23・風雅の剣
「ぬぅえいやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
高く日の昇った平野で、顔の側面に剛毛を生やし、見上げるほどの巨体を誇る、鈍色の甲冑を身に付けた熊の獣人――バンコが、その身の丈より長い十字の槍を、剛力を持って薙ぎ払らう。
「くっ」
風の守りすら易々と貫くその力強い一撃に、シルヴィアは己の剣を相手の穂先へ添え、僅かに上方に逸らした下を潜り抜けた。
「ずえぇぇぇぇぇぇぇぇぇい!」
続いて、振り回した勢いをそのままに、高速の打ち下ろしが彼女へと迫る。
「はっ」
受けきれないと判断したシルヴィアは、短い呼気と共に後ろへと跳躍した。直後、地面に当たった大槍により、轟音と大量の土煙が舞い飛ぶ。
「……厄介な魔剣だ」
「だろうな」
煙が晴れ、陥没した大地の前で油断無く槍を構えたバンコの言葉に、シルヴィアもまた剣を相手に向けて同意した。
彼女の剣から発生し続ける強風は、不可視の防壁として機能し、剣も、矢も、魔法も、彼女に届く全ての攻撃を鈍らせる。
バンコの攻撃も例外では無く、そうでもなければ、シルヴィアは既に重く速いその槍を、まともに食らっていたかもしれない。
「その魔剣を手に入れる為に、さぞや莫大な金を使ったのだろうな」
「あぁ。私がその金額を聞いた時、余りの額に桁が違うと叫んだほどだ」
苦く呟く獣人に、シルヴィアも苦笑いを浮かべて再び同意する。
実際に彼女が驚いたのは、実は全く逆の理由からだった。
シルヴィアの言葉通り、優れた魔法の効果を付与された武具は、基本的に普通の武具から一つ二つ桁の増えた値が付く。
これは、優秀な魔具師が少ないというのも理由の一つだが、ほとんどの場合において、その完成に複数の職人の手が加わる事が、最大の原因となっている。
土台となる武具を打つ鍛冶師、魔晶石に術式を掘り込む魔具師、その性能に合った装飾を施す細工師――と、質を高めれば高めるだけ、一人ひとりに大金を必要とする一流を雇わなければならない。
多少他の技術をかじっている者は居るものの、大抵の職人は自分の目指す分野に傾倒している場合が多い。芸術性、機能性、実用性――それら無数のジャンルに加え、頂点の無い無限の道を登るのに、寄り道などしている暇は無いのだ。
しかし、シロエはそんな道理を完全に無視し、全ての工程をたった一人で行った上、武具の素材となる鉱石すらも、デジーを頼ってほぼ原価に近い値段で仕入れている。
結果として、シルヴィアの愛剣となった風の刺突魔剣、「ゲイレルル」の値段は、彼女が軽く眩暈を覚えるほどの価格で引き渡されていた。
何とか理由を付けて、武具の金額を上乗せしようとしても、シロエは己の未熟を理由に、頑としてその提案を受け入れはしなかった。
「金、金、金か。貴族はそればかりだっ」
そんな事情など知り得ないバンコは、怒りをあらわにして槍を振り上げた。
「このような武芸を競う場にさえ、貴様ら貴族は金の力で戦場を汚す――全くもって度し難い!」
学園のあるこの国において、獣人の地位は余り高くない。貧困層も多く、碌な武具も揃えられず、獣人というだけで、名を上げる機会さえ与えられない者も居る。
彼の武具は、それを証明するかのように、鉄や青銅などの一般的な金属で作られた、大きさ以外は極普通の品たちばかりだ。
そんな彼からすれば、当たり前のように高性能な武具を持つシルヴィアは、目の敵とも言える存在なのかもしれない。
「――聞き捨てならんな。では貴様のその身を固める武具は、一切の金銭が使われていないとでも言うのか?」
