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星屑の鍛冶師  作者: タクミンP
幕間
36/45

36・外伝 ある教師の独白

 皆様始めまして。

 アリスレイ王国、学園都市ギラソールに居を構えるここ、イサラ・アルコリス学園において教師を勤めさせて頂いております、ネージュ・エクレールと申します。

 眼鏡を掛けても直らなかった鋭い目付きと、感情を表に出すのは苦手な為になってしまった抑揚のない喋り方。そして、喋り方と同じく余り表情が出ない鉄面皮が災いしてか、生徒たちからは影で「鉄女」「土人形ゴーレム教師」などと呼ばれて揶揄されています。

 私の担当科目は、一年生「フォース」における魔力文字ルーン。魔道の探究者には基礎中の基礎といえる科目です。

 早く覚えて貰おうと、それなりに厳しく指導しているのも、生徒から嫌われる原因なのかもしれません。

 この学園の敷居は非常に低く、入学資格のある年齢であり、入学費さえきちんと払えるならば、人間に限らず他種族であっても受け入れる懐の広い学び屋となっております。

 流石に、適正がなければ学べない「フォース」の学科だけは、入学した生徒に対し簡単な測定を行い、本当に魔法を学べるかどうかの確認を致しておりますが。

 魔道の才能を持たず「フォース」へと入学してくる学生は、少数ですが毎年必ず居ます。

 親の過度な期待であったり、自身の根拠のない確信であったり――生まれの血統で決まってしまう道だけに、その羨望も解らなくはありません。

 まぁ、入学金がそのまま世間の勉強料になって送り返されるのですから、不満を持つのも無理はないと思います。

――少々話が逸れました。

 魔道士にとって、魔力文字ルーンとは必修の課目です。これなしに魔道は語れず、「魔」に「法」を与える唯一の手段として、神代の戦である百年戦争の時代より存在していながら、未だその全容を解明するには至っておりません。

 知識は根となり、知恵は枝葉となって魔道という苗木を育てます。

 私の役割は、そんな初歩の初歩すら知らない子供たちを相手に、魔道の入り口に立つ手助けを行う事です。







 ×月○日 晴れ

 入学式から数日。奇特な新入生が、私の助手を願い出ました。名はディーエン・サーピエルデ君。

 蒼く長い頭髪を後ろで一本に束ねた、とても理知的な少年です。

 既に魔力文字ルーンの基礎は学んでいるようなのに、必要のない私の担当教科を受講していたり、他の教師ならまだしも、私のような教師の助手を願い出るなど、少々風変わりな性格のようです。

 常々助手は欲しいとは思っていますが、前の生徒と同様に、彼もそう長くは持たないでしょう。

――退屈は、猫を殺します。







「よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 研究塔と呼ばれる、「フォース」の生徒や教師にとって非常に利用度の高い施設の一室で、私はとある一人の生徒と対面しています。

 彼の名は、ディーエン・サーピエルデ君。

 下の名前は、家名ではなく師から与えられた魔法名だそうで、貴族かそれに連なる親族だと言われても違和感のない気品を持っていただけに、内心とても驚かされました。


「早速ですが、こちらの本を写本して下さい。図書館からの借り物なので、汚さないよう気を付けて」

「はい、解りました」


 ディーエン君に仕事を与え、私も所狭しと並んだ本を避けながら自身の机に座ります。

 魔力文字ルーンとは、すなわちこの世あらざる混沌――俗に「魔力」と呼ばれる力の塊を汲み上げる為の容器です。

 必要な量を、必要な形で体内、または体外から抽出し、魔力文字ルーンという器に乗せる事でようやく「魔法」が発動します。

 私が現在行っている研究課題は、魔力文字ルーンの解明です。

 この世界の人々が学び、あらゆる分野で利用している魔力文字ルーンですが、その技術の根幹を誰も知りません。

 なぜ、そうなるのか。一体、誰が開発し広めたのか。歴史を紐解けば、百年戦争の時代から存在するとされているその偉大な技術を、私たちはその起源や成り立ちをまるで理解しないまま使用しているのです。

