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星屑の鍛冶師  作者: タクミンP
第2章 友達探し
14/45

14・願いを込めて、想いを込めて

 研究塔の背後に建造された、「スミス」生徒の聖地、工房棟。

 無許可による技術の盗用を防ぐ為、全て個室で区切られた三十を超える大小様々な炉が常に可動しており、事前に貸し出しの許可を申請する形で学園に通いながら武具や道具の作成を行う事が可能となっている。

 大型の道具や武具などは完成に数日を要する場合がほとんどである為、生徒たちは期間に応じた休暇届を提出し、完成後、個別に補修を受けた後で授業へと復帰する流れとなる。

 施設には、装飾や魔具の工房も同時に造られており、一つの建物内に居ながら作品が完成に至るまでの全工程が行えるよう配慮されていた。


「るっるるる~、るっるるる~♪」


 借り受けた炉の一室で、久々の作業着に袖を通すシロエの機嫌は上々だ。

 勉学に励むのも大切だが、やはり物を作る一人の職人としてこれから始まる時間は何にも変えがたいのだろう。至福の一時を実感し、自然と陽気な鼻歌が流れる。

 使い慣れたもので作業がしたいと、力自慢のレオンに頼んで故郷から連れて来た道具は多岐に渡る。

 ガモフの工房にあった金床は、その大きさと師の持ち物である事から流石に無理だったが、変化させる形状に応じた形の異なる数種類の金鎚は勿論、足踏み式の蛇腹じゃばら(ふいご)、火鋏、素材毎の研磨道具など、おおよそ故郷で使っていた自分の持ち物は全て学園へと運び込んでいた。

 金属が多いので総計でかなりの重量になるのだが、そこは体力馬鹿のレオンである。

 良いトレーニングになると二人分の荷物を軽々と抱え、シロエの代わりに故郷から遠く離れた新天地まで道具たちを運んでいた。

 鍬や鍋、包丁など、日常の道具を作るのも悪くはないが、あくまでシロエが目指すのはガモフと同じ武具の鍛冶師。

 刀剣や防具を打つこの瞬間が、シロエは堪らなく大好きだった。


「ふんふ~ん、ふふ~ん♪」


 完全に浮かれているが、この少年は鍛冶の師が認めた一人前の職人である。どれだけ浮足立っていても、道具の点検や配置に手抜きも妥協も一切ない。

 だらしなく笑う顔と正確な手付きで動く腕が、まるで別の生き物のようにすら見えてしまう光景だ。

 備え付けの金床の傍に湯を入れた大きな水桶を置いて、事前の準備が完了する。


「よしっ」


 最後に両手を叩き、気合と共に笑みを止めて表情を引き締めたシロエが、作業を開始した。

 まずは、事前に作っておいた数種類の鉱石を混ぜ合わせた合金の鋳塊インゴットを袋から取り出す。デジーが方々を駆けずり回って集めた良質な鉱石たちが、シロエの手によって立派な素材として完成していた。

