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星屑の鍛冶師  作者: タクミンP
第3章 箱庭の人形劇
25/45

25・嵐の前の一幕

 イサラ・アルコリス学園は、その性質上怪我人が常に発生してしまう為、救護室は街の治療院と変わらぬほどの設備が整っていた。

 白のシーツ、白のカーテンと、白一色で染め上げられた内装。染み付いた薬品の臭いが鼻をつく、八つのベッドが置かれた広い室内。

 先の試合で戦った、レオたちとバンコたちのチームの全員、そこにシロエともう一人を加えた計十人が、同じ部屋に集っていた。

 バンコのチームは試合で敗北したので、大会の規定からは除外されている。その為、今の状況には何の問題も無かった。

 多くの怪我人が集う場所で、包帯を巻く衣擦れの音が止まる。


「――はい。出来たよ。きつかったり、動かし辛かったりしない?」

「あぁ、大丈夫だ。ありがとう」


 端を結び終わった後、手を離して問い掛けて来るシロエに、右腕全体に巻かれた包帯を確かめながら、手当てを受けたシルヴィアが礼を言った。


「お前は、本当に多芸だな」

「昔から、レオたちが訓練で怪我とか多かったから。教会に居た頃は、良くボクがやってたんだ」


 道具を片付けながら、シロエが少し照れた様子ではにかんだ。

 加減をしていたとはいえ、レオたちのにとって武芸の師であるファウストのしごきは、並大抵のものではなかった。レオもディーも、最初の頃などは終わった後、毎度死んだ魚のような目をしていたほどだ。


「傷……残っちゃうかも」


 白い布に覆われた、シルヴィアの手を優しく撫でながら、シロエがポツリと呟いた。

 魔剣が生み出した烈風の刻んだ傷は、比較的浅いものが多かった。しかし、中にはそれなりに深いものもあり、完治しても傷跡が残る可能性は高い。


「構わんさ。これは、私の未熟が原因だ」

「良くないよっ。シルヴィアは女の子なんだよ?」


 然して気にしないシルヴィアに、シロエは顔を上げて表情を歪めた。


「ボクの作ったものが、シルヴィアを傷付けた――この傷は、ボクのせいだ」

「違う」

「違わない」

「シロエ……っ」


 頑なな声で否定するシロエに、シルヴィアは思わず声を荒げてしまう。お互いに譲れない一線が、二人の意見をすれ違わせていた。


「――止めねぇのか?」

「イヤよ、めんど臭い。アンタがやりなさいよ」


 押し問答に発展し始めた二人のやりとりに、傷口に薬を塗りながら完全に傍観の姿勢を取るレオの隣では、言葉通り至極面倒そうな表情でメルセがその手当ての手助けをしつつ矢張り関わる気のない様子だった。


「ルー知ってるよ。あれって「ちわげんか」って言うんだよね」

「良く知ってるね。邪魔しちゃ駄目だよ?」

「はーい」


 丸椅子に腰掛けているディーの膝元では、ルーが背後にある魔道士の少年の胸に体重を預け、満面の笑顔で返事をしている。


「私の責任だと言っているだろう!」

「違う! 全部ボクが悪いの!」


 シルヴィアの方は、魔剣を扱いきれなかった自分の未熟さが全ての原因であり自業自得だとしか思っていない。

 対するシロエは、魔晶石の調整が不十分であった為の事故でありシルヴィアにはなんの非もないと主張している。

 お互いに自分が悪いと言い合うさまは、本人たちは大真面目なのだろうが他の者から見れば犬も食わないじゃれ合いでしかなかった。

 シロエが誰かに対しこれだけ意地を張るのも珍しく、それだけ彼がシルヴィアに心を開いている証でもあるのだろう。


「お前が理解するまで、何度でも言ってやる――いいか、シロエ!」

「……う゛ぅ゛~っ」


 意見が噛み合わず怒鳴り合い、遂にシルヴィアを上目遣いで睨みながら、涙腺に涙を溜め始めてしまうシロエ。


「お、おい、ここで泣くのは反則だろう!? そ、そんな目で見上げられてもだな――ぐぅっ、卑怯者め……っ」


 そんな泣き顔のシロエを前に、シルヴィアは成す術も無く狼狽し、高めていた威勢を一瞬で萎ませていく。


「お兄ちゃん、ルー飽きちゃった。ねぇ、頭撫でて!」

「はいはい」


 後は見ずとも結果は知れたと、茶番を繰り広げる二人を放置し、ディーは言われるままにルーの腰に左手を回すと、右手で優しくその頭を撫でた。


「んふー」

「おーおー、随分懐かれてんなぁ」


 満足気なルーと、慈しみを込めて手を動かすディーの様子を見ながら、レオは意外そうな顔をしていた。孤児院の年長者組みでは、ダントツで女の子たちから人気があったとはいえ、出会ってすぐにここまで慕われ、またそれに応じている姿は初めてだった。


