13・灰色の山猫
「こんにちは、シルヴィアさん」
「こ、こんにちは」
「あぁ。私が最後か、待たせたな」
シロエとフレサの挨拶に片手を上げて答え、長椅子に座るシロエの隣に腰掛けるシルヴィア。
先日昼食を取っていた場所がそのままメンバーの集合地点となり、彼らは再び小さな花壇の見える小さな空間に集まっていた。
デジーだけ、本日の集まりには参加してしていない。仲間外れという訳ではなく、シロエから頼まれた素材の仕入れと大会へ向けた情報収集の為の別行動を取っているからだ。
「まずはこれだね。参加に必要な契約書を先生から貰って来たから、皆に渡しておくよ」
メンバーが揃ったところで、ディーエンが持って来ていた鞄から羊皮紙を取り出し、レオン、シルヴィア、メルセティアティアの順に渡していく。
「待ちなさいよ。昨日も思ったけど、何でアタシまで大会メンバーに入ってんのよ?」
それでも契約書を受け取りながら、メルセティアが剣呑な視線でレオンを睨んだ。
参加を表明した覚えもないのに流れで出場者に混ぜられた今の状況について、勧誘した張本人に真偽を問い掛ける。
「は? お前、昨日聞き流してたじゃねぇか」
しかし、当の本人は意味が解らないとでも言いたげに、惚けた表情でその質問を一蹴した。
「後で訂正しときなさいよ! アンタ、この子の作る武具を受け取るだけで良いって言ってたじゃない!」
「ちっ、細けぇなぁ」
約束を違えたとも言える対応に怒りをあらわにするメルセティアの怒りに、露骨な舌打ちを返すレオン。
その不振な態度に何度か瞬きした後、エルフの少女はようやく察しが付いたのかただでさえ尖り気味なまなじりを更に吊り上げる。
「ちょっと何よ、その態度――あぁ! さてはアンタ、最初からそのつもりだったわね!?」
大声で問い詰められても、少年は動じない。
仕掛けていた悪戯が成功したかのように、その顔に意地悪気に歪めるレオン。
「オレは別に、お前を諦めるなんて口にした覚えは一切ねぇぜ?」
「ア・ン・タ・はぁ~~!」
遂に爆発し、怒鳴り散らすシルヴィア。
そんな怒り心頭な少女の様子を観察している、シルヴィアとディーエンの反応は割と冷淡だ。
「なんだ、また問題か?」
「みたいだね。まぁ、思い付きで始めた急造所帯だし。噂を聞く限り、レオの勧誘は相当無理やりだったみたいだから」
「適当だな。まぁ、私を含めた全員がさして大会に対して熱意がない事が救いか。不足があったとしても、そのハンデを背負ってどこまで挑めるか試してみるのも一興だろう」
口喧嘩を始めたレオンとメルセティアを見ながら、のんきな展望を語るシルヴィア。
生活の基盤は、さして変わってはいない。だが、がむしゃらに剣を鍛えていた入学当時とは違い、騎士の少女には以前よりも確かな余裕があった。
高みを目指す事を諦めた訳ではない。上だけしか見えていなかった時よりも、周囲に目を向けるだけの心の幅が出来た証拠だ。
「わぁ、可愛いね! 触っても噛み付いたりしない?」
「うん。ウンブラは大人しい子だから」
更にその隣では、フレサの呼び出したウンブラをシロエが触って遊び――もとい、精霊術の研究の為に感触などを確認していた。
「結構軽いんだね――わぷっ」
両脇を掴んで顔の位置まで持ち上げ、初めて目にする精霊をしげしげと観察するシロエ。その顔面を、ウンブラが長く真っ黒な舌を出してべろりと舐め上げる。
「あうっ、うぷっ――もぅ、くすぐったいよぉ」
両手が塞がっているシロエはウンブラを落とす訳にもいかず、目を白黒させながら精霊の悪戯を受けるしか出来ない。
「うふふ。ウンブラも、シロエ君をとっても気に入ったみたいですね」
口に手を当て、可愛らしく笑う獣人の少女。
他のメンバーではどもりがちだったが、シロエに対してはフレサも普通に接する事が出来ていた。
獣としての野生の勘が、この少年が人畜無害な人物であると本能レベルで理解させているのかもしれない。
しばらくそんな二人と一匹のやり取りに和んだ後、涎で濡れた自分の顔を服のすそで拭いているシロエに向けて、シルヴィアが兼ねてからの疑問を投げ掛ける。
