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星屑の鍛冶師  作者: タクミンP
第3章 箱庭の人形劇
33/45

33・カーテンコール 後編

 二・三日、と学園長は言っていたが、クレストス家の動きはその予想よりも遥かに早かった。


「――まったく、ありもしない見栄を張るからだ」

「むー」


 表彰式と襲撃事件の翌日、校庭に幾つか作られた休憩場の一つで小さな木造のテーブルを挟み、シルヴィアとシロエが椅子に腰掛けていた。

 水割りのオレンジジュースをストローを使って優雅に飲むシルヴィアの正面で、店員の生徒から大人たちに流行とそそのかされアイスコーヒーをブラックで注文した結果、あえなく膝を折ったシロエが砂糖とミルクを大量に入れたそれを不満げな顔ですする。

 アルベールからの襲撃の後、シルヴィアは誰に言われるでもなくシロエの護衛を買って出ていた。

 元凶である黒髪の貴族が学園の手によって隔離されている以上、シロエに対してなんらかの行動を起こす事は出来ないだろう。だが、一度起こってしまった以上警戒はすべきだとシルヴィアは少なくとも大会中の期間内ではシロエと行動を共にする事を他者に明言していた。

 そんな二人は、チケットを買って上級生の試合を観戦する気も街に繰り出して祭りを楽しむ気にもなれず、学園内をあちこちと散策しながら適当に時間と暇を潰している。


「あの場に居た全員の武具を作る、か――お前があんな提案をするとは、少々驚いたな」

「やっぱり、迷惑だったかな」

「安心しろ、それはない」


 途端に不安げな表情を作るシロエに、呆れ半分でその頬に手を伸ばしながらシルヴィアは即座に否定の答えを返す。

 自分の武具が大会で優勝したにも関わらず、シロエの態度は相変わらずだった。

 僅かに自信は付けたようだが、自分が未熟者であるという認識はどうやら彼の心の深奥にまで至ってしまっているらしい。

 最近になってようやく解ってきた事だが、この小さな鍛冶師は上を見上げるばかりで下や隣を見ていないのだ。自身が目指すべき至高をおぼろげな幻想ではなく実物として知っているだけに、周囲や他者がどれだけ劣っていようと目標と定めた彼方に立つ師の背中が鮮明過ぎてそれ以外に目がいっていないのだ。

 シルヴィアたちにとっては、ただただ舌を巻くばかりな腕前を持つシロエがこれほどまでに遠いと感じている彼の師の作品とは、一体どれほどの品なのか。

 興味が湧き、シルヴィアはシロエを含む同郷の三人に一度その辺りについて尋ねてみた事がある。

 だが、彼らの答えは言い方は違えど揃って「教えられない」というものだった。

 「知らない」、ではなく「教えられない」、だ。

 どうやら、彼らが知っている師の作品はかなり特殊な品らしくなるべく口外しないようにと、作った人物から口止めされているとの事だった。

 俄然興味の湧いてしまう終わり方だったが、無理を迫って困らせるのも本位ではないのでシルヴィアは泣くなく追求を諦めた。


「その考えは、頼ってくれた彼らに失礼だぞ。お前は、普段は鋭いのにそういった方面に関して鈍感過ぎる」

「うぅ、だってぇ」

「可愛く言っても駄目だ」

「うにゅ~」


 軽くシロエの頬を撫でた後、肉を摘んで痛くしない程度に横へと引っ張る。もちもちとした弾力と張りのある肌が、シルヴィアの手によって伸びどこか半笑いのような顔が出来上がった。


