐らく腕と思われる――部分を接近する者たちへと突き出したかと思うと、轟音を立ててその中ほどからを撃ち出したのだ。
その狙いは、なぜか最後尾に居るディーへと向けられていた。
「ウンブラ!」
全員の中でいち早く反応したのは、意外な事にフレサだった。メンバーの中で唯一精霊と交信が出来る彼女は、土塗れの中に居るという「何か」の意思を読み取ったのだ。
呼び掛けと同時に、彼女の影から出現する影色をした大きな四つの腕が、背後へ向かおうとした大岩に近い物体を、押し込まれながらも何とか受け止める。
その隙に、ディーはシロエとファムを抱えて即座に後退し、次いでメルセがフレサの元まで走り込み、彼女を抱いて大きく後ろへと跳躍する事で距離を戻す。
「っとぉ。おいおい、いきなりかよ」
「接近に対し、無差別に攻撃を仕掛けてくるのか。面倒だな」
咄嗟に反応し損ねたレオとシルヴィアが、腰に下げた剣の柄に手を置きつつ、止められた腕を間に伸びる太い紐によって撒き戻す巨体を見ながら、驚きを口に出した。
「あぅ」
「ちょっと、危ないじゃない! 誰よ、アレが安全とか言い出したのは!?」
「誰も言ってないよ」
降ろされた時に上手く足が地面に付けられず、よろけてこけるシロエの反対側で、理不尽に憤慨するファムをディーが苦笑しながら冷静に突っ込んだ。
「あ、ありがとうございます」
「気にしないで――でも、最初に近付いた三人には、まるで反応しなかったわよ?」
着地と同時にフレサを降ろし、彼女の礼に素っ気なく答えるメルセが、再び動かなくなった土塊の巨体に眉をひそめる。
中に精霊に近い存在が居るというなら、精霊術士であるフレサは除外するにしても、精霊と交信出来ないシロエやファムに反応しなかった理由が解らない。
「三人にはあって、ディーエンにはないもの……或いはその逆か」
動きが完全に止まった事を確認し終えたシルヴィアが、腕を組んで思考に耽り始めた。
魔力ならば四人ともが持っているし、血統の属性には統一性がない。性別、年齢、外見――ディー一人を除外する要素は、それらの中には見当たらない。
「……敵意、かな」
シルヴィアと同じく、理由を求めて思考していたディーがポツリと呟いた。
「精霊は、生物の感情や思念を糧に出来る存在だから、心を読む術に長けてる。あの中に精霊近い存在が居るのなら、僕の警戒心が読まれていても不思議じゃない」
フレサの契約した精霊であるウンブラが、その糧としているのが生物の負の感情である。糧に出来る以上、それを読み取れるのは精霊にとって持っていて当たり前の技能なのだ。
「では、私も近づけば反応されるだろうな。今の一撃を見て、アレに対する害意を解くのは出来そうにない」
「アタシも無理ね」
「オレもだな」
戦う力を持つ者は、反抗出来る分警戒に相手に対する攻撃的な意思が生まれてしまう。相手がそれを読んで攻撃の是非を決定しているなら、シルヴィアたちは既にその資格を失ってしまっていた。
「私は、多分大丈夫だと思います。中に居る子は、不安に怯えて困っているだけです」
ディーの予想が当たっているとして、近づけるのは相手を敵と認識しない者。
「残ったのは、シロエとフレサ。それに――」
そして、警戒や恐怖はあっても、敵対しようとする意思が生まれないほどに、相手との戦闘能力が大きくかけ離れた弱者。
「へ?」
全員の視線が、つなぎ姿の少女へと向けられる。ファムは間の抜けた声を出した後、意味を理解して途端に慌てだした。
「いやいや無理でしょっ。普通に考えて無理でしょそれ!?」
「未知の存在を探るんだ、人手は多い方が良い。フレサなら、奴の一撃もウンブラで耐えられる。万が一攻撃を仕掛けられたとしたら、その間に我々が全力で救出する。頼めるか?」
謎の巨体が動くと解った以上、下手に刺激して暴れ出せば、近くの村が危険に晒される。
休日返上でシロエが行くのは確定として、ファムの知識と技術は学園一年生として十分な力量なので、きっと役立たずにはならないと見込んでの申し出だった。
「で、でもさぁ……」
「無理強いは良くないよ。じゃあ、ファムは皆とここで見てて。ボクとフレサが行くね」
「はい、二人でも大丈夫ですから」
「ま、待ってよ! 誰も行かないとは言ってないでしょ!?」