「時にシロエ」
「はい?」
「何故、私にだけ敬語を使うのだ?」
この集まりの中で、フレサは基本的に誰に対しても敬語を使う。
だが、シロエはシルヴィアに対してだけ敬語を使用している。
「え? だって、シルヴィアさんは貴族じゃないですか」
「――もしかして、それだけか?」
「はい」
あっさりと頷くシロエ。大した理由ではないものの、それが当然だと信じきった即答だった。
見れば、彼の隣に居るフレサも同じように頷いているので、二人の認識は近いのだろう。
身分故の特別扱いに、呆れ半分、寂しさ半分といった面持ちのシルヴィアは、シロエの傍にその寄り両肩に手を置く。
「お前の心遣いは嬉しいが、これからは武芸大会を含め共に苦楽を歩むのだ。私だけ年長者として扱われているような気もするし、これからは普通に接して貰って構わない」
「ん、解りま――解ったよ、シルヴィアさん」
「シルヴィアだ」
「うみゅっ!?」
直後、シロエの両頬を挟むように右手で掴みずずいっと顔を寄せるシルヴィア。
何故かその目は完全に据わっており、有無を言わせぬ迫力を滲ませている。
「ぴぃっ!?」
そんな鬼気迫るシルヴィアの瞳を見たフレサまでもが、甲高い悲鳴を上げて震え出す。
「別に他の女子二人が羨ましいとかそういう下賤な気持ちは一切無いのだがな、やはり「さん」付けなどという他人行儀な呼称では友好関係を築く上で少々隔たりを作ってしまう可能性もなきにしもあらずだろう? つまりだシロエ。私が一体何を言いたいかというとだな、敬称を付けず呼ぶ事で友人としての間柄により一層の親密さを深める要因の一つとして――」
「あぁ、気にしてたのはむしろそっちなんだ」
騎士の少女が語る矢継ぎ早の言い訳を隣で聞いていたディーエンは、完全に呆れ顔だ。そして、その寸劇に目を向けるだけで助けようという気は一切ないらしい。
長い口上から心身共に開放されたシロエは、若干混乱気味のままシルヴィアを上目遣いで覗き込み恐る恐るその名を口にする。
「じゃ、じゃあ、シルヴィア?」
「――うむっ」
シロエの声を染み込ませるようにしばし余韻に浸った後、シルヴィアは満足したのか大仰に頷いて見せた。
「解ったわよ! 出てやれば良いんでしょ、出てやれば!」
続いて聞こえて来た、悲鳴の如き叫び声。その主は、レオンと言い争っていたメルセティアだ。
何を言われたのか知らないが、その真っ赤になった表情は売り言葉に買い言葉な台詞として今の発言を引き出したのだろう事が伺える。
対するレオンは余裕に満ち満ちた見るからに悪どい笑みを浮かべており、どちらに軍配が上がったかは聞くまでもないだろう。
「あっちも、話は付いたみたいだね」
ほくほく顔の騎士の少女と、悔しそうに地団太を踏むエルフの少女に目をやりながら、ディーエンはようやく本題に入れる事に安堵し小さく溜息を吐き出した。
◇
メルセティアがその不機嫌な顔を隠そうともしない中、ディーエンは全員に武芸大会の内容が記された一般生徒用の連絡用紙を配って説明を始める。
「それじゃあまずは、簡単なルールの説明からだね。一番上の項目から、要約して説明するよ」
男子は地面、女子は長椅子に座り、数歩離れた位置に立ったディーエンの声に耳を傾ける。
「大会は四対四の対抗戦で行われ、相手側を全員退場させたチームの勝ちだよ。退場条件は、長時間気絶するか、自分で参ったを宣言する事。続行不能と判断されるほど酷い怪我をした場合は、審判が監視用に使っている使い魔や精霊で強制的に搬送するみたいだ。参ったを宣言した人が相手チームを攻撃すると、その人のチームがまとめて失格負けだよ」
「とりあえず、対戦相手を全員ぶっ飛ばせば勝ちなんだろ?」
「まぁ、その解釈で間違いではないね」
身も蓋もないレオンの確認に、苦笑を返すディーエン。
「脳筋」
意趣返しのつもりか、長椅子に腰掛けていたメルセティアが前方の地面に座るレオンに向けて呆れと蔑みを含めた冷笑を送る。
