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星屑の鍛冶師  作者: タクミンP
第3章 箱庭の人形劇
22/45

22・籠の猫

――可愛いね。触っても噛み付いたりしない?


 輪郭の霞む誰かの笑顔を見ながら、ぼんやりとこれが夢だと解ってしまう。


――アンタも災難ね。静かな所が好きそうなのに、こんな騒がしい連中に引きずり込まれるなんて。


 私はそれを、ただ遠くから眺めているだけ。


――改めてよろしく。レオが随分と迷惑を掛けたみたいで、ごめんね。


 私には、近付く勇気も資格も無いから。


――話は聞いている。また何かあれば、私たちが力になろう。遠慮なく相談してくれ。


 ほんの少しの間だったけど、皆が温かくしてくれた。


――なぁ、お前。オレの仲間にならねぇか?


 でも、あの場所から逃げたのは、私。

 失くすのが恐くて、あの人たちを信じられなくて――先に逃げ出したのは、私。







「ん……」


 閉じられた窓から光が差込み、彼女はゆっくりと覚醒する。

 学園のものよりも上質なベッドに、見上げた先にあるのは、真新しい白の天井。

 この数日、フレサが寝泊りさせられているのは、街の一角に造られたクリストファーの家元、ディーアマント家の別邸だった。


「……うにゅ」


 眠気に逆らいながら何とか身体を起こし、厚手の寝巻き姿を晒しながら、身に宿る獣と同じ仕草で目を擦る。

 その手を下ろす途中で、あの空き教室に訪れた時からずっと装着させらている、小さな金属の首輪に指先を当てた。

 その首輪の名前は、「服従の輪」。魔力と心力を封じる魔具で、魔具と契約した者が念じれば、首輪から電撃を流す事も可能な、他者を隷属させる事を目的とした道具だ。

 学園のあるアリスレイ王国では、作成を禁じられているこの魔具は、時折奴隷制度の残っている他国から流れては、表裏を問わず高値で取引されている。

 シロエから受け取った杖を、アルベールへと引き渡したあの空き教室で、彼女はクリストファーからこの首輪を手渡され、命じられるままに自分の首へと装着した。

 アルベールは大層笑っていたが、クリストファーだけが一人、複雑な表情でこちらを見ていたのを覚えている。

 家畜や愛玩動物染みた扱いをされ、その恐ろしい効果を聞かされても、彼女に悲しみは無かった。それを悲しいと思えるほど、もう彼女の心に強さは残されていない。

 諦めて、受け入れる。流れに逆らわない事が、彼女が編み出した唯一の逃避だった。

 精霊術士は、程度の差はあれど魔力によって「向こう側」を知覚しているので、それを失っている今の彼女は、ウンブラを感じる事が出来なくなっていた。

 幼い頃からずっと一緒だった、あの漆黒の精霊は、傍には居ない。


「……起きた?」

「ひっ!?」


 物思いに耽る余り、他人の気配に全く気付かなかったフレサは、突然声を掛けられて悲鳴を上げてしまう。

 扉の前に立つ小柄な女の子――シズクが、彼女の叫びにほんの少しだけ眉を寄せていた。


「……その反応は、割と傷付く」


 フレサの肩程度の、小さな背。腰まで真っ直ぐに伸びた、何時も濡れてるように見える艶のある黒髪と、感情を伺えない黒色の瞳。

 今は、この辺りでも普通のシャツとズボンを着ているが、フレサが一度だけ見た彼女の母国の衣装に袖を通したその姿は、まるでその国の姫と言われても信じてしまいそうになるほどの、美しくも可愛らしい少女だった。


