26・嵐の始まり
各々の武装を整えたレオたちと、クリストファーたちが平原で対峙する。
フレサはローブ姿、クリストファーは白を基調とした服に紅と黒のマント。
ヤカタも、何時もの恰好の下に帷子を追加しただけという中で、シズクの服装だけが今までとは異なっていた。
胸元に二匹の蝶が描かれた、足元に向けて藍色から黒への濃淡が美しい、上下一体の異国装束。袖が異様に長く、襟元で交差した布地を、腰の帯で固定している。
盆を逆さにしたような形の、広く長い白帽子は、紐や糸ではなく、全て異国の文字が書かれた大量の札で構成され、クラゲの如く幾つもの「脚」を垂れ下げていた。
生憎の曇天となった、武芸大会四日目。仮に、これから雨が降り始めたとしても、上空には結界が張られている為、演習場にその水滴が落ちる事がないのが救いだ。
一年生最後の試合である決勝戦は、静かな立ち上がりだった。
「良くここまで辿り着いたと、褒めてあげようじゃないか」
自分のチームから一歩進み出たクリストファーが、高みから見下ろす態度で語り始めた。
「よぉ、フレサ」
「こ、こんにちわ」
「元気そうで何よりだ。酷い仕打ちは受けなかったか?」
「は、はい。私は大丈夫です」
しかし、レオを含めた全員が、そちらを一切見向きもしておらず、彼の後ろに控えたフレサへと話し掛けている。
「だったら、試合が終わったら説教ね」
「え?」
メルセから、突然そんな事を言われ、頭に疑問符を浮かべるフレサ。
「え? じゃねぇよ。お前がオレらになんも言わねぇまま、ソイツらにほいほい付いて行かなけりゃ、こんなアホみたいな事に付き合わされんのは、ディー一人だけで済んだだろうが」
「ご、ごめんなさい……」
「罰ゲーム付きだからな。逃がさねぇように首根っこ引っ掴んで行くから、覚悟しとけよ」
彼女を指差し、嬉々として笑うレオを横目で観察していたシルヴィアが、おもむろに小さく頷く。
「なるほど。私も段々、ツンデレというものが解ってきたぞ」
「それ、多分勘違いだと思うよ」
得意顔で言うシルヴィアに対し、横手からディーの突っ込みが入った。
「……奥が深いな」
「僕は、君が何処に向かっているのかが不安なんだけどね」
神妙な表情で口元を押さえ、何事かを思案するシルヴィアを見て、ディーは肩を竦めて小さく溜息を吐く。何故、彼女がそこまでその言葉に拘るのかは解らないが、その辺りの意味を追求していく行為は、学ぶ知識を間違った方向に進めてしまう事だけは確実だろう。
「僕を無視するな!」
まるで気にも留められない自分の扱いに、とうとうクリストファーが大声を上げて怒りを示す。
「はいはい……んで? 坊ちゃんよ。そこの猫耳連れ戻すにゃ、オレらが豚の真似でもすりゃあ良いのか?」
片耳に小指を入れながら、ようやくそちらに視線を移したレオが、軽く両手を肩辺りまで上げた後、心底面倒臭そうにおどけて見せた。その挑発を受け、クリストファーの眉間に皺が倍増していく。
「良いわね、それ。見たいからやってみなさいよ」
「何でオレが、お前の要望に答えなきゃいけねぇんだよっ」
真顔で言うメルセに半眼を向け、レオは憮然とした表情で言葉を返した。冗談半分で言ったのに、本気にされた挙句無意味に強要されたのでは、堪ったものではない。
「ん゛ん゛――僕の目的は、ディーエン・サーピエルデただ一人さ。君たちの相手は用意してあるから、別の場所で存分に戦かうと良い」
「うるせぇ、屑野郎」
咳払いで調子を戻した後、何処までも自分勝手な事を言うクリストファーに、押さえていた不快感を溢れさせ、レオが顔を歪めて毒吐いた。
「こんだけ好き勝手した挙句に、用事はないから失せろだぁ? あんま調子乗ってっと、顎骨砕いてその白毛残らず毟り取るぞ。こら」