しかし、言われた本人には一切通じた様子もない。
「褒めるなよ」
「うっさいバカ」
「痴話喧嘩は放っておいて、次は契約書の内容に移るね」
「痴話喧嘩って何よ! アンタが喧嘩売ってんじゃないでしょうね!?」
今度はディーエンへと向けられるメルセティアからの噛み付き声を聞き流し、解説役の少年は手に持つ紙を出場者に配った契約書へと入れ替える。
「契約書に書かれている内容は、大きく分けて三つだよ。一つ、大会中はルールを遵守する事。二つ、審判の指示や判定には従う事。そして最後に、後遺症の残る怪我を負ったり、万が一の事故で死んだりしても、学園に非を訴えない事」
「死……」
説明の一部に含まれる最悪の可能性に反応し、フレサが怯えた声で小さく呟く。
「最後のは、学園側の保険だよ。もし間違って事故が起こっても、この契約書を書かせておけば文句を聞かなくて良くなるからね」
そんな彼女を安心させる為に微笑を向け、ディーエンはなんでもない事のように振舞う。
自分たちが行うのは、あくまで試合。実戦を想定されているとはいえ、審判や観客の居る娯楽としての戦闘だ。
医療に携わる医者や薬師も、教師や生徒を含め学園に多数在籍している。もしも、本当に万が一の事故が起こった場合でも、大抵の問題は対処出来るだろう。
「要するに、覚悟のねぇ奴は引っ込んでろってこったろ? んなの、ご大層に書くまでもなく当たり前の事じゃねぇか」
「そうでもないよ」
そう言って切り捨てるレオンに対し、今度はディーエンからしっかりとした否定が返された。
自分にとっての当然が、他者にも当てはまるとは限らない。そしてこの学園は、広い範囲から生徒を募るが故に様々な文化や認識の違いが起こり得る。
「それが解らない人も居るからこその保険だよ。特に、ここは貴族や商業関係の争いからは遠い生徒も多く通ってるからね。そういった事柄に関して、認識が甘い人が居ても不思議じゃない」
「坊ちゃん嬢ちゃんが道楽で出場しても、知ったこっちゃねぇって訳か」
「フォース」に通う生徒の中には、実技の授業を受講していないにも関わらず単に魔法が使えるというだけで「ソード」の生徒を見下す者が居る。
本物の戦闘は愚か喧嘩のやり方さえ知らない貴族の類縁が多い事も、その勘違いに拍車を掛ける大きな要因と言えるだろう。
実戦を知らない者が居丈高に振舞っても滑稽なだけだが、多方から観客の集まる催しにまでそういった勘違いを持ち込まれては困るのだ。
故に、学園側は事前にこういった契約書等で命の危険を匂わせ、参加者をふるいに掛けているという訳だ。
当然、そんな親切で用意されたふるいを物ともせずに参加して来る猛者も中には居るのだろうが、そこまで責任を持ちたくないが為に契約書という証拠を残す事にしているのだろう。
「後、僕たちには関係がないからついでだけど、控え選手との入れ替えは試合直前まで申請が許されてるそうだから、事前の情報とは違う人と戦う可能性もある事を頭に入れておいた方が良いだろうね」
「これで用事は終わりね。なら、アタシはもう行くから」
ディーエンがそう締め括ると、名前を書いた契約書を隣のシルヴィアに押し付けたメルセティアが、長椅子から立ち上がって片手を振る。
「あ、待って」
周囲の返事も聞かないままその場を立ち去ろうとする少女を呼び止めたシロエは、懐から乳白色の液体が詰まった小さな瓶を取り出した。
「ハイ、これあげる」
「何それ?」
「日焼け止めだよ。ディーに頼んで作って貰ったんだ。何時も辛いだろうから、気休めにでもなればと思って」
「……っ!」
シロエの台詞の意味を理解し、小瓶を受け取りかけた彼女の腕がそのまま少年の首へと伸ばされる。
「え?」
しかし、メルセティアの手が彼の喉に届く事はない。
触れる直前で、素早く近付いたシルヴィアによって手首を掴まれ動きを阻まれたからだ。
「――んで」
「メルセティア?」
「――なんでアンタ、アタシがクロ混じりだって知ってんのよ!?」
エルフの少女が放ったそれは、明らかな慟哭だった。