腰の引けているファムだったが、シロエたちだけに危険な事をやらせておきながら、自分だけ安全な場所に居る罪悪感を感じたのか、焦った表情で二人を呼び止める。
「……うー。解った、解りました! やったろうじゃんにょ!」
緊張の余り盛大に噛んでしまているが、本人にそんな事を気にしている余裕などない。
「えと、無理はしなくて良いよ?」
「女は度胸! ほら、行くよ!」
精霊や魔具など、自分を守る術を何一つ持っていないファムは、それでも大声で自分を鼓舞しながら、やけくそ気味な勢いで二人を引き連れ、土塊の物体へと大股で近付いていった。
「アレがまた動き出した時の為に、二手に別れて監視しよう。レオと僕は別の位置に行くから、何か有ったら直ぐに動いて」
「解ってるわ。アレの攻撃範囲に入らないよう、気を付けなさいよ」
「そっちこそ、出遅れんじゃねぇぞ」
「ぬかせ」
調査する巨像を挟み、反対側へと移動していくディーたちを見送り、シルヴィアとメルセは監視の継続へと移る。
物言わぬ巨大な土塊は、ディーの推測を肯定するようにシロエたちに反応せず、その場から動こうとはしない。
しかしそれは、いずれ訪れる胎動を前に、その力を蓄えているようにも見受けられた。
◇
「へぇー、古代の道具の中身って、こんな事になってるのねー。おー、ほほー」
近づくまではびくびくと怯えていたファムだったが、ウンブラを使って巨体の全身に付いた土を軽く払った後、同じく闇の精霊の腕を足場に背後の金属板を開いて中を見た瞬間から、生きいきと内部を調べ始めた。
好奇心は時に猫と同じく、恐怖心をも殺すのだ。
積もった土汚れから顔を出したのは、赤銅色の金属とも石ともつかない何かで造られた巨人だった。
腕と胴が大きく、頭が小さい。楕円形の頭部には何も描かれておらず、左腕は肩口の先辺りから消失していた。
足に該当する部分は膝を折っていたのではなく、連続した車輪の周囲を何枚もの板を繋ぎ合わせたものが覆っており、車輪が回ると同時に板が回転し、地面を走破するのだと理解出来た。
百年戦争から今代に生きる人々の間で、文明は一度滅んだとされている。
悪魔たちが引き起こした大災厄の結果とも、人々の英知と驕りに怒った神の鉄槌とも言われているが、真相は未だ闇の中だ。
それ以前とされる古代の遺跡からは、今の文明ではおよびも付かない超高度な技術で作成された道具や魔具が度々出土し、様々な国や機関で研究が進められている。
この巨人もまた、そういった古代の遺産である事は間違いないだろう。
「ごちゃごちゃしてる色違いの紐は、色ごとに繋げていけば良いのかな?」
三人が見下ろす巨人の内部は、用途の解らない色取りどりの長細い紐の群れや、その紐たちと繋がった模様の描かれた円盤や四角い箱のようなものが、奥が見えなくなるほど雑多に詰め込まれていた。
部品の意味や用途は理解出来ないが、そこは同じ職人の作品だ。色分けされていたり、はまる場所がそこしかなかったりと、案外修復は容易そうだった。
「んん? ねぇシロエ、これって……」
「うん、切断面が新し過ぎる。この辺りは、最近壊されたみたい」
その中から異常を発見し、声を掛けるファムとは別の紐を確認しながら、彼女の言いたい事を察したシロエが、問いより早く答えを返した。
劣化や損傷の激しい巨人の内部だったが、壊れた箇所には明らかな差があった。時間と共に溶けたり腐ったりしている箇所とは違い、シロエとファムが持つ紐の断面は強い力で引き千切られたかのように切断され、内側から覗く金属の紐が、真新しい光沢を汚れ一つなく放っているのだ。
「ひょっとして、この村の人たちがやったんでしょうか?」
「解んない……でも、本当に壊したいならこんな中途半端なやり方じゃなくて、一気に全部やれるはずだよ」
勇敢な村人が、どうにかこの人形を壊そうと頑張ったのかもしれないが、そうだとしても壊された箇所が限定的過ぎる。
不自然で部分的な破壊工作は、まるで完全に壊れるのを嫌ったような、そんな思惑さえ感じられてしまうほどの奇妙さだった。
「んー、原因の解らない話はとりあえず置いておいてさ、これからどうする? 直す? 放っとく?」
答えが出ないなら、問題を議論するだけ無駄だ。ファムは話を切り上げ、次の行動について二人に意見を求めた。
