3・三者三様
太陽の傾きが西へ幾分か進んだ午後の始まりで、少年は教会周辺の掃除を終えて最後の仕上げに取り掛かっていた。
「近くに寄ると危ないよ。『魔雷』」
軽く注意をして、一緒に掃除を手伝ってくれた二人の少女たちを離した後、群青色の宝玉を乗せた短い杖の先端から小さくも鋭い雷撃が走る。
それは、集めた落ち葉の固まりに着弾すると瞬時に炎へと変わり、ぱちぱちと火花を弾きながら次第に全体へと燃え上がり始めた。
「おー!」
「ディーにいちゃんの魔法でばちってなった! ばちって!」
それを見ていた孤児院の最年少組、栗色巻き毛の少女ミルルと頬に傷のある短髪の少女レノーが興奮した面持ちで少年を褒め称え、勢いを増す炎を魅入る。
「余り近くで見続けて、おねしょしても知らないよ」
魔法を放った少年は、それを微笑ましく眺めながら自分の杖を懐へと戻した。
身長は、同い年のレオンンよりも頭一つ分高いだろうか。色の深い肩ほどまでの蒼髪を後頭部で一つにまとめ、同色で切れ長の瞳とやや華奢な体躯は元気が取り得のレオンとは正反対に涼しく飄々とした印象を醸している。
シロエ、レオンと共に、この孤児院での最年長者の一人、ディーエンエン・サーピエルデだ。
下の名前は家名ではなく、この世界の習慣として師から弟子へと送られた魔道士として名乗る為の魔法名である。
彼は、村の教会に住むシスターを魔道の師と仰ぎながら研鑽を続けており、その実力はレオンに勝るとも劣らない。
もっとも、ディーエン本人は将来レオンが目指しているような争いの中で生きる傭兵や冒険者などと呼ばれる方面に進むよりも、魔法に関しての研究に重きを置いて生活していきたいと考えていた。
シロエは鍛冶師、レオンは剣士、ディーエンは魔道士。互いに親友同士であるこの三人は、それぞれが見事に進路の分かれる道を歩いていた。
「ねぇねぇディーにいちゃん、もういいかな!?」
「まだだよ。ちゃんと火を通さないと、お腹を壊しちゃうからね。よっと」
良いと言えば赤く滾る炎の中にさえ手を出しそうなレノーに苦笑しつつ、ディーエンは二人に近付いて両腕で抱きかかえると少し距離を離した場所に移動させる。
「よいしょ。火の粉が飛ぶと危ないから、火が収まるまでここから近づいちゃ駄目だよ」
「あーい!」
「はーい!」
ディーエンが二人を下ろしながらそう注意すると、少女たちは解っているのかいないのか判断に迷う笑顔で即答が返された。
火の番も立派な仕事だ。燃え終わった灰は、教会の裏にある畑に撒く。
しかし、すでに彼女たちの関心が落ち葉の中に放り込まれている、ご褒美のジャガイモに固定されているのは明らかだった。
子供は時に、予想外の行動を取る。ディーエンは彼女たちが危ない事をしないか内心でひやひやしながら、火が風で飛んだりしないように注意しつつ子供たちの相手をしながら炎が消えるまでそれを眺め続けた。
◇
火が収まる頃には、別の手伝いをしていた子供たちもちらほらとその場に集まりだす。
結果として小粒のジャガイモたちは少し焦げてしまったものの、そんな事は気に止めるような繊細な子が居るはずもない。
ご馳走を奪い合う食べたい盛りのやんちゃな集団を置いて、ディーエンは燃え残った灰を木桶に入れて蓋で塞ぎ裏手の畑へと持って行く。
全ての仕事を終えた報告の為に入った礼拝堂では、シスターのルシエラが椅子の一つを渇いた布で丁寧に掃除をしていた。
「あら~、お掃除は終わったの~ディーエン君~? ご苦労様~。今日のお手伝いは、お終いで良いわよ~」
腰ほどまである長い金髪に藍色の修道服を着た、何時もにこにこと変わらぬ笑顔の糸目。温和で間延びした口調の彼女は、孤児たちにとって正に聖母と呼べる存在だ。
「解りました。それじゃあ、部屋に戻りますね」
「も~、ディーエン君ってば本の虫なんだから~。たまにはお外で遊ばないとだめよ~?」
「……はい」
ルシエラの子供たちへの態度は、ディーエンが拾われた十五年近く前から何一つ変わらない。
何時までも子供扱いする彼女に流石に思う所はあるものの、言っても無駄だと瞬時に諦めた少年は言葉少なに了解して自室へと向かった。
ディーエンを含めた年長者三人の相部屋には、適当な廃材でシロエが自作した大き目の本棚が四つ、壁の一面を占領していた。その中には、大量の書籍が整然と収納されている。
それらは全て、ディーエンがお小遣いを紙代に注ぎ込み町や都市に行く度に図書館の本を写本して集めた、努力の賜物だ。
ガモフかシロエに頼めば装丁して貰えるので、置かれているのは紙束の群れではなくきちんと木と皮の表紙が付いた売りに出せるほど立派な製本へと変わっている。
なぜ鍛冶師であるガモフが装丁技術を持っているのかは謎だが、ディーエンとしては更なる出費を抑えられて大助かりなので些細な事だと気にはしなかった。