応えるシルヴィアの声にも、押さえきれない怒気が、静かに混じり始めていた。それはやがて、激情となって爆発する。
「嘆かわしい! 実に嘆かわしいぞ! お前のような武人が、己が実力を自身の力のみだけなどと、勘違いにもほどがある!」
「ぬぅっ!?」
剣閃の軌道で放たれた風の刃が、距離を離したバンコの頬を浅く裂いた。
「全ての者は、不平等という一点において平等なのだ! 生まれに始まり、才能、血統――過ごした月日の密度さえ、同じ者など居はしない!」
その一刀を皮切りにして、正面から突撃するシルヴィアに対し、熊の獣人は手に持つ槍を引き、全力で前へと突き出す。
「むんっ!」
「ちぃっ!」
十字の穂先を回避しきれず、刃を立てて受け止め後ろへと弾かれるシルヴィア。
「勝てぬ相手に策を練る事さえも、勝利を欲するならば当然の行い! ならば例え、金であろうと己が持つものの全てを使い、納得のいく勝利を貪欲に縋る行為の、一体何が悪いと言うのだ!」
「だとすれば、我ら武人は何を持って正々堂々を名乗る勝負が出来る!?」
今度はバンコが、大地を揺るがす震脚と共に、彼女へ向かって走り出す。
風の守りを裂き、一度でも当たれば唯では済まない豪撃をいなしながら、シルヴィアも負けじと声を荒げる。
「今がそうだ! これこそがそうだ! 武具を揃え、英気を養い、今日まで心身を鍛えて来た私たちの戦いこそが、正に一身を賭けた勝負以外の、なにものでもないではないか!」
届かぬ間合いで繰り出される風の刃は、バンコの甲冑を裂くには至らない。飛ばされた部位に手甲を、或いは槍の柄を置き、シルヴィアの攻撃を弾き返す。
「武具で負ければ、それ以上の実力で下せ! 策が来たなら、それを踏み越え捻じ伏せろ! 自らの意思で戦場に立ちながら、己が不遇を女々しく嘆くな!」
同列の実力者であれど、全ての能力が同じ者など存在しない。得意な武具も違えば、心力や魔力にも、血統と努力によって当然の差異が出てしまう。
その中で勝敗を決めるのは、日々の鍛練であり、相手の先を取る智謀であり、その場の運であり――共に戦ってくれる己の武具なのだ。
手段を無視し、戦いに勝つ事が全てではない。だがしかし、彼より優れた武具を持つからといって、シルヴィアが恥じるいわれは何処にも無いのだ。
「ふは、ふはははっ! そうだ……そうだな、全くもってその通りだ!」
再度距離を離した後、突然身体を震わせながら、バンコが大笑いする。
「良いな! 最高だ! 今までの己を恥じる想いだぞ!」
槍を一度だけ頭上で回し、振り下ろした穂先をシルヴィアへと突き付けるバンコ。その瞳には今まで以上に強い光が猛然と灯り、口元には会心の笑みが張り付いていた。
「仕切り直しといこうではないか! 麗しき騎士よ!」
「――良いだろう」
シルヴィアの口元にもまた、隠しきれない獰猛な笑みが浮かび上がっている。好敵手との試合によって高揚し、戦いへの衝動が闘気となって周囲へと溢れ出す。
お互いに何の示し合わせも無く、二人は同時に構えを取った。
「――いざ」
「――いざ」
「「――尋常に」」
言葉さえも重なり合い、お互いの存在以外の全てが、忘却の彼方へと押し流されていく。
二人の間に、一陣の風が吹く――剣と槍、視線と視線が絡み合う静寂の後、両者が大地を蹴り放つ。
「「勝負!」」
噴き出す戦意をそのままに、両者の武具が交差し、高らかに重く甲高い音を鳴り響かせた。
攻防が激しさを増し、止め処ない暴風が辺りの草を押し倒す。
その中心に居る二人の笑みもまた、そのまま止まりそうにはなかった。
◇
「ちっ! 楽しそうにしやがって……っ」
