30・闇を祓う者たち
学園にあるかも定かではない、とある一室で、机に置かれた水晶球を眺める人物が二人。
一人は、皮の張られた豪華な椅子に腰掛け、金縁のカップで優雅に紅茶を飲みながら。もう一人は、その横で視線だけをそちらに向けながら、直立不動を貫いていた。
水晶に映る映像は、大議堂の中にある魔具よりも更に近く、鮮明であり、向こう側の音すら拾っている。
「おっと、これは彼にも予想外の出来事だったようだね。さぁ、どうするどうする?」
「どうやら、生徒の一人が精霊を暴走させたようです。介入しますか?」
黒く染まった水晶を見て、椅子に座った人物が楽しそうに笑えば、隣に立つもう一人が無表情のまま問い掛ける。
「解りきってる事を、あえて尋ねるその姿勢。嫌いじゃないよ」
「ありがとうございます」
「無論、介入はしない。監視役の教師たちにも、「手出し無用」と厳命しておいてよ」
「承知致しました」
指輪型の通話用魔具に話しかけ、各人に指示を出す部下には見向きもせず、その人物は水晶を眺め続ける。
「捕らわれた姫を救い出すのは、何時だって勇者か王子の役目だからね」
そんな、本気とも冗談とも取れる、子供染みた下らない理由だけで、学園側の不干渉は決定した。
学園を牛耳るその人物にとって、生徒と玩具は正しく同義であり、重要なのは如何に自分を楽しませてくれるかという一点だけなのだ。
宝石に至らない荒削りな生徒たちが、命を燃やす雄々しき姿。何と儚く、何と胸躍る光景であることか。
その為に作り上げた学園。その為に生み出した箱庭だ。蓋をされた楽園の主は、舐めるような視線で水晶球を見下ろしながら、どこまでも深い笑みで呟く。
「さぁ、原石諸君。美しいその輝きを、どうかボクに見せておくれ」
生徒という名の人形を愛でながら、その人物は観戦している他の誰よりも深く、この試合を一番に楽しんでいた。
◇
「こちら側」の生物とは、似て非なる精神構造を持つ精霊の内面を、言葉で表す事は難しい。
それでも、その心を人の言葉で当てはめるとするならば、それは「怒り」が妥当だろう。
ウンブラは怒っていた。
その存在が、生まれた時から見上げていたのは、主が両手で顔を覆い、声を殺して泣き続けている姿だった。
生まれに泣き、虐めに泣き、暮らしに泣き、孤独に泣く――
ウンブラは、最初から闇の精霊だったわけではない。生まれた時、小さく無色透明だった精霊が、彼女の傍にありながら最も多く糧に出来たものが、人の負の感情だったからだ。
皮肉にも、彼女が心を痛めた分だけ、彼女が迫害された時間だけ、ウンブラはそれを栄養として成長していった。
だが、どれだけ力を付けようと、彼女の元に行く為の穴は小さ過ぎて、彼女を守る事は出来なかった。
広げた両手は彼女を隠せず、主の助けを借りなければ、その涙を拭う事さえ叶わない。
ウンブラは、次第に自分の精神すらも糧にし始めた。
暗く淀んだ空間の中で、何時までも力を溜め、どこまでも成長を続けながら、しかし主の涙を止められない。
一度だけ、何時も小さかった穴が大きく広がった時、何も知らなかった精霊は、「扉」が自在に操作出来る事を知った。
大きな身体で、彼女を護れる事を知った。
突然彼女との繋がりが断たれた後、矢張り彼女は泣いていた。
彼女が悲しむ度に、ウンブラは自らの力で「扉」を開こうとした。何度も、何度も、世界を隔てる邪魔な壁を壊そうと、己の存在すら削りながらその断絶に干渉を繰り返す。
そして遂に、彼女の元へと繋がる「扉」が開く。
その精霊にとって敵とは、主を泣かせる全ての存在だ。それはつまり、彼女の居る「こちら側」の全てに他ならない。
ウンブラは怒っていた。