 授業料を得る為に学園へ提出しているような、指定された規格通りの品とは違う。不純物を排し純度を高めた灰銀色の金属塊が、炉から漏れる灯に揺られて鈍い光を放つ。

 四角柱の形で作られたそれを火鋏で挟み、炉へと差し込む。足元に置かれた(ふいご)を踏み付け、空気を送る事で炉の温度を調節しつつ鋳塊(インゴット)を熱する。

 灼熱が肌の間近で燃え滾り瞳の水分すら奪い取る中、シロエは一切の苦痛を無視して火鋏の先にある金塊に意識を集中させていた。

 炎に晒され、その色を徐々に赤付かせていくそれを瞬きすら惜しいと両目を見開き、僅かな変化も見逃すまいと見据え続ける。

 そして、赤々と光沢を灯す今にも溶け出しそうな熱を帯びた状態で引き抜かれた鋳塊インゴットを、素早く金床へと移動させ火鋏で支えながら金鎚で叩く。

 芯まで紅く染まった素材へと、鋭く、早く。潰す事で金属の密度を高め、微細な気泡を取り除き、結合を強める。

 時折水桶の湯を掛ける事で、熱に負けて溶け出して来た表面の不純物を水蒸気で飛ばしながら、鎚で叩かれる金型は縦に縦にと伸びていく。

 ある程度の長さになった金型の中央に、偏平状のノミをあてがって金槌で打ち込む。型を二つに割る形で切り込みを入れると、先端を火鋏で掴んで折りたたむ。

 重なった部分を再び金槌で叩いて繋ぎ、最初の形まで戻した金型を再び炉へと投入して加熱する。

 引き出した赤色の合金を叩き、伸ばし、二つに折って、もう一度炉へ――

 幾度も同じ工程を繰り返し、金属の塊に過ぎないものを武具として耐えるに足る領域へと昇華させていく。

 密度を上げ、不純物を飛ばし、錬度を高め――金型の大きさは、すでに取り出した当初から三分の二程度にまでその体積を縮めている。


「ふぅっ……」


 一端汗を拭い、金型を金床に置いて鎚で軽く各所を叩く。奏でられる音から、金属の質を確かめているのだ。

 シロエの表情に、何時ものようなゆるやかな雰囲気は微塵もない。別人に見えるほど真剣な表情で、ある種の風格すら漂わせながら作業に没頭している。

 ここまでですでに、太陽が東の空へと顔を出してから真上に到達するほどの長い時間が経過している。

 運動に関する才能の皆無であるシロエだが、体力は別だ。軽く息を弾ませ、髪が濡れ落ちるほど大粒の汗を流しながら、取り憑かれたように作業以外の一切に目を向けていない。

 満足したのか、一度無言で頷いて再び火鋏で掴んだ金型を炉へと戻す。

 ここからが、完成した武具の成否が決まるようやくの正念場だ。。

 基本は最初と変わらず、金鎚で打ちつつ形状を変化させていくだけだ。だが、ここからはもう一つ別の作業が追加される。

 鎚で打つと同時に、自身の心力を金属へと流す。熱した金属に流し込まれた心力が残留し、その硬度と質を引き上げるのだ。

 しかし、これが難題だった。心力は物体を強制的に硬める作用を持つ為、込め過ぎれば即座に金属が冷え固まってしまい、挙句上手く馴染まず表面だけを硬質化してしまう。

 そうなってしまうと、もう幾ら鎚を打って心力を込めようとしてもそれ以上内面の変化は起こらず、再び炉で溶かしても元には戻らない。

 逆に、込める心力が少な過ぎてもいけない。そうすると、今度は硬質化が弱いままの状態で止まってしまい、やはり取り返しが付かなくなってしまう。

 武具を鍛える鍛冶師は、そのぎりぎりのラインを見極めながら粒子の一端に至るまで己の心力を刻む事に、細心の注意を払って金鎚を振るわなければならない。

 一打一打を丁寧に、しかし迅速に、力強く。時折場所に合わせて鎚を持ち替え、打つ方向を変えながら自分の思い描く形状へと作り変えていく。

 しばらく打ち続けた型を、再び炉へと差込んで加熱する。加熱している間も弱くだが心力を注ぎ続け、形が崩れるのを最小限に留めつつ(ふいご)での熱量調整も怠らない。

 一連の動作は淀みなく、一定のリズムを持って無駄なく行われていた。そこに一切の迷いはなく、あったとしても表には現れない。

 今度は一度手を休め、水桶で冷やした金型の形状を様々な角度から確認する。余分な起伏や傷がないかを事細かに調べ、全体を軽く叩いて密度の偏りがないかを入念にチェックしていく。