「ご、ごご、ごめんなさいっ」

「……その反応も、矢張り傷付く」


 少し間を置いた後に喋る、独特な話し方をするシズクに対し、フレサは慌てた様子で謝った。

 頭を下げる彼女は、黒髪の少女がそんな反応を見て、僅かに悲しそうな表情をしている事に気付かない。

 謝り方が足りなかったのか、どもったのがいけなかったのか、などと更に怯えを見せるフレサに、シズクは何も言わないまま、振り返って廊下に繋がる扉を開けた。


「……起きたら着替えて。朝ご飯は、もう出来てる」

「は、はいっ――あわ、うぷっ」


 立ち去ろうとするシズクに追いすがろうと、布団から出ようとしたフレサは、慌て過ぎて下半身が上手く抜けられず、体勢を崩して顔から床に落ちてしまう。


「……慌てなくても、朝ご飯は逃げない」

「あうぅ」


 恥ずかしい場面を見られ、顔を真っ赤にするフレサを、シズクが呆れた様子で見下ろしていた。

 着替えを済ませ、部屋の外で待機していたシズクと合流したフレサは、長い廊下を歩いて客間までの道を進んでいく。

 廊下の途中で、シズクと同じ故郷の品である、紺色に染められた、袖口の広い異国の服と、スカートのような幅広のズボンに身を包んだ黒髪黒目の少年――ヤカタと出会った。


「おはようでござる。シズク、フレサ殿」

「……おはよう、兄様」

「お、おはようございます」


 眉間から、右目を通る形で一本の刀傷が入り、一見強面に見える顔だが、その表情は温和そのものだった。

 レオたちの持つものに比べ、半分以下の幅をした、刀身の反った二つの長剣を腰に下げ、両袖の中に腕を通して二人の隣を歩く姿は、不思議と貫禄を感じさせる。


「いやぁ、この屋敷は広々としていて、まこと見事にござるなぁ。拙者などは、歩いていて何度迷いそうになった事か」

「あ、その……」


 ヤカタから和やかに話し掛けられるが、間に挟まれる形となったフレサは、顔を俯かせてまともに答えられそうにない。


「……兄様、恐がってる」

「おっと、これは失敬」


 シズクから非難の視線を浴び、ヤカタは気を悪くした様子も無く、すぐさまフレサとの距離を離した。

 シズクは兄と呼んでいるが、同郷というだけで血の繋がりは無く、二人はフレサと同じ学園の一年生だ。

 彼らは、武芸大会にチーム員として参加する事と、フレサに対する監視と護衛の役目として、クリストファーに期間限定の私兵として雇われていた。

 今のフレサは、必要以上の外出や単独行動の類が許されておらず、必ずどちらか一人が付き添っての行動を義務付けられていた。

 黒髪の二人は、フレサの境遇には思う所があるようで、最初の内から今のように、何かと彼女を気に掛けて接していた。


「フレサ殿が起きたならば、早速朝餉(あさげ)とするでござる。朝は一日の基本でござるからな」

「は、はい」


 めげずに声を掛けて来るヤカタに、何とか頷くフレサ。

 やがて客間に到着した三人が席に着くと、屋敷の使用人が料理の載った食器を運び、テーブルへと置いていく。

 中央に置かれた白パンと、三人にそれぞれの前の皿には幾枚かのハムとサラダ、その隣にじゃがいものスープ。デザートとしてリンゴの蜂蜜漬けという、貴族にしては質素な食事だ。


「いただきます」

「……いただきます」

「い、いただきます」


 シズクとヤカタは両手を合わせ、フレサは手を組む形で祈りと挨拶を捧げ、食事を開始する。


「……兄様、行儀が悪い」

「う゛……面目無い」


 皿の端に盛られた一枚のハムを、手掴みで食べようとしていた姿を咎められ、ヤカタはばつが悪そうに頬を掻いた。


「このふぉーくやないふとやらは、どうにも使い辛いのでござるよ」


 二つの食器を持ち上げ、困った表情で弁明するヤカタ。遠い異国から来たという黒髪の剣士は、器用に食器を使いこなすシズクとは違い、こちらの文化に余り馴染めていない様子だった。


