31・カーテンコール 前編
「えー、今期の武芸大会における一年生の部門において、優勝という目覚しい活躍をみせてくれた生徒である君たちの活躍を讃え、ここにその努力と健闘を表彰したい――おめでとう」
大議堂の正面にあった、映像を送る八つの魔具は一時的に取り外され、現れた壇上で学園長代理補佐を名乗る白髭を蓄えた老人が、優勝者の一人であるシルヴィアへと、読み上げた表彰状を手渡す。
「ありがとうございます」
姿勢を正し、両手を前に出して賞状を受け取るシルヴィア。賞状を折り畳み、彼女が振り返ると同時に、観客席から絶え間ない万雷の拍手が起こった。
決勝戦が終了した後、職員たちの手によって救護室に運ばれた銘々は、既に全員が治療を終えている。シルヴィアもまた、傷一つない状態で王国騎士の礼装を模した純白の衣装に身を包み、舞台映えのする凛々しい立ち姿を披露していた。
彼女が知り合い伝手に軽く聞いた話では、どうやら決勝戦でのウンブラの暴走は、フレサが放った切り札的な魔法という解釈をされているらしい。映っていた映像も、そのように編集されていたのかもしれない。
気付いている者も居るだろうが、生徒を含む大半の観客たちは、精霊魔法の詳しい知識などないだろうし、派手で豪快な現象に驚くばかりで、真実を捉える暇も無かったのだろう。
誇るでもなく、鉄面皮で観客からの声援を聞きながら、シルヴィアは内心溜息を吐きたくて仕方が無かった。
「(まったく、体良く貧乏くじを引かされてしまったな……)」
大会の優勝者を讃える大議堂の壇上に、共に戦った仲間たちの姿はない。
武芸を競う大会である以上、試合で重症を負い、表彰者が一人であったり代理であったりする事は珍しくないらしく、観客たちもそこに疑問を持ってはいない様子だった。
ディーはまだ良い。未だ目の覚めないフレサに付き添いたいと言われれば、咎めるよりも先に推奨するのが当然だろう。
だが、全員が同じ救護室で治療を受けたにも関わらず、怪我を理由に出席を辞退したメルセの発言は明らかに嘘だし、レオにいたっては姿を現さない理由すら不明だった。
メルセに関しては、その出生から目立ちたくないという思惑もあるのだろうが、ディーを含めた三人とも、言外にただ面倒臭いだけという共通の思いが透けて見える。
結果として、サボるという選択肢を考え付きもしない、真面目なシルヴィア一人がこの場で注目を浴びる形となっていた。
これだけ人が多ければ、観客の中からシロエたちを探し当てる事も難しい。
彼女は、栄光を無意味だとは思わない。だが、他人の功績を受け取らされいる今の状況は、気分の良いものではなかった。
例え、彼らがどれだけ不真面目な理由で表彰を辞退していたとしても、讃えられるこの功績を彼らと共に成しえた事に、代わりはないのだから。
「(どれだけ有象無象から賞賛されたとしても、分かち合う仲間が居ない中で一体何を喜べというのか……)」
昔の、シロエたちと出会っていない頃の自分ならば、きっと褒め称えられる事に夢中になれたに違いない。それで良いとは思わないが、さりとて罪悪感にも似たこの感情を、持て余す事も無かっただろう。
見る影もなく弱くなってしまった自分の心に、内心で辟易しながらも、シルヴィアはそれを表情に出す事はしない。
別れは必ず来る。学生という身分が終われば、自分を含めた全員がそれぞれの目指す夢に向かって、別々の道を歩き出すだろう。
今更、高が一人にされた程度でこれほど心が揺らいでしまうのならば、いざシロエや他の者たちと袂を分かつ時、平静を装う事すら難しいと思えた。
三百を越す観客を前に、たった一人という孤独。晴れ舞台でありながら、何とも物悲しい気持ちにさせられつつ、シルヴィアは観客席に一礼して壇上を降りる。
シルヴィアは、数多の視線に晒されながら、フレサやメルセが長い間味わっていただろう苦悩の一部を、ほんの僅かに理解出来た気がした。
◇
クリストファーが目を覚ましたのは、学園にある救護室のベッドの上だった。
「……ここは」
天井を見上げた後、自分の居る場所を確認する為に、身を起こしながら左右に目を向ける。
すると、彼のベッドのすぐ隣に、先程まで戦っていた蒼の魔道士が、何食わぬ顔で丸椅子に横を向いて座り、手に持つ小さな書籍に目を落としていた。