 確認の終えた金型を炉へと戻し、元の加熱と鍛錬の繰り返しを再開する。

 繰り返し、繰り返し。一つの失敗が命取りとなる作業の中で、少年は極限の集中を持って事に当たっている。

 身体全体から滝のような汗を噴き出させ、文字通り全身全霊を捧げながら鬼気迫る気迫で手に持つ鎚を振り下ろす。

 金型が武具として徐々に完成していく中で、目の前の刃へと己の想いを一心に打ち込んでいく。

 担い手に相応しくなるように、担い手の命を護れるように、担い手の願いを助けられるように――担い手と共に、どこまでも歩んで行けるように。

 武具と人は対。そして、鍛冶師はその架け橋だ。

 自分の生み出すものが命を奪い、そして救う。

 命を預ける道具に、一切の妥協は許されない。担い手が命を懸けるに足るものを産み出す為には、己もまた命を燃やす事を躊躇ってはならない。

 熱風で肌を焙り、焦げた空気で肺を焼きながら、一心不乱に鎚を振るう小さな鍛冶師の作業は続く。

 その瞳の先に、何時かその手で産み出す至高の一振りを夢見ながら。







 メルセティアが学園に入って初めて訪れた工房棟は、意外と言ってはなんだが清潔感のある場所だった。

 エルフの少女は入り口の案内に従って、鍛冶工房の方角へと足を進める。

 個室で別れているとはいえ、稼動している多くの炉から発せられる熱量は凄まじい。工房へ入った瞬間、顔をしかめるほどの熱気が彼女の身体を通り過ぎて外へと流れ出していく。

 それぞれの炉へと繋がる半球状に作られた大部屋の中で、壁に背を預け扉の一つを守るように佇んでいる知り合いの姿を確認し、メルセティアはそちらへと近付いていく。


「良く来たな。心配になって様子見か?」


 部屋の中から金属同士がぶつかる甲高い音が絶え間なく響く隣で、気配でも察したのか目を瞑ったまま騎士の少女がエルフの少女を歓迎する。


「別に、約束は約束だし。この間どっかの馬鹿に嫌がらせされてたって言うから、一応顔を見せに来ただけ」


 言い訳というより、半ば本心からそう言ってメルセティアは肩をすくめてみせる。


「ふむ。今の発言も、ツンデレではないのか?」

「はぁっ……貴族のアンタに、その辺りの言葉を教えたのは一体何処の誰なのよ?」


 再び聞かされる貴族の子息が使うには奇抜過ぎる単語に、うんざりしながら質問を返すメルセティア。

 シルヴィアは、明らかに言葉の意味を理解していない。未知に対して興味を持つのは結構だが、世の中には知らなくても良い知識というものも存在する。


「父だ」

「……」


 シルヴィアからの思い掛けない即答を貰い、思考と身体を硬直させてしまうメルセティア。


「以前に、素質があると事細かに説明されたのだが――どうもその様子では、私は余り言葉の意味を理解しきれていないようだな」

「アンタの父親って……いや、いいわ」


 思わず問い掛けようとして、ろくな答えが返って来ないと察したのかエルフの少女は途中で言葉を取り止めた。

 王国の繁栄に努める義務を背負った特権階級であり、騎士の中でも国内有数の実力者として認められた(カルヴァ)という名誉ある地位を持つ、娘にツンデレを事細かに教える父親。