 魔力と魔力文字ルーンの関係をつまびらかにする事が出来たならば、魔力文字ルーンを用いた魔法と、魔力文字ルーンを必要としない原生生物――精霊や悪魔など――の技術の違いを明確にし、我々も魔力文字ルーンを必要としない技法を開発出来るかもしれません。

――まぁ、そんなものは夢のまた夢でしょう。

 そんな大望など抱くはずもなく、私の研究は過去に出された魔力文字ルーンを考察した魔道書の写本や、それらの異なる結論に対する自分なりの自論を書にしたためる程度の、大変地味な作業の繰り返しです。

 私の助手を願い出た生徒たちは、全員が二ヶ月も経たずにこの研究室を後にします。

 私は口数の多い性格ではありませんし、与えられる仕事も面白さとは無縁のしろもの。街の外でのフィールドワークや様々な実験を期待していた生徒たちにしてみれば、肩透かしを食らった気分になるのでしょう。

 彼も一体何時まで持つか――

 この時の私も、新しい助手に対して余り期待してはいませんでした。







 △月◎日 雨

 あれから二ヶ月と少し経ちました。

 助手として雇ったディーエン君は、未だ私の研究室で仕事を続けています。

 与えられた退屈な仕事を文句も言わずにこなし、最近では休憩時間につまらない私と雑談までしてくれます。

 彼の豊富な知識は、教師である私でさえ時に感嘆してしまうほど広く、そこから導き出される意見は、実現可能かはさておき大半がとても理に適ったものばかりです。

 きっと、彼は素晴らしい魔道の研究者となるでしょう。それだけに、私のような地味な研究に付き合わせている現状が、心苦しく思えてしまいます。

 一度だけそのむねを本人に伝えてみたのですが、何故かディーエン君から自信を持てと軽く説教染みた訓戒を受けてしまいました。

 これでは、どちらが教師か解りません。







 ディーエン君が助手となった私の狭い研究室には、時折彼を訪ねる来訪者が現れるようになりました。

 用事であったり、単なる暇潰しであったり。休憩時間や仕事の終わった後でなら、私の邪魔にならない限り許可を出しています。

 今日の来訪者は、ディーエン君の同郷らしい「ソード」の一年生、レオン君です。

 上部に跳ねた赤髪と、何時も薄く笑っているような楽しげな表情が特徴の、活発そうな少年です。

 生憎、外が雨という事で室外での運動が出来ず、友人と共に退屈を凌ごうと私の研究室に訪れていました。


「……」

「……」


 そんな二人は現在、椅子に座って対面した状態でお互いが片手に納まる程度の球体を持ち、無言で手元を眺めています。

 やや険しい表情をした二人の持つ球体は、恐らくは何らかの魔具らしく、ディーエン君が開始を宣言した瞬間から、絶えず発光を行っています。

 やがて、先に光が尽きたのはレオン君の方でした。


「だぁ~、また負けかよ」

「七勝二敗――まだまだこの手の勝負では、僕の方に分があるね」


 悔しがるレオン君とは対照的に、ディーエン君はとても嬉しそうに笑っています。こういう表情をする時は、彼も年相応の少年として見えるので、大変微笑ましく思えます。


「それは、一体なんですか?」


 研究者としての好奇心に負け、無粋とは理解しながら私はディーエン君に質問をしていました。


「以前お話しした、シロエという「スミス」に居る友人が作った訓練用の道具です」


 椅子から立ち上がったディーエン君が、説明しながら私にその球体を手渡します。

 一見して、ただの魔晶石にしか見えない水晶球ですが、今まで光っていたところを見ると、何らかの調整が施されているのでしょうか。


「測定器を応用したものだそうで、僕の分は、一定量の魔力にだけ反応して光るようになっていて、レオの方も同様に、一定の心力に対して反応するようになっています。試してみてください」


 言われて球体に魔力を注いでみれば、込めている途中で一瞬だけ光が宿りました。持続させようと魔力の出力を調節しますが、中々上手くいきません。


「……難しいですね」


 反応して光る魔力量の範囲がとても狭く、針の穴に糸を通し続けるような正確さが要求されます。魔法を使う際、或いは心技を使う際、過不足なく発動させるのに非常に良い修練となる事でしょう。