「随分口が汚いな。お前は粗野なゴロツキか」
「元々が、ゴロツキみたいな奴じゃない」
殺気すら滲ませるレオの怒りを横目にし、シルヴィアとメルセが至って冷静に感想を漏らす。いい加減、付き合いきれないという思いは共通しているので、止める気配はない。
「全く、野蛮な獣を相手に、幾ら言葉で伝えても無駄だね。ヤカタ、シズク、手筈通りに」
「――承知」
クリストファーが期待していたであろう、戯曲のような芝居掛かったやりとりもないまま、唐突に戦端が開いた。
短く答えると同時に、ヤカタが大地を蹴り上げ、相手の集団へと向けて走り出す。それに誰よりも早く応じたのは、同時に駆け出し剣の柄に手を掛けたレオだ。
二つのチームの中央で、二つの剣がぶつかり合う。
「さて、一手お相手願おうか!」
「取り込み中だ! 後にしとけ!」
剣の根元同士で鍔迫り合いを行いながら、ヤカタからもたらされた提案を、レオは一喝で切り捨てた。首謀者の一人である、銀髪の魔道士を一発殴りたい欲求が先立ち、他の事に気を向ける余裕などない様子だ。
「シズク!」
しかし、そんなレオの事情など、ヤカタたちには知った事ではない。空いた左手で、懐から一枚の札を取り出した黒髪の剣士が、大声で少女の名を呼ぶ。
「……『転移』」
最後尾に控えていたシズクの両手は、今までの時間ですでに印が組み終わっていた。彼女が呪文を唱えると同時に、中央で対峙していた二人の姿が、音も無く掻き消える。
「な!? レオン!」
「……油断」
突然の出来事に動揺するシルヴィアの隙を逃さず、更にもう一枚の札が、シズクの手から飛び立った。
「シッ!」
これに反応したのはメルセだ。素早く弓を展開し、飛来する札ではなく、それを投げた術者本人に狙いを定めて、容赦無く矢を放つ。
しかし、捕獲用の矢がシズクの額へと命中する直前、彼女の被っている帽子から伸びた脚たちが一斉に動き出し、その眼前に重なり合う事で壁となり、高速の矢をあっさりと退けた。
「な!?」
「……『転移』」
札によって顔を隠しつつ、再び唱えたシズクの呪文は、驚愕するシルヴィアたちの近くまで届いた札を発動させ、彼女たちを何処へと消失させた。
「……ご武運を。『転移』」
四人を消し去った後、シズクは自分の額に同じ札を貼り付け、三度印を組んで呪文を唱える事で、その姿を消し去る。
「――さて、これでようやく準備が整った」
「そうだね」
残り三人となった平原で、満を持して紫紺の杖を掲げるクリストファーに、ディーが抑揚のない声で答えた。
蒼と銀の魔道士が、静かに歩み寄り始める。
「さぁ、僕と君。どちらがより優れているか、正々堂々と決着を付けようじゃないか」
「人質を取っておいて、正々堂々とは良く言えたものだね」
「見くびって貰っては困るね。彼女の役割は立会い人さ。決闘には必須だろう?」
「そう、『接続』――『防壁』」
気のない返事をしながら、ディーの杖が踊った。何時の間に移動させたのか、腰からフレサの傍へと場所を移した「オムニスフィア」に指令が出され、硬球たちがその力を示す。
フレサの足元を囲む四つと、頭上に一つ。五つの球が魔力の糸で繋がり合い、面の部分に出現した薄い防壁が、その身を守るべく彼女を包み込んだ。
「ディ、ディーエン君……」
「巻き込んじゃうかもしれないから、そこに居てね」
残った最後の鋼球を、自分の隣に浮かべながら、壁の中で怯えるフレサに、ディーは柔らかな微笑を送った。
「その余裕、矢張り気に入らないね。でも、直ぐにその顔を――」
「『氷雷魔槍』」