近くで行われている、シルヴィアとバンコの勝負に舌打ちし、レオは頭上の敵を睨み付けた。
「『風連弾』!」
空中に座する鷹の獣人が、両腕にはめた腕輪に付いた、黄緑色の魔晶石を使って魔法を放つ。空高くから降り注ぐ風の弾丸たちを、レオは手甲を掲げて受け止めた。
「ったく、さっきからチマチマ来たり離れたり……やる気ねぇんなら引っ込んでろ!」
「アッハハハ! つれない事は言いっこ無しさ! 一緒に楽しく遊ぼうじゃないか、クレイジー!」
背中から生えた茶褐色の翼を羽ばたかせる、細身で同色の短髪をした、猛禽を思わせる鋭い顔付きの女子――ドーラが快活に笑う。
「アタイの役目は、バンコの相手を一人に絞らせる事さ。そうすりゃあ、後はアイツが全部終わらせてくれるからね」
相方を信頼しきった発言をするドーラは、付かず離れず、魔法を主体にした遠距離攻撃と、上空からの奇襲を使い、レオの行動を完全に封じ込めていた。
視界が開け、障害物も無い平野において、空は彼女の所有地と化している。
「残念だけど、もしもまともに戦り合あっちまったなら、今のアタイじゃバンコやアンタにゃ、万に一つ勝てないだろうさ。でもね、アンタみたいに地べたを這いずる奴が相手なら、アタイは負けない戦いを三日三晩だって続けられるよ!」
「面白れぇ。なら、やってもらおうじゃねぇか!」
宣言と同時に大きくしゃがみ、ドーラに向かって高々と跳躍するレオ。
「まだ懲りないのかい!」
ドーラは空を飛びながら、迫るレオに片足を振り被った。両足の膝から足先に掛けて取り付けられた刃の一つが、レオが振り上げた剣とぶつかり合う。
「ほぉら!」
「ちぃっ!」
勢いを失ったレオの斬撃はあっさりといなされ、逆に地面に向けて蹴り飛ばされてしまう。
「どうしたどうした! 一回戦で炎の中に突っ込んだクレイジーっぷりは、一体何処に行ったんだい!?」
「そんなに知りたきゃ降りて来いよ! 鳥女!」
「お断りだよ! 『風刃』!」
レオが着地した後、再び頭上から放たれる魔法は、目には見えない風の刃。
「当たんねぇよ!」
「どうだかね!」
レオがその風刃を回避するより早く、魔法に気を取られた瞬間から、猛然と急降下を開始するドーラ。
「はぁっ!」
「っとぉ!」
接触は一瞬だけ。体勢の崩れた所に繰り出した足の刃を、すんでの所で防がれたドーラは、降下の勢いを殺さないまま、既に上空へと逃げおおせていた。
「あぁもぅ! めんどくせぇなぁ!」
「ハハハッ! 怒りな怒りな。どんどん怒って、今はアタイだけを見ていなよ!」
怒声を放つレオを、手玉に取って弄びながら、ドーラは心底嬉しそうな笑い声を響かせて、彼の上空を旋回していく。
「くの――おらっ!」
地面にある手頃な石を拾い上げ、ドーラへと向けて投げ付けるレオ。
「おっと――惜しいじゃないか、上手い上手い!」
しかし、そんな苦し紛れの攻撃が当たるはずも無く、彼女は挑発しながら余裕で回避した。
「じゃあな!」
今度は逆に、石に目を向けたドーラの下で、レオがシルヴィアたちの方角へと走り出す。
「はっ、逃がすと思ってんのかい!」
笑みを浮かべ、ドーラは再び空から地上へと滑空する。
「思わねぇよ!」
獲物を狩るように迫り来たドーラに向けて、レオは地面を後ろに蹴り上げ、勢いを付けて振り返った。
「バレバレだよ! 『風連弾』!」
その行動はドーラも予測していたらしく、相手の振り向きように風の連弾を撃ち出し、素早く後方へと距離を離す。
「おぉぉぉらあぁぁぁぁぁぁっ!」
「なっ!?」
しかし、レオは防御を捨て、最低限の回避で残りの弾を食らいながら突進すると、ドーラの間近まで接近し、剣を持たない左手を振り被った。