彼の背後には、獣人の少女フレサが、ベッドに身を沈めたまま規則正しい寝息を立てている。
他に人影は確認出来ない。彼らの治療を終えた救護職員は、また次の仕事場へと向かったのだろう。
「思ていたよりも早く起きたね」
暇潰しとして読んでいたのだろう本を閉じ、特に感情の乗らない声音で起床の挨拶をしながら、クリストファーを見つめるディー。
「……そうか――僕は、負けたのか」
しばらく無言で記憶を反芻し、視線を落としたクリストファーの声もまた、ただ事実を確認するだけの淡々としたものだった。
突然の横槍が入ったものの、あれは自業自得というものだ。魔道士が魔法の腕前で負けた時点で、勝敗は既に決していたといって良い。
「試合の時と違って、随分あっさりと認めるんだね」
「あれだけ無様な醜態を晒したんだ。今更取り繕うプライドなんて、もう残ってはいないさ」
執着していた目的に、敗北という一つの成果を授かり、高まりきっていた熱が冷めたのだろう。クリストファーは、憑き物が落ちたように冷静さを取り戻していた。
今までの、己の行ってきた愚行を思い出しているか、小さく首を振りながら口元には苦い笑みが張り付けている。
「……僕を笑う為に、そこで待っていたのかい?」
「生憎だけど、そんな高尚な趣味は持ち合わせていないよ」
自嘲するクリストファーには取り合わず、ディーは自分の膝に乗せていた布の包み、彼の膝へと投げ落とした。
落ちた拍子で、結び目の解けた包みから顔を覗かせたのは、バラバラになった金属の破片。それが、フレサの首にはめられていた「服従の輪」だというのは、容易に想像が付いた。
「渡しておこうと思ってね。アルベールの買ったものかもしれないけど、僕は彼と面識がないから」
徹頭徹尾、色のない声で言葉を続けるディーの前で、砕けた欠片を見下ろしながら、クリストファーは掛かっているシーツを強く握り締める。
「僕は、君に勝ちたかった……っ」
犯した罪の重さを理解し、後悔しながら、それでも成しえたかったたった一つの願望。
彼の口から、搾り出すように漏れ出されたのは、懺悔にも近い告白だった。
悔しさと惨めさ、そして強い無念のこもった声で、告白は続く。
「初めて君の魔法を見た時、敵わないと思ったよ。そんな自分を否定したくて、君に付き纏ったりもした――でも、君は僕を見てくれない。僕を、認めてくれない」
貴族として、魔道士として、非常に高い資質を持つクリストファーは、今まで何の挫折も障害も知らずに生きて来た。
初めての感情に戸惑い、悩み、誰かに相談する事も出来ないその想いは、次第に妄執へと変じていく。
「憧れたんだ。君に、強く。初めて、誰かに勝ちたいと思えたんだ。勝って、認められて――僕は、君と対等になりたかった」
対等を目指した時点で、無意識にでも自分が相手より下であると認めている事は明白だった。だが、ただの一度も膝を屈した事のないクリストファーの凝り固まったプライドは、それを頑なに理解しようとはしなかった。
「君は言ったよね。勝つ為に、僕は貪欲になるべきだったと……今ならその意味が、良く解るよ」
そして、高過ぎる才能は、彼に努力というものの価値を失わせていた。彼が生まれ、過ごして来た歳月は、そんなものをするのは弱者の言い訳であり、自分には必要ないのだと、確信的な誤認を植え付けるには十分な時間だった。
意思無き力に価値はなく、力無き意思に意味はない。
クリストファーは、今更になって自分が如何に多くのものを授けられながら、何の疑問も持たず享受し、ただ安寧の時を生きて来たかを自覚していた。
Aであり、貴族という特権階級の子息である彼に与えられた全ての有利を、努力という一点のみによって覆した蒼の魔道士に、更なる尊敬とライバル心が湧いて来る。
敗北は認めても、クリストファーはそれを良しとはしなかった。今でもなお、目の前に居る魔道士に勝ちたいという気持ちは、一切の揺るぎもないのだから。
「――今回の件は、僕から学園側に報告して、正当な処罰を受けようと思う」
告白を終え、クリストファーは自らの罪を清算すべく、ディーにそう告げた。
女子生徒一人を自宅に軟禁し、伝統のある武芸大会で八百長や買収を行ったのだ。どのような裁可が下されるのかは解らないが、決して軽いものではないだろう。