 最後の一文を追加しただけで、台無しどころの話ではない。出来れば永遠にお近付きになりたくない人物へと、一瞬で評価が大暴落していた。

 これ以上不毛な会話を続けても、別の意味で心臓に悪いと理解したのだろう。メルセティアはシルヴィアへの追及を放棄し、別の話題へと強引に舵取りを行う。


「でも意外ね。てっきり、あの保護者コンビのどっちかが陣取ってると思ってたわ」

「あぁ、私が着いた時には確かに二人とも居たぞ。授業を欠席して朝から交代で見張っていると聞いてな、先程私が残りの時間を受け持たせて貰った」

「はぁっ!? 朝からって、本気!? もう日の落ち掛けた夕方よ!?」


 シルヴィアの言葉に、素っ頓狂な声を上げてしまうメルセティア。

 具体的な時間は不明だが、少なくともあの少年が一日中この部屋から出て来ていないと聞かされ、更にその表情が強張る。


「私も驚いた。普通は何日かに分けて作業をするらしいんだが、シロエ曰く時間を置いてしまうと自分の中の理想像が崩れてしまい、満足のいく作品が作れないのだそうだ」

「だからってあんな細い子が、鍛冶なんて大仕事を一日中続けるなんて……」

「なんだ、やはり心配なんじゃないか」

「茶化さないで!」


 微笑むシルヴィアに、無意味と知りつつ噛み付いてしまうメルセティア。

 どう考えても無謀にしか聞こえない事実を知り、軽口に付き合う余裕もなくなっている。


「勿論心配なのは私も同じだ。だが、彼らが言うには故郷では何時もこの方法で作っていたと言うのだから、信じるしかあるまい」

「そう、だけど……」


 シルヴィア自身も、全てを納得した訳ではないのだろう。憂いを帯びた視線を扉の向こうへと送るその表情を見て、メルセティアは何も言えなくなってしまう。

 工房の個室は全て内鍵となっており、他者が勝手に侵入する事を防いでいる。

 扉の合鍵を持つ工房棟の管理人に頼めば開けて貰えるだろうが、心配だからとシロエの作業の邪魔をするのは本意ではない。


「しかし……ふふっ」

「? 何よ」

「いや。レオンたちから聞いた彼の故郷での話を、少し思い出してしまってな」


 唐突に、思い出し笑いをして顔を綻ばせたシルヴィアが、呆れた様子で語りだす。


「その当時、元々シロエは鍛冶の師の工房で寝泊りしていたそうだ。だが、彼の師もまた、今のシロエと同じように一度始めたら寝食を忘れてのめり込む性質らしくてな。弟子と二人で毎晩徹夜を繰り返しては作業を行い、何度も気絶している場面を発見されていたらしい」

「何それ、ただのバカじゃない」

「そうだな。本当に、大馬鹿者だ」


 言い捨てるメルセティアに、シルヴィアは苦笑しながら肯定を返す。


「大人である師とは違い、まだ幼かったシロエの身体を案じて村に住む者たちが総出で説得と説教を行ったそうだ。それから、レオンたちの住んでいた教会兼孤児院から師の工房へと通わせるようになったらしい。ついでに、無理をさせないよう夜更かし禁止令など様々な制約を約束させたと笑っていたよ」


 話を終え、なんとも言えない表情を作る二人。

 師も師なら弟子も弟子だ。職人としての熱意も、そこまで行き過ぎてしまうとある種の病気か何かに思えて来る。


「――彼らは異常だ」


 真剣な表情で、シルヴィアが不意に口を開いた。

 学園で知り合い、共に過ごす中で感じた事を言葉にして吐き出す。


「しかも、お前のように自らが異端である事を自覚していない。筆頭はシロエだが、同郷の二人も狭い世間で過ごしていた弊害からか、我々の常識からかけ離れた部分がある事に理解が及んでいないのだ」

「何かあったの?」

「少し前に、レオンと軽く組み手をしてみたのだがな。奴はあろうことか、私の木剣を素手で受け止めた挙句握り潰してのけた」

「……あのバ怪力」


 メルセティアは頭に手を置いて、溜息を吐きながら首を振る。

 あの赤髪の少年が突拍子もない行動を取るのは何時もの事だが、それがまともであった試しはない。


「幾ら武具に心力を通していなかったとはいえ、下手をすれば手首の骨が折れていても不思議ではない。それを、なんの恐れも抱かず行ってのける胆力は並みの鍛練で身に付くものではない。私見だが、あれは痛みに耐える修練を日常的に積んでいるように見受けられた」