「どういう訳か、気に入られちゃってね」

「えへー。お嫁さんにするのは無理だけど、お兄ちゃんにはなってくれるって言ってくれたの!」

「……ロリコン」

「ルーから話を聞く限りでは、君にも一因があるみたいだよ」


 見向きもせずに呟いたメルセに、反論と共に軽く肩を竦めるディー。


「仲良き事は美しき事よ! がっはっはっはっ!――げほっ、げほっ」

「アンタは黙って寝ときなっ。一時とはいえ、ホントに死に掛けてたんだよっ」


 ベッドに横たわった状態で、大きな笑い声を上げた後、身体を揺らして咳き込むバンコの隣で、まなじりを吊り上げたドーラがその頭を軽く小突いた。

 風の大槍によって、腹を大きく抉られたバンコの傷は、相当な重症だった。治癒魔法の使える者が控えていなければ、そのまま死んでいてもおかしくはなかったほどだ。


「出場者の契約書にも、しっかりと記載があったであろうが。真剣勝負での不幸な事故など、覚悟の上よ」

「バカ言うんじゃないよ! こんな所でくたばるなんざ、アタイが絶対に許さないからね!」


 憮然として言い返すバンコに、怒髪天となったドーラが病室である事も忘れて怒鳴り散らす。


「大体、アンタは何時もそうじゃないか! こっちの心配なんて何一つ考えてやしない! そんなんだからこの間も――!」


 彼女はそのまま勢いに任せ、日頃の不満を爆発させ始めた。説教をしているバンコの隣で、気絶したまま未だ目を覚まさないドゥーガの事など、お構いなしである。


「あぁ、良いわぁ、青春だわぁ。皆の近くに居るだけで、みるみる若返っちゃいそうよぉ」


 騒がしい生徒たちのやりとりを見ながら、今まで沈黙を保ち続けていた、先の折れた三角帽子を目深に被ったヴァネッサが、自分の身体を両手で抱えながら妖しく身悶えを繰り返す。

 正面にある、救護室の担当者が座る椅子に腰掛けているのは、本来の救護室長である恰幅の良い四十台ほどの女性、マリーア・マーキュリーでも、救護室に勤める他の職員でもなく、何故かシロエとシルヴィアに氷菓子を売った、あの妖艶な黒衣の魔女だった。


「何故、貴女がここに居るのですか……」

「あら、ご挨拶ねぇ。治癒魔法が使えないのなら、この椅子には座らないわよ?」


 その奇行にハンカチでシロエの涙を拭きながら冷めた視線を向けるシルヴィアに対し、麗しの魔女は口元に指を添え可愛らしくウィンクを返す。豊満な肉体を持つ彼女にはどうにも不釣合いな仕草だが、何故だか無駄に似合っていた。

 治癒の属性は他と同じく持って生まれた血統によって有無が決定するが、その発現者は少ない。

 治癒属性の血統を持つ者の大半が、聖なる力を持つ者として教会に引き取られ聖職者になるか治療院などの医療施設に引き抜かれて医者となる為、研究が進んでおらず呪文の数が少ないのが特徴だ。

 魔道士五百人に一人とも千人に一人とも言われるその属性は、当然才能によって習得出来る魔法の難度にも優劣が付く。

 肉体の代謝を早め、自己治癒能力を高める『活性バイタリティ』程度なら比較的容易だが、魔力を再生力へと転化する『再生リジェネレート』、最上位と定められている、時として瀕死の者でさえ命を繋ぎ止める事が可能な『生命魔流ライフストリーム』までいくと、使用出来る者は国内で十指以下だろう。