「そうした方が良いだろうね。どの道、学園から君が罰せられるのは確実だろうし」
「どういう事だい?」
「余り学園を――というか、大人を舐めない方が良い。今回君たちがやった裏工作は、全て学園側に筒抜けだったと思うよ」
何も理解していないクリストファーの質問に、呆れ気味に答えを返すディー。
そもそも、ディーたちをこの学園へ入学させようと決めたのは、彼らの故郷に住む義理の親たちだ。事前の下調べぐらいは、当然しているに違いない。
ディーやレオだけならともかく、天然無垢なシロエを通わせようとする学園の職員たち全員が、不正や悪事の横行に気付きもせず、賄賂や裏金を平然と受け取るような、腐った連中ばかりであるはずがないのだ。
ならば、何故クリストファーたちの悪行は成功したのか。それは、学園側が武芸大会における不正を、ある程度容認しているからだとディーは推測していた。
欺瞞や不義理の蔓延る世の中だ。権力や財力を持つ者はそれを使い、持たざる者はその謀略を実力を持って捻じ伏せる事で、初めて勝利を掴む事が出来る。
これは、こういった権力者の裏工作すらも踏まえた上で、行われていた大会だったのだ。
真剣を使った実戦形式とはいえ、模擬戦は模擬戦。監視役の教師はそれなりの実力者だろうし、観客の視線がある以上、非道な行いは自粛せざるをえない。
当然、買収されたように見せ掛けていた教師たちも、クリストファーの行いが度を越すようであれば、すぐさま彼を拘束する手はずになっていたに違いない。
ウンブラの暴走を傍観し、大会が始まる以前に行われた、フレサの誘拐や軟禁に関しても、手出しして来なかったところを考えると、介入の判定は相当に甘いらしいが。
貴族と平民が机を共にするという、特異な場所だからこそ可能である、現実的な決闘。それが、この大会に潜んだ裏の趣旨だったという訳だ。
ディーが、そういった諸々の考察を語るにつれて、クリストファーが目に見えて落ち込んでいくのが解る。
「僕は、何処までも子供だったという訳か……」
全てを悟ったクリストファーは、小さく呟いて黙り込んだ。
自分のしてきた数々の悪事が、誰かの手の平で見守られていた、ただのお遊戯でしかなかった事実に、言葉もない様子だ。
一頻り肩を落としたクリストファーは、何かを思い出したのか、不意に顔を上げてディーに視線を送る。
「――一つ、頼み事を聞いて欲しい」
「内容にもよるね」
「彼女に――君の後ろで寝ている彼女に、一言、「すまなかった」と伝えては貰えないだろうか」
元々、余り乗り気ではなかったとはいえ、彼女に掛けた迷惑は計り知れない。試合中の脅しなどは、今考えれば悶死しかねないほど、紳士としてあるまじき行動だったと、クリストファーは内心で己を強く恥じる。
「嫌だね」
対するディーの返答は、至極端的な即答だった。
「……」
クリストファーも、そう答えが返って来る事を半ば予想していたのだろう。無言のまま俯き、所在無げに視線を逸らす。
頼んだクリストファー本人も、謝罪程度で許してもらえるなどとは思ってはいない。しかし、こんな場面など経験した事のない彼は、だからといってどうすれば良いか、皆目見当も付かなかった。
「僕はその件について、君たちを許すつもりは毛頭ないよ」
僅かに声を硬くしながら、しかし、ディーは内心これが八つ当たりである事を自覚していた。
決勝戦で、クリストファーと対峙した時、最も簡単にフレサを救出したければ、ただ負けるだけで良かったのだ。
演技がばれないよう、気を使う必要はあっただろうが、勝ちを譲りさえすれば、クリストファーはその結果に満足してフレサを解放していただろうし、それ以降付き纏いもして来なかっただろう。
だが、友人を無理やり巻き込み、のぼせ上がったクリストファーを懲らしめようと、己の欲望を優先した結果が、この有り様である。
目の前で落ち込む銀の魔道士と同じく、ディーは何よりもまず、己の見通しの甘さを悔い続けていた。
「その台詞は、フレサ本人の前で君の口から言うんだね。僕とは違って優しい彼女なら、もしかしたら許してくれるかもしれないよ」
貴族が平民に頭を下げてはならない。これは、上流貴族なら誰もが教わる不文律だ。
貴族の――特に階級の高い貴族の謝罪は、基本的に格上の者にしか行われない。軽々しく頭を下げる行為は品位を落とし、相手や周囲からの侮りを許してしまうからだ。