「ふん、相変わらすの餅肌だな。私などよりよっぽどすべすべじゃないか――けしからん」

「ふにゅ~」


 文句を言っているのか褒めているのか解らないシルヴィアに何度も頬をもてあそばれながら、シロエは僅かに身じろぎしながらも決して嫌そうな表情はしていない。


「――シロエというのは、貴様か」


 そんな、二人だけの空間を堪能していると突然隣から見知らぬ誰かが声を掛けてきた。


「ふぁい? ひぃっ!?」


 声のした方向にシロエが振り向けば、彼は飛び上がるような短い悲鳴と共に一瞬で身体を硬直させてしまう。

 そこに居たのは、筋骨隆々の体躯をした大柄な男だった。

 大陸では珍しい黒髪に、太い二の腕や厳つい顔に刻まれた多数の傷跡。貴族の礼服を着ていなければ、一騎当千の傭兵か万の兵を率いる将軍だと言われても疑いはしないだろう。


「質問に答えろ。貴様がシロエかと聞いている」

「は、はい。そうです……けど……」


 気の弱い者なら、その場から逃げ出したくなる強烈な迫力と威圧感に満ちた顔で頭上から僅かな怒気を込めて睨み下ろされたシロエに、怯えるなと言う方が無理な話だ。

 目尻に涙を溜めたシロエは、すっかり怯えた様子で萎縮しガタガタと震えながら質問に答えた。


「貴様の作った武具は何処だ」

「こちらに」


 男から当然のように言われ、それに答えたのはシルヴィアだった。

 椅子から立ち上がると、即座に腰に下げた「ゲイレルル」をベルトから外して片膝を付き両手で剣を頭上へと持ち上げる姿勢で静止する事で、男が受け取るのを待つ。


「ふん」


 流れるような動作で差し出された剣を手に取った男は、鞘に入った状態で軽く前後を確認した後刃を引き抜いて刀身を検め始めた。

 時折角度をずらし、しばらくつぶさに剣を観察した後刃を鞘へと戻して同じ姿勢で動かないシルヴィアの両手へと返却する。


「――拵えが甘いな」

「う゛……」

「鍛え方にも、端々にムラがある。掘り込んだ術式はともかく、魔晶石の調整も完璧とは言い切れん」

「う゛ぅ゛……」


 立ち上がり、再びベルトへと鞘を繋ぐシルヴィアの前で男はシロエの作品を見て把握した問題点を、包みもせずに言い募った。

 それに関して、シロエはただただ俯くばかりだ。男の言っている事に間違いはなく、指摘された箇所は自分でも確かに悪いと理解しているので反論も出来ない。

 シロエはシロエなりに全力でシルヴィアの剣を鍛えたが、他人に武具を預ける以上未熟を理由に半端なものを渡す行為は相手の命を軽んじているのと同義だ。

 名も知れぬ男から言外に責められ、シロエは何も言えずに顔を伏せ奥歯を噛み締めながら己の未熟を強く恥じ入る。


「だが、込められた心力の強さは悪くない。若さ故の勢いがあり、それでいて正確だ」

「え?」

「勘違いするなよ、褒めている訳じゃない。悪くないと思える点が、そこだけだったに過ぎん」

「は、はい」


 どう聞いても褒めているとしか思えない男の言葉だが、本人的には褒めているつもりはないらしい。

 どこか師弟にも見えるやりとりをした後、男の身体に隠れて背後に控えていた学園の職員に男が告げる。


「――息子はどこだ?」

「はい、来客用のお部屋にてお待ちです」

「禁固室に入れろ」

「は?」

「バカ息子を相手に、そのような上等な待遇は不要だ! 今すぐ禁固室にぶち込め!」

「は、はい! ただちに!」


 怒声に驚きすぐさま姿勢を正すと、職員は右手の指に取り付けている指輪型の魔具に向かって慌てながら何かを伝え始めた。


「仕事にかまけて放任し過ぎた、あのぼんくらの侘びはせんぞ」


 理解が追い着かず、椅子に座ったまま呆けるシロエの態度など一切気に留めず再び少年へと顔を向けた男は、最初から変わらない不機嫌な表情をしたまま大股で立ち去っていく。


「一族の家名に泥を塗ったその顔と名、覚えておく」


 振り返りもせず、身も凍るような脅し文句を残して男は慌てて追いすがる職員を伴って校舎の方角へと消えていった。