「同じ友人から作って貰った魔具が、上手く扱えなくて……その練習用として作って貰ったんですよ。慣れたら、次にコレを着けます」


 言いながら、普段は着けていない腕に巻いた皮のベルトを外し、また私へと手渡してきます。見れば、裏側に複数の小さな魔晶石が付いているのが解ります。


「そっちのベルトは、身に着けた部分から魔力が漏れる仕組みになっています。抜ける量は変動し続けますから、事前に予測して魔力を調節しないと光が止まってしまうので、慣れても気が抜けないんですよ」


 ディーエン君はにこやかに言っていますが、素の状態でも難しい難易度が、それによって遥か彼方まで引き上げられるのは容易に想像が付きます。レオン君も同様に皮のベルトを腕に巻いているので、条件は同じなのでしょう。

 合格の条件を厳しくしていくのは、修練の基本ではありますが……彼らは一体、どこを目指しているのでしょうか。







 □月☆日 晴れ

 武芸大会が終わりました。

 私も、期間の間は教師としての仕事に追われ、非常に多忙な日々でした。毎年の事ではありますが、日常のありがたみが解ります。

 ディーエン君は、その大会で何と優勝という快挙を成し遂げました。本人から参加するとは聞いていましたが、本当に素晴らしい成績です。

 決勝戦だけ、時間を作って試合を観戦させて頂きましたが、二等貴族の(アルヴィス)という非常に魔道血統の高い生徒を圧倒する魔法は、素人である私でさえ息を呑むほどの迫力がありました。

 その後、獣人のフレサさんを命懸けで救出する場面には、強い感動すら覚えたほどです。

 しかし、ディーエン君が喜ばしい成果を成しえた事で、少々困った事態が起こりました。

 大会に出る前からも何度かあった事ではありますが、大勢の「フォース」の女生徒が彼を目当てに私の助手を願い出て来るのです。

 人数もそうですが、エミリア・グレシアスさんなど貴族の令嬢までが私の元に訪れる所に、ディーエン君の人気の高さが伺えます。

 最初の数人は雇いましたが、彼へのアプローチにばかり気を取られ、一向に仕事をしてくれないのですぐに解雇しました。

 女生徒たちの若さ溢れる奔放な行動を制限したくはありませんが、給金を払って雇う以上公私のけじめは付けて貰いたいものです。元々、仕事の邪魔さえしなければ入室自体は許可しているので、彼女たちにはそれで我慢して欲しいと思います。

 彼とは別の部屋で仕事をして貰う事を事前に通達し、仕事に集中して貰うようお願いし始めると、途端に誰も来なくなり、今度は「私がディーエン君を独り占めにしている」、などという荒唐無稽な噂が流れ始めます。