 単純に木剣を折るだけならば、シルヴィアやメルセティアも出来なくもない。だがそれは、木剣を砕く事だけに意識を集中させた場合だ。

 シルヴィアが語ったような戦闘中にそれをこなすには、相手の攻撃を読み通す見切りと、爆発にも似た急激な心力の練りが合わさって初めて可能となる。

 練習で出来る事は、実戦でも行える。或いは、金属で作られた真剣でさえ応用が利くかもしれない。

 とはいえ、そんな自殺行為に等しい無謀に文字通り手が出せる者はごく少数だろう。


「そんな彼らの入学目的が、世界の広さを知る為だというから聞いて呆れる。思い知らされているのは、何時もこちらの方だというのにな」

「はっ……」


 自嘲気味な笑いが漏れるが、しかし、内心では一切笑えない事を二人は深く理解していた。

 自分たちの秘密を暴いた観察眼、英才教育を受けてきた騎士候補さえも驚愕させる戦闘技術。血統がものをいう魔道の道において、二等貴族を相手に一歩も引かない知識と術式。

 田舎から出て来たというには、彼らは余りに規格外過ぎる。

 彼らはきっと学園のみならず、その先であっても様々な問題を引き寄せるだろう。


「気を付けろ。私たちが相手にしているのは、そんな薬にも毒にもなる危険な劇薬たちだ」

「今更ね。そんなの、もうとっくに知ってるわよ」


 シルヴィアからの忠告を、鼻で笑うメルセティア。

 どうせ、巻き込まれる事は確定しているのだ。いっそ開き直ってしまった方が、諦めも付く。

 その後、しばらく二人で他愛もない話を続けていると、工房から聞こえて来ていた音がようやく止まる。


「終わったようだな」


 すぐに出て来ないのは、片付けをしているからだろうか。それとも――

 扉を見据えるシルヴィアの目が、心配そうに揺れ動く。

 そんな彼女の不安は、杞憂に終わる。内側から鍵が開けられ、両手の荷物に加え胸元に布で巻いた細く長い物体を抱えたシロエが、作業着姿のままふらふらと部屋を出て来た。


「シロエッ。大丈夫かっ?」


 少年の瞳は虚ろで、外で待機していた二人のにもまったく気が付いた様子がない。

 酷く衰弱しているようでもあるし、シルヴィアは真っ先に声を掛けて近付いた。


「ほぇ? シルヴィアひゃん?」


 間近で名前を呼ばれていながら、きょろきょろと辺りを見渡すシロエ。そして、彼女の顔を認識するとふにゃりと表情を崩して笑みを作る。


「こんばんわぁ。待っててくらひゃいね。もうしゅぐ、でしゅから……」

「おいっ」

「くー、すー」

「……おい」


 溶けた笑顔を浮かべたまま地面に倒れ込むシロエを、シルヴィアが慌てて抱き止めた。何か問題でも起こったのかと少年の身体を気遣う彼女の耳に入って来たのは、規則正しい寝息だった。

 覗き込んでいた彼女の両目が、途端に呆れた半眼へと変わる。

 疲労困憊で気絶するように眠っているところから見て、並大抵の事で起きはしないだろう。


「はぁっ、仕方がないな――」


 それでも手放さない両手の荷物を指を解して受け取ると、シルヴィアはシロエの首と膝に手を回しその身体を抱きかかえる。


「私はシロエを部屋まで運ぶが、お前はどうする?」


 男女が逆だろうという突っ込みはなしにするとして、目的だったシロエの作業が終わった以上、メルセティアにこれ以上付き合う理由はない。


「帰るわよ。着いて行ったって、しょうがないでしょ。じゃあね」

「あぁ」


 当然、二人の邪魔をして馬に蹴られる趣味もない。

 片手を上げて立ち去るメルセティアに、両手が塞がっている為視線だけで見送るシルヴィア。

 その後、シルヴィアは一度個室に入って私物らしきものがないかを一通り確認し、抱きかかえた彼に負担が掛からないよう優しく扱いながら、ゆっくりとした足取りで工房棟を後にした。




 ◇




 すっかり日の暮れた空に満天の星が舞う学園の中庭を、小さな鍛冶師を抱えながら騎士の少女が歩く。


「軽いな、お前は――」


 空いた指でシロエの頬を撫で、むずがる顔を見下ろすシルヴィアの表情は慈愛に満ちていた。

 シロエと共に、横向きに抱いている布の包みが彼女の新しい武具となる刀身なのだろう。

 気力を使い果たし、今は愛らしい寝顔を見せる少年。シルヴィアの胸に、尽きる事のない感謝の念が湧き上がる。


「出会ってくれてありがとう。お前のお陰で、私は自分の世界を広げる(すべ)を知った」


 彼らに出会った事で、彼女の人生は大きく変わるだろう。

 未知との出会いは驚きに満ち溢れ、共に歩むその道は波乱万丈となるに違いない。

 守りたいと思う、助けになりたいとも思う――しかし、この感情は忠義ではない。友情と言うにはいささか重く、名付けようとすればすり抜けてゆく、曖昧な感情が首をもたげる。

 今のようなあどけない寝顔がみたい。

 輝くような満天の笑顔が見たい。

 きょとんとした顔も、呆けた顔も――たまになら、自分だけに泣き顔も。


「楽しみだよ。お前の魂の一部を受け取る、その時が」


 抱えた少年と自分の額を重ね、少女が呟きを漏らす。この想いよ夢に届けと願いながら、そのままの姿勢で立ち止まった。

 腕の中で眠る守るべきものの体温を感じ取り、シルヴィアの口元に薄く笑みが出来上がる。

 二人の頭上から、欠けた月と星々の光が淡く降り注ぐ。

 校庭の一箇所で、静かな時間がゆるやかに流れていく。

 彼女がシロエの部屋に辿り着くのは、もうしばらく後になりそうだった。

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