「凄いな。まさか、あれほどの方がお認めになるとは」


 シロエと男のやりとりを終始無言で見ていたシルヴィアが、感心した様子で口を開く。


「えと、あの人って……」

「あの方は、クロフォード・クレストス殿。クレストス家の現当主であり、アルベールの父君だ。私も、社交場で何度かお見かけした程度で、直接の面識は今回が初めてになる」


 体格も性格も、まるで似ていない親子である。似ている点を上げるとすれば、黒髪と怒った際の気性の激しさぐらいだろうか。


「クレストス家は、代々宮廷勤めの鍛冶師や魔具師を多く輩出する家柄でな。私が授かった父の剣も、出自を辿ればあの一派の作品だ」

「凄い……」


 初めての出会いの時に観察した、あの剣の事を思い出しているのだろう。雑踏に消えたクロフォードの背を見るシロエが、感嘆の言葉を漏らす。


「でも、ボクの武具、やっぱり駄目だって……」

「逆だ。あれだけで済んでいる上に、顔と名を覚える必要があると判断するほどにお前の作品を認めているんだよ」


 俯きだしたシロエの頭を撫でながら、シルヴィアは優しく諭し始めた。


「幾つか聞いた噂があるが、その中に同じ職人として、他人の作品は絶対に褒めないというのがあってな。無言が称賛の替わりだと言う訳だ」


 褒めはしないが、認めはする。シロエの腕前は、頑固で偏屈な職人が頷かざるをえないほど十分に洗練された一振りだったという証明だ。


「父は、男のツンデレは気持ち悪いだけだ、などとなぜか悪し様に言っていたが――ふむ、別段口の悪さ以外に咎める箇所があるようには見受けられなかったな」


 シルヴィアの父が言いたかった事は、そこではあるまい。しかし、隣にシロエのみが座るこの場では彼女の言葉に的確な助言は送れる者は居なかった。


「やはり、お前は凄いな。シロエ」

「もぉ、くすぐったいよぉ」


 名実ともに、世に広く知れ渡った職人にすら認められたシロエを我が事のように喜びながら、再び彼の頭や顔を撫で回すシルヴィア。

 二人のじゃれ合いは、衆人環視の中でその後もしばらく続けられた。







 場所を移し、こちらはシロエたちの自室として宛がわれた、寮の一室である四人部屋。

 現在この部屋には、住人であるシロエ、レオ、ディー、デジーに、シルヴィア、メルセ、意識を取り戻したフレサの、計七人が集合していた。

 クレストス家現当主、クロフォードが来訪した事で事態は一気に収束へと向かったらしい。


「で、結局どうなったんだよ?」

「クリストファーさんの方は、反省の色も見えているので禁固室二十五日。アルベールさんの方は相変わらずだろうで、禁固室百日の処分で決定だそうっす」


 自分のベッドに腰掛けるレオの質問に、部屋の中央で椅子に座るデジーが集めて来た情報を説明する。

 大会での不正は、貴族の不祥事を晒さないよう本来ならば内々で処理が行われているらしいのだが、今回はクリストファーが公開を強く望んだ為に流石に張り出しなどはされていないもののそれ相応の人数に今回の処分が知れ渡る結果となっていた。


「軽過ぎんだろ。どっちも百年ぐらいぶち込んどけよ」

「ここは学園で、正式な裁判所や牢獄じゃないからね――まぁそれでも、十分に意味はある処罰だよ」


 決定に対しありありと不満を漏らすレオに苦笑しながら、自分の机の椅子に座っていたディーが小さく肩を竦める。


「どういう事?」


 別の部屋から追加で持って来た椅子を拒否し、立ったまま腕組みをしているメルセがレオと同じ不満顔で僅かに眉をひそめてディーを見た。


「彼――アルベールの方だけど、随分と必修授業をサボっていたらしくてね。今回の罰が執行されると、進級可能な受講日数が足りなくなるんだ」

「つまり?」

「彼の留年が確定したって事。一年生での留年は認められてないから、実質退学通知だね」


 アルベールのサボりは、罰が終わった後でもし彼が連日補習を受けたとしても進級には届かないところまできているらしい。アルベールの学園生活は、すでにこの時点で詰みとなっていた。