「つぅっ!」
これに慌てたのはドーラだ。咄嗟に腕を交差させ、金属で覆われたレオの拳を、呻き声を上げながら受け止める。
お互い同じ方向に移動していた為に、威力は然程高くない。弾き飛ばされながらも、何とか空へと逃げ延びたドーラが、受けた両腕を擦りながら、顔をしかめてレオを見下ろす。
「いったたた――クレイジー。アンタ、やっぱり油断ならないね」
「ってぇなぁ。もうちょっとだったのによぉ」
対するレオも、風弾を食らった箇所から血を流し、不満そうな顔で額の傷を拭っている。
「さぁさぁ、続けようじゃないかクレイジー。アタイはまだまだ元気だよ!」
「ちっ、うぜぇ……」
遥か上空から笑い声を飛ばすドーラとは違い、レオの表情は酷い渋面だった。撃たれては防ぎ、追っては逃げられるつまらない勝負に、彼の苛立ちは募るばかりだ。
「お次はこれ何てどうだい!? 『重風撃』!」
「効かねぇよ!」
二人の鼬ごっこに、未だ終わりは見えて来ない。
◇
「ずぇいっ!」
度重なる剣戟の果てに、遂にバンコの大槍が、シルヴィアを捕らえた。
「づぅっ!」
遠心力を生かした、大振りの横薙ぎに何とか剣を合わせるが、体系差と筋力差から来る途轍もない衝撃に、シルヴィアの身体が盛大に跳ね飛ぶ。
碌に受身も取れないまま、左の肩口から地面へと落ち、しばらく同じ姿勢で滑った後、更に幾度も転がってからようやく停止する。
「ぐ……ぅ……」
構えを解かないバンコの前で、シルヴィアがゆっくりと立ち上がった。
地面に叩き付けられた箇所を痛めたのか、左腕を下げた不自然な体勢でありながら、右手は未だ剣を手放していない。
「まだだ……っ」
彼女の瞳もまた、一切の輝きを失っておらず、息を荒げながらもしっかりと相手の巨体を見据えていた。
「――本気で来い」
そんなシルヴィアに対し、バンコは厳かとも言える口調で言葉を告げた。
「なんだと?」
「本気で来いと言っている」
いぶかしむシルヴィアに、再び同じ台詞を吐くバンコ。
「この私が、お前との勝負に手を抜いているとでも言いたいのか?」
「お主の持つ魔剣が、ただの業物ではないという事を、ワシが気付かんとでも思うたか」
「……っ」
痛い所を突かれ、シルヴィアは奥歯を噛んで黙り込んでしまった。
シルヴィアの剣に取り付けられた三つの魔晶石は、彼女の魔力によって発動し、それぞれ軌道の違う風を発生させる。
込めた魔力の量によって風の強弱が変化する、専用の調整が施された宝玉たちは、未だその真価を発揮していない。
シロエが全霊を以って鍛え上げた魔剣、「ゲイレルル」。その武具の本当の威力は、こんなものではないのだ。
彼女は確かに全力で戦っていた。だがそれは、彼女が定めた内での全力でしかなかった。
「勝つ為に、全てを尽くすのではなかったのか? 武具の性能で勝利を得る事が恥となるならば、先の言葉は取り消して貰わねばならんな」
バンコの言葉は、静かに、しかし確実に彼女へと届き、その心を震わせる。
意地か、勝利か。無情なる選択肢を前に、彼女は僅かに逡巡した後、覚悟を持って後者を決断した。
「――加減は出来んからな」
「最後だ――来い」
最早、問答は無用だった。
「――良いだろう」
シルヴィアの宣言を持って、剣の持ち手を守る手甲にはめ込まれた魔晶石たちへと、彼女の魔力が収束していく。
最初は平面――本来壁として撃ち出す風が球状となって、剣を含めた右腕周辺を閉ざす。
続いて螺旋――密閉されたその空間の中を、時間と共に際限なく勢いを加速させていく烈風。
言葉で表すには生温い、大木さえも薙ぎ倒しかねない豪嵐が、彼女の持つ魔剣を軸にして、雄叫びを上げて荒れ狂う。
