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星屑の鍛冶師  作者: タクミンP
第2章 友達探し
11/45

11・騎士として

 本日の最初の授業が終わり、次の授業までの休憩時間が始まる。

 外の空気を吸う為に「ソード」校舎の廊下を歩くシルヴィアは、目に見えて殺気立っていた。


「くそっ」


 先日、何時ものように朝の訓練にて顔を合わせたシロエから、突然武具作成の辞退を願い出されたのだ。

 理由を問い質しても謝るばかりで何も答えて貰えず、更にはまるで逃げるように立ち去られてしまった。

 余りの事態に後を追う事も考え付かず、しばし呆然としてしまったのは痛恨の極みだ。


「(自信がなくなった? あり得んな。彼は私の武具を打つ事に気負いはすれど、意欲は十分だった。それに彼の気質からいって、仮に無理難題を出されたとしてもきっと己のわざを駆使し精一杯の仕事で応えようとするだろう)」


 たった数日の逢瀬ではあったが、シロエに対するシルヴィアの評価はかなり高かった。

 臆病で恐がりだが、話してみれば純粋でとても温和な性格であり、しかも相当な研鑽家だと解る。

 彼の両手は、顔に似合わず小さくも傷と節くれに溢れ、厚い皮に覆われた職人の手の平をしていた。

 自分に対して自信がなく――否、ないからこそ、貪欲に知識と技術を求め、昇華し、更なる高みを目指し続ける強い意志があった。

 そんな彼が突如としてあのような事を言い出した裏に、必ず何か原因があるはずなのだ。

 最後に二人が別れた後で、彼の身に何かがあった。でなければ、目前にまで来た目標の達成を自分から放棄する訳がない。


「(あの性格上、簡単に嘘を吐ける性分ではないだろう。理由を言えないという事は、言えない理由が出来たと語っているに等しい。やはり、他者からの妨害や脅迫があったと考えるのが自然か。相談を持ち掛けないのは、そう脅されたからか、自分の事情に巻き込むのを嫌ったか……お人好しの面もある、恐らく後者だな)」


 最下級とはいえ、シルヴィアは貴族の子息だ。しかも、カルヴァの名持ちというかなり特殊な立場でもある。

 シルヴィアとシロエが一緒に居る場を目撃された場合、あの少年が何がしかの策を用い貴族に取り入ろうとしていると勘違いされる可能性は十分考えられる。

 それが嫉妬や僻みに繋がり、彼になんらかの嫌がらせを仕掛けたのだとすれば、あの態度の豹変にも納得がいく。

 鍛冶師としては優秀なのかもしれないが、シロエ自身は自衛の手段を持たない脆弱な存在に過ぎない。

 シルヴィアと別れてすぐの時間帯ならば、人目に付かず彼を脅す事も不可能ではないはずだ。

 しかし、それもこれもあくまで可能性の話。根拠はあれど証拠のない、ただの想像でしかない。

 とはいえ、シルヴィア自身で原因を探ろうにも他の科と交流が薄い事が災いし、取れる手立ては余り多くなかった。

 シルヴィアが、自分からシロエの居る「スミス」に直接赴くのは下策だ。貴族と平民の上下関係が事の発端だとすれば、理由や原因を特定出来ていない今いたずらにシロエへの注目を増やす行いは事態を一層悪化させかねない。

 シロエの同郷であり、かつ「ソード」の生徒であるレオンに尋ねる事も考えたが、もしも今の考察がまったくの見当違いであった場合を思うと無駄に不安をあおるような真似ははばかられた。

 真相も真実も解らぬまま手掛かり一つさえ探す事の出来ない現状に、シルヴィアの胸の内に苛立ちばかりが募っていく。


「おぉー、良い所に来たな」


 そんな彼女を呼び止めたのは、高い背丈を猫背気味に曲げた「スミス」教師、オルゲイ・ロレンツォだった。

 パーツの整った上部とそれを台なしにする顎の長い下部という異相の持ち主であり、目元を隠すほど伸びたボサボサの頭髪に、よれた制服、無精髭に咥えタバコと、品格ある学園の教師である事を疑いたくなる格好をしている。

 どこかぼんやりとした独特の雰囲気を放ちながら、彼はシルヴィアに向かって手招きを繰り返す。

 その顔には軽薄な笑みが張り付いており、シルヴィアは先ほどの事情もあって八つ当たり的にその顔面を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、なんとか我慢して傍へと歩き寄った。