 彼女が、重症だったバンコに使用した魔法は『再生リジェネレート』。比較的浅い傷だけだったレオたちには、『活性バイタリティ』で治療を行っている。

 もっと上位の術も使えるのかもしれないが、ヴァネッサは彼らの回復を、比較的下位の術だけに留めていた。

 魔法による治療は非常に便利だが、学園に在籍している間に、本来貴重であるはずの治癒魔法を簡単に頼り、依存するようになられては困るからだ。


「マリーア先生たちなら、街の方でちょっと大き目の騒ぎがあって連れて行かれちゃったわ。お祭りの最中は、中でも外でも怪我人は絶えないのよねぇ」


 今度は頬に手を置いたヴァネッサが、熱のこもった溜息を吐いた。武芸を競う大会に怪我人が出るのは当然であり、熱気に当てられた者が騒ぎを起こすのは、どんなに警備を厳しくしても防ぎようがない。


「シロエちゃん、安心なさい。私が責任を持って、シルヴィアちゃんの玉のお肌を傷一つ残らず治してあげるから」


 魔法による治療に一家言ある彼女も、同じ女性の傷に関してだけは寛容らしい。実力ある魔道士として、ヴァネッサが自負を込めてゆっくりと頷く。


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 そんな彼女に、シロエは勢い良く振り向いた後相好を崩した。嬉しさが顔中に広がり、まるで向日葵が咲いたように顔が綻ぶ。


「やーん、やっぱり可愛いー!」

「むぎゅっ!? むー! んむー!」


 最初に出会った時と同じく、黄色い声を上げてシロエを抱きかかえるヴァネッサ。抵抗をみせるその小さな身体を、逃さぬように双丘の間へと更に押し込めていく。


「んふふふ。抱き心地も良いし、何より無垢で素直――本当に欲しくなってきちゃったかも」

「戯れが過ぎます」

「やん」

「――ぷはっ」


 極上の獲物を前に、妖艶に唇を舐めるヴァネッサに対し、素っ気ない態度を装いながら、シルヴィアはまじょの胸から強引にシロエを引き抜いた。


「シロエ。おい、大丈夫か?」

「きゅ~」


 救出したシロエを引き寄せ、軽く頬を叩いてみるものの、反応は返って来ない。どうやら窒息して目を回してしまったらしい。


「あらぁ。眠り姫のお目覚めは、王子様のキスじゃないとねぇ。ほらほら、皆で見ていてあげるから、ちゅーってやっちゃいなさい」


 色々と可笑しい発言を、嬉々として口に出すヴァネッサ。目元も口元も歪み、心の底から状況を楽しんでいるのが見て取れる。


「はぁっ……」


 快楽主義の魔女から、自分たちが面白い玩具扱いされている事を再認識し、矢張りこの教師とは合わないと、シルヴィアの口から溜息が漏れた。


「……貴女の前ではやりません」

「んふっ」


 諦めを込めつつも、反骨の意思を見せるシルヴィアの言葉に、からかいの視線を向けたまま、ヴァネッサが妖しく微笑む。


「うきゅ~」


 そんな、難敵との間に火花を散らすシルヴィアの腕に抱かれながら、シロエの目には何時までも星が瞬いていた。







 一頻りの治療を終え、ベッドに寝る必要もないレオたちは、ヴァネッサやバンコたちに別れを告げ、何時もの定位置である、校舎の間にある空間に集まっていた。

 ルーも付いて来たがったが、話を漏らされて何かあっても事なので、ディーが何時か埋め合わせをする約束をして、救護室に置いてきている。


「一応、今の所フレサさんの方は酷い仕打ちとかも受けずに、元気にやってるみたいっすね」


 後から現れたデジーが、思いおもいの場所で座るメンバーたちに、仕入れて来た情報を報告した。


「それ、本当なの?」

「勿論っす。フレサさんの今居る場所から出入りしている、信用出来る筋からの情報っすよ」


 不審げなメルセにも、デジーは余程自信があるのか、はっきりと断言する。


「フレサさんの軟禁場所は、クリストファーさんの家元がこの街に所有する別宅っすね。どうもこの建物、クリストファーさんがそこから学園に通えるように、買った土地を一度更地にして、最近になって一から建てたものらしいっす」