分不相応な己の行動が、最愛の主を苦しめるなど、気付きもしないほどに。
◇
最初に動いたのは、背後から溢れた強烈な敵意に反応したディーだった。
「っ! 『接続』――『防壁』!」
飛び込みの要領で投げた杖を拾い上げ、傍に転がっている「オムニスフィア」たちを繋げて、素早く自分の周囲に結界を発生させる。
もしもの時の一手として、クリストファーに悟らせないよう作っておいた策が役立ち、何とか防壁の中へと閉じこもった後、一拍も置かずに結界の外を黒が埋め尽くした。
「ひっ!? ぎゃ――っ!」
目の前で、銀の魔道士が悲鳴を上げて押し流されていくが、そんなものを気にしている余裕も無い。
侮っていた。舐めていたと言い換えても良い。
「服従の輪」を装着させられているフレサは、魔力も心力も封じられている上、彼女が突然無差別に攻撃を仕掛けるとは思えない。つまり、これは彼女と契約している闇の精霊、ウンブラ単独の意思での行動だ。
書物で読む限り、精霊の側から「扉」を開けるのは、かなり高位の存在でなければ出来ない行為らしい。
フレサが考えているより、遥かに格は高いと推測していたが、まさか自力で「扉」を開けるほどの力があろうとは、完全に想定を超えていた。
その甘い認識の結果が、今の危機的状況である。ディーは、自分の愚かさに吐き気がしそうだった。
外を這い回る黒の圧力によって、結界が軋み、ディーの焦燥が加速する。
今まで、クリストファーとの戦闘で消費した魔力は、当然回復していない。残った分で唱えられる魔法は、後は大技一回が限界といったところか。
脱出に使ってしまえば、それで魔力が尽きてしまう。さりとて、このまま結界を維持し続けても、破壊されるのは時間の問題だ。
考えている内に、結界に亀裂が発生する。早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、ディーは高速で思考を巡らせていく。
大して長くもない検討の末、彼は魔力を温存する覚悟を決めた。
何処に居るのかは解らないが、異国の傭兵と戦っているだろう仲間たちが勝ったとすれば、当然この平野に戻ろうとするはずだ。
クリストファーの魔力切れを誘う為、長々と戦闘を長引かせた事が、結果として彼らが到着出来る確率を高めてくれた。
結界を破壊され、自分がウンブラにやられるまでに、彼らが間に合うかは賭けになる。だが、ウンブラを相手に戦う事になれば、魔法は最も応用の利く一手となるはずだ。
かなり分の悪い賭けだとは思う。だが、ディーにはそれを信じられるだけの信頼を、友と仲間たちに預けていた。
きっと来る。根拠も確信も無いただの信頼をもって、ディーは静かにその時を待った。
亀裂が崩壊し、彼を守っていた防壁が遂に破れる。黒の奔流が、勢いを付けて内部へと襲い掛かった。
液体に近いその濁流を前に、ディーは成す術もなく飲み込まれてしまう。
氾濫した川に放り込まれたような、攪拌する黒の中で、息を止めて耐えていたディーの首に、何かが巻き付いてきた。
続いて起こった拘束は、首を絞めるなどという、生易しいものではない。それは確実に、ディーの首を圧し折る為の圧力として、彼の首を軋ませていく。
ディーの僅かな心力での強化など、まるで意に介さない強烈な絞首。
「がぼ……っ」
ディーの首筋からみしり、と鈍い音が鳴った。悶え苦しみ、耐え切れなくなった口から、大量の空気が漏れ出す。
指先が意思に反して痙攣し、手に持つ杖が無情にも彼方へと流された。
黒と白の明滅を繰り返す視界が、徐々に暗闇の色へと霞んでいく。意思の力ではどうしようもない、人間という肉体の限界が迫る。
そして、抵抗も出来ず、意識が落ちかけたその瞬間、何の前置きもなく全ての拘束が解放された。