 驚いたのは、私よりもディーエン君の方がこの噂に怒ってくれた事です。

 寒々しいほどの美笑を浮かべた彼は、友人の伝手を使ってたった数日で噂の発生源を特定し、「お話し合い」の末穏便に事を治めたそうです。

 私の為に怒ってくれた事は嬉しいのですが――そんなに私と噂になるのが嫌だったのでしょうか。だとすれば、ほんの少しだけ傷付きます。







 武芸大会の後、私の研究室にはディーエン君が試合で知り合った生徒たちも来訪するようになりました。

 学園は同好の士を集う場所でもあるので、これからディーエン君への来客はどんどん増えていく事でしょう。一教師として、大変喜ばしい事です。


「――彼女が出来た」

「おめでとう」

「待て、聞き流すな。相談に乗ってくれ」


 深刻な表情でディーエン君に相談を持ち掛けているのは、彼と同じ「フォース」の一年生であるラギウス君です。

 手入れもしていない、中途半端に伸ばした茶髪からも解るように、不真面目ではないのですが、自分を磨く事に積極性を持たない生徒です。

 平民にしては魔道血統も高く、才能もない訳ではないのですが、ディーエン君のような生徒に比べるとどうしても見劣りしてしまう部分があります。

 その事を自覚しているのか、彼は物事に対し真剣になりきれない性格をしており、一番になれずとも上は目指せるというのに、非常に勿体ない性格だといえます。


「といっても、その辺りの分野だと僕は門外漢だよ?」


 知識の広いディーエン君ですが、色恋沙汰には然して興味はないのか、友人の相談に困り顔です。


「嘘を吐け。今月に入ってから一体何人振ったんだ? 俺の友好範囲内では、お前が一番適任なんだ――頼む」


 それでも、余程困っているのでしょうか、藁にも縋る思いでラギウス君が引き止めます。

 青春の話は大いに結構なのですが、私はこの場に居ても良いのでしょうか。盗み聞きをしているような、軽い罪悪感を覚えてしまいます。


「相手は誰なの?」


 友人が困っていれば、力及ばずとも手を差し伸べてしまうディーエン君の性分は、彼の美徳であり悪徳なのだと思います。

 普段は礼儀正しく、誰とも一定の距離を保とうとするディーエン君ですが、きっとそれは一度懐に入れたものを、自分の意思で捨てる事が出来ないからなのでしょう。


「フィエナ――フィエナ・エルリカだ。武芸大会の後に、人気のない場所に呼び出されて告白された」

「青春だね。確か、褐色の肌をした、喋りが独特の娘だったかな。大陸南東にあるパレーラ諸島の出身で、専攻は薬学――これで合ってる?」

「それと占星学だ。薬師兼占い師になるのが夢らしい」


 多少の誤差はありましたが、ディーエン君の情報は正確でした。ひょっとして彼は、「フォース」の一年生全員を覚えているのでしょうか。


「お幸せに」

「茶化すな。お前かシャルル辺りへのつなぎじゃないかと勘繰っていたんだが、どうやら本気で俺に気があるようだ」

「その考えは、その娘に失礼だよ」


 ラギウス君の考察を、ディーエン君が咎めます。

 本当にその通りです。勇気を出して告白した相手が自分を疑っていると知れば、その女生徒はとても悲しむ事でしょう。


「逆に考えてみろ。地位も才能もなく、外見も平凡。努力もそこそこで妥協している俺に、お前たち以上の魅力があるとは到底思えないな」


 周囲が抜きん出ているだけ、自身の平凡さが卑屈に繋がるのでしょうか。ラギウス君は、何故そこまで卑下するのか解らないほど、自分を低く評価します。


「気配り上手で、最善を尽くそうとする所とか」

「鏡を見てみろ。きっと格上が目の前に居るはずだ」

「だったら、君で妥協したんじゃない?」

「――その線が妥当か」

「本気にしないで、冗談だよ」


 冗談で言った軽口でさえ、真剣に検討し始めるラギウス君に、相談相手のディーエン君は苦笑を隠せていません。


「それで、どうしたいの?」

「それが解らないから、こうして困っているんじゃないか……平々凡々な俺に、彼女は一体何を見出したんだ?」


 幼い頃、魔道の才能を見出されて義母によって引き取られた私には、同じように悩むラギウス君の苦悩が良く解ります。

 恐らく始めての経験である、他人から送られて来る強い期待に、どう受け止めて良いのか解らず困惑しているのでしょう。


「そういえば、シロエへの注文も杖だけだったね。本当にそれだけで良かったのかって、渡した後でずっと気にしていたよ」

「俺にはこれでも十分過ぎる。杖の調節一つでここまで精度が変わるとは、目から鱗が落ちる思いだ」


 言いながら、ラギウス君が懐から取り出したのは、何の変哲もない黄緑色の魔晶石が付いた一本の杖でした。


「君が前に使っていたやつは、なぜか別のひと用に調整されていたらしいからね。その分酷い齟齬が起こって、全然力を発揮出来てなかったって言っていたよ」

「使えれば良いと、古道具屋で中古を買ったからな」


 ディーエン君の話題に何度も上る「スミス」の一年生、背の低い可愛らしい容姿をした少年であるシロエ君の作品だという杖をもてあそびながら、ラギウス君は当然だと答えます。

 実際、優れた職人たちによって生み出された魔具は、相応の値段が発生します。手持ちの少ない平民出の魔道士が、中古や自作の粗悪品を使っているのは良くある話です。


「まぁ、お前には理解されないかもしれないが……誰も彼もが、お前たちみたいに上昇志向な奴らばかりじゃないんだよ。俺は、生徒に貸し出される教科書目的で入学したくちだからな」