貴族とは地位であり、常に平民の上に立つ先導者でなければならない。
二等貴族の嫡子として、英才教育を施されてきたクリストファーは、その教えに倣って今まで他人に頭を下げた経験が無かった。
ディーは、それを全て承知していながら、貴族の子息である彼に対しフレサへの謝罪を要求しているのだ。
確かにその行為は、今のクリストファーにとってこの上なく難易度が高く、罰として申し分のない要求だといえるだろう。
「君は……存外嫌な奴だね」
顔を限界までしかめ、精一杯の皮肉を込めて、クリストファーが毒吐く。
「今更な話だね」
他人には常に人当たり良く、悪く言えば無難な対応を取るディーが、こうやって意地の悪い発言をしている時点で、それだけ彼を認めている証拠だといえるのだが、クリストファーがそれに気付く事はない。
「僕も道の途中だから、「待っている」とは言わないよ。だから――追って来なよ、ここまで」
「――っ、勿論さ」
ディーの挑発に、クリストファーが本来の気質を取り戻していく。
大仰に銀髪をかき上げ、不敵に口角を上げながら、蒼の魔道士と視線を交し合う。
「僕も、「待っていろ」とは言わないよ。追いついてみせるさ――いや、追い越してみせる。次は必ず、実力をもって僕が勝つ」
己の属性と同じ赤炎を、その両の瞳に強く宿し、クリストファーは新たな目標に全力を尽くす事を心に決めていた。
「期待しているよ」
競う相手は、多ければ多い方が良い。特に魔道士としての好敵手は、長い間ディーが待ち望んでいた存在でもある。
友人とも、敵対とも違う、二人の新しい関係が、救護室の一角で始まりを告げていた。
◇
装具科校内の一角、フレサを呼び出したあの空き教室で今、二人の人物が相対していた。
「ご依頼通り、シロエ君を指定された空き教室に案内したっすよ。いやー、やっぱり信用って大切っすねぇ」
絶やさぬ笑みを貼り付けながら、デジーはどこか場違いな雰囲気で、目の前の依頼主へと報告する。
「人払いも終わってるっすから、後は煮るなり焼くなり、好きにすると良いっす」
「――そうか、ご苦労だったね」
今回の商売相手は、黒髪の貴族――アルベールだった。
忌々しそうに親指の爪を噛み、心ここにあらずといった様子で、目線を板張りの床へと落としている。
大議堂で、優勝者を讃える表彰式が行われているだろう時間帯で、二人がこの場に居るのには訳があった。
本来は、クリストファーのチームが勝利し、敗者であるシロエを散々に罵る為に、アルベールはあの小さな鍛冶師を空き教室の一つに招くよう、デジーに依頼をしていたのだ。
だが、何の間違いが起こったのか、自分の調整した杖を手にし、万が一にも敗北はありえないはずの魔道士は、無様にも膝を屈した姿を晒してしまった。
これでは、あの役立たずの巻き添えによって、自分にも敗者の烙印を押されてしまう。そう考えたアルベールは、腕の立つ者を雇い、空き教室に居るだろうシロエを、八つ裂きにしてしまおうと思い至っていた。
幸い、今は大会中という事もあって、学園への入場者は生徒以外も多い。今は別の場所で待機させているが、人はすぐに集まった。
相手が死ねば、勝敗は無効だ。奇跡か偶然で凡人に勝ちを拾われ、己の評価に傷が付いてはたまらない。
この暴挙に対する負い目や罪悪感は、彼にはない。こんな事になるなら、最初からこうしておけば良かったと、アルベールは本心からそう考えていた。
「おっと、行かれる前に報酬を受け取りたいっす」
無言のまま、立ち去ろうとするアルベールを、デジーが引き止める。黒髪の貴族が、これから一体何をしに行くのか、その全てを理解していながら、彼が気にしているのは己の手に入れる硬貨の枚数だけだった。
「今、ボクが忙しいのが解らないのか!? 事が終わってから、好きなだけくれてやる!」
苛立ちを隠そうともせず、目を血走らせたアルベールが怒鳴る。会話をしている時間も惜しいと、デジーを強く睨み付けた。
「報酬が先っす。満足した後で難癖付けるのは、貴族様の常套手段っすからね」
「ボクを侮辱する気か……っ」
「違うと言うなら、行動で示して欲しいっすね。知ってるんっすよ? 貴方が雇ったはずの「フォース」生徒二人には、結局銅貨一枚も渡さなかったそうじゃないっすか。そんな人の言葉を信じられるほど、オイラは人間出来ていないんっすよ」