「すごーい」


 費用など、考えるだけで馬鹿らしい額になるだろう豪快な入学祝いに、シロエは目を見開いて驚きを表した。


「警備もそれなりに厳重っすから、不法侵入での奪還作戦とかは、しない方が良さそうっすね」

「最初の予定通り、明日の決勝で救い出すしかない、か」


 デジーからもたらされる情報に、ディーは口元に手を置きつつ思案顔だった。

 学園外での生徒の不祥事には、基本的に学園は関与しない。街で軽いバカ騒ぎを起こす程度ならば良いが、他人の、しかも貴族の家に正面から喧嘩を売れば、退学は元より犯罪者としてお縄になってしまう。

 仮に、誰にも悟らせる事無く救出出来たとしても、それを相手が想定していない訳がない。一回戦の時に、フレサの首元に着いていた金属の輪といい、不確定な部分が多い現状で急性な行動を取るのは、博打の要素が強過ぎた。

 何より、未だ捕らわれの身とはいえ、フレサの身に危険がないならば、殊更に事を荒立てる必要はないのだ。


「クリストファーさんのチームに居た、黒髪黒目のお二人は、フレサさんの護衛兼監視役として雇われた、ヤカタ・イヌイさんとシズク・イヌイさん。共に「ビジネス」の一年生っすね」

「「ビジネス」? 何でまた、そんな所の生徒を雇ってるのよ?」

「「ビジネス」に在籍しているけど、元々は武芸者って事なのかな?」


 クリストファーのチームメンバーは、レオとメルセに見覚えのあった、フレサを虐めていた「フォース」の少年二人以外に、黒髪黒目をした見知らぬ男女が居た。

 「ソード」、「フォース」のどちらでも見た事のない生徒だったのだが、どうもデジー以外には接点の薄い、「ビジネス」の生徒だったらしい。


「そうっす。お二人とも、東の島国である羅国の出身っす」

「羅国? 聞かない名だな」

「羅国は、百年戦争が終わった頃から戦乱に突入して、ずっと大陸からの干渉や貿易を拒否し続けていた国っす。二十年ほど前にムラクモの一族に統一されて、最近になってようやく外交が始まったんっすよ」


 数百年以上国交を断絶していた双方の交流は、島国が一つの国として完成し、戦災の復興に目処が立った事で開始された。

 海を隔てた他国から、支援や援助などを送る交渉もなされたが、今までの矜持故か、かの国がその申し出を受ける事が無かった為に、外交開始までに時間を要した形となる。

 長い年月を経て独自に進化した羅国の文化は独特で、新古を問わず大陸では珍しいものが多い。


「お二人の家名であるイヌイは、羅国では有名らしい傭兵一派の名称っす。最近大陸にも流れて来た事で、その名前が売れ始めてる人たちっすね」


 外部との交流が復活した羅国へと向かう者が居るように、封鎖されていた国から外の世界を一目見ようと、大陸へ渡る者も多い。

 商人は元より、傭兵、旅芸人、芸術家など、突如として始まった異文化の波は、大陸の中央に位置するこのアリスレイ王国にも届いていた。


「そんな連中が、何だって「ビジネス」に入ってんだよ?」

「さぁ? その辺りの事情は、どうも周りには話してないみたいっす」


 レオの疑問に、肩を竦めてお手上げを表すデジー。故郷が遥か遠方という事もあり、彼ら個人に関する情報は、彼ら自身が周囲に語っていなければ、集めようがないのだ。


「長い期間国を閉じていたせいで、こっちとは文化そのものが色々違ってるみたいっすから、彼らの武具や魔法には、警戒しておいた方が良いと思うっすよ」

「ありがとう」


 語り終えたデジーに礼を言い、ディーは改めて全員を見渡した。


「決勝戦でのメンバーは、クリストファー、フレサ、ヤカタ、シズクの四人になるかな。クリストファーたちの試合は全部見たけど、明らかに相手が手を抜いていたり、早々に降参したりしてたから、雇われた生徒たちの実力は出たとこ勝負だね」

「あぁ。あれはどう見ても、八百長の類だったからな」


 クリストファーたちの試合は、戦いを冒涜しているとしか言い様のない、名ばかりの真剣勝負だった。相手が上手く誤魔化してはいたものの、ディーたちから見れば、それが酷く興ざめする演技なのだと容易に理解出来ていた。