「こればかりは、権力とかじゃどうにもならないらしいからね。これで、アルベールとの関わりはなくなると思うよ。もっとも、彼が来年もう一度この学園の試験を受けて一年生として入学すれば別だろうけど」


 プライドの高いアルベールがそんな選択をするかと問われれば、可能性は限りなく低いと答えられるだろう。

 やって来た親族の印象からみて、禁固室から出た瞬間すぐに実家へと連れ戻され追加の折檻を受けるのではないだろうか。


「色々と勝手に終わった部分はあるけど、一先ずはこれでおしまいかな」

「うん……」

「……」

「シロエ、それにフレサも、お前たちが気に病む必要はない。奴には、我々の言葉は何も届かなかったのだ」


 ディーの締めを聞き、自分のベッドに座るシロエとその近くで椅子に座ったフレサがどこか申し訳なさそうに顔を伏せる。シロエの隣に座っていたシルヴィアは、横から彼の頭に手を置いて優しく撫でながら瞳は獣人を見据えて静かに語る。

 自分の命を狙おうとした相手にすら優しさを見せるシロエとフレサの性格は、美徳であると同時に酷い危うさを伴っている。

 特に、シロエに関しては深刻な問題だ。

 シロエは武具を打つ鍛冶師だ。言い方を変えれば、彼は殺しの道具を自らの手で作成している。

 他人が傷付く事を嫌う性分と、生み出される唯一無二の威力を誇る刀剣たち――シルヴィアは、大きな矛盾を孕む彼が何時か途方もない現実を前に壊れてしまうのではないかという不安を、抱かずにはいられなかった。


「さて、お話しも一段落着いたところで――」


 そんな彼女を知ってか知らずか、中央のデジーが出来るだけ明るい声で仕切りなおすように周囲のメンバーを見回した。


「なんで今、オイラが椅子に縛られて囲まれてるかを誰か説明して欲しいんっすけど!?」


 ここまで一切誰も突っ込まなかった自分の置かれた状況を、デジーは大声で主張する。彼は今、後ろ手に腕を背もたれに縛られ椅子の前足に自分の両足を括られており、僅かな抵抗さえ許されない恰好となっていた。


「そこのすまし顔をしてる奴は、最初から知ってて泳がせてたらしいけど……アンタ、裏で色々やってたんですってね」

「う゛」


 ディーに軽く目配せした後、氷点下の視線でディーを睨み降ろすメルセにデジーは小さく呻き声を上げて目を逸らした。


「た、確かに、オイラはアルベールさんたちに少なくない助言をしたっす。でも、オイラは流れの中で立ち回っただけで流れそのものを作った訳じゃないっす……よ?」

「お前の行った、我々に対する背信の是非は問うまい。しかし、それによってフレサが精霊を暴走させ危うく命を落とし掛けた事に対しての落とし前は、付けて貰わねばならん」


 メルセとは違い、シルヴィアは幾分か冷静な態度で囚人と化したデジーに語った。

 商人であるデジーに、自分たちを優先しろというのもお門違いな話だ。価値観が違うからと、彼の行動を頭から否定するのも彼を友人だと思うならするべきではない。

 契約書にサインをした以上、試合で命を賭けた事にも納得はしているのだ。

 それに、シロエとフレサ以外の面々は薄々と彼の思惑にも気が付いていた。

 アルベールの勝手な妄執と、クリストファーの執着により始まった今回の騒動。

 シロエからアルベールを引き離す方法は、興味を失わせるか、完全に学園から追放するかの二択だ。武芸大会という公けの場で決着を着けさせれば、そのどちらかが叶う。

 アルベールが勝利すれば、溜飲が下がりシロエから興味を失っていただろう。敗北すれば、今回のように不祥事を起こさせ学園から追い出せる。

 今回の件で退学に出来なくても、反省しない彼は二回、三回と同ように事件を起こし結局は学園に居られなくなっていただろう。

 当然、自分の利益も計算に入れてはいたのだろうが、シロエの近くに居る者の中で唯一両者の間で立ち回りが出来るデジーは不測の事態に陥らないよう舞台の調整役として、自ら汚れ仕事を請け負ったのだ。