自分との決闘よりも、フレサの身を第一に考えたディーの行動に、苛立ちを見せるクリストファーの台詞を遮り、蒼の魔道士が無造作に魔法を放つ。
「っ!? ら、『魔障壁・三連』!」
一瞬何が起こったのか理解出来ず、しかしクリストファーは慌てながらも、すぐさま魔法の障壁を出現させ、迫り来る氷槍を防いだ。
一枚目を砕き、二枚目と共に砕けた氷の塊が弾け、三枚目を迸る雷撃によって吹き飛ばす。
「ひっ」
轟音と、巻き起こる強風を受け、クリストファーは喉から小さな悲鳴を漏らした後、身を竦ませて後ずさった。
人に向けるには、度の過ぎた威力の魔法。防御が遅れれば、確実に死んでいただろう。
その事実を理解し、クリストファーの顔が徐々に青ざめていく。
「君の口上を聞く気はないよ」
フレサからクリストファーに視線を戻し、一切の感情を排した表情をしながら、ディーの心は静かに煮え滾っていた。憤怒を向ける矛先が目の前に居て我慢が出来るほど、大人では居られない。
異国の傭兵が、未知の術や技を使ってこちらの意表を突き、戦力を分断する。
ディーは、この試合がこういった事態になる事を、デジーから情報を貰った時点である程度予想していた。
なのに、仲間に何も告げず無策で挑ませたのは、クリストファーという名の獲物を、誰にも邪魔されず独り占めにする為だ。
元を正せば、ディーもまた今回の下らない出来事の発端と言えるだろう。彼が、クリストファーに対し安い挑発などしていなければ、こんな事態にはならなかったかもしれないのだから。
レオたちも大概怒っているだろうが、のぼせ上がった魔道士に鉄槌を下すこの役目だけは、誰にも譲るつもりは無かった。
そして、互いの目的が噛み合った策はなり、こうして存分に戦える場が完成したという訳だ。
「来なよ。僕と本気で戦り合いたいんだろう?」
「そ……そうさ。僕は、この時を待っていたんだ!」
身体中から溢れる魔力が、冷気と薄い紫電となって立ち昇る蒼の魔道士を前に、銀の魔道士が怯える身体を奮い立たせながら、陽炎を背に杖を振りかざす。
「『火球』!」
「『氷操球』」
同時に唱えたのは、赤と蒼。極大の火炎球と、拳大の氷球が三つ。
二つの魔法が交錯し、辺りに盛大な音が鳴り響いた。
◇
眼前の景色が一瞬で転じ、レオは軽く驚きながらも、目の前の敵に隙は見せなかった。
「ちっ」
数合打ち合った後、どちらともなく間合いを開く。
「あん? 演習場の岩場かよ」
「然り」
周囲を見渡せば、近くに湖の見える見覚えのある場所だった。
瞬きする間の出来事で、どうやってここまでの距離を飛ばされたのかは解らないが、どの道レオは興味を持たなかった。飛ばした術者が、目の前の剣士ではなく、その後ろに居た黒髪の少女であるなら、詮索しても無駄だと判断したのだ。
「クリストファー殿は、そちらの魔道士殿との一騎討ちを望んでおられる。拙者らは、その露払いを任されたのでござるよ」
「そいつは、ご苦労なこったな」
細く長い剣を携えたヤカタの説明に、レオは適当に返事をして舌を出す。
「お主やフレサ殿に恨みはないが、これも巡り合わせの縁にござる。この試合の内では敵同士、後の語りは無粋にござろう」
「けっ、十分無粋だよ!」
相手に悪意がない事は、レオは対峙した時点で理解していた。気障男の顔面を、盛大に凹ませられなかったのは残念だが、それ以上にこの剣士が楽しめれば、多少の溜飲は下げられるだろう。
犬歯を剥き出しにして、大股で一気に接近すると、レオはそのまま右斜めからの袈裟切りを繰り出した。
「はっ!」
ヤカタの剣は、レオの剣に対し横向きに添えられ、そっと押すような軽い力で、その軌道を完全に外へと逸らして見せる。
「っ!?」
「ちぇいっ!」