「――何か御用でしょうか?」

「ご明察通り、お手伝いのお願いだよ。ここに書かれてる次の授業で使う教材を、資料室から持って来てくれ。場所は、お前らの教室だ」


 言いながら、腰に取り付けたポシェットから本人の容姿と同じよれよれの紙切れを差し出しすオルゲイ。


「どうして私が。私は、「ソード」の生徒です」


 正直に言って、今のシルヴィアにそんな雑用をこなすだけの余裕はない。

 しかし、教師を相手に無礼な態度を取る訳にもいかないので、出来るだけ角の立たない口調で言外に拒否を示す。


「固いこと言うなって。お前だって、俺の座学は受講してるだろ?」


 ヘラヘラと薄笑い続けるオルゲイは、シルヴィアから難色を示されてもまるで気にせず用紙を押し付ける。

 彼は金属関係全般の授業を担当する教師であり、武具の手入れや取り扱い方など座学でも教鞭を振るっている。金属に関する授業であれば科を問わず出没する、珍しい教師なのだ。


「だから、どうして私なのですか?」

「理不尽な上官に従わされるのも、騎士の悲哀だ。今の内に学んどけ」

「……解りました」


 言い負かされ、断り切れないと判断したシルヴィアは苦虫を噛み潰した表情で頷くと、教師から渋々紙を受け取り資料室のある「スミス」と「ビジネス」の合同校舎へと向かう。


「……ったく。こんな役、俺の柄じゃあないんだがねぇ」


 少女の後姿を眺めながら不良教師が何を言ったのか、悪い事が重なり気もそぞろとなっていたシルヴィアに聞き取る事は出来なかった。








「何故私が、こんな雑用など……」


 ぶつぶつと不満を漏らしながら、騎士の少女が紙を片手にの資料室へと進む。

 普段ならここまで露骨に嫌がる事はないのだが、今は何より間が悪過ぎた。

 シルヴィアと擦れ違う生徒たちは、彼女のまとった黒々とした雰囲気にぎょっと目を見開き即座に道の端へと避けていく。


「(いや、待て。もしやこれは、案外好機なのではないか?)」


 心の中でとある事実に思い至った彼女が、廊下の途中で立ち止まった。

 普段訪れる機会のない探し人の居るこの場所へと、期せずして入り込む名分が立ったのだ。

 資料室への行き帰りで目的の人物を見つける事が出来れば、なんとか伝言を残して再び話し合う場を設けられるかもしれない。

 思わぬ事態の好転に俄然やる気を取り戻したシルヴィアは、周囲に気を配りながらその歩みを再開する。

 「ソード」の人間が入り込み、周りの生徒たちからは戸惑いの視線が投げ掛けられるが、全て無視して薄銀髪の少年を探す。

 しかし、少女の期待に反してその捜索は困難だった。廊下を歩く事だけしか許されず、通り過ぎる教室内は廊下からでは全容を見渡せない。

 おまけに室内派の科目故か、休憩時間だというのに大勢の生徒が廊下に教室にと行きかいをしており、視界の確保すらままならないほどだ。

 結局行き道では想い人を見つけられず、シルヴィアはあっさりと資料室へと到着してしまう。仕方がないので部屋に入って戸を閉めた後、なんの成果も得られない現実に盛大な溜息を漏らす。