「中に居る精霊みたいな子は、外に出たがっているみたいです。これを直したら、中の子が出て来られるんじゃないでしょうか」
「ボクも直したい。これが正常に動き出せば、きっとさっきみたいな危険もなくなると思うし」
「了解。それじゃあ、解る部分はさっさと直しちゃおう」
「あ、待って」
巨人を直す方向に話が進んだ所で、シロエが再び何かに気付いた。
不思議な模様の描かれた金属板や色の付いた紐をより分け、後ろに多数の紐が繋がった一枚の板を引き摺り出す。
「全部の色の紐が刺さってるし、これがこの紐たちの中心みたい。これも最近壊されてる――うーん」
「どうしたの?」
「板に書かれている文字がね、魔力文字に似てるんだけど、ボクが知ってる法則と全然違うんだ。フレサは解る?」
フレサに金属板を手渡そうとするシロエだったが、フレサは恐縮した面持ちで肩を縮こまらせて、両手を振って受け取りを辞退してしまう。
「えと、私は魔力文字を勉強してないんです……ごめんなさい」
「あー、そっかー。精霊魔法って、頼んだ後は全部精霊がやってくれるから、魔力文字って必要ないもんねー」
真っ赤になって俯くフレサを見ながら、ファムは納得した様子でからかい半分の笑みを向けた。
精霊の居る「あちら側」へと続く「門」を開くのは、フレサの意思と魔力のみで行われる為、魔力文字は一切必要ない。なので、フレサは魔力文字を学ばなくとも、ウンブラさえ顕在なら魔法を行使出来るのだ。
「なら、後でディーエン君に聞く?」
「うん、そうだね。書き写すから、少し待ってて」
「それじゃあ、その間に私は直せそうな所を直しておくね」
袖口から紙片と短い筆を取り出し、板の文字を写していくシロエの下で、ファムが切り離された同色の紐同士を糸と針を使って器用に繋げていく。
「フレサは、コレがまた動き出さないか見てて。お願い」
「はい、任せて下さい」
ファムの願いに、フレサは背筋を伸ばしてしっかりと頷いた。
◇
腕を組んだ姿勢で、変化もなくシロエたちの様子を眺めていたシルヴィアだったが、時間と共にその顔色をかげらせていき、今では「心配」と書かれた渋面が顔中に広がっていた。
「もどかしいな……」
「気負い過ぎよ。そんなんじゃ、いざ事が起った時に反応が鈍るわよ」
対するメルセは、草原に腰を下ろすほどの余裕の構えだ。楽観している訳ではないが、常時張り詰めていても疲れるばかりで後が続かないと理解しているのだ。
アレが攻撃を仕掛けて来た事には驚いたが、重くとも速さがなく、しかもその後フレサを助ける為に近づいても反応しなかった所を見る限り、攻撃している間はそれ以外の者への対応が出来ないのだろう。
仮に、万が一アレがまた動き出したとしても、フレサの精霊が持ち堪えて、シロエの持つ結界型魔具が耐えている時間があれば、救出は難しい事ではない。
「――メルセティア」
「何?」
しばらく、そんなシロエたちを心配そうに眺めていたシルヴィアが、神妙な口調で口火を切った。
「お前は……シロエが好きなのか?」
彼女らしい、腹の探り合いや遠回しな駆け引きなど一切存在しない、真っ向からの問い掛け。
「宴会での件なら、貴女をからかっただけよ」
「質問の答えになっていない」
逃れもせず、逃がしもしない。
メルセは、その愚直なまでの精神を面倒だと感じながらも、同時に少しだけ羨望を感じているのを自覚する。
「……嫌いじゃないわ。今まで出会った男の中じゃ、あの三人はまぁマシな方よね」
隣に居るシルヴィアを含め、吸血鬼というひとによっては討伐や撲滅の対象にもなる特異性を知った後も、彼らの態度は何一つ変わらなかった。
同情も、嫌悪も、逆にこちらが呆れてしまうほど、彼らは何も感じていないのだ。そんな相手は、今までメルセが出会って来た人物たちの中には、一人として居ない。
大きな理由の一つとして、大会中で知り合った面々と同様に、まずその秘密を話していないというのがあるのは確かだ。だが、それでも彼らがシロエを筆頭とした希に見るお人好し集団である事は、きっと揺るぎない事実だろう
「貴女はどうなの?」
「……解らない」
問い返してみれば、その力のない返答はメルセの予想から大きく離れたものだった。