 今、デジーを囲う皆が許せないのは、アルベールたちとの確執に全くの無関係だったフレサを利用したという一点だけ。


「――解ってるっす。利益の為とはいえ、フレサさんを含め皆さんの命を危険に晒したのは事実っす。その事でオイラを罰っするというなら、甘んじて受ける覚悟はあるっす」


 しばらく無言を貫いた後、デジーは一切本心を語る事なく神妙な態度でシルヴィアと目を合わせた。逸らさず、逃げず、本人の言う通り覚悟を持った視線で霹靂の騎士と真っ向から向かい合う。


「潔いな。ではメルセティア、判決だ」

「――拷問してから死刑」

「再審を要求するっす!」


 僅かに溜めたものの、即決で下された判定にデジーは脊髄反射に近い速度であっさりと手の平を返した。追加で立ち上がろうとするが、手足が固定されてしまっているのでその行為は椅子ごと軽く跳ねるだけで終わる。


「なんだ、前言撤回の早い奴だ」


 シルヴィアから咎めを含んだ視線を受けるが、デジーにとっては彼女の態度の方が意味不明だ。


「いやいやいやいや! いきなり「死ね」とか言われて納得するひとは、普通居ないっすよねぇ!?」

「手始めに、鼻か耳でも削いどく?」

「待て。拷問とは、徐々に重要な部位を削っていくのが様式美だと聞いた事がある。まずは小指の骨を――いや、指の爪を剥ぐところから始めよう」

「切れ味の鋭そうなナイフを片手に、具体的な方法を検討しないで下さいっす!」


 こちらの話を聞こうともせず、何やら恐ろしい相談を始める女性二人にデジーは完全に涙目だ。


「おかしいっす……っ。確かにオイラは罰は受けるとは言ったっす。でも、流石に問答無用で死刑が当然という流れになるのは絶対におかしいっすよ……っ」


 冷や汗を流しながら、デジーは必死に現状の打開策を模索する。

 周囲の男性陣に助けを求めようにも、レオはニヤつくばかりで役に立ちそうになく、ディーも微笑を浮かべるだけばかりでデジーを擁護する気はないらしい。


「え、えと……ほら、デジーも反省してるみたいだし……」

「どこがよ。コイツ、どうせこれが終わったらまた同じ事仕出かすわよ」

「う゛ぅ……」


 おずおずとしたシロエの主張も、メルセの眼力と言葉によって一刀両断にされてしまう。


「オ、オイラが商人で利益を求める以上、もうしないなんて口約束でも出来ないっす……だけど、今回の件を反省してるのは本当っすよ! 次回からは、ちゃんと皆さんにも相談するっすから!」


 期待していた援護が一瞬で落とされ、なんとか罪を軽くしようとデジーはガタガタと椅子を揺らしながら必死になって弁解する。

 良く見れば、シロエが追加で作成した予備を加えた八つの「オムニスフィア」が部屋の上下の角全てに配置されており、その鋼球を基点に発生した結界によって部屋の内外が完全に隔離されていた。この場で幾ら叫ぼうと喚こうと、遮断されたこの場から外部に音が漏れる事はないだろう。

 想像していたよりもマジ切れしているらしい蒼の魔道士に、ようやく気付いたデジーの血の気が全身が蒼白になるほど引いていく。ディーの怒りには自分に対するものも含めた八つ当たりが半分ほど込められているのだが、デジーにとってはどれでも同じだった。


「わ、私は別に、もう怒ってないですし……」

「フ、フレサさん!」


 ここでようやく、獣耳をきょろきょろと動かしながら小さく片手を上げた姿勢で発言するフレサに、デジーはまるで女神に出会ったかのように瞳を輝かせながら困った表情をしている獣人に最後の望みを託す。