「く、一体どうするれば良い。このままでは、単に雑用をこなして立ち去るしかないぞ」


 小声で焦りを浮かべながらも、シルヴィアはオルゲイから受け取った紙面に箇条書きされた幾つかの教材をいそいそと集めていく。

 どんな状況であれ、与えられた仕事は責務として律儀にこなしてしまうのは、実に彼女らしい行動だった。

 そしてそのまま、何か良い作戦はないものかと資料室に留まって頭を抱え込んでしまう。

 次の授業という刻限が近づく中、資料室の戸を軽く叩き誰かが中へと入って来る。

 貴族の好む白を基調とした質の良い衣服に、この国では珍しい黒髪をした少年。学園の貴族寮で開かれた夜会などでシルヴィアと何度か顔を合わせた、面識のある人物だった。

 会う度に二、三会話をする程度の関係であり、シロエとは間逆と言えるだろう不相応に過度な自信に溢れた自己顕示欲の強い人物だったと、シルヴィアは記憶していた。


「これはこれは、シルヴィアさんじゃないか。こんな所に来るなんて、珍しいね」


 黒髪の少年――アルベールは、わざとらしく驚いた仕草をして戸を閉めながら、彼女へ向けて笑い掛けた。


「なに、オルゲイ教諭に資料室の教材運びを頼まれてな」

「はは、災難だったね」

「そうでもない」


 なんのつもりかは知らないが、世間話をする為だけにわざわざ人気を避けるような場に訪れた訳ではないだろう。

 とはいえ、それがなんであれ相手をする気にはなれずシルヴィアは素っ気なく答えを返す。

 だが、さっさと退出願おうと彼女が再度口を開きかけたその時、アルベールの口から聞き捨てならない話題がもたらされた。


「ねぇ、「スミス」の平民が君の武具を作らせて欲しいと言い寄ったって聞いたけれど――本当かな?」

「――あぁ。話の流れに多少の差異はあるようだが、おおむね事実だ」


 ほんの数瞬だけ沈黙し、素直に頷くシルヴィア。

 特に隠していた訳でもない為、どうやらの二人の関係は程度はさて置き噂になっていたらしい。

 アルベールがシロエ本人ではなくシルヴィアへ確認しに来たのは、単に平民と会話するのを嫌った無駄なプライド故だろう。


「(この男から情報を引き出すか。このタイミングで声を掛けて来たところを考えると、原因を知っている可能性もあるだろうからな)」


 シルヴィアから単なる情報源と見なされた事など預かり知らぬまま、黒髪の少年は話題に出した平民を嘲りだす。


「ははっ。平凡な才能しか持たない癖に、貴族の騎士である君の武具を作りたいだなんて――無謀を通り越して笑えてくるよ」

「理由はどうあれ、私の為に行ってくれる行為だ。無碍にはしないさ」

「優しいんだね。君は」


 シルヴィアを褒めながら、柔らかく笑うアルベール。

 しかし、その顔は純心さを感じさせるシロエのそれより数段濁った仮面そのものの笑みだ。


「それじゃあ……その武具を、シロエじゃなくて僕が作るというのはどうだい?」


 そんな気色の悪い表情のままシルヴィアに数歩近付くと、囁き声でそう提案して来る。

 本人としては口説き文句のつもりなのだろうが、外から見ればまるで悪魔の契約か何かのような気味の悪さだ。


「専属の売り込みか?」

「入学したてとはいえ、お互い学年の成績優秀者だ。悪い話じゃないだろう? 二人で、この学園の頂点トップを目指してみないかい?」


 大仰な態度で両手を広げ、アルベールは笑みを深める。

 「スミス」の実習授業で作られた武具は、出来の良し悪しに関わらず学園が買い取りを行っており、一定の水準以上のものは「ソード」の生徒たちへ練習用として貸し出されている。

 使ってみた武具が気に入った場合、「ソード」の生徒は武具を作成した生徒を確認し優先して使用出来るよう学園に申し出る事が可能だ。

 それとは逆に、「スミス」の生徒が気に入った「ソード」の生徒に自分の武具を使ってくれるよう申請を頼む場合もある。

 専属といっても、何時でも無効に出来る口約束と同程度の契約でしかない。とはいえ、同じ生徒の作品ばかりを振るい卒業するのだから、当然その後も使い慣れた武具として扱い続ける場合が多い。


「……」


 しばらく黙考していたシルヴィアが、何を思ったのか腰の剣を鞘ごと引き抜きアルベールの眼前へと突き出した。


「これは、この学園に入る際父より授かった一振りだ。見てみろ」


 差し出された剣を両手で受け取り、刀身を検めるアルベール。直後に硬直し、そのまま一振りの剣に魅入り始める。


「どうだ?」

「す、すごいっ」

(――良い剣ですね)


 アルベールの感想と、以前に聞いたシロエの声が重なる。


「凄く煌びやかで……きっと、学園への入学祝いに名の有る名工に頼んで作らせた一品なんだろうね」

(十年以上前に作られてるはずなのに、まるで新品みたいです。良く手入れされてるのもそうですけど、これは実戦では一度も振るわれてないからこその綺麗さです)