「今思えば、武芸大会のトーナメント表そのものにも、手を加えていたのかもしれないね」

「八百長やその辺りの交渉をしたのは、きっとクリストファーさんと組んだアルベールさんっすね」

「最っ低ね」


 吐き気がするほど下卑たやり口に嫌悪し、不快感を隠そうともしないメルセが、一言で吐き捨てた。

 クリストファーがアルベールと組んだ理由は、新しい武具の製作者としてよりも、決勝戦という舞台を整える為の、交渉役兼根回し要員としての役割の方が重要だったのだ。

 武芸大会中は、別チーム同士の接触を禁じているが、アルベールは選手ではない。大会の規則を気にする必要も無く、自由に選手たちの間を動き回る事が可能だ。

 貴族としての家柄も高く、交渉役としては十分過ぎる人選だろう。


「フレサに関する話を聞かれても良いように、審判の人たちも買収済みなんじゃないかな」


 ここまでの事をやってのける相手が、試合当日に何の仕込みもしないのはありえない。明日に控えた決勝戦が、完全に敵地アウェーでの試合になるのは間違いなかった。


「アイツらが、試合にフレサを出さなかったら?」

「出すさ。ああいう手合いは、例え自演であろうと舞台演出を好む。わざわざこちらに暗黙の挑戦状を送っておきながら、それを自分から反故にする事はしまい」


 同じ貴族として、彼らの性質を理解するシルヴィアが、メルセの指摘に答えた。一回戦以降姿を現さないフレサを、決勝戦という大舞台で相対させる事で、感動の再会でも演じさせるつもりなのだろう。


「それに、もし彼女を出さずに脅してきたら、素直に負ければ良いだけだしね」


 何度も言うが、レオたちの目的はあくまでフレサの奪還だ。決勝戦まで駒を進めた事で、優勝したいという欲も無くはないが、あの猫耳の獣人を天秤に乗せて量れば、どちらに傾くかは考えるまでもない。


「試合に出して脅してきたなら、助けた後にぶっとばすだけってな」

「そういう事」


 簡単そうに言い切るレオに、ディーもまた気負い無く同意していた。

 クリストファーの目的は、恐らくディーとの真剣勝負であり、四人チーム同士の戦いで、フレサというハンデを背負った彼が、彼女を人質にディーとの決闘を申し込む可能性もある。

 考えている通りに交渉して来たならば、素直に受けて実力で叩き潰せば良い。もしも別の要求でも、従っている間フレサの身は安全だろう。

 あちらは誇り高い貴族かもしれないが、こちらはシルヴィア以外、地位も権威もないただの平民の集まりだ。無理やり従わされる事に怒りを感じても、フレサを助け出すまでならば訳もない。