放蕩息子であるアルベールが、学園に入ってから浪費した金額は相当なものだが、同時に彼は酷く吝嗇――つまりはけちだった。
ヤカタたちを雇ったのはクリストファーだし、大会に関する根回しの資金も、元を辿れば全て彼が出資していたのだと、デジーは自分の調査で知り得ていた。
あれこれと理由を付けては権力を振りかざし、支払いをごねるなど日常茶飯事。それでなくとも、彼の性質を僅かでも知っていれば、信用など出来る訳もない。
アルベールの隣で媚を売っていたあの二人は、今はもう居ない。自分の利益にならないと悟るや、すぐさま手の平を返すその姿勢は、いっそ清々しいものがある。
そして、周囲から取り巻きが居なくなった今の状況は、アルベールのような権力を誇示する人物にとって、立場の崩壊を意味していた。
「卑しい守銭奴が……っ」
「商人とは、そういうものっす」
自分の事を棚に上げるアルベールに、デジーは軽く肩を竦めて、その濁った視線を受け流す。
「元はと言えば、君の提案を聞いたから、クリストファーは彼ら如きに負けたんじゃないか!」
「被害妄想はよして欲しいっすね。確かにオイラは、幾つか自分の考えを口にしたっす。だけど、それを認めて実行したのは、他でもない貴方がたじゃないっすか」
素材の質で勝れば、勝てるのは当たり前。同じ質で勝利しなければ、相手も納得しないのではないか――
今の彼らのやる気では、決勝戦まで昇って来れないかもしれない。出場しない精霊術士を捕らえて餌にすれば、戦意も増すだろう――
言葉巧みに誘導し、シロエと製作者としての才能を比較する為、アルベールにフレサの杖を再調整させ、序でに彼女を景品に仕立て上げる事で、レオたちに優勝への明確な目的を与える。
面倒な性格だが、商人にとっては金づるであるアルベールと、将来有望株であり、類希なる技術を持つシロエ。デジーは、どちらが勝者となっても自分がその下に居られる立ち位置で、両者の間を渡り歩く。
流れは、概ねデジーの思惑通りの動きをみせてくれた。
決勝戦でのウンブラの暴走は、完全に予想外の出来事だったが、ディーたちの奮闘によって事なきを得たので、これも問題としては許容範囲だ。
貴族の子息であるアルベールが、明確にシロエを敵視する以上、二人が学園で席を同じくする事は難しい。実際、アルベールは己の敗北を認めず、今のような凶行に走ろうとしている。
それが、破滅に繋がる道とも知らぬままに。
嫉妬で平民を襲った事件が明るみに出れば、家元のクレストス家が擁護しない限り、退学は確実だろう。例え在籍が許されたとしても、彼に近付こうとする者はいなくなる。
この襲撃が成功しようとしまいと、アルベールとの関係はここが潮時だと、デジーは既に彼を見限っていた。
「親切で、フレサさんを拘束する為の魔具まで、闇市で仕入れて来てあげたというのに――矢張り、貴族様は口先だけなんっすかねぇ?」
「――っ、くそっ」
プライドだけは一人前のアルベールが、デジーの発言を我慢出来る訳もなく、人差し指にはめていた装飾用の指輪を外して、投げ付けるように放り投げた。
「これで満足だろう!?」
「ふむ、間違いなく一級品の宝石と装飾っすね。家紋もなし――商談成立っす」
受け取った指輪を鑑定し、商人見習いはその出来を見て満足気に頷く。
家紋があれば値は上がるが、正式な契約書でも交わさない限り、盗品を疑われてしまう。相手がアルベールならば、渡した後で盗人扱いしてくる可能性もあるかもしれない。
そういった意味でも、デジーの受け取った指輪は良質ながら出自を気にする必要のない、理想的な報酬だった。
「まいどどうも。またのご贔屓をお願いするっす」
「ちっ」
慇懃無礼な態度で、深く腰を折るデジーに一度舌打ちした後、すり抜けるようにその横を通り過ぎて行くアルベール。
「――ま、これも商売人の性っす。悪く思わないで欲しいっすね」
人気のない場所で一人となった後、デジーは姿勢を維持したまま、誰にともなくぽつりと呟く。
利に敏く、益に賢く――己の矜持を貫く商人見習いは、その後宝石をしばし片手でもてあそび、胸のポケットに入れていた小さな袋にしまいながら、一人満足そうに笑みを浮かべていた。