 興奮しながら見当違いの事をのたまう彼は、剣に魅入るが故に、それを眺めるシルヴィアの冷めた視線に気付かない。


「特にこの装飾が素晴らしいっ。君の美しい容姿を引き立てるに相応しい、一輪の薔薇の様だよっ」

(儀礼用としても使えるように意匠もちゃんと考えられてて、それでも実戦で邪魔にならないよう装飾は最低限で――本当に、良く考えられてます)


 アルベールが「スミス」で優秀だと言っていた自慢を疑うつもりはない。事実成績の面では、間違いではないのだろう。

 つまり、これこそが普通の生徒の反応だという事だ。

 あの小さく無垢な鍛冶師が見えている世界は、並みの価値観では計れない遥か彼方にある。


「正に君の為に作られた、君だけの一振りだと言えるだろうね」

(――でもこれ、シルヴィアさんの剣じゃありませんよね?)


 そう締め括ったアルベールから剣を返されたシルヴィアは、再び腰へと鞘を取り付けながらシロエの語った言葉を脳内で反芻し続けていた。


(ボクにとって、武具はその人の相棒なんです。どれだけ優れてる人が居たって、どれだけ優秀な武具があったって、互いに噛み合わなければその価値は簡単に埋もれてしまう)


 あの少年に出会った今ならば、シルヴィアにも理解出来る。

 こちらの男は武具や装飾を褒めるばかりで、それを扱う者との相性にまったく目を向けていない。

 そんなアルベールの産み出す武具は、幾ら優れていようときっと担い手を見ない独りよがりな作品ばかりなのだと思えてならない。


「――お前にこれ以上の武具が作れるか?」


 他に言うべき事はないと、冷淡に問い掛けるシルヴィア。

 アルベールは数回彼女と武具に視線を行き来させた後、悔しそうに顔を逸らす。


「くっ……残念だけれど、今のボクにはこれ以上の作品は作れそうにないね」


 彼の台詞は、シロエに対する完全な敗北も同時に宣言する意味を持っていた。

 この男は簡単に挫折し、弱気で自信のないあの少年はそれでも壁に挑もうと決意したのだ。どちらに価値があるのかなど、考える必要もない。


「売り込みは失敗、かな」

「そうだな――ならば私は予定通り、お前の言う平民の凡人に武具を作って貰う事にするとしよう」

「……なんだって?」


 それでも笑みを浮かべていたアルベールに最も効果的だろう言葉を贈ってやれば、あっさりと仮面が罅割れ醜い内面が表情となってあらわとなる。

 これこそがこの少年の本来の姿であり、今までの性格がただの猫被りであった事は一目瞭然だった。


何故か(・・・)一度辞退されてしまったがな。まぁ、もう一度こちらが誠心誠意頼み込めばなんとか受けてくれるだろう」


 「何故か」の部分をわざと強調し露骨に肩をすくめてみせると、アルベールは威嚇するように歯軋りしシルヴィアを睨み始めた。


「ボクの提案を断っておきながら、あんな凡庸なガキに頼ると言うのかい?」

「何を言っている。諦めたのはお前自身だろう。シロエはこの武具を見た後で、それでもお前とは違い私の武具を作てみせると言ってのけたぞ」

「価値を知らない馬鹿な田舎者が、貴族に媚を売ろうと躍起になっているだけじゃないか!」

「嘗めているのか? まさか、受け取った武具の質を私が理解出来ないとでも言うつもりか? 期待外れだったとすれば、その時は見込み違いだったと落胆するだけだ」


 濁った悪意を受け流しながら、シルヴィアは冷静に相手の言葉を断じていく。


「そも、自ら挑戦する資格を放棄した落伍者が困難に挑もうとする者を貶めるなど、お門違いもはなはだしい」

「く……っ」


 鼻で笑われ、見下され、アルベールは屈辱と怒りで顔を真っ赤に染めながら遂にシルヴィアの求めた言葉を吐き出した。


「あんな奴の何が良いっていうんだ! 折角このボクが、君の為に気を利かせてやったっていうのにっ!」

「語るに落ちたな、やはりシロエに妨害を仕掛けたのは貴様か。その様子だと、随分と手酷く痛め付けたようだな」