レオが驚く間も無く、持ち手を捻って反転した刃が、逆袈裟の反撃として迫った。
「うぉっ!?」
咄嗟に右腕を持ち上げ、剣を受け止めるレオ。しかし、ヤカタの攻勢は止まらない。
「しぃっ――せいっ!」
手甲に刃を滑らせ、ヤカタは自分の剣を頭上へと跳ね上げると、再び手の平を返して唐竹の一閃を打ち下ろした。
「ちぃっ」
レオは舌打ちしながら、今度は左手でその一撃を受け、また何かをされる前にと、自分からヤカタの剣を真横へと弾く。
「ふっ」
その後、赤髪の剣士は更に一歩近付いて、剣の振れない距離まで間合いを詰めると、ヤカタの顔面へと右の腕を畳んで肘打ちを放つ。
「ふっ、せいっ!」
迫る強打を屈んでかわし、伸び上がるような立ち上がりに合わせて、ヤカタの腰から剣の入っていない鞘が左手で引き抜かれる。それは、双方が密着するほどの状態で、レオの下顎へと吸い込まれた。
「ぎっ!」
下からの打撃に、勢い良く顔を上向きに跳ねさせ、数歩たたらを踏んだ後、顎を押さえて顔をしかめるレオ。頑丈さが取り得の彼には、然したるダメージにはなっていないが、気分の良いものではない。
「……変な剣技だな」
そのまま後退り、鞘を腰へと戻すヤカタを見やりながら、レオの漏らした感想がそれだった。
こちらの防御さえも流れとして利用し、継ぎ目無く動き続ける剣の軌跡は、盾と剣を用いた、正面からの打ち合いを主とする大陸の剣技とは、大きく趣が異なっている。
「拙者らの故郷では、こちらの方が普通でござるよ。異邦の剣は分厚つ過ぎて、振るうのが疲れるでござる」
「軽い上に切れ味重視って所か。おもしれぇ」
長く、軽く、速い。レオは、ヤカタの剣技を簡潔にそう評価した。こちらのものより幾分か長い剣は、羽や木の葉が舞うように捕らえ辛く、気付けば驚くほど近くまでその切っ先が迫って来るのだ。
体術も見事なもので、徒手空拳ではないものの、剣を封じられた間合いの対応も心得ている。掛け値無しの強敵だった。
「くくっ。しっかし、つくづくバカだよなぁ。クリストファーとかいう奴はよ」
戦いの楽しさに喉を鳴らしながら、レオはここには居ない首謀者を笑った。
「どういう意味でござる?」
「ブチ切れたディーの相手は、オレだってしたくねぇ。この試合が終わるまでに、お前の雇い主が無事なら良いがな」
本心を余り見せず、効率を好むあの親友が、一つ前の試合では対戦相手を弄ぶという、らしくもない事をしていたらしい。本人も知らず、感情の制御がほつれている証拠だ。
恐らく、今まで我慢していた怒りを、余す事なく噴出させているだろうディーを思えば、肉体的にも、精神的にも、どちらの意味でも危ういだろうと容易に想像が付く。
「因果応報とはいえ、哀れなものでござるなぁ」
「全くだ」
ヤカタたちは、傭兵として金で雇われただけなので、今の主に対する忠誠など皆無だ。その依頼料も前金で貰っているので、彼がこの試合でどうなろうと、問題は無かった。
レオとヤカタは、あの銀髪の魔道士が受けているだろう恐怖を思い浮かべ、揃って同情の溜息を吐いて笑い合った。
◇
「ここは……」
「やられたわね」
シズクの呪文により、空間を飛ばされたシルヴィアとメルセが辿り着いたのは、演習場の森だった。
「……貴女たちの相手は、私」
彼女たちの前に、同じく転移して来た黒髪の少女が降り立つ。
「一対二とは、舐められたものだな」
「……侮ってはいない」
剣を引き抜き、構えを取るシルヴィアに、シズクは淡々と偽りのない感想を答えた。
「……貴女たちはとても強い。だから、私たちで足止めする――いでませい、『トクナガ』『キセナガ』」
袖口から二枚の札を出したシズクが、目の前に札を浮かせた状態で複雑な印を組み、呪文を唱える。
