1・始まり
懲りずにもう一度ファンタジー。
今度は学園もの。
陽気な日差しが降り注ぐ、穏やかなお昼頃。
そんな平和な空気が流れている中で、村の片隅に造られたとある工房の一室は耳が痛いほどの静寂に包まれていた。
「えと……どう、ですか?」
対面に座る人物に向けて、厚手の作業着を身に着けたやや薄い銀髪の小柄な少年――シロエが、沈黙に耐え切れずにおずおずと尋ねた。
幾ら鍛えても付かなかったので諦めた、筋肉の薄い華奢な身体。そんな細身とは裏腹に、厚い皮と大量の傷に覆われた両手が酷くアンバランスな印象を与えている。
覇気のない顔は弱々しく目尻が下げられ、瞳は何時までも不安げに揺れ動きながら対面に座る相手の返答を待ち続けていた。
そんなシロエの前に座っているのは、同様の服装をした彼の師匠であるガモフだ。
一切手入れをしていないぼさぼさの頭髪と、それにくっつきそうなほど適当に伸ばされた不精髭。低身長のシロエと大差のない背丈でありながら、その体躯は軽く彼の三倍はありそうなほど太く、逞しい。
ガモフはドワーフと呼ばれるシロエたち人間とは異なる種族であり、普通の人間を遥かに凌ぐ怪力と繊細な手先の器用さを持ち合わせている。
「うむ……」
そんなシロエの師が自分の目線に持ち上げながらつぶさに眺めているのは、一本の長剣だった。
なんの変哲も装飾もない、シンプルな造り。それ故に一切の誤魔化しが効かないその作品を、穴でも開けるかのようにじっくりと観察している。
刀身の表、裏、刃筋、柄、継ぎ目……見るべき箇所に時間をかけて視線を留め、また別の箇所へと移す。
長い――シロエにとっては一日よりも長く感じる深い沈黙の末、ガモフは剣を机に置いて厳かに呟いた。
「……ええじゃろ」
「え?」
発せられた言葉が受け止められず、しばらく呆然とするシロエ。
しかし、次第に驚きと喜びが顔中に溢れ出すと椅子を蹴倒すほどの勢いで立ち上がり、ガモフへと興奮気味に再度問い掛ける。
「――ほ、ほほほ、本当!?」
「あぁ、合格じゃ」
「やったぁ! ありがとう! ありがとう師匠!」
自らの打った武具が師に認められ、嬉しさを隠そうともせずに跳ね回って感謝を表現するシロエ。
涙腺も緩んだのか、歓喜に染まった笑みの目尻には小さな涙が浮かんでいた。
「シロエや」
はしゃぎ回るシロエに対し、一瞬だけ顔を綻ばせたガモフは即座に顔を引き締めると静かに彼の名を呼び注意を促す。
「――は、はい」
師匠に呼ばれ我に返ったシロエは、慌てて倒した椅子を起こして座り直すと真面目な表情で彼からの言葉を待った。
一呼吸を置いた後、最愛の師から愛弟子に向けて訓戒が始まる。
「お主は今、鍛冶を司る者としてその入り口に立ったに過ぎん」
「はい」
「ワシらの仕事は金属を鍛え、整え、新たな品として作り上げる事じゃ。特に武具の作成に関しては、担い手の命を預かるという大きな責任が付き纏う。しかし、武具と人は対じゃ。相手を見定めず、安易に自己満足だけの傑作を打てばそれは担い手のみならずその周囲にさえ牙を剥く、愚かな狂刃へと成り果ててしまうじゃろう」
「はい」
「これより先、己が未熟な才や経験から苦しむ事も多いと思う。じゃがな、どれほどの武具を生み出し続けようと自分自身の手で作り出したものとそれらを渡す者たち全てへの、愛情と責任を決して忘れてはならんぞ」
「――はいっ!」
先人からの教えを拝聴し、シロエは一度目を閉じてその一言一句を噛み締めた後、今にも明りが灯りそうなほどに力を宿した瞳を開き大声で師へと応えた。
その業に憧れ、鎚を片手にその後ろ姿を追い続けてきた。そして今、ようやく入り口とはいえ師と同じ道に立てた感動と重圧にシロエの心は打ち震えているのだ。
「ふぅ、堅苦しい話はこれぐらいで良いじゃろ。シロエ、お茶を入れておくれな」
軽く息を吐いて空気を和らげると、ガモフは柔和な笑みを浮かべて優しくシロエに催促する。弟子としてシロエを鍛えている時は厳しいが、普段の彼は大切な孫を育てる一人の好々爺でしかない。
「うん! 待ってて、お爺ちゃん!」
シロエもまた、普段通りのコロコロとした小動物のような笑顔へと変わり急ぎ足で奥の厨房へと消えていった。
ガモフとシロエの関係は、鍛冶の師弟であると同時に駆け出していった少年を椅子に腰掛けているドワーフが赤子の頃から育てたという、家族同然の関係でもあった。
師と弟子、親と子。決して切れぬ情を含んだやりとりに、ガモフは顔が綻ぶのを自覚する。
シロエを見送った後、再び少年の鍛えた剣を持ち上げてその曇りない刃に自分の顔を映すと、自らの椅子に立て掛けていた鞘へと収めるガモフ。
「さて……お主の才は、お主を幸せにしてくれるのじゃろうか」
その後で、彼は誰にともなく小さく呟いた。
未だ荒削りながら、シロエは人間の身で世界最高峰の職人種族ドワーフの技術をものにして見せた。その熱意と才能は、驚嘆に値するものだ。
その溢れる才に対し、ガモフは嬉々として己が持つ全てを伝え鍛えて来た。それがこうして目に見える成長として確認出来た喜びは、今のシロエに決して劣るものではないだろう。
しかし、出る杭は打たれるのが世の常だ。あの我が子同然に愛情を注いだ心優しい少年が、辺鄙な村の工房から離れ巣立っていく時を想像すると不安を覚えずにはいられないのが親心というものだった。
「(今夜は飲むか――)」
心の中でそう決めたガモフは、僅かな感傷に浸りながら椅子から立ち上がり壁まで歩いて空いている額の一つへとシロエの剣を掛けた。
造り手を表すような無垢で無名な長剣はそれでも日の光を受けて燦然と煌き、あたかも世に生み出された事を感謝しているように見える。
竜が飛び、精霊が歌い、魔物が吼え、人間が笑う――様々な種族が入り乱れる、美しくも残酷な世界――
このエレステリアの世界で、一人の若き鍛冶師が世に生まれた瞬間だった。