余波によって服が裂け、腕に次々と裂傷を刻みながら、金色の髪をたなびかせる霹靂の騎士が、その魔剣を前へと突き出した。
「往くぞ」
「おぉっ!」
相手の気合に応え、一歩を踏み出した瞬間、最後の魔晶石が発動する。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
彼女の背後へと噴出した直線の風が、途轍もない推進力となって爆発し、飛翔に近い一足飛びで、彼我の距離を高速で縮めていく。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
腹の底から声を上げ、大上段で振り上げられた大槍が、彼の全身から溢れる全ての力を伴って振り下ろされた。
両者の切っ先が衝突し、一瞬の拮抗の後、風の圧力に負けた大槍が、音を立てて豪快に圧し折れる。
そして、阻むもののなくなったバンコの腹へと、疾風の槍が直撃した。
「ごぼぉっ!」
身に着けた鎧が大きく凹み、亀裂が全方位へと伝播する。
血反吐を吐き出すバンコを伴って、シルヴィアの突進は止まらない。炸裂する風刃がシルヴィアを傷付け、それ以上の破壊力が獣人の身体を切り刻む。
やがて平野を横断する形で出来上がった、深く長いわだちの先端で、腕中から出血し、剣へと赤い雫を伝えさせるシルヴィア。
その前では、罅割れた甲冑に大穴を開け、腹部から大量の血を流すバンコが、起き上がる事も出来ずに大地に倒れ伏していた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
「ごふっ――武具で及ばず、か……」
荒い呼吸を繰り返すシルヴィアに対し、バンコは口から血を吐きながらも、嬉しそうに口元を歪がめて笑い掛ける。
「矢張り……敗北とは、悔しいものだな……」
滲む声に不平や不満は無く、逆に満ち足りた万感が込められていた。そして、そのまま眠るように意識を失う。
敗者である獣人を見下ろしながら、シルヴィアは拳を作った左手を右胸に添え、騎士としての略式の礼を送って目を閉じた。
「お前に勝てた事を、心から誇りに思おう」
この勝利は、決して彼女一人の功績ではない。本来の実力で劣る分を、武具に頼って強引に押し切っただけのものだという事は、誰が見たとしても明白だろう。
担い手として、魂を託された者として、与えられた力に溺れる事は許されない。武具と人は対。その言葉の重みが、今更ながら彼女の双肩に圧し掛かる。
決着となったその場に立ち尽くし、シルヴィアは静かに黙祷を捧げ続けた。
◇
空から見下ろす視界の先で、悲惨な姿となって横たわる相棒に、ドーラは目を剥いて驚愕した。
「嘘だろ!? バンコ!」
悲鳴に近い叫びは、彼方で目を閉じた者には伝わらない。
「余所見してんじゃねぇよ!」
ドーラの動揺を逃さず、レオが再び彼女へと向けて跳び上がった。
「ちっ、しつっこいんだよ!」
彼女は焦りながらも視線を戻し、何度目になるかも解らない、無謀な攻撃への蹴り落としを繰り出す。
繰り返された攻防故の油断。例え同じ行為に見えても、相手の思考一つで道は違える。
「なっ!?」
レオはあろう事か、右手の剣を手放して、彼女の刃を素手で受け止めていた。
当然、彼の手の平からは血飛沫が舞うが、皮膚の先を僅かに進んで停止している刃は、それ以上先へは至らない。
それは、相方が倒され平静さを失った事により、彼女が武具へ送る心力を鈍らせてしまった結果だった。
もし、ドーラが動揺しながらも、十分な心力を練れていたら――