銀に輝く部分甲冑の上から、己の胸元を押さえるシルヴィアは、何かに耐えているような辛そうな表情をしている。
「解らないんだ。シロエに対するこの気持ちが、友愛なのか、親愛なのか――それとも、恋愛なのか。私自身の心に問い掛けても、答えを返してはくれない」
「あれだけ執着しておいて、まだそんな事言ってるの?」
「……すまない」
迷った者に、己の本心ほど不可解なものはない。こと恋愛に関して、初恋の経験すらない未熟なシルヴィアにとって、シロエに対する感情は複雑怪奇そのものだった。
仲良くなりたい――
嫌われたくない――
笑顔が見たい――
自分を見て欲しい――
傍に居たい――
触れ合いたい――
理性から生まれる希望と、欲から生まれる願望。真面目で堅物な性質が、それら全てを恥じすべき惰弱だと断じながら、同時に心の隅ではその願いが叶う事を望んでいるという、矛盾への葛藤。
そんな、不確かな感情の揺らぎを受け止めきれず、彼女はその心を迷宮の奥深くへと迷い込ませてしまっているのだ。
「ヴァネッサ教諭は、その相手と望んで接吻が出来るかどうかが、恋愛の分水嶺だと教えてくれたが……正直、彼女の言葉は信用出来ない」
「それも極端過ぎる考えね――でもまぁ、あながち間違いではないかもしれないわ」
「そうなのか?」
あの黒衣の魔女からの疑わしい助言の数々は、そのことごとくを失敗したシルヴィアにとって、最早出鱈目としか思えていない。だが、信頼出来る友人であるメルセが認めるのならと、先を促してみる。
「貴女は、シロエとキスが出来る? 他の誰か――例えば、あそこの赤毛バカなんかと、望んでキスが出来る?」
「シロエとはしたい。だが、他の者では例え父とでも嫌だ。弟や妹とは出来るだろうが、自分から積極的にしたいとは思わないな」
メルセからの問い掛けは、彼女にとっては考えるまでもないものだ。故に、シルヴィアは即答に近い速度であっさりと言い切った。
「はぁっ……それが答えよ」
色白のエルフは、本人以外にとっては疑いようもないあからさまな回答に、肩を落としてうつむいた後、霹靂の騎士を見上げて皮肉気に笑う。
「悩んでたって答えが出ないなら、自分で勝手に答えを作れば良いのよ。貴女みたいな性格だと、この手の問題は時間を掛けて悩むだけ無駄ね」
メルセからの言葉は、シルヴィアの胸の内へと簡単に落ちた。
ないのなら、自分に都合良く作れば良い。その答えはきっと選ぶのではなく、既に選んでいるものに他ならないのだから。
「ありがとう。参考になった」
「どういたしまして。ていっても、アタシにだって経験なんてないんだし、あんまり信用しないでよ」
どこか晴れた表情になったシルヴィアから礼を言われ、両肩をすくめるメルセは、雰囲気に流されてしまった自分を内心鼻で笑う。
知ったかぶった助言など、らしくもなければ柄でもない。本当に、どうかしているとしか思えない。
しかしそれは、メルセにとって決して悪い気分ではなかった。
「メルセティア――ならばお前は、誰とならば接吻が出来る?」
「――興味ないわ」
視線を前へと戻した彼女の答えもまた、まるで最初から用意されていたかのような、迷いのない回答だった。
◇
巨人の修理に一端の目処を付け、戻って来たシロエたちを休憩させようと、見張りを買って出たシルヴィアとフレサを残し、一同は村へと引き返した。
フレサが感知した、巨人の中に居る精霊に似た存在の話を聞く限り、恐らく不用意に近付かなければ巨人が動き出す事はないだろうが、大事を取るに越した事はない。
「うん、これは魔力文字で合ってるよ」
村の集会所に入り、各人が思いおもいに過ごす中で、シロエから謎の文字列が書き写された紙片を手渡されたディーは、それを流し読みした後で小さく頷いた。
「でもこれは、術式じゃなくて暗号として組まれているものだね。解読すれば、きっと何らかの文章になると思うよ」
魔力文字は日常会話で使われるものではないが、その名の通り二十七種の文字と六つの記号で構成されている言語だ。一つ一つの文字に意味があり、それを記号で意味を繋ぎつつ組み合わせる事で、魔法に必要な術式を組む。
よって、知識と遊び心があれば、それをこういった別の形で使用する事も可能なのだ。