「――ぶはぁっ!」
続いて持ち上げられ、空を跳ぶ浮遊感を理解するディー。
「げほっ! ごほっ!」
「――間に合ったようだな。無事か?」
着地した後地面に降ろされ、膝を付き、咳き込むディーの上から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「たす……かったよ……シルヴィア……ごほっ!」
「喋るな。今は呼吸を落ち着けろ」
抜き身の剣をぶら下げたシルヴィアに礼を言うと、彼女は前を向いたままで、素っ気無い返事を返してくる。
「とりあえず、もう一人も助けといたわよ。ぎりぎり死んではいないみたいね――一体何があったのよ?」
二人に近付きながら、気絶したクリストファーを無造作に投げ捨たメルセの声は、目の前の光景が理解出来ず、怪訝な声音をしていた。
ようやく、息を整え終えたディーが見たのは、離れた位置で蠢く闇の精霊だった。
そこには、幾度か見た事のある、愛嬌を持った人形の姿は無い。
地の底から湧き出すように広がる、水溜りの如き黒の影が泉となって出来上がり、そこからずるずると伸びた幾つもの手の形をした何かが、まるでもがくように天へと向かっては、再び影へと引き摺られていく。
這い出るその黒い手たちは、全ての指が異ように長く、鋭く爪の尖った形状をしている。何を目的に生み出ているかは、容易に察しが付いた。
地獄を表すその中心に据えられた、形の崩れた巨大なウンブラの頭部の中で、フレサは大きな気泡に包まれた状態で気絶していた。
瞳を閉じ、全身の力を抜いた立ち姿で、気泡の中を浅く上下している。
「――――――――――――っ!」
人の可聴域を超え、ただの振動となったウンブラの咆哮が響く。まるで泣き叫ぶようなその大声に、三人は耳を塞いで顔をしかめた。
「フレサを守ろうとして、ウンブラが暴走したんだと思う。ごめん」
「アンタが付いていながら、とんだ体たらくね」
「……返す言葉も無いよ」
反論もせず、苦い表情でメルセの叱責を肯定するディー。
「ウンブラが、自分の力だけで「門」を維持出来てるとは思えない。きっとフレサの魔力や体力を無自覚に奪いながら、無理やり「向こう側」からしがみ付いてるんだ。このまま放っておけば、確実に彼女が死ぬ」
「門」の維持は、本来術者である精霊術士の仕事だ。「向こう側」から顕現した精霊たちは、彼ら彼女らの許可によって「こちら側」での存在を許され、力を振るう事が出来る。
それを無視して強引に身体を保つとなれば、精霊にとって自身の存在を削りかねないほどの負担を、常に支払い続けなければならない。その精霊から力を奪われているフレサが、この先一体どうなるかなどは、想像する必要もないだろう。
「どうする?」
油断なくウンブラを見据えたまま、シルヴィアがディーに向かって、端的に問い掛けた。
このメンバーの中で、魔法や精霊に詳しいのは魔道士であるディーだけだ。彼の説明と指示がなければ、行動を起こしたとしても状況を悪化させかねない。
「フレサを、あの場所から引き摺り出す。ウンブラは、フレサ自身を「門」として、「向こう側」から出て来ているはずだ。彼女を救い出して「門」を閉じない限り、ウンブラの力は無制限と言って良いだろうからね」
「解った」
「僕をあそこまで届けて欲しい。ほとんどの魔力を使い切ってしまってるから、僕からの援護は期待しないで」
「私も似たようなものだが――大丈夫なのか?」
体力的にも、役目的にも。
彼でなければならない理由を、シルヴィアは責任感から来る非合理的な判断ではと、僅かに邪推している様子だった。
「僕がやるよ。この状況の負い目も確かにあるけど、この役割は魔道士である僕が適任だ」