その表情は怒りよりも悲しみに歪み、知られてはならない自分の秘密を暴かれた事実を認められず、目の前の少年を射殺さんばかりに睨んでいる。
必死に伸ばそうとするメルセティアの手を封じたまま、シルヴィアはまたか、と小さく呟いて嘆息した。
「次から次へと――落ち着け、シロエは恐らく何も知らん」
「そんな言葉、信用するとでも思ってんの!?」
「落ち着けと言っている」
「ぐっ!」
掴まれている腕に力を込められ、大きく顔をしかめるメルセティア。
痛みから正気に戻され徐々に落ち着きを取り戻していくが、警戒が解けた訳でないようでシロエに対し強い疑念の視線を向け続けている。
「シロエ、正直に答えてくれ。何故、彼女が日光を苦手としていると解った」
今一度観察してみても、学園に通っている他のエルフに比べて少し肌の白さが目立つだけで、外見的に大きな違いは見受けられない。
唸り声を上げて威嚇を続けるメルセティアの姿に、埒が明かないと判断したのだろうシルヴィアは当惑している本人に事の真相を簡潔に尋ねた。
「んと。メルセティアって、何時も全身に壁を一枚作るみたいに心力で身体を強化してるでしょ。だから、何か生活してて困ってる事があるのかなって……」
差し出していた小瓶と共に視線を下げて、シロエはエルフの少女の豹変した理由を理解しないままポツポツと語り始める。
「空気だと、喉とか肺とかの内側も強化しないと意味がないし。外からの問題で何時もあるものって、後は太陽の光ぐらいしか思い付かなかったから……でも、勝手な事して迷惑掛けちゃったみたいだね」
ここで顔を上げ、未だ固まっているメルセティアに対し小さな少年は大きく頭を下げて謝罪の意を示す。
「ごめんなさい」
「――だ、そうだ」
ようやく掴んでいた手を離したシルヴィアが、頭を下げたままのシロエを守るようにその斜め前へと移動する。
いささか見当外れの謝罪だが、嘘を言っている様子はない。
つまり彼は、メルセティアの隠し事など何も知らないまま完全なる善意で、その身体を気遣っていたのだ。
「……一体なんなのよ、この子」
「見た目で侮ると痛い目を見る、摩訶不思議な少年だ」
恐怖すら滲ませたメルセティアの言葉に、同じ体験をしたシルヴィアが苦笑しながら答える。
そんな騎士の少女にしても、今の彼の発言には驚かずにいられない。
「もう散々驚いたと思っていたが、今回もとびきりだな。まさか、他人の心力が見えているのか?」
通常、魔力であれ心力であれ、その力そのものは肉眼で確認する事は出来ない。
魔法はそれでも、大抵もものが発動した瞬間に現象として現れる場合が多いが、心技は肉体や物体への強化に特化している為その内容を他人が見極めるのは不可能に近い。
実戦を重ねれば、相手の仕草や反応で予想したりも出来るようになるが、それも単に観察力を養う事で生まれた直感や経験則に過ぎない。
そんなものを一目見ただけで看破するには、シルヴィアが口にしたようになんらかの形で心力そのものが視認出来ているとしか思えなかった。
「えっ? えっと、う~ん」
「別に、見えてる訳じゃないよ。鳥の獣人が風の流れを読めるみたいに、肌で感じる感覚だけで心力や魔力の流れを把握出来るらしいんだ。シロエの師匠が、シロエにだけ教えた秘奥の技だよ」
言い淀むシロエに代わり、ディーエンが肩をすくめて説明する。
要するに、シロエのそれは歴戦の戦士が持つような観察眼を更に追求し、日常的に行われる行為でさえ看破するという出鱈目にもほどがある技術らしい。
彼に武の才があれば、それはかなりのアドバンテージとなっていただろう。
しかしながら、生憎天はシロエに二物を与えなかった。
運動に関する小さな鍛冶師の才能は、物心付いた時から底辺の更に底を這い回っている。
「はぁっ……アタシが悪かったわ」
観念した様子で、掴まれていた箇所に手を添えたメルセティアが口を開いた。
その表情には、間抜けな一人芝居をした自分への自嘲が滲んでいた。