 貴族の子息などは新品を購入されますが、学園の教科書は基本的に貸し出し制です。勿論、汚したり破いたりした場合は買い取って貰う事になっていますが、入学金だけしか払えないような、生活の苦しい生徒たちの為の措置として好評なようです。


「一年で卒業して、どこかの片田舎で写本したそいつらを使った私塾でも開こうかと思っている。鱗蜥蜴人リザードマンであるドゥーガも、似たように学園の卒業という身分証目的で通っているらしいぞ」


 こういった目的で入学する生徒は、決して少なくありません。辺境に競合相手となる教育機関が少ないのは事実ですし、十五年ほど前に新しい王が即位し、国政として「種族融和」を掲げているとはいえ、他種族に対する偏見は未だ国内でも根強いものがあるからです。


「君に合った良い夢だと思う。応援するよ」

「やめろ、皮肉にしか聞こえない。それで、話の最初に戻るわけだが、こんな俺のどこが良いんだ?」


 落伍者であると自嘲するラギウス君ですが、それは間違いです。彼の目指すものは、平凡であれど決して誰に恥じるものでもない、立派な目標です。

 自己を理解し、その中で最善を求める行為は、誰にでも出来る事ではありません。


「君が自分で気付いていないところ、かな」

「……解らないな」


 ディーエン君も、ラギウス君の良さには気付いています。ですが、それを本人の前で教える事はないでしょう。


「今度、その娘を皆に紹介しようよ」

「断る。そんな事をして、お前たちの誰かに惚れられでもされたら、それこそ立ち直れる自信がない」

「……難儀な話だね」


 本気で心配するラギウス君から、フィエナさん自体は憎からず思っている事が伺えます。だからこそ、ここまで真剣に悩んでいるのでしょう。

 本当に、難儀な話です。







 *月◇日 晴れ

 今期の新入生が入学してから、半年以上が経過しました。

 勤勉で優秀。助手としてのディーエン君は、私にとってなくてはならない存在になりつつあります。

 いずれ彼が卒業してしまえば、また以前のように来客もなく、一人で研究室にこもる生活に戻るのだと考えると、とても悲しく鬱々とした気持ちになってしまいます。

 ですが、私は少なくともそれまでは私の助手として一緒に居られると、根拠もなくそう思っていたのです。

 何と愚かで浅慮な思考でしょう。彼が、別の教師を師事する可能性を忘れるなど、彼の好意に甘えているにもほどがあります。

 今日の出来事は、私にその事実を強烈に思い出させてくれました。同時に、図らずもディーエン君の本音を聞き、彼をより身近に感じた契機でもあります。

 きっと、私は今日の出来事を忘れる事はないでしょう。







 私の助手として働いてくれているディーエン君ですが、学生が本分である以上常に私の研究室に居るわけもありません。

 急遽私用により外出する用事が出来た為、今日の仕事は行わない事を伝えようと、彼の居そうな場所を巡っていきます。


「――っとと。ルー、急に乗ると危ないって、何時も注意してるよね」

「えへへー」


 「フォース」の校舎を歩いていた私の耳に、廊下の角の向こう側から彼の声と女の子の声が聞こえたので、そちらへと向かいます。

 角を曲がった先には、背の低い兎の獣人の少女を肩に乗せたディーエン君の後姿がありました。


「でも、お兄ちゃんはルーの事何時もちゃんと受け止めてくれるよね」

「当たり前だよ。でも、不意打ちされたら不慮の事故が起こるかもしれないんだ。だから、肩に乗りたい時はちゃんと僕に断ってからにして欲しいな」

「はーい」


 本当の兄妹のように、仲の良い二人のやりとりを聞き、邪魔者である私は声を掛けるのを躊躇ってしまいます。

 ですが、このまま伝えなければ彼に無駄足を運ばせてしまう事になるでしょう。私は意を決して、ディーエン君を呼び止めようと彼に片手を伸ばしました。


「あらぁ、ディーエン君じゃない」


 しかし、彼の正面にその人物が立った事で、私は再び廊下の角へと逃げ隠れしなければならなくなります。


「こんにちは、ヴァネッサ先生」

「こんにちは!」