二重の意味での問い掛けに、躊躇なく答えるディー。
シルヴィアの突撃では、フレサごと吹き飛ばしてしまいかねないし、メルセの弓では、近距離での対処が出来ない。
どう転ぶかも解らない、この不明瞭な事態が如何に変化しようと、状況によって多ような魔法を使い分けられる魔道士が、この三人の中では一番の適応力があるといえる。
「……良いだろう」
理性を保った瞳をしばらく見つめた後、シルヴィアは納得した様子で頷いた。
「メルセは、僕たちの援護をお願い。本体から切り離された部分は消滅するみたいだから、出来るだけ根元近くを切って欲しい」
「この距離と量で、気軽に無茶言ってくれるわね。ま、やるけど」
頼まれたメルセは、不満を漏らしながらも何処か嬉しげに、一本の矢を引き絞る。捕獲用の矢にしか見えないそれに、疑問を持つ者は居ない。
「行くぞ」
「お願い」
短い合図を持って、シルヴィアが駆け出した。そのすぐ後ろを、ディーが同じ速度で追従する。
杖を失ったディーは、腰のポーチから取って置いた最後の「オムニスフィア」を左手に握りこむ。「プレコダ」には劣るが、この鋼球もまたディーの魔法を高める魔具に他ならない。
近付いて来た侵入者たちに対し、漂っていた腕たちが即座に撃退の構えを取った。黒く長い幾つもの腕が、シルヴィアたちへと殺到する。
「はぁっ! せいっ!」
迫り来た腕たちを、高速で走る剣が蹴散らしていく。しかし、次第に数を増やしていく漆黒の群れに、シルヴィアの足が止まってしまう。
「くっ!?」
正面から来た、他よりも一段太い腕を切り飛ばした直後、本体と繋がった部分から、更に二つの小さな腕が出現し、彼女の首へと伸び上がる。
「はあぁっ! やぁっ!」
焦りながらも、シルヴィアは剣を真下に向けて振り下ろし、発生させた風の障壁によって腕を受け止めると、返す刃で留まっていた腕たちを一息に両断した。
「人形だった時の形に騙されないで! 見ての通り、ウンブラは不定形の粘獣に近い存在だ! 形状の変化は、自由自在だと思っていた方が良い!」
「先に言え!」
自分を守る為、激しく動き回るシルヴィアに伝えようと、普段よりも声を高めたディーへと、即座に文句が返って来た。
直後、矢の走る風切音の後に、轟音が響く。
メルセの番えていた矢は、ルーとの戦いで使ったものに近く、毒の替わりに火薬が詰まった爆破専用の矢尻だ。
ディーの願い通り、大量の腕を掻い潜り、それらの根元近くで炸裂した矢の爆風により、二人を襲っていた腕の大半が、一気に虚空へと溶けて消滅していく。
「ありがとう!」
「後二本!」
ディーの礼への答えは、メルセの持つ火薬矢の残り本数だ。威力が過剰だった為、大会ではそれほど使用しないだろうと、用意した数は少ない。
五歩も進まない内に、再び大量の腕がシルヴィアたちの進行を阻む。近付くにつれ数と勢いを増す猛攻に、再び足止めを余儀なくされる二人。
間を置かず、メルセから二本目の援護が飛ぶが、結果は然して変わらなかった。
「くそっ、数が多過ぎるぞ!」
流石精霊とでも言うべきか、ウンブラからの攻撃は、幾ら排除しても終りが見えない。シルヴィアは、大量の腕を踊るように裂きながら、大声で悪態を吐いた。
「まずいね。まだ半分も近付けてないのに……っ」
メルセの矢によって、後一回同じように進んだとしても、ウンブラには到底届きそうにない。焦れる戦況に、苦い表情で奥噛みをするディー。
膠着したかに思えたそんな彼らの背後から、突然一つの影が躍り出た。
「お前は……」
「――義によって、助太刀いたす」
シルヴィアの隣に立ち、左手一本で薄く細い剣を振るうのは、片頬を腫上がらせた異国服の剣士。クリストファーに雇われていたはずのヤカタだった。