「頑張って下さいっすフレサさん! 貴女だけが頼りっす! 高望みはしないっすから、出来れば五体満足で居られて金の掛からないやつまで罰を軽くして欲しいっす!」


 激しく動揺してしまい、思わず本音も加えてしまったのがまずかったらしい。


「余裕じゃない。懲りてない証拠よね」

「――やはり、片耳ぐらいは削いでおくべきか」


 半眼になったメルセとシルヴィアが、ゆっくりとした挙動でデジーへと近づく。二人の手の中に納まった、鈍く光る短い刃が彼女らの発言が全くの本気である事を無言で物語っている。


「悪かったっす! オイラが悪かったっすから! 誰か助けてっす~~~!」


 恥も外聞もなく絶叫を上げながら、身動きの出来ない状況にも関わらず二人からどうにか距離を取ろうと足掻くデジー。顔は滂沱の涙に濡れ、逃れ得ぬ恐怖に全身から滝の汗が流れている。

 その後、二人の少女から執拗に行われた長い長い脅迫の末、最後に放心した状態で開放されるまで彼の悲痛な声が部屋から止む事はなかった。







「獣臭い獣人が……ボクたちをこんな場所に呼び出して、一体なんのつもりだ?」


 演習場の森を背にした、校舎の裏側。レオとフレサが邂逅した、始まりの地とも言えるこの場所で――最後の清算が行われようとしていた。


「……もうこれ以上、私たちに関わらないで下さい」


 フレサを虐め、大会中はアルベールの腰巾着をしていた「フォース」の二人を呼び出したフレサは、紫紺の杖を握り締めながら硬い表情と口調で彼らに告げる。


「――っ」

「ひっ」


 しかし、片方の少年が苛立ちと共に地面を踏みつければ、途端にその態度に怯えが混じって身を引いてしまう。


「――やれやれ。頭の弱い獣は、躾が疎かになるとすぐ付け上がる」


 フレサの変わらぬ弱さに気を良くした少年の一人は、口角を吊り上げながら校舎の壁を背にした彼女にゆっくりと一歩だけ近づいた。

 何時かと同じ状況。「フォース」の二人に囲まれ、フレサに逃げる道はない。


「お前、クリストファーやアルベールが居なくなって増長しているようだな。もう一度、誰がご主人様か教えてやるよ」


 振るえるフレサに、下から睨み上げながら少年の一人が彼女を威圧する。アルベールに媚を売っていた時とは、態度がまるで大違いだ。

 上に弱く、下に強い。彼らは典型的な小物だった。だが、だからこそ弱者であるフレサの心の折り方を心得ている。


「良い事を思い付いた。コイツに、奴らの弱みを探らせるというのはどうだ?」


 皮肉にも、後ろでやりとりを見ていたもう一人の少年の言葉がなければ、フレサは動けなかったかもしれない。


「それは良い。上手くいけば、武芸大会の優勝者たちを顎で使える訳か」


 同意しながら下品に笑う少年の言葉を聞きながら、フレサは全身に力を漲らせ始めた。


「(恐い――恐い――っ)」


 震える。身体の震えが止まらない。

 恐怖で足が竦み、心臓が耳に届く強音で鳴り止む事なく響き続ける。

 でも、それでも――


「(もう、一人は嫌! 泣くのも、笑うのも、皆と一緒じゃなきゃ、もう嫌だよ!)」


 弱い己を奮い立たせる彼女に芽生えたその感情の名前は、きっと「勇気」などという賞賛されるべき崇高なものではなく、誰もが当たり前に持つ、なにかを求める「欲望」という名の強い想いだ。