「でもこれで、図らずも自分から白状してくれたね。シロエに頼まれた時からある程度予想はしてたけど、今の台詞で彼女の事情は大体把握出来たよ」
「おい、どういうこったよ?」
一人で勝手に納得するディーエンへと、レオンが眉をひそめて問い掛けた。
乱読家だけあって、ディーエンの知識量は相当なものだ。魔導士らしく知恵も達者な為、同郷の二人からその見識を頼りにされる場面は多い。
「エルフは純血主義――他種族の血が、一族に混じる事を嫌う人が多いんだ。勝手な推測だけど、彼女が本当にクロとの混血なら学園に通う他のエルフからの風当たりは相当強いんじゃないかな」
「そういやそもそも、そのクロってのはなんなんだ?」
「……一応、教会で何度か習ったはずだよ?」
「オレが覚えてると思うか?」
「ほんの少しだけ、期待したんだけどね」
自信満々に胸を張る身体で覚えるタイプの幼馴染に、諦め気味の溜息を吐くディーエン。
「ク、クロは、魔物や討伐対象の種族の中でも、強い光や日光に弱いひとたちの事を言う呼び名、です」
「フレサの言う通り、一般的には死霊系の種族を指す呼称だね。骸骨人、腐屍人、悪霊――能力の高い個体だと、吸血鬼や屍霊術士、後は首無し騎士辺りが有名かな」
補足すると、「クロ」は死霊に限らず日光や光そのものが弱点となる存在たちの総称であり、闇に属する種族全般を指す広い意味で使われる言葉でもある。
「親がクロだと、なんか困るのか?」
「個人や単体では中立や友好的だったりする場合もあるみたいだけど、やっぱりそれ以外が大勢の人に害をもたらしているからね。知られれば、迫害や中傷は確実だと思う。彼女が他人との関わりを嫌ってるのは、多分その辺りが理由だろうね」
子が親を選べないとはいえ、死霊の脅威は世界共通。
闇の使徒から血肉を分けて生まれ落ちたという事実は、今までも、これからも、エルフの少女の背にほの暗い影を落とし続ける。
「……そうよ。能力は弱かったみたいだけど、アタシの父親がエルフの吸血鬼だったらしいわ」
「吸、血鬼……」
メルセティアの告白を聞き、獣の耳を垂らし上擦った声で反芻するフレサ。術者の精神に連動し、足元のウンブラが大きく口を開いて威嚇する仕草をした。
その反応が、この世界に存在する敵対種族への心象を如実に物語っている。
「お陰で直ぐに日光で参っちゃうから、心力を使って常に皮膚を強化してるって訳」
フレサの態度に気を悪くした様子もなく、メルセティアは淡々と独白を続ける。
慣れていると言えばそれまでだが、だからこそ彼女が歩んで来た生活がどれほど劣悪であったかが窺い知れた。
「父から受け継いだのは、そんなひ弱な身体と気休め程度の念力ぐらいね」
「念力?」
「心技の一種よ。心力を飛ばして物体を止めたり、動かしたり、浮遊させたり出来るわ。私のは精々、動いてるものの軌道を軽く逸らす程度だけど」
「そっか。お前の弓って、その念力ってやつでで曲げてんのか」
「そう言う事ね」
解き放った矢を、操作し続ける必要はない。
撃ち出す瞬間に弧を描く軌道となるよう射線を捻じ曲げる事で、矢の動きを変化させていたのだ。
「これで解ったでしょ。アタシに関わるとろくな事がないの。大会には出てあげるから、もうアタシの事は放っといてよ」
「私たちは気にしないし、バレなければ良いのだろう? 万が一他人に知られたとしても、誤魔化しようは幾らでもある」
「はっ、そんなの誰が頼んだってのよ。知ったかぶった安い同情なんて、こっちから願い下げよ」
シルヴィアの提案すら、メルセティアは吐き捨てるように拒否を示す。
長い間孤独を貫いて来た少女の心は、その孤独すらも自身の拠り所としてしまっているらしい。
「解らんな。何故、お前はそこまで頑ななんだ? 世に言うツンデレというやつか?」
「いきなり何言い出してんのよ! アンタも段々、コイツらに毒されてきてない!?」
真面目な騎士の少女から突然飛び出した奇天烈な発言に、大声で突っ込みを入れるメルセティア。
割と深刻な内容なはずなのに、真面目な雰囲気が続けられず何もかもがぐだぐだになっていく。