「真打登場ってなぁ!」
更にその後、地面を蹴って高々と跳躍し、上空から叩き潰すような振り下ろしを放ったレオが、黒い腕の十本近くを一撃で両断しつつ、彼らの前へと着地する。
「オレ抜きで、楽しそうな事やってんじゃねぇよ! 何すりゃ良い!?」
「僕を、前に有るあの中心まで連れて行って! あそこに居るフレサを救い出す!」
急な援軍に驚きながらも、ディーは即座に二人へと指示を出した。この際、敵味方を論じている時間も惜しい。
「応さ!」
「委細承知!」
露払いが三人に増え、事態はディーたちの優勢へと傾いた。
「はあぁぁぁっ!」
「ちぇぃっ! はぁっ!」
「ふんっ! だぁらぁっ!」
苛烈さを増す腕たちを、三本の剣が怒涛の勢いを持って駆逐していく。
「――――――――――――っ!」
そして、ウンブラの広げた影の泉の目前へと到着した時、再び精霊が咆哮を上げた。
その顔の後ろから這い擦り出た、四人を余裕で掴み取れるほど巨大な二本の腕は、唸り声を響かせながら、左右から押し潰すようにしてディーたちを挟み込む。
「はあぁぁぁぁぁぁっ!」
「うおぉぉぉぉぉぉっ!」
シルヴィアの「ゲイレルル」と、レオの「ダハーカ」が生み出した空気の壁が、迫る二本の腕を正面から受け止める。
「行って来い!」
「譲ってやるから、下手こくんじゃねぇぞ!」
両足を踏み締め、重い一撃を耐える仲間たちの間から、ヤカタがウンブラに向けて跳躍した。
「拙者を踏み台にするでござる!」
「うん!」
下から襲い掛かって来る、無数の腕を捌くヤカタの背まで跳び乗り、更にもう一度跳躍したディーが、遂にフレサを封じたウンブラの頭部へと辿り着いた。
前進する勢いに任せ、右腕を叩き込む。目玉を貫くように貫通した手が、少女の襟首を掴んだ。
続いて、左手をウンブラの身体へと添え、「オムニスフィア」をその内部へと押し込む。
影の泉から、ディーに向けて無数の影の手が伸びるその瞬間、彼の魔法が完成した。
「『凍獄魔封』!」
「――――――――――――っ!」
ウンブラの全身から、声にならない絶叫が走る。「オムニスフィア」から発生した極寒の冷気は、差し込んでいたディーの右腕ごと、精霊の頭部を一瞬にして凍結させた。
伸びた冷気は、傍から湧き上がる腕さえも絡め取り、その動きを瞬く間に封じていく。
「砕けろ!」
蒼の魔道士の命令に応え、氷塊に亀裂が走った。しかし、巨大過ぎるその塊は、砕けるには至らない。
「ぐぅっ!」
ディーはそのまま、フレサを掴んだ右腕を強引に引き抜き始めた。
氷によって皮膚が引き剥がされ、そこから大量の血を噴出させながら、彼はその行為を辞めようとはしない。
「砕けろ! 砕けろっ!」
顔を歪ませ、真っ赤に染まる右腕を無視し、何度も氷塊に命令しながら、力尽くで腕を引いていく。
「ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
普段からは想像も付かない、荒々しい叫びと共に、ディーは砕けた氷の隙間から、無理やりフレサを奪い返した。
気を失っている獣人の少女を抱きかかえ、体力を使い果たしたディーが、地面へと倒れこむ。
そこには、フレサを奪還する為に大量の腕が待ち構えていた。
フレサが離れた事によって、「門」が閉じたとしても、今ここに存在するウンブラの端末は健在なのだ。
長く伸びた指先が、まるで剣山の如くそそり立ち、ディーの背中を出迎える。
シルヴィアも、レオも、ヤカタも、自分たちの事が精一杯で、彼の危機を救う事は出来ない。
せめてフレサは守れるようにと、力を込めて彼女を抱きしめたディーが次に感じたのは、自分の身体が貫かれる感触――ではなく、何者かの大きな両腕に受け止められる感触だった。