 諦め、俯き、流されるだけの人生を歩いて来た彼女が、欲しいと、手放したくないと、初めてに近い我侭を通す為に意を決して精一杯の気力と共に少年たちを睨む。


「もう……私たちに関わらないで下さいっ」

「ちっ、うるさいんだよ! 『水球アクアボール』!」


 同じ台詞ばかりを繰り返すフレサに業を煮やし、少年の一人が杖を取り出し、人の顔ほどの水球を彼女へと飛ばした。


「……っ」

「あ……?」


 しかし、その魔法が彼女に届く事はない。

 無言で身構えたフレサの背後から伸びる、校舎に登る形で出来上がった影から、ずるりっ、と闇色をした二つの腕が出現しフレサの前で盾となる事で水球を弾いていた。

 更に影が揺らぎ、決勝戦の時よりは小さくなっているものの相変わらず半溶状態の頭部をしたウンブラが、まるで沼地の底から顔を出したかのようにぽっかりと浮かび上がってくる。

 怪我の功名とでもいうのか、大会での一件を経てフレサとウンブラの繋がりは更に深く、更に強固なものへとなっていた。

 フレサが「門」を開かずとも、ウンブラは緊急時に際し自らの意思で彼女の魔力を吸収する事で「こちら側」へと顕現出来る術を身に付けた。

 フレサもまた同じく、気絶しながらも一度限界以上まで「門」を開いた経験から「門」の大きさを自在に操作出来るようになっており、常に針穴程度の「門」を自分の影に開けておく事で限りなくタイムラグのない状態で闇の精霊が顕現出来る体制を整えている。


「――っ」


 ギザギザの形をした口がこれ以上なく大きく開かれたかと思うと、フレサを守っていた両腕が動き即座に少年たちの胴を掴んで持ち上げる。

 指が長く、爪の鋭く尖った腕に拘束され、一気に窮地へと立たされた事で少年たちは激しく動揺しだす。


「な、なんだ!?」

「は、離せ! くそっ、離せよ!」


 力で屈服させてきたはずの相手が、更に強大な力で押さえ付けて来たのだ。彼らの混乱と恐怖は、相当なものだろう。


「お、おい! 話が違うじゃないか! 大会でのあれは、暴走だったんじゃないのか!?」

「お、お前が最初に言い出したんだろ!? ひ、ひぃっ!」


 しまいには、目の前の獣人に生殺与奪の権利が与えられた状況にも関わらず二人で言い合いを始めてしまう始末。


「もう……私たちに関わらないで下さい」


 そんな二人を見上げながら、フレサは搾り出すように最終宣告を告げた。


「わ、解った! もうお前と関わるのはやめる! 二度と近付かない! だ、だから……っ」

「た、助けて……」

「……ウンブラ、もう良いよ」


 抵抗の意思もなくなり、涙目で懇願の視線をフレサへと送る二人。

 少年たちの心が折れたのを確認したフレサは、短く呼気を吐いて彼らを拘束していたウンブラの腕を解いた。


「ひぃっ!」

「うわあぁぁぁ!」


 叫びながら逃げて行く少年たちの事など、もう彼女の頭にはなかった。


「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ」


 その場で一人となった瞬間、フレサの膝が折れる。杖にしがみ付いていなければ、そのまま地面に倒れていただろう。

 目の焦点は外れ、胸を押さえる呼吸は荒い。


「頑張った……よね……? 私……頑張ったよね……っ」


 次に溢れ出したのは、堰を切って流れる大粒の涙だった。頬を伝い落ちるその雫たちは、次々と地面に落ちていき彼女の眼下を濡らしていく。


「うぅっ……ひっぐ……恐かった……ごわがったよぉ……う゛んぶらぁ……みんなぁ……」


 ウンブラの両手に包まれながら、涙声で強くしゃくり上げるフレサ。

 一生分の気力を振り絞ったのだ。今はただ、頑張った自分を褒めてあげたかった。

 皆に、話せなかった事を一杯話そう。沢山お礼を言って、沢山感謝を贈ろう。

 自分はもう大丈夫だって。皆と居れれば大丈夫だって、笑いながらお礼を言おう。

 闇の精霊に抱かれ、素敵な未来に想いを馳せる優しい獣人は、今この時に全ての暗い過去を吐き出そうと、我慢もせずに盛大に泣き続けた。


「(これは儀式――ちゃんと笑える私になれる為の、その為の儀式――だから――)あ、う、あぁ、あぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁあっぁぁぁぁぁぁっ!」


 泣いて、泣いて、泣き疲れた後は、きっと心から笑える自分になる――フレサは止め処ない涙を流しながら、そんな確信を抱いていた。







 地面にへたり込み、泣き崩れる少女を校舎の壁を隔てた箇所から顔を覗かせながら様子を伺う幾人もの人影。

 それらは、レオたちを含めたアルベールが行った襲撃に居合わせた者たちだった。


「――自分でけじめを付けたいなどと言い出した時は、一体どうなる事かと思ったが……どうやら杞憂だったようだな」

「だから最初から、こんな大人数は必要ないよって言っておいたよね」


 安堵の溜息を吐くシルヴィアの隣で、ディーは予定調和だったと笑ってみせる。


「けっ、良く言うぜ。このボケが足鳴らした時、真っ先に飛び出そうとしたのは誰だよ」

「アンタもでしょ――ちょっと、押さないでよ。あの子にバレちゃうじゃない」


 ディーの余裕を鼻で笑うレオと、自身が身を乗り出しているのが原因で隠れた場所から押し出されそうになっているメルセが突っ込みを入れた。

 レオの語った通り、彼らの方角に逃げて来た「フォース」の少年たちは悲鳴を上げる暇もなく彼らによって気絶させられ、縄で縛られた状態で地面に転がっている。


「うむうむ。フレサ殿は、まことに強い心を持つ方でござるなぁ」

「……偉い。彼女は、とても頑張った」


 しきりに感心するヤカタに同調し、普段は余り変化のない表情を興奮気味に高潮させなたシズクが頷く。


「同胞として、ワシも嬉しい限りだ。最後に見せた彼女の気迫は、実に見事なものだった」

「にひひっ。なんだか、かくれんぼしてるみたいで楽しいね」


 我が事のように喜ぶバンコに乗り、ルーが自分たちの居る状況を笑っている。


「ほらほら、だべってないでこのもやしどもを運びな。二度とあの子に近づかせないよう、一緒に「説得」するんだって他の連中も首を長くして待ってんだから」


 最後に、ドーラが少年たちを親指で指し示しながら自分だけ真っ先に踵を返した。

 レオたちが語った為に、フレサの事情はあの場に居た一年生の全員が知る所となっている。

 最初は、問答無用でこの「フォース」の二人を吊るし上げ今後フレサに手を出せばどうなるかその末路を晒す事で他に潜む同列の者たちへの牽制にしようとしていたのだが、他でもないフレサ自身が突然「自分でやる」と言い出したのだ。

 周りの者は心配と不安を抱えながら、自分の力で解決したいという彼女の願いを優先した。

 当然、万が一を想定した準備は抜かりなく講じられていたものの、その杞憂はフレサの頑張りによってこうして無駄に終わってくれた。

 ここから先の流れは、すでに語った通りである。空き教室の一つで待機している者たちと合流し、彼らを吊るし上げて生まれてきた事を後悔させた後その恐怖を周囲へと存分に語って貰う手筈だ。

 アルベールを退学に追い込み、少年二人にトラウマを植え付けるのだ。これ以降、フレサやシロエに悪い方向でちょっかいを出そうとする輩は余程のバカか間抜け、或いは本当に危険な人物しか居なくなるだろう。

 結局、最後まで手が出せなかったアルベールに向かう怒りすら加えて「お話し」がされるだろう二人には、心から冥福を祈らざるをえない。まぁ、自業自得なので同情する余地は微塵もないのだが。

 沢山の仲間が出会い、沢山の成長があった一年生の武芸大会。

 シロエたちが学園に入学し、初めて行われた一大行事はこうして一同の笑顔を持って終幕となった。

 そんな、笑い合う生徒たちを何処からか水晶球で見下ろしながら満足気にほくそ笑む一人の影が居た事は、語るまでもないただの蛇足だろう。


これでこの章は終わりです。

次は外伝的なのを二つ三つ書いて、次章ですね。

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