「よし、解った! メルセ。お前の秘密をバラされたくなかったら、オレたちの仲間になれ」
そうかと思えば、今度はレオンが満面の笑みを浮かべて頷きメルセティアの肩を叩く。
発言の内容から表情の理由まで、一切合財まるで意味が解らない。
「アンタ、一体何言って――」
「だから、脅しだよ。善意の安い施しは受けないんだろ? だったら、脅して嫌々仲間にしてやるよ」
「――前から思ってたけど、今ようやく確信したわ。アンタ、絶対バカでしょ」
嫌悪の視線に晒されながら、レオンの表情は崩れない。
彼にとって混血のエルフが抱える悩みは、故郷の孤児院で何度も相対してきたさして珍しくもない代物だからだ。
「お前が小難しく考え過ぎなんだよ。良いじゃねぇか、別に一人ぼっちが大好きって訳でもねぇんだろ?」
「アンタが自分で言ったのよ。この学園は、仲良し小良しのぬるま湯じゃないわ」
「だからこその仲間だろうが。困ってる奴を助けるのに、文句を言われる筋合いはねぇ」
他人との繋がり拒絶しているメルセティアだが、そこには十分付け入れる隙があった。
何故なら、彼女は今もこうして誰かと肩を並べ人の輪の中での孤独を求めているからだ。
本当に独りを望むのであれば、そんな繋がりすらも投げ捨てなければ意味がない。
他人を嫌い、学園で過ごし、集団を拒み、人と関わる。
彼女の行いは、矛盾に満ちているのだ。
「孤児院に入って来た奴らん中に、お前みたいなのも何人か居たぜ。一人で意地張って、屁理屈こねて逃げ回って――ダチの作り方が解んねぇって面」
「……っ!」
確信を突き付けられ、言葉を失うメルセティア。
自覚しないながらも、心の何処かで自分の本心と向き合う覚悟を持てないでいる彼女を黙らせるには、今の言葉は十分過ぎた。
「アンタなんかに、アタシの一体何が――っ!」
「解るのかってか? その台詞も常套句だよ。オレとお前がまともに話せるようになって、まだ十日も経っちゃいねぇぜ? 知って欲しいんなら言ってくれよ。ま、別に言わなくて付き合いが長くなりゃ、その内嫌ってほど当ててやるから楽しみにしとくんだな」
あの村の孤児院に連れて来られる子供たちは、その出自や過去の出来事から心を閉ざす者も少なくなかった。そんな環境の中で長年年長者をして来た経験は、伊達ではない。
そんなレオンにとって、エルフの少女から送られる敵意など慣れ親しんだ幼子の癇癪でしかない。
「どのみち、大会まではこの面子と顔を合わせるんだ。本当に肌が合わなきゃ、自然と離れていくだろうよ。ダチってのは、そんなもんだ」
「……なんで……どうしてアタシなのよ」
「言ったろ? お前が特別だからだよ」
疲れ切ったメルセティアの問いに、レオンはまるで答えになってない回答を返す。
入りたての孤児たちにしていたように、嘘くさいくらい満面の笑みを乗せて。
出会いは偶然だった。
最初に目を付け、仲間にすると決めた。
事情を知り、助けたいと思った。
理由など、その程度で十分だろう。
長く好奇の目に晒されて来たであろうエルフの少女から、信用や信頼を得るのはとても難しい。
彼女の警戒心をほぐすには、共に過ごし、共に分かち合い、時に喧嘩をし――そういった日常を当たり前だと思えるようになるまで、同じ時間を共有し続ける必要がある。
少々どころかかなり強引な手段ではあるが、頑なな態度を崩さないメルセティアを無理やりにでも輪の中へ加える手段としては、あながち間違っていないのかもしれない。
後の問題は、彼女がレオンたちと過ごす時間を受け入れるか否かだけだ。
「はぁー……好きにすれば」
しばらく無言だったメルセティアは、その後で長く大きな溜息を吐くと捨て台詞と共にその場を後にする。
ぶっきらぼうに。それでも、ほんの少し角の取れた言い方で振り返る事なく早足に消えていく。
「ほんと――バカばっかり」
その表情が如何なるものだったかは、鏡や水面を見る事の適わない本人では解らない。
足元に垂れた一筋の雫の意味も、また――