「はい、こんにちは。相変わらず仲が良いわね、羨ましいわぁ」


 例え見ずとも、あのひとがしなを作っているのが解ります。

 ヴァネッサ・エクレール。私と同じ家名からも解るように、本来の親から私を引き取った義母に当たる人物です。

 彼女もまたこの学園で教師をしており、担当教科は二年生以上への魔道全般。基本は四年生の詠唱魔法ですが、彼女に教えられない授業などありません。

 絵本に出て来る魔女をそのまま再現したような、先の折れた長つばの三角帽に黒一色をした肌に張り付く妖艶なドレス。

 歩く度に揺れ動く、ウェーブによって膨らんだ紫の髪だけですら美しい豊満な肉体をこれ以上なく魅せ付けるその姿は、正しく「黒衣の魔女」と呼ばれるに相応しく思えます。

 私は、義母である彼女が苦手です。大恩ある方ではあるのですが、その在り方や性格がどうしても受け入れられず、今のように自然と避けてしまうようになってしまいました。

 私とは違い、多くの生徒たちから師事され、彼らを一流の魔道士として育て上げていく非常に優秀な教師である彼女は、同時に「美は魔に通ずる」を標語として日夜様々な分野で研究を行っています。

 生真面目な魔道士にはふざけた標語に聞こえるかもしれませんが、実際その魔性の美によって魔力を得ているとしか思えない膨大な魔力量を知れば、誰もが閉口せざるをえないでしょう。

 私と同じ水属性のみの血統でありながら、地風火水の基本四属性を始め十二種以上の属性を血統者の如く行使出来る魔道士など、私の知る限りでは彼女だけしか居ません。

 眉目秀麗にして絢爛豪華。親戚筋として同じ血が流れているはずなのに、私と似ている所など髪色ぐらいしか思い付かないほどです。

 それにしたって、波打つ義母の長髪と私の首筋ほどで揃えられた真っ直ぐな短髪ではまるで違います。

 私を引き取った時から、その外見は一切老いてはいません。聞いた限りを推測すれば、恐らく彼女の年齢は――義母の視線が私を捉えた気がします。気のせいでしょうか。


「ルー。悪いけど、今から先生と大事な話をするから、今日はここまでにしてくれないかな」

「んー、解った。でも、今度はちゃんと遊んでね」

「うん、約束」

「えへへー。それじゃあね、お兄ちゃん!」


 聞かれたくない話なのか、背に乗る獣人の少女に断りをいれ、それを素直に聞いた彼女がその場から離れていきます。こちらではなく、反対側に行ってくれて助かりました。


「それで――この間言った私の話は、考えてくれたかしら?」


 口元に指を当てているだろう、義母の発言に眉をひそめます。私の知らないところで、一体義母から何を提案されていたのでしょうか。


「ネージュ先生の研究所から、貴女の研究所に所属を移さないかという話でしたね」


 ディーエン君の言った内容に、私の頭が真っ白になります。

 ディーエン君の才能は、私のような者には勿体ないほど高い事は解っていました。その才能に義母が目を付けたならば、引き抜きを提案するのも当然の流れでしょう。

 出会った最初の頃には思っていて、今はすっかり忘れてしまっていた事実に辿り着き、私の思考は打ちのめされてしまいます。


「貴方の話だと、まだ明確な研究の指針を持ってはいないのでしょう? 私の所に来れば、貴方の望む道が見えてくるかもしれないわよ」


 彼女の地位は学園でもかなりの上位にあり、研究塔の六階を半分以上使用した巨大な研究室では、多岐に渡る研究が同時進行で行われています。

 内在魔力のより効率の良い向上方法。方陣魔法による町一つに作用するほどの巨大術式。古代遺跡から出土した、今の時代とは異なる技術で作られた魔具の研究解明。

 総括者としてそれら全ての研究に携わる彼女を師事すれば、確かにディーエン君の目指す目標を見つけられる可能性は高いでしょう。


「ほら、あの娘の研究って言い方は悪いけれど凄く地味じゃない? 貴方のような優秀な子に、日陰は似合わないわよ」


 義母の言葉は、時折こうして私を酷く傷付けます。否定しようもない事実だというのに、私の心はその悔しさによって今にも泣き出してしまいそうなほどかき乱されてしまいます。