 会話の途中から可能性の一つとして探りを入れていた事実を確認し、シルヴィアは再度鞘のまま剣を抜きアルベールの喉元へと突き付ける。


「う、ぐっ……」


 鞘に入ってはいるが、振るえば鈍器にもなり得る金属の棒が喉の近くにある。その上で、彼女から送られる明確な怒気を感じ少年は呼吸を忘れて震え上がる。

 シルヴィアは怒っていた。

 この利己エゴの塊のような男にまんまと出し抜かれ、シロエに多大な迷惑を掛けてしまった事に。

 貴族の子という立場を利用し、他者を平気で傷付けるこの見下げ果てた愚か者に。

 そして――何より腹が立つのは、あの鍛冶師の少年と出会っていなければこんなありきたりな賛美を真に受け、鼻高々に成っていたであろう自分自身の無知蒙昧さだった。


「貴族はおろか、野盗にすら劣る下種が」

「ひぃっ」


 更にシルヴィアが気迫を強めると、アルベールはその重圧に耐え切れず足が崩れ無様に床へと尻餅を突いてしまう。


「ぐっ、げほっ……認めない、認めるもんか! ボクの方が、あんな奴よりも絶対に優れているのに! 何故、そんな簡単な事も解らないんだ!」

「武芸者が武芸で語るのならば、鍛冶師は己が生み出す武具で語るべきだろう。もっとも、自己の才覚を伸ばすより他者を蹴落とす事を優先するような貴様の武具など、私は願い下げだがな」


 自分こそが絶対であると喚き散らすアルベールを見下ろして、今度はその眉間へと鞘を滑らせるシルヴィア。


「これ以上、シロエを害する事はこの私が許さん。次に彼を攻撃すれば、その時は私が相手だ」

「ひっ」


 殺気すら込めた冷徹な視線に晒され、武芸に関しては素人であろうアルベールは息を呑んで固まってしまう。

 これ以上彼の薄汚い口上を聞いてしまえば、今度こそシルヴィアはこの剣を振り下ろしたいという願望を自制出来そうにない。


「行け。そしてシロエの前に、二度とその醜い面を近づけるな」

「贈り名持ちだからって、貴族の最下層が良い気になって……っ」


 それでも、怯えの中に敵意を混ぜ込んだ台詞を吐き捨て黒髪の少年は這いずりながら後退した後、脇目も振らず部屋を逃げ出していく。


「シロエ……」


 ほうほうの体で去っていくアルベールを見送ったシルヴィアは、しばらくしてその場で小さく少年の名を呼ぶ。その胸にある思いは、ただ一つだ。

 謝りたい。会って、貴族のしがらみに巻き込んでしまった彼に、心の底から謝罪の気持ちを伝えなければならない。

 大切なものを守護する事こそ騎士の誉れだというのに、自分は何一つ護ってやれなかった。

 貴族の子息である事を自覚し、他人の悪意から盾となるべく彼の庇護を申し出るべきだった。

 彼の友人たちとも連絡を取り合い、連携して見守るべきだったのだ。

 配慮が足らず、苦しい思いをさせてしまった自責と悔恨の念が、その両肩へと重く圧し掛かる。

 取れるべき手立ては幾らでもあったのに、あの穏やかな時間に(うつつ)を抜かし結果として彼への魔の手を許してしまった。


「私は、とんだ大馬鹿者だ……」


 一人となった部屋の中で、自嘲を込めた悔恨が漏れる。

 許してくれるだろうか。

 話を聞いてくれるだろうか。

 不安と罪悪感の入り混じった感情の渦に飲まれながら、シルヴィアは今すぐにでもシロエに会いたくてたまらなかった。

 安心が形になったような、あの優しい笑顔をもう一度見たいと強く思う。

 同時に、彼女の胸に去来するのは使命感にも似た確かな決意だった。

 この世界は、あの少年に対し厳しい現実を突き付けるだろう。

 出る杭として打たれ、才能は妬まれ、無垢な心は悪意によって簡単に利用されてしまう。

 そんな彼の未来をこんな下らない過ちで歪めてしまう事は、貴族として、騎士として――何より友人として、絶対に許してはならなかった。

 シロエの笑顔を、その全てを護る。彼が作り出すだろう、自分の剣に懸けて。

 覚悟を決めた霹靂の騎士の顔に、もう迷いはなかった。


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