もし、レオが手の平に込めた心力が、僅かでも足りなかったとしたら――
受け止めた箇所が身体から泣き別れしていたかもしれないというのに、レオは一切の躊躇無くその戦法を実行してみせた。
「くっ」
背筋を凍らせながら、苦し紛れに逆の足を振るものの、今度は刃どころかその後ろにある足首を掴まれてしまう。
「つーかまーえたぁ」
掴んでいた刃から手を離し、素早く奥の足首を捉えたレオの顔が、壮絶な笑顔となってドーラを見上げていた。
「アンタ、やっぱりクレイジーだよ……」
ひと一人を持ち上げる飛翔力は無い為、徐々に地面へと降下しながら、これ以上ないほどに顔を引きつらせたドーラは、両手をレオへと突き出して魔法を唱えようとする。
「おぉらぁ!」
それより早く、レオが両足を抱えたまま、自分の腕を全力で真下へと振り下ろした。
「ぐ――がぁっ!」
足首が外れかねないほどの怪力で、一気に地上へと投げ落とされたドーラは、魔法を唱える余裕も、羽を動かす暇も無く、背中から地面に激突してしまう。
「ちっ――なっ!?」
慌てて身を起こそうとした矢先、今度は上空から右腕を高く掲げたレオが、ドーラへと向けて急降下してきた。
「っらぁ!」
落下の速度を威力に加え、全体重を乗せた全力の突きが、彼女に向けて繰り出された。
地響きに近い轟音が鳴り、地面から煙が起こる。
土煙が晴れた先には、ドーラの上に圧し掛かり、地面に右腕を埋め込んだレオと、彼の右腕から、僅かに逸れた場所に顔を置いたドーラの姿があった。
「……何のつもりだい」
苦虫を噛み潰した表情で、レオを睨み上げるドーラ。お互い戦士として戦場に居るのだ。安い慈悲は侮辱と同義だった。
「女相手に、必要以上に暴力振るうのはトラウマなんだよ。何処で見てるか解ったもんじゃねぇからな」
右腕を引き抜きながら、レオもまた心底嫌そうに顔を歪め、良く解らない事を言う。
「降参しろ」
「イヤだと言ったら?」
「そん時は、遠慮無くぶん殴る」
再び右腕を振り上げ、何時でも行動に移せる状態で見下ろすレオ。やりたくないというだけで、別にやれない訳では無いのだ。
しばらく見つめ合った後、ドーラは深い溜息を吐いて脱力した。
「――頼みの綱だったバンコも負けちまったし、仕方が無いね……降参だよ」
彼女は両手を頭上に上げ、己の敗北を宣言する。
実力で劣る彼女に出来る事は、バンコへのサポートと敵への妨害だけだ。相方という、勝利へと続く道そのものが断たれた今、彼女が戦う理由は無くなっていた。
「うっし。よっと」
勝者となったレオは、圧し掛かっていた彼女から、両足を使って前方へと跳躍する。
「今度はまともに戦ろうぜ。こんなめんどくせぇ戦いは、もうこりごりだよ」
「はっ。だったら次は、もっと嫌らしく攻めてやるさ」
着地した後、振り向きながらの台詞に、大した怪我も負っていないドーラは、立ち上がりながら意地悪げに口角を吊り上げた。
正攻法で挑んでも、彼らのような一握りの素質を持つ者たちには届かないと、彼女自身の才能が告げている。ならばそれ以外の手管手練を極め、卑怯下劣とそしられながらも敵を手玉に取れれば、これほど痛快な事は無いだろう。
「良い性格してんなぁ」
「捻くれ者の性分さ。治りゃしないよ」
呆れるレオに、ドーラはわざとらしい仕草で肩を竦めた後、地を蹴って飛翔した。
「バンコが心配だ。悪いが先に帰らせて貰うよ」
「おう。またな」
片手を軽く上げ、飛び立つ彼女を見送ったレオは、頭を掻きながら周囲を見渡した。
「投げちまった剣、一体何処落ちてっかなぁ」
そんな、投げやりな口調でぼやきながら、彼は適当な足取りで失せ物探しを開始した。