 ディーエン君は、きっと義母のところに行った方が大成出来る。それが解っていながら、未練がましく彼を引き止めたくて仕方がありません。

 何という浅慮、何という自分勝手な思考でしょう。彼の未来を思うならば、そのような馬鹿げた考えなど起こしてはならないというのに。

 心臓が早鐘を打ち、私の耳にその大きな音を響かせます。その場に立っていられなくなり、自然と呼吸を荒くしながら背後の壁に寄り掛かり、その後訪れるだろうディーエン君の別れの言葉を待ちます。


「――ありがたい申し出ですが、今回は辞退させて貰いたいと思います」


 彼の発言が理解出来ず、耳から先に入ろうとしてくれません。

 なぜ――どうして――


「理由を聞いても良いかしら?」

「ネージュ先生の研究は、未来の魔道士にとって必ず必要になるものです。その一助となれるなら、これほど嬉しい事はありません」

「建前は良いの。本音を聞かせてちょうだい」


 義母の台詞に、親しいものにしか解らない程度の僅かな険が混じります。誘いを断られた事が、少なからず彼女の琴線に触れてしまったのでしょう。


「――僕は、故郷から一緒に入学した二人の才能に嫉妬しています」


 突然、ディーエン君の声から色がなくなりました。凍えるほど冷静でありながら、その実内面では灼熱の激情が渦巻いている。そんな、普段の彼からは想像も付かないような恐ろしい声です。


「才能というものを数値で測れたならば、きっと三人の中で僕が一番下でしょう。だから僕は、二人の届かない分野に傾倒する事でこの嫉妬心を誤魔化そうとしています。そして、それによって二人やその周囲に助言や提案を与え、少なくない優越感を抱いています」


 ここで初めて、義母の手によるものなのか廊下に人気がない事に気付きます。だからこそ、彼は胸の内を隠す事なく語れるのでしょう。

 耳が痛くなるほどの静寂の中、彼の独白は続きます。


「そんな最低な僕が、初めて支えたいと思えるひとが出来ました。僕と違いとても真面目で、僕と同じか、それ以上の劣等感に苛まれていながら、それを抱えて研究に没頭している、素晴らしいひとです」


 それは違います。私は、義母という大き過ぎる存在から逃げているだけなのです。

 彼女と同じ分野で比べられる事を恐れ、彼女が興味を示さない、魔力文字ルーンなどという初歩に過ぎない研究分野に逃げ込み、孤独である自分を感じて仕方がないなどとうそぶいている、そんな低俗な女なのです。