直後、浮遊した札の後ろに、常闇の空間が大きく開き、そこからゆっくりと二体の人型が姿を表した。
「これは……」
一本角と二本角をした、浅黒い肌の巨人。前の試合で戦った、熊の獣人を凌ぐ巨躯の額には、顔を隠すほど大きくなった札が貼り付いており、その表情は伺えない。
札の端から覗く口元には、先の尖った鋭い牙が生え揃い、黒髪の剣士に似た、簡易的な衣装を纏ったその両腕には、何かの魔物を模した分厚い手甲が装着されている。
「なるほどな。数の問題は、これで解決という訳か」
「……大会規定において、精霊や石人形などの召喚体の維持数は、一試合で二体まで許可されている」
詠唱魔法とも、精霊魔法とも違う、異国の術で生み出された者たちを睨むシルヴィアに、両者の間に現れた二体の怪物は、シズクを守るような挙動で、無言のまま前傾姿勢を取った。
「……油断はしない。全力で往く」
「ならば、こちらも最初から全力だ!」
宣言と共に、シルヴィアの剣から烈風が巻き起こる。バンコに繰り出したものより、幾分か威力を抑えてはいるものの、それでも右腕への負荷は避けられず、浅い傷が幾重にも彼女の肌を裂く。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
彼女の突進に合わせ、一本角の巨人が駆けた。右肩を前に出し、押し潰さん勢いで彼女へと肉薄すると、そのまま何の躊躇いも無く、風雅の剣と激突する。
「……っ!」
「ぐはぁっ!?」
シズクの生み出した巨人は、人に近い外見ながら、矢張り人とは異なっていた。肩口に刺さる刃も、切り刻まれる全身も、全てを無視したまま、シルヴィアに対し巨体を駆使した強烈な体当たりを叩き込んだ。
「もぅ! ぐっ」
双方が逆方向へと跳ね飛び、勢い良く返って来た金髪の騎士を、メルセは悪態を吐きながらもしっかりと受け止めた。無理にその場に留まろうとはせず、後退しつつ徐々に勢いを殺し、ようやく止まる。
「全く、いきなり何やってんのよ。またあの子を泣かせる気?」
シルヴィアを抱えたまま、彼女を見下ろすメルセは完全に呆れ顔だった。昨日こそ、シロエと散々言い合ったというのに、全く反省しない彼女の行動に、最早言葉もない様子だ。
「今度は負けんさ」
口から流れる血を拭いながら、気丈に反論するシルヴィア。ほんの少し泣かれただけで、あれだけうろたえてしまうというのに、この自信である。
「あぁ、そう」
シロエとシルヴィアの頑固さは、筋金入りだ。それを察したメルセは、早々に説得を諦めた。
この試合が終わった後、またあの茶番が起こるだろうと予想するが、彼女には手の施し様が無かった。
「……その技は脅威。だけど、『トクナガ』の耐久力なら相討ちに持ち込める」
後方の大木にぶつかり、肉体を崩壊させていく一角の巨人、『トクナガ』を見向きもせず、シズクが口を開いた。
「しかし、これで残るは一体だ。このまま一気に――」
「……いでませい――『トクナガ』」
メルセから離れ、構えを取り直すシルヴィアの言葉が終わるより早く、シズクもまた印を組み上げ、一枚の札を宙へと飛ばす。
「なっ!?」
シルヴィアの攻撃によって、一撃で消滅した一角の怪物が、全く同じ姿のまま、無傷でシズクの前へと顕現する。
「……この子たちは、私の霊符を衣り代として、異界の住人に擬似的な肉体を与えているだけ。この子たちに死はないし、倒れても私の霊力さえ残っていれば、何度でも同じ存在を生み出せる」
彼女が言ったように、大会で定められた召喚体の維持数は二体。やられた直後に再生させれば、大会のルール的にも問題はない。