ディーエンは乱読家だ。子供向けの童話や伝説として語られる英雄譚、料理のレシピ、恋愛小説など、本棚の中にある書籍のジャンルに統一性はない。
趣味と実益を兼ねたこの本の山は孤児院の子供たちに貸し出しをしたり、シスターが年少組に読み聞かせ文字を教える教材としても役立っている。
勿論、魔道書も数多くあり一番奥の棚は全てその類だ。
「『灯り』」
その棚の一番上の段から新しい本を二冊ほど引き抜き自分の机に腰掛けると、ディーエンは明りの魔法を頭上に灯しページをめくり始める。
白に近い発光が手元を照らす中、少し行儀の悪い姿勢で頬杖を付き、気になった部分に注釈を入れたり付箋を噛ませていく。
魔法とは、大量の知識によって紐解かれる英智の集積だ。概存する術式や儀式も、先人たちによる弛まぬ練磨の果てに辿り着いた偉大な功績の上に成り立っている。
同輩として研鑽を続けるディーエンは、そんな彼ら彼女らを尊敬していた。尊敬するが故に、自分という存在をその足跡の一つとして加えたいと強く願っているのだ。
しばらく紙をめくる音と、羽ペンの滑る音、付箋を付ける小さな作業音だけが繰り返される。
彼の集中力は相当なもので、気が付けば太陽が半分傾いていたなどざらだった。
日が暮れるのも気に止めず長い時間を掛けて一つ目の本を読み終えた後、二つ目の本へと手を伸ばし掛けたディーエンはそこで少し考える仕草をする。
そして、二つの本を重ねまとめて本棚に返してから別の本を抜き取り、その表紙を見つめて優しく撫でた。
師から譲り受けたその本の内容は、詠唱魔法の基礎言語。初心者向けで、他の魔道書に比べてページも少なく文字も大きい子供用の書籍だ。
これだけの書物を持ちながら、ディーエンは気が向く度にこの古ぼけた本を読み返し続けていた。
紙が痛み、表紙が擦り切れ、余す所なく大量の注釈と付箋の入った、魔道士を目指した蒼の少年が初めて目にした魔道書だ。初心を思い出させくれるこの本を読む時間が、ディーエンはとても好きだった。
この世界に存在する魔法の種類は、大きく分けて六種類。厳密にはそれだけでは分類出来ない特殊なものも幾つか存在するが、「六大魔法」として世間や魔道士たちに認知されている数はおおむね六つだ。
その中でディーエンが得意とするのは、術式を頭の中で思い描き、「発動呪」を唱える事で発動する詠唱魔法だった。
これは全ての魔道士の基礎とも呼ばれるもので、他の魔法は使えずとも詠唱魔法だけは使えるという者は多い。
他にも、「魔力文字」という特殊な文字を用いて術式を直に描き土地や城などの大規模な範囲で発動させる方陣魔法。精霊と呼ばれる「向こう側」に住む存在たちと対話し、魔力を糧にその力の一部を顕現させる精霊魔法などが存在する。
また、魔道士としての資質はそのほとんどが生まれの血統と才能によって決定する。才のない者にはそもそも魔力がほとんどない為、魔法を発動させる事が出来ないからだ。
血統は遺伝し易く、エルフは風、ドワーフは地など、種族によっては産まれる子の属性が大きく偏る事もあるが、人間にはそれがない。
一説には、太古の昔は人間も属性毎の集落を成していたらしいのだが、戦乱により幾度となく国や部族が統廃合を繰り返した結果全ての血統が混ざり合ってしまったのではないかというのが一般説だ。
その為、人間は王族や貴族などの特別な血筋を除いてほぼ規則性のない属性の資質を持って生まれてくる。
ディーエンの得意な属性は、氷と雷だ。他の属性の魔法も習得すれば出来ない事はないのだが、血統の属性より性能は格段に落ちてしまうだろう。
魔道の研究者になりたいと願うディーエンだが、そのテーマは未だ決まっていなかった。
式の組み替えによる術のアレンジ。遺跡に眠る古代魔法術式、「古代魔法」の研究と解明。「魔法」そのものの起源を探る歴史編纂など、人生の仕事として取り組める題材は幾らでも存在する。
それに、今は魔道士として腕前を上げるのが純粋に楽しいので、ディーエンは結論を焦る必要はないと議題を棚上げにしたまま楽観していた。
つらつらと思考しながら本を半分近くまで読み進めたところで、何やら教会の入り口が騒がしくなっている事に気付く。
どうやら、神父と友人二人が帰って来たらしい。
毎日飽きない子供たちの歓迎を受けているであろうシロエたちを思い浮かべ、小さく笑みをこぼした少年は読み掛けの本を閉じて本棚に戻し、それから一度大きく伸びをすると彼らを出迎える為に部屋を後にした。
師が居て、友が居て、大人たちが居て、子供たちが居る。
何時まで続くかは解らないが、彼はこの孤児院での生活に不満はなかった。
いずれこの魔道士やその親友たちは、夢を求めてきっとこの土地より旅立つだろう。
唐突に、突然に、訪れるであろうその時を前に、孤児院で平穏に暮らす少年は未だその光景を思い浮かべられずにいた。