「故意に削られてる部分が幾つかあるんだ。ディーなら、解読出来るかと思ったんだけど……」
「やってみるよ。ちょっと待ってて」
不安そうに見上げるシロエに対し、ディーは余裕を持った柔らかな笑みで答え、その場に座って解読を開始する。
「別に、アタシたちが無理に解決しなくても、大体の事が解ったら学園に丸投げすれば良いんじゃないの?」
「それだと、多分シロエやフレサの願いは叶えて上げられないだろうね」
メルセの当然な疑問に、暗号と格闘しながらディーがあっさりと否定を被せた。
「何でだよ?」
「アレが、敵意に反応して攻撃して来る事は解ったんだ。学園が解決するなら、危険を避けて遠距離から大火力を使った方法で、確実に仕留める手段を選ぶんじゃないかな」
「まぁ、確かにアレを助ける義理なんて、学園にはないものね」
研究は大事だが、この国の領土にも古代の遺跡は幾つか存在するのだ。捕獲を試みるぐらいはするかもしれないが、わざわざ村の畑から出て来た程度のものを重要視する必要はない。
「それは……悲しいよ」
「うん、悲しい」
職人として、道具を愛する者として、多少危険とはいえ修復可能なものを簡単に切り捨てる考えに、シロエとファムが表情を曇らせた。
「僕としても、シロエやファムたちの努力を無駄にしたくはないからね――解けたよ」
「はえぇな」
「単純だったからね。それに、暗号そのものは遊びだったみたい。出て来た文章も謎掛けだよ」
そう言いながら、片手間で暗号を解読したディーが、皆に見えるよう差し出した紙に書かれていたのは、確かに謎掛けだった。
其は他者に与えるもの。
其は他者より受け取るもの。
其は「」ではなく、「」でなければ意味をなさない。
其は数多の意味を持ち、しかし全ては「」により生じる。
其が失われる時、「」は死を迎える。
其を表す名、それは「」。
「訳解んねぇぞ、何だこれ?」
「だから謎掛け。途中で欠けてる部分は、申し訳ないけど周りの暗号から推測出来なかったんだ。最後の空きだけは、どうやら解答欄みたいで最初から抜けてたよ」
虫食いだらけの中途半端な文章に、眉をひそめていぶかしむレオに説明しながら、ディーは全員に目配せをしていく。
「ここからは僕の推測になるけど、中枢と思える場所にこんな謎掛けを残している以上、正解すればあの巨人を正常に動かす切っ掛けになるんじゃないかな」
重要な部品に暗号が残されている点からみても、この問題があの巨人を製作した者からの挑戦状だと考えるのが妥当だ。
何の意図があって、こんなややこしい方法を取っているかは不明だが、難題への正解者に報酬があるのは確実だろう。
「アタシ、こういうの苦手だわ」
「私は好き。正に謎々って感じね」
両手でお手上げを表しながら身を引くメルセとは対照的に、ファムは嬉々として紙を眺め、答えを探ろうと頭を捻る。
「与えて受け取る……でも、なくなると死んじゃうもの……」
シロエも、皆と一緒に問題を解こうと首を傾げるが、その回答には簡単に辿り着けそうもなかった。
そもそも、元の文章が欠けてしまっている歯抜け問題の為、まずは問題文そのものを解読しなければならなず、それに対するヒントも手掛かりもない。正に八方塞がりだ。
一人の回答者も現れないまま日が沈み、遠征二日目が終わりに近づいていく。
時間制限である遠征期間の終わりが、刻々と迫り始めていた。
◇
「ウンブラ、お願い」
フレサの願いを聞き届け、彼女の周囲に円を描くように広がった巨大な影から、猫耳を付けた闇の精霊の頭部が顔を出した。
そのギザギザの大口が開かれ、指で円を作る程度の光の玉たちが、次々と茜色の空へと放出されていく。
夜の作業を見越し、太陽が出ている内にその光を取り込んでおいたウンブラが、自身の身体を核にした光源をばら撒いているのだ。
「精霊とは、本当に優秀だな」
蛍火に似た優しい光の舞い踊る、幻想的な光景に目を細めながら、シルヴィアは感心した様子で呟く。
闇の精霊が光を使う。精霊の能力を正確に把握し、機転さえ利かせられるならば、一見その属性では不可能に思える現象も、今のような方法で再現する事が可能だ。
「はい。でも、私はこの子に頼るばかりで……」
「精霊を使役しているのはお前だろう。誰かに頼る事を恥じる必要はない。私もまた、その内のその一人だ」