「あ、あの、切り分けましょうか?」

「おぉ、かたじけない」


 おずおずと申し出るフレサに、ヤカタは喜色を浮かべて皿を渡した。


「うんしょ、うんしょ」

「いやはや、フレサ殿には良妻の素質があるでござるなぁ」

「ふえぇっ!?」


 一生懸命、食べ易いサイズに朝食を切り分ける姿を褒められ、驚きながら顔を染めるフレサ。


「……兄様は、彼女のような女性が好み?」

「うん? 今のはただ、一般論を言っただけでござるよ。拙者から見て、シズクも十分魅力的だと思うでござ――うぉっ!?」


 ちらりと視線を向けて来るシズクに、ヤカタが軽い調子で答えると、彼女から高速で空の皿が投げ付けられた。


「あ、危ないでござろう……っ」


 貴族の屋敷の品は、高が食器であれ幾らするか解らない。ヤカタは顔に当たる直前で、冷や汗を掻きながら何とか皿を受け止めていた。


「……兄様の、ばか」


 何事も無かったかのように、表情も変えずに食事を続けるシズクの口からこぼれた言葉が、フレサの耳に伝わってきた。


「あ、あの……良かったら、シズクちゃんがやりますか?」

「……そこまでの配慮は、しなくて良い」


 ある程度事情を察し、役目を譲ろうとするフレサに、シズクは呆れた半眼を向けながら辞退した。







 屋敷の中では、割と自由な行動を許されてはいるフレサだが、出来る事は少ない。

 書庫に入るのは気後れしてしまうし、室内で出来る遊びをシズクたちと一緒にするのは、なんだか恥ずかしくて頼めない。

 外出も出来ず、やれる事もする事も無い彼女は、結果として物凄く暇だった。

 暇を持て余したフレサは、逆にシズクやヤカタに付いて周る形で、時間を潰していた。

 壁に寄り掛かって座るフレサの前で、腰に挿した二本の長剣の内、一本が引き抜かれる。この大陸で、広く一般的に使われている剣よりずっと細く、片方しか刃の無い不思議な形をした刀剣。

 そんな剣をだらりと片手で下げ、ダンスや室内訓練の時に使われる、大部屋の中央へと移動したヤカタが、剣の錬武を開始した。


「ふぅー、はっ! せいっ!」


 立ち止まったまま剣を振るっていたシルヴィアとは違い、ヤカタは常に足を動かしながら、まるで踊るようにステップを繰り返して、縦横無尽に移動しながら、流れのままに剣を閃かせる。


「ふわー」


 反転し、走り、跳躍する。ここには居ない大勢の相手と戦う彼の姿が、見ているだけでフレサの脳裏に浮かび上がって来ていた。


「……楽しい?」

「はい、とっても凄いです」


 隣に腰掛け、同じように見物していたシズクの質問に、大きく頷くフレサ。

 シロエと同じく、運動に関する才能の無いフレサは、俊敏に動き回るヤカタに対し、憧れに近い眼差しを向けていた。


「……何故、貴女は抵抗しない?」

「え?」

「……貴女にとっては理不尽であるはずのこの状況で、逃げようともせず、抗おうともしていない――何故?」


 視線は前に向けたままで、不意にシズクがそんな疑問を口にした。

 シズクたちの監視は、それほど厳重に行われてはいなかった。着替えなどの時は席を外し、寝る場所も別だ。

 魔法や心技を封じられていても、本気で逃走を図ろうとしたならば、逃げ切れるかどうかは別にして、出来ない事は無いはずなのだ。


「私は……駄目だから」


 少しの間逡巡した後、フレサが口を開いた。寂しいような、諦めたような、そんな響きだった。


「……何が?」

「何もかもが、です」


 軽く俯きながら、誰にも聞こえないほどの小さな声で、彼女はそう答える。

 そして、フレサは自分の過去を静かに語り始めた。


「――集落に居た時も、何をやっても上手に出来なくて、ずっと虐められてました。両親からも、見えないものが見える何て言う、気味の悪い子供だって」


 故郷の集落で思い出すのは、暗がりで黒いもやと話す自分を、誰もが忌避し、石を投げつけられる記憶だった。

 精霊術は、行使出来る術者の数が少ない為、田舎や小さな集落などでその才能を発現させた者は、周りから理解されない場合が多い。


「ある時、集落にやって来た旅人の魔道士さんが、私の見えている景色が「向こう側」だと教えてくれて、話し相手だったウンブラとの、正式な契約も手伝ってくれたんです。私の力が精霊術だって解ると、突然皆の態度が変わりました。「凄いね」「立派だね」って」


 森や草原などに集落を形成するエルフや獣人は、恩恵を受ける自然の結晶たる精霊を、信仰の対象としている場合が多い。

 つまり、フレサの故郷の者たちにとって、自分たちの崇めている存在と交信出来る彼女は、聖人や巫女など、徳の高い人物に近い扱いへと変わったのだ。


「両親は、そんな私に期待して、この学園に入学させてくれました。でも……ここでもやっぱり、私は落ち零れで……」


 居場所が変わり、彼女を取り巻く環境は元に戻ってしまった。否、元から何も変わってなどいない。

 何故なら、態度を変えた集落の人々が見ていたのは、決して彼女では無く、それに付随した、「精霊術士」という肩書きだけだったのだから。


「私はきっと、何も望んじゃいけないんだと思っていました。耳を隠して、目を閉じて、口を塞いで……そうしてずっと、生きていくんだと」


 彼女は諦観していた。己を取り巻く全ての物事に。流されるままに動かされ、嵐が過ぎ去るのを待つかのように肩を縮めた今の姿は、帰る場所を失い、鳴く事さえも諦めた、か弱い子猫にしか見えなかった。