「……友達は、守る」
彼らを受け止めたのは、異国の術士が召喚した一本角の怪物、「トクナガ」だった。身体中を影の爪によって突き刺されながら、それでも両腕を高々と掲げ、ディーたちには指一本触れされていない。
「……これで、終しまい」
何時からそこに居たのか、半壊させた編み笠から片目を覗かせながら、影の泉の外側に立つシズクが命令を下すと、彼女の傍に居たもう一体の怪物、「キセナガ」が両腕を振り上げて跳び上がる。
巨体から繰り出された戦鎚の如き一撃は、凍り付いたままとなっていたウンブラの頭部の半分を、爆音を立てて打ち砕いた。
「これで――最後よ!」
残った半分を、メルセの放つ一条が内部へと刺さり、その爆風によって内側から完膚無きまでに微塵へと砕く。
「――――――――――――っ」
「門」を失い、出現していた大半の肉体も失った闇の精霊は、無言の断末魔と共に遂にその全身を崩壊させていった。
伸びていた腕たちは力なく大地へと落ち、次第に形を崩して無へと帰る。広がっていた影の泉は、底に穴の開いた水桶のようにフレサの影へと飲み込まれていく。
広がっていた空間に、禿げ上がった平地を残し、ウンブラであった巨大な闇は、綺麗にその全てを消し去った。
「……終わったね」
消滅を始めた「トクナガ」から降ろされ、ディーはフレサを抱きしめたまま、空を見上げてポツリと呟いた。
駆け付けたレオが、自分の服を裂きながらそんな彼を睨み下ろす。
「バッカ野郎が。無駄に怪我しやがって。てめぇでてめぇを痛め付けて、一体誰が喜ぶってんだよ」
「……ごめん」
血塗れとなった右腕に、裂いた布を巻くレオの説教に、ディーは何とも言えない表情で謝罪した。
「いいから黙ってろ。それ以上喋られたら、ぶん殴っちまいそうだ」
いささか乱暴に手当てをしているレオは、ディーの無鉄砲さに怒りを募らせていた。
責任を感じたとはいえ、あんな無理やりな救出方法で怪我を負い、罰を受けた気分になるなど、自分勝手もはなはだしい。
強く責めたい訳ではないが、さりとて友人の自罰的な行動を無心で受け入れられるほど、彼は人間が出来ていなかった。
「……ごめん」
「――っ!」
先程言ったレオの言葉も、本気と理解した上でなおこの台詞だ。ディーの思惑通りに動く事は絶対にしまいと、レオは表情を引きつらせながら、理性を総動員して治療に専念する。
「やぁやぁ、皆様方。何とも大変でござったなぁ」
「何で、アンタらが自然に混じってんのよ」
「……フレサは、友達」
「救出に手を貸して貰ったのは事実だ。今更気にしても仕方あるまい」
その場に全員が揃い始め、戦い終わった各々が軽口を交わし合う。ヤカタもシズクも、これ以上戦闘は起こそうとしておらず、それぞれの勝敗を受け入れている様子だった。
最後に大きな騒動もあったが、これで決勝戦は終了だ。ディーたちのチームの優勝が決定し、一年生の武芸大会は後の表彰式をもって閉幕となる。
まだ、クリストファーたちとの清算が残っているものの、フレサがこちらの手の内に戻った今、粗方の杞憂は無くなった。
もう、彼らに遠慮をする必要もないので、それはそれは楽しい「話し合い」が出来る事だろう。
「なんかいてぇと思ったら、動き回ったせいで傷口開いちまってるし。あ゛ー、血が足んねー」
「もう、僕よりもレオの方が重症じゃない」
「オレは良いんだよ」
「良くないよ。無茶ばかりして、シロエが泣いても知らないよ?」
「かっ、今のお前にだけは言われたくねぇ台詞だな」
治療をする者、される者、疲れて膝を付く者、立ったままそれを眺める者。
終始曇天だった空に切れ間が生まれ、太陽の光が一同に降りそそいだ。