落ち込みかけたフレサを、シロエの作った腰の剣を軽く叩きながら、シルヴィアが慰める。
万能性を見せるウンブラだが、術者であるフレサが居なければ「こちら側」に現れる事は出来ない。
本人が納得するかはともかく、フレサはそこに居る時点で既に役目を果たしているのだ。
「しかし、精霊とは術者の助けがなくとも、「こちら側」に存在し続けられるものなのだな。それとも、お前の言う精霊との差異が理由なのか?」
武芸大会の決勝戦で、ウンブラは自力で「こちら側」へと顕現した。しかし、それはフレサという術者を介してのものだ。精霊が、誰の補助もなく「こちら側」に留まり続けているという話は、シルヴィアも今まで聞いた事がなかった。
ウンブラより高位の、それこそ御伽噺に出て来るような存在なら、自由に行き来が出来るはずだというのに、である。
「精霊は、「こちら側」に居ると「あちら側」にはない穢れを体内へと溜め込みます。少量ならば問題ありませんが、溜め込み過ぎた穢れは精霊を侵し、堕精霊として狂った猛威を振るう存在へと変貌させてしまいます」
シルヴィアからの問いの答えは、「しない」のではなく、「出来ない」だ。
「あちら側」に住まう精霊にとって、「こちら側」はただの空気ですら穢れをまとう、さながら猛毒の沼に等しい場所なのだ。
「私たち精霊術士は、契約した精霊が「こちら側」の穢れに侵されないよう、「門」を使って彼らを守る「膜」の役割を果たしているんです」
「ん? だとすれば、中に入ってる精霊もどきは、ずっと「こちら側」に居て大丈夫なのか?」
「はい。中がどうなっているのかは解りませんが、あの中に入っている子からは、狂った意思は感じられません。だから、私は中の子が普通の精霊とは思えなくて……」
アレがもし、本当に百年戦争時代の遺物なのだとしたら、巨人の中に居る存在は、途方もない年月を土の中で過ごしていた事になる。正規の手順で呼び出された精霊なのだとしたら、術者も既に死んでいるだろう今の状況で、穢れに侵されていないのはありえない。
穢れは、「こちら側」の世界全てにあまねく存在する絶対の不浄だ。それは、例え土の中であっても例外ではない。
「成程。古代の未知なる技術か、はたまた長い年月の中で独自に適応したのか――」
中の存在が特別なのか。外側の巨人が特別なのか。結局の所、蓋を開けて中を引っ張り出さない限り、結論は出ないだろう。
「でも、中の子は凄く弱っていると思います。精霊として考えれば、ほとんどの魔力が感じられませんから」
「アレは動かないのではななく、今は動く事が出来ないのか」
『――そっかぁ。暴れてくれなくてつまんないなーって思ってたら……なるほどねー』
「?」
会話の途中で、突然居るはずのない第三者の声が聞こえ、フレサは辺りを見回した。だが、やはり夕暮時の畑が広がるばかりで、周りには何も見当たらない。
「今、何か言いました?」
「アレは動かないのではなく、今は動く事が出来ないのか、と言ったのだ」
「いえ、その後です」
「? いや、何も」
結局、フレサは聞こえた声を空耳だと判断し、その話題は終了した。
何処からか聞こえたその声を、彼女が勘違いでない事を知るのは、全てが終わった後の話になる。
◇
――動体反応を感知――自動防衛に反応しない為、静観します――
「お腹が空いていたなら、言ってくれれば良いのに――まぁ良いや。それじゃあいくよぉ、えーい!」
――緊急事態発生――第一級倒滅指定対象の情報と同一の魔力が、本機の魔力炉を中心に増大中――
――救難信号を発信――周辺味方機、および「エデン」からの応答なし、本機は孤立状態にあると判断――
――魔力炉魔力、なおも増大中――危険です、直ちに原因を排除して下さい――危険です、直ちに原因を排除して下さい――
――代替案として、本機の独自判断による迎撃を選択――緊急事態により、特例として本機武装の安全装置を解除します――
――本機起動時より、周辺に存在する該当検索にない固体を緊急事態の原因と判断――
『ぎ、ギギ、が、ガガガガガガガガァァァッ!』
「もー、やっと動いたぁ。ほら、こっちだよ。おいでおいでー!」
――これより、該当対象への徹底抗戦を開始します――