「……重症」

「……ですね」


 重い告白を、たった一言で片付けるシズクに、フレサもまた、自嘲気味に同意する。

 フレサ自身、抜け出す術を知らないだけで、それが決して幸せに繋がる道ではないと、頭では理解しているのだ。


「……今は違う?」

「はい。今は――今は、シロエ君たちに謝りたいです。あんなに優しくしてくれたのに、私は何一つお返し出来なくて――その上、こんなに迷惑まで掛けて」


 最初は、何時ものようにただ流された結果だった。だが、それでも彼らとの時間は、フレサにとって生まれて初めてと言えるほどの、温かい団欒を感じる事が出来た。


「謝って、それでもし許して貰えるなら、またお友達になって欲しいって、私からお願いしたいです」


 今までずっと孤独だったフレサには、それすらもまともに出来るかどうか解らない。だからこそ、自分の意思で彼らと向き合う事が、最初の一歩なのだと思えていた。


「でも、そうですよね。私は、助けを待つだけじゃなくて、行動しても良いんですよね」


 受身ばかりの人生だった為か、自分から動く事を失念していたフレサの瞳に、徐々に力が戻っていく。

 湧き上がる衝動を感じ、ただ受け取って、言われるがままに動いていた自分に、まだこんな気持ちが残っていたのかと、不思議な驚きを覚える。


「シズクちゃん。私、逃げても良いですか?」

「……駄目」

「駄目ですか?」

「……駄目」

「そうですか……」


 期待に満ちた目で見つめても、シズクの返答は無情だった。流石に無理と解っていて、それでも行動を起こす勇気は無い。


「だったら、シロエ君たちに伝言くらいはしたいです。それはお願い出来ませんか?」

「……雇い主の不利になる行動を許す訳にはいかない。それ以前に、大会中は原則として、他の組同士の故意的接触を禁止している」

「あぅ……」


 再び提案を切り捨てられ、耳を垂らして落ち込んだ後、フレサは直ぐに立ち直ると、名案だとばかりに軽く両手を叩く。


「じゃあじゃあ、他の人に頼むとかどうですか?」

「……誰に?」

「えと、えっと……あうぅ」


 現在のフレサが接触出来るのは、シズクとヤカタ、そして屋敷の使用人たちとクリストファーぐらいだ。

 その中で、頼みを聞いてくれそうな相手が、誰一人として居ないという事実に打ちのめされ、遂に撃沈してしまうフレサ。


「――そろそろ時間でござるな。ん? 一体どうしたでござるか? フレサ殿」

「うぅ……」


 軽く汗を流し終えたヤカタが、剣を収めて振り向いた先には、出したやる気の行き場を失ったフレサが、膝を抱えて涙目で蹲っていた。


「シズク?」

「……心配無い。自己嫌悪に陥ってるだけ」


 問い掛けたヤカタに、シズクは処置無しと静かに首を振った。

 試合が近付く中、レオたちのチームと当たる決勝戦以外に出番の無いフレサと、その護衛としてシズクが残り、唯一試合に参加するヤカタだけが出掛ける形となった。

 ヤカタを見送る前に、シズクがフレサに対し、他者に見られても良いよう偽装を施す。

 フレサの前に立ったシズクは、両手を素早く動かして、幾つもの印を胸元で組み上げる。

 連続する印が術式となって、シズクたちの故郷の魔法、「霊符術」を完成させた。


「……『変化へんげ』」


 誓言と共にフレサの額に札が貼られる。だが、彼女自身に効果のほどは理解出来なかった。

 この魔法は幻覚を映す術であり、他人が見なければ効果は無いのだ。


「……見え辛いだろうけど、貼り付けた札は剥がないで」

「はい」


 昨日も言われた忠告を素直に頷き、三人で玄関ホールへと移動する。

 しばらく歩き、目的の場所へと到着すると、そこには二人の人影が、親しげに話をしていた。


「彼らの様子はどうだい?」


 片方は、この屋敷の正当な住人である銀髪の魔道士、クリストファーだ。右肘に左手を添え、前髪を指で弄りながら薄笑いを浮かべている。


「やっぱり、キチンとした目標が出来たのが大きいっすね。第二回戦も、あっさり勝利してるっす」

「トーナメント表を操作してまで作り上げた舞台だ。そうでなければ困るよ」


 そして、クリストファーの相手をしているもう片方の人物にも、フレサは見覚えがあった。