 私は貴方と同じです。ですが、貴方には私にはない溢れるばかりの才能がある。ラギウス君と同じく、誰に劣ろうとも大空へと羽ばたいていける権利と資格があるのです。

 角の向こうから、衣擦れの音が聞こえます。どうやら、義母がディーエン君を抱きしめているようです。


「ありがとう。辛い話をさせたわね」

「いえ。僕が勝手に語っただけですから」

「貴方は優しい子よ――その暗い感情を抑え、心から友人を想えている貴方は本当に優しい子なのよ」


 どこまでも穏やかな声で、義母がディーエン君を諭します。

 師が与える魔法名は、その弟子の在り方を一言で表すものです。

 私の魔法名は、リーリカレール。意味としては「叙事詩を読む者」「古きを読み解く者」となります。

 ディーエン君の魔法名はサーピエルデ。嫉妬と偏愛を司る「蛇」を意味する言葉です。ですが、恐らくそれだけではない。

 途中に入るピエルの意味は「慈悲」。つまり彼の魔法名は、「慈悲を抱く蛇」「己を哀れむ蛇」。

 自己に宿る宿業に身を焼かれながら、それでも大切な友人たちに愛を注げる彼にこの名を与えた魔道の師は、義母のような素晴らしい人物に違いありません。


「盛大に振られちゃったわねぇ。これだけ真剣に振られたのは、貴方で三人目よ」

「随分と多いんですね」

「気の多い女なのよ。お陰で、子持ちなのに未だに独身なんですもの。貴方は、私を最初に振ったひとに似ているわ」

「光栄です」

「ふふっ、思ってもいないくせに」


 張り詰めていた空気が弛緩し、二人は軽口を交わし始めます。

 会話を全て聞いておいて今更な話ですが、この場に居るのがばれてしまうと大変です。私は、逃げるようにその場を後にしました。


「あーぁ、あの娘にようやく春が来ちゃったわねぇ――育ての親だけれど、先を越されるのは同じ女としてなんだか悔しいわ」

「幸せにしてみせますよ……きっと」


 廊下の奥からの最後の言葉は、私には聞き取る事が出来ませんでした。







 結局、その後もディーエン君に会うのは気後れしてしまい、私は自分の研究室に置き紙をして外出しました。

 日が沈み、星が瞬く時間になってようやく用事を済ませ、依頼していた方から受け取った資料を置こうと再び訪れた研究室には、机に置いたランプと自身で生み出した光源を頼りに、ディーエン君が図書館から借りたであろう重厚な本を読み耽っていました。


「――遅くまで、お疲れ様です」

「……お疲れ様です」


 あのような会話を聞いた後です。私はディーエン君を直視する事が出来ません。

 彼の労いに、我ながら可愛げのない声で素っ気なく答えながら、私は両手に抱えた資料の袋を脇に置きます。


「今日の仕事は結構だと、置き手紙を残しておいたはずですが」

「えぇ、ここに居た用事は仕事関係ではありませんよ」


 資料を片付ける振りをしながら、どうにか動揺を隠そうとする私に、ディーエン君は笑いながら傍に置いていた小箱と水筒を掲げて見せます。


「食べ歩きが趣味の友人レオが、最近出来た美味しいケーキ屋を教えてくれたんですよ。稚拙ですが、本で読んだアイスティーも僕が用意しました。ご一緒にどうですか?」

「――えぇ、折角助手が用意してくれたのです。大切に頂く事にしましょう」


 振るえる感情を抑え、私は極自然な態度を意識しながら、心にもない言葉を吐き出します。

 やめてください。私に、そんな優しい声を掛けないでください。

 これでは、私は貴方を手放せないではないですか。これでは、私は貴方を――

 彼はきっと、会話が聞かれた事に気が付いています。これから、私には勝ち目のない男と女の駆け引きが始まるのでしょう。

 そして、私には彼の手管から逃げおおせる自信がありません。

 蛇は、獲物と定めた目標を決して逃がす事はないそうです。

 それを哀れと取るか光栄と取るかは、私の心次第――彼を憎からず想っている時点で、答えなど決まっています。

 ほら、捕食者が獲物を前に、舌なめずりをしながら優しく微笑んでいます。その巨大な口腔を広げ、今にも丸呑みにしようと私が対面に座るのを待ち構えているではありませんか。

 あぁ、お義母様――どうか、若く優れた才能を日陰に追い込む弱く醜い私の心を、お許し下さい――







 ―月―日 ――

 後日譚、とでも言えば良いのでしょうか。

 どうやら、私は相当な妄想家で耳年増だったようです。

 あの後、二人でケーキを食べながら当たり障りのない談笑を行っただけで、私の考えていた展開など何もありませんでした。

 彼が立ち去った後、私は一人で研究室のソファーに顔を埋め、しばらく舞い上がっていた羞恥に身悶えしていたのを覚えています。ディーエン君は終始何時もと変わらない態度で、勝手に緊張していた私ははたから見れば阿呆の極みだった事でしょう。

 穴があったら入りたいとは、正に今の私に相応しい言葉です。誰かにあの時の内心を聞かれたならば、私は恥ずかし過ぎて悶死しているかもしれません。

 きっと、義母とディーエン君の真剣な空気に毒され、どうかしていたのです。

 彼は生徒で、私は教師。残念などとは、欠片も思ってはいません。本当です。浮かれるより先に、年の差と釣り合いを考えて下さい。

 まったく――皆様、本当にお騒がせ致しました。


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