護りたいもの
夕方ごろに戻るはずの太一とミューラが昼過ぎに帰ってきた。折角の観光なのだから時間一杯楽しんでくるものと思っていた。ミントから借りた本を読んでいた凛は、神妙な顔つきで部屋に入ってきた二人を見て首をかしげた。
「あれ? もう戻ったんだ」
「まあな。うし、作戦会議だ」
太一はそう言って凛の対面に腰掛けた。
その隣にミューラが座る。何故そちらなのか。そんな細かいところが目に入った凛だったが、座る場所にまでいちいち気にするのも変だと思い直し、凛は二人に目を向けた。
「何かあったの?」
帰ってくるなり作戦会議とは。
何らかの出来事があったのだろう。
「ああ。ミジック一味っぽい奴等が接触してきた」
「……それで?」
太一とミューラはそこで言われた言葉と、周囲の反応、自分達の見解を凛に報告する。二人では答えが出なかったこと。今後の動き。三人の行動にずれがないようにしたいということ。
一通り話終えた凛は、「そうなんだ」と言って腕を組んだ。
果たしてこの聡明な少女はなんと返してくるか。そう思ったが、「買い被りすぎだよ」と釘を刺されてしまった。
まあ彼女は漫画などに出てくる高校生探偵とかではないので仕方ないだろう。
「とりあえず、テイラーさんとミントさんに聞いてみる?」
「話はそこからか……」
人柄としては、彼らがそんなことをするとは思えない。しかし一見虫も殺せそうにない顔をした人が重大な犯罪を犯すことだって有り得る。その観点からいけば、可能性を潰すためにも必要なことだ。疑うのは心苦しいとしても。
夕食後に聞いてみると、案の定「そんなことは絶対にしていない」と断言された。
まあそうだろうなと思っていた太一たちは、疑うような真似をした理由を二人に話す。そもそも盗みが起きた宿で、しかも犯人が宿屋の主人だった場合、罪を償ったとしても残った資産で何とか続けたとしても、二度と客は寄り付かない。つまり、バレたなら店を畳むしかないのだ。それはシーヤックに限らずどこの町でもそうなるとテイラーに説明された。
主人に盗み癖がある宿屋に泊まりたいかい? と聞かれれば、それも納得だった。
テイラーの話は男たちの主張と矛盾する。何故彼らはテイラーとミントが盗人だと知っているのか。そしてそれが本当なら、何故この宿は今も潰れていないのか。往生際悪くこの宿を続けている可能性は無い。嘘だと思うなら冒険者ギルドにでも、自警団の詰め所にでも尋ねれば良いと言われたのだ。そこまで自信満々に言い切られては、これ以上疑うのは太一たちには無理だった。
太一たちはミスを犯した。実はギルドと自警団の犯罪記録簿には、窃盗の前科二犯として『海風の屋根』が記載されていた。決め付けてしまったことで、大切な情報を見落とすことになったのだった。そしてそれが事態を思わぬ方向に運ぶことになる。太一たちは、そんなこと知るよしもないが。
手詰まりとなったまま時間だけが過ぎていく。
太一たちに真偽の不確かな情報を寄越した男たちを探して回るが、会うことができず。
聞き込みをしてみるものの、皆『海風の屋根』についての話をしたがらず、これといった情報も得られない。
「はあーあ。今日も収穫なしっとくらあ」
妙に古くさい台詞を口にしながら、太一はベッドに飛び込んだ。その気持ちはよく分かる。何も進展しないまま、既に数日が経過しているのだ。
完全に暗礁に乗り上げた気分だった。
「うー……ん」
「はあ……」
疲れた様子で凛が伸びをし、ミューラがソファーに沈む。
もはや観光気分ではない。自分達から首を突っ込んだため、それに文句を言う気はない。むしろ自ら望んだからこそ、いつまでも事態を好転させられないことに苛立ちを覚える。
テイラーとミントはそのことに文句ひとつ言うことはない。それとなく表情を探っても、我慢しているような素振りすらない。本心から彼らは気にしていないようだった。
「参ったなあ」
ここ二、三日は、太一たちと会話をしようとする者もいない。街の人々が『海風の屋根』の話を避けている。テイラーとミントが嫌いだ、と言うよりは、何かを恐れているようにも見えるのだ。
何度か、この宿を見張っている者たちにも接触を試みた。しかし彼らの返事は「犯罪者の監視」の一点張り。彼らは何か暴力を振るうわけでもなし、下手