 赤茶けた頭髪に、頭に巻いた薄緑の頭巾。糸目に近い細い目で笑うその人物は、シロエたちと共に居たはずの少年、デジー・フォーユニバスに間違いなかった。


「デジー、君……?」

「来たか」


 思わず呟いてしまった声を聞き取られ、クリストファーがフレサたちの方を見やる。彼は軽くフレサに視線を向けた後、デジーを置いたまま外へと向けて歩き出した。


「先に行っているよ」

「承知」


 ヤカタは軽く頭を下げ、雇い主の出立を見送る。


「デジー君、どうして……?」


 クリストファーが居なくなったホールで、フレサは掠れた声を出しながら、無意識的にデジーへ近付いていく。


「おや、どちらさんっすか?」


 デジーは最初、シズクの魔法が機能していた為に、彼女が誰だか解っていない様子だった。


「んん?――ひょっとして、貴女はフレサさんなんっすか?」


 だが、流石は目利きの効く商人と言うべきか、彼女の仕草と声だけで、正しい回答を導き出す。


「見事な魔法っすねぇ、どっから見ても別人にしか見えないっす」

「デジー君っ」


 何時もと変わらない笑顔のまま、つぶさに観察しながら感心するデジーに、フレサが声を荒げたのは無理からぬ事だった。

 しかし、そんなフレサの態度にも、デジーは何処吹く風で肩を竦めるだけだ。


「オイラは商売人っすからね。お客様の居る場所に、オイラが居るのは当たり前の事っす。情報も立派な商品なんっすよ?」

「で、でも……」

「別に、シロエ君たちだけがオイラのお客様じゃないんっす。誰を相手に商売をするかは、オイラ自身が決める事っすよ。まぁ、クリストファーさんたちを相手に商売してるのは、今の所シロエ君たちには内緒っすけどね」

「そんな……っ」


 事情の知らないフレサから見ても、クリストファーたちとシロエたちが敵対している事ぐらいは解る。シロエたちに黙って、両者の間で商売をするという事は、彼らに対しての裏切りに近い行為なのではないだろうか。


「利に敏く、益に賢くあれ。オイラの商人としての矜持っす。オイラは金を貰って商売し、最後により稼げる相手の下に付くだけっすよ」

「……」


 いっそ清々しいほどに言い切った細目の少年に、間違っているという気持ちと同じくらい、自分を貫ける事を羨ましいと感じてしまい、フレサは何も言えなくなってしまう。

 俯いてしまったフレサの頭越しに、ヤカタたちと視線を合わせた後、再びフレサへ目を向けるデジー。


「まぁ、どっちが勝ってもフレサさんは解放されると思うっすから、今の内に貴族のお屋敷生活を堪能しておくと良いっすよ」


 お気楽な台詞を残し、デジーもまた、屋敷の出口へと向かって歩き出す。


「それでは、ごきげんようっす」

「あ……」


 振り向かないまま、片手を上げて立ち去って行くデジー。彼を引き止めようとして、掛ける言葉が思い浮かばず、フレサの伸ばされた手が虚しく宙を泳ぐ。


「――拙者も行くとしよう。フレサ殿の守護を頼むでござるぞ、シズク」

「……行ってらっしゃい。兄様、ご武運を」

「うむ」


 話に加わらなかったヤカタも、シズクとの別れの挨拶を済ませ、後を追うように屋敷を出た。

 一度の多くの事が起こり、どうして良いか解らない感情の渦が、フレサの胸の中で淀んでいく。

 誰も彼もが、自分の思惑で動いている。その全てに悪意がある訳ではなく、ただお互いの譲れない部分が、結果として暴力や策謀の争いへと向かっていくのだ。

 レオの言った「ぬるま湯」の意味が、今の彼女には心が痛むほど理解出来た。


「……大丈夫?」

「……はい」


 気遣いの視線をくれるシズクに頷き、促されるように屋敷の奥へと戻っていく。

 様々な想いが頭を巡るが、それらは鏡面を滑るように浮かんでは消え、上手く言葉に表す事すら難しい。


「あ――」


 そんな中、廊下の途中で不意に重大な事を思い出し、フレサは声を出して立ち止まった。


「伝言、デジー君に頼めば良かったのに……」


 来た道を振り向き、思わず口を出たその呟きは、あらゆる意味で手遅れの言葉だった。

 そんな彼女の首に巻かれた金属の輪に、はめた当初は無かったほんの僅かな亀裂が入っている事に、気付いた者は誰一人としていない。

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