「クリストファーたちが、他にどんな手段を用意してるか解らない。皆、油断だけはしないようにね」


 勝負の勝ち負けに拘りはないが、結果としてフレサを取り戻せなければ、ここまでの苦労が水の泡となる。

 ディーの締め括りに、チームのメンバー全員が、表情を改めて頷いた。


「皆……大丈夫なの?」

「安心しろって。貴族の坊ちゃんのお遊びに、嫌々付き合わされるだけだよ」

「そうだな。同じ貴族の生まれとして恥ずかしい限りだが、フレサの身共々、何とかしてみせるさ」


 不安そうに見上げて来るシロエの頭に手を置き、軽く撫でながら気楽に笑うレオと、それに追従するシルヴィア。

 どの道、蓋を開けてみなければ中身は解らない。どのような結末を迎えるかは、正に神のみぞ知る不確定な未来だ。

 この戦いには、壮大な物語がある訳でも、長く深い因縁がある訳でもない。

 単に、貴族の始めた面倒な我侭に、無理やり撒き込まれた友人を取り返しに行くだけの、酷く幼稚な決闘が待つだろう決勝戦。

 捕らわれの少女を救い出すべく出陣する四人の前には、万人が認める栄光など、欠片もありはしない。







 クリストファーの為だけに作られた、白く広い屋敷の中では、フレサの居場所として指定された一室で、猫耳の少女が黒髪の少女から、何やら指導を受けていた。


「……そう、そこに指を通して――そこをこう――そのまま両手を広げて」

「えっと……こう、ですか?――わぁっ」


 言われるままに指を動かした結果、両手の間で幾重にも重なった赤く長い紐は、一目で蝶と解る形となって、彼女の眼前に出来上がっていた。


「……上手」

「シズクちゃんの教え方が上手いんですよ」


 褒めるシズクと、謙遜するフレサ。大会が始まった数日で、留守番の多かった二人は次第に交流を深めていた。

 彼女たちが行っているのは、シズクの母国に伝わるアヤトリという遊戯だ。

 長く伸ばした紐の両端を結んで輪にし、両手の指に通して組み上げる事で、様々な形を作って遊ぶ。

 箒、星、塔など、一本の紐の輪から、まるで魔法のように生み出してみせるシズクに習う事で、暇を持て余していたフレサの腕前は飛躍的に上昇していた。


「……これで一つ、駄目じゃない」

「え? あ――」


 突然ポツリと呟いたシズクの言葉が解らず、きょとんとした表情をするフレサだったが、彼女に話した自分の言葉を思い出し、自然と口元に笑みが浮かんでいく。


「ありがとう、シズクちゃん」

「……明日は早い。もう寝る」


 自分の台詞が恥ずかしかったのか、シズクは少し照れた様子で顔を逸らしながら、椅子を引いて立ち上がった。

 明日は一年生の決勝戦だ。今まで出番の無かったフレサも、その護衛として屋敷に詰めていたシズクも、最後の試合に選手として出場するよう、クリストファーから申し付けられている。

 屋敷に来てからも、殆どクリストファーと話す事の無かったフレサには、彼の真意は解らない。

 自分に何をさせるつもりなのか、自分に何が出来るのか。意識を入れ替えたつもりでも、結局今までと変わらず流されるしか出来ない現状に、フレサは軽く自己嫌悪した。


「はい。おやすみなさい」

「……おやすみ」


 そんな感情を表に出さないように気を付けながら、フレサはシズクと短い挨拶を交わして、部屋を出る黒髪の少女を見送る。

 シズクは、ベッドへと向かうフレサに一度振り向いた後、視線を戻してゆっくりと扉を閉じた。


「出たか」

「……兄様」


 部屋を出たシズクの前に、ヤカタが姿を現した。どうやら、少し前からフレサの部屋の前で待っていたらしい。


「拙者らへの依頼は、フレサ殿の願いとは真逆の道。情を移し過ぎれば、心が揺らぐでござるぞ?」


 自分たちの部屋へと歩きながら、ヤカタがそんな事を言う。彼女に対する悪意はないとはいえ、自分たちの依頼主はあくまでクリストファーだ。

 既に報酬を受け取っている以上、契約に逆らう事はイヌイの名に泥を塗ってしまう。一派の名を背負う者として、それは許されない行いだった


「……兄様も」

「いやはや、シズクの目は誤魔化せんでござるか」


 額を軽く叩きながら、ヤカタはばつが悪そうに苦笑する。依頼云々を別にすれば、二人はフレサの人柄を好いていた。友人とも言える立場となった少女の嫌がる事など、本当はしたくないというのが本音だ。

 異邦人故に、周囲からの風当たりも強い中で、自分たちの容姿や出自を一切気にする事無く、自然体のまま受け入れてくれたフレサ。

 彼女には申し訳ないが、こちらも仕事である以上、手を抜く訳にはいかない。

 彼らの名であるイヌイは、組織、あるいはギルドに付けられた名前であると言えるだろう。

 イヌイの名を持つ者たちは、旅先で戦仕事をこなしながら才能のある孤児を拾い、点在するイヌイの集落へと送る。集落では、送られて来た子供たちを武芸者として鍛え、その後イヌイの名を与えて再び旅へと送り出す。

 変わった風習を持った生粋の放浪集団は、戦の耐えない当時の羅国にとって、義理堅く、実力も確かな上、報酬さえ払えば誰の元でも戦う、非常に便利な戦力だった。

 永遠に続くかと思われていた、国内での戦乱が唐突に終わりを告げ、多くの戦場という職を失った彼らは、徐々に衰退の一途を辿り始めた。

 ヤカタとシズクが拾われたのは、丁度その頃だ。戦う事しか知らない彼らが、次ぎの戦場として狙いを定めたのが、この大陸だった。魔物と戦い続ける極寒の国、ディパールを始め、比べ物にならないほどの戦場を残すこの巨大な大地は、彼らの新天地として申し分がない。