八百長試合と欠席ばかりで、自身の実力を隠して来たシズクとは違い、シルヴィアたちは大会を通して、少なからず手の内を晒して来た。
シルヴィアの苦戦したバンコと同じ、軽い斬撃の通用しない、巨体を活かした筋力重視の怪物が二体と、メルセの弓を警戒した、生半な攻撃を通さない鉄壁の防御笠。
「……私と貴女たち、どっちが先に力尽きるか、勝負」
今までの戦いで見て来た二人への対策を、十分に練ったであろう布陣を敷き、シズクの双眸がシルヴィアたちを射抜く。
「その勝負、受けて立つ!」
「面倒臭いわね……」
強い意志を込め、剣を突き付けるシルヴィアと、軽く溜息を吐きながらも、幾本もの矢を番えるメルセ。
どれだけ敵が脅威であろうと、彼女たちのやる事は変わらない。持てる力を全て使い、ただ打ち倒すのみである。
再構築を終えた一角の巨人が、一切口を開かぬままに、そんな二人へと突進を開始した。
◇
初日から、満席を続ける大議堂の観客席で、シロエたちが一箇所に固まって、決勝戦の様子を観戦していた。
「おぉ~。やっぱり、一年で一番強い人たちの試合だけあって、皆凄いわねぇ」
炎と氷をぶつけ合う、銀と蒼の魔道士たち。
絶え間ない剣戟を繰り返す、黒髪の剣士と赤髪の戦士。
そして、黒髪の少女が生み出した二体の怪物を前に、剣と弓で討伐を開始する金髪の少女たち。
三方に場所を移した、それぞれの戦いを画面越しに眺めながら、つなぎ姿のファムが楽しそうに言葉を漏らした。
障壁の中に閉じ込められたフレサは、画面の映像からは意図的に外されており、元々クリストファーのチームには足手纏いの魔道士が二人居た事と、戦いの激しさも相まって、気にしている者は余り居なかった。
「何処も、一進一退っすねぇ」
派手に攻防を繰り返す激戦に、広い空間にひしめき合った周囲も、興奮の一途を辿っている。画面の向こうで僅かな変化がある度に、そこかしこから歓声や野次が飛び交う。
「シロエ君はどう見ますか?――シロエ君?」
ユアンは、この中で一番戦況を把握しているだろうシロエに解説を頼もうと、隣に座る彼へと視線を向け、その様子に眉を寄せた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
シロエには、ユアンの声は届いていなかった。浅い呼吸を繰り返し、右胸に近い場所の服を掴んで、辛そうな表情をしている。
「ん? どうしたのよ、シロエ」
シロエを挟んで、ユアンとは逆側の席に座るファムも、小さな鍛冶師の変化に気付いてそちらを見た。
「……め……だめ……っ」
「え? 何?」
うわ言のように繰り替えす彼の言葉を聞き取れず、ファムはシロエの視線を追う。
そこにあるのは、演習場を映す薄蒼い画面が八つ。その中の一つ、レオと異国の剣士の戦いが映る更に一点。
シロエの目は、岩場で動き回るヤカタの姿を捕らえ続けていた。
ヤカタが大きく下がり、自らの剣を鞘に収めた。続いて握られるのは、今まで抜かれる事の無かった、同じ形をした二本目の剣。
「……だめっ」
ヤカタが剣の柄に手を掛けた瞬間、シロエの声が大きさを増す。何事かと、シロエを見ていた残りの二人も、彼が見る画面へと視線を移す。
未だ剣を抜かないヤカタに、レオが両手の手甲を掲げ、全力で突っ込んだ。
彼の両手に装着された「ダハーカ」からは、今、不可視の盾が形成されているのだろう。手甲の効果を知らないヤカタにとって、完全に虚を突ける一手だ。
「――レオ、だめぇっ!」
しかし、シロエは顔を悲痛に歪め、彼の行動を全力で制止する。理由の解らないファムたちは、画面を注視する事しか出来ない。
届くはずのない絶叫の終わりに、映し出された画面の向こう側で、赤い紅い鮮血が飛び散った。