 文化の違う大陸で里を作り、また維持するのは至難の業だ。異なる文化に精通する、信用出来る人材を育てる為に、この学園は渡りに船と言える存在だった。

 イヌイという名を、大陸の全土に根付かせる布石として、彼らはこの学園の門戸を叩いたのである。

 同じ目的を持った他の若いイヌイたちも、里の候補地に近い場所で学園や私塾に通いながら、日々の勉学に励んでいる事だろう。


「折角、シズクにも友人が出来たというのに……時の気紛れとは、皮肉なものでござるなぁ」

「……関係ない。私たちは、依頼の通りただ戦うだけ」

「はっはっはっ。然り、然り」


 風来坊の血を受け継ぐヤカタは、飄々としたまま楽しそうに笑う。

 腕を鈍らせないように、鍛練相手を探そうと参加を考えていた大会だったが、思わぬ形で騒動の渦中に首を突っ込む羽目になってしまったイヌイの傭兵たち。ヤカタはそれも一興と受け入れ、シズクはそんな彼に倣う形で、異議を唱えてようとはしない。

 知られざる異国の力を見せぬまま、態度を崩さぬ二人の余裕が、そのまま彼らの強さを物語っているようだった。







 同館の広い食堂では、クリストファーとアルベールが夕食を共にしていた。食事もほぼ終わり、今は食後の美酒を楽しんでいる。


「数日というのは、長いような、短いような時間だったね」


 グラスに注がれた赤ワインを飲みながら、アルベールが上機嫌で笑う。


「ボクの改良した、その杖に勝てる奴なんて居ない。彼らの顔が、絶望に染まる姿が目に浮かぶよ」


 先にある勝利を確信し、彼はクリストファーの隣に立て掛けられた、紫紺の杖を眺めた。


「そうだね。この杖を持ってから、僕も負ける気がしないよ。今までの試合の交渉なんて、必要無かったかもしれないね」


 クリストファーも、アルベールの言葉に同意しながら、自分の杖に視線を送った。


「一つ、質問を良いだろうか」

「なんだい?」

「君が拘るシロエという生徒は、あのチーム全員の武具を作ったそうじゃないか。君はそうしなくて好かったのかい?」

「ふっ、何を言い出すかと思えば」


 クリストファーの疑問に、アルベールは小さく鼻をならして大仰に両手を広げてみせる。


「ボクのような優れた鍛冶師が、平民相手に武具を打つ訳がないじゃないか。ボクの武具は、君のような選ばれた人間だけが扱えるのさ」


 自信を滲ませ、アルベールが言い切った。そこには、虚偽や誤魔化しなどは一切無く、自分の能力が絶対なのだと疑いもしていない。

 アルベールにとって武具の作成とは、請われ、願われ、大金を積まれて初めて作業に取り掛かるものであり、それだけ価値が自分にあるのだと考えていた。

 シルヴィアに専属を願い出たのは、自分の作った武具を彼女が認め、そこから親睦を深める事で、あわよくば男女の関係になろうと画策していたからだ。

 実現していたかもしれない妄想を、最初の一歩目すら踏み出せないまま平民に邪魔され、本人からも散々に侮辱されたアルベールは、正当な怒りを持って、彼らを完膚なきまでに叩き潰す事を心に決めていた。


「もっとも、がらくただったその杖じゃ君にはまだ不釣合いだね。試合が終わったら、ボクが新しい杖を作成してあげるよ」

「光栄だ」


 アルベールが、わざわざシロエの作った杖を改良したのは、高価な素材を用いず、製作者と同じ条件でより優れた武具を作り出す事で、格の違いを思い知らせる為だった。

 実際、アルベールの魔具師としての実力は高く、彼が改良を施した長杖は、クリストファーの魔法を前よりも遥かに強大な形で発動させている。

 火球を撃てば数倍の大きさとなり、炎の蛇を生み出せば、その身は小さな竜にも迫る。たった一人で大火力の面制圧を可能とするこの武具を、クリストファーもまた自分に相応しい品だと気に入っていた。

 これならば、あの蒼の魔道士が何時も身に着けている、澄ました仮面を剥ぎ取る事が出来るかもしれない――否、絶対に出来るはずだ。

 そうして、相手の隠した実力を全て引き出した上で、自分が勝つ。クリストファーもまた、自らの勝利を確信していた。新しい武具によって上昇した実力が、その確信を更に助長する。

 少なくない資金を使って、理想と言えるだろう舞台は整った。後は、邪魔者を排除してあの魔道士との決闘に持ち込むだけだ。


「いよいよだ……っ」


 知らず、低い声になっている自分の声にも気付かずに、クリストファーは自分のグラスを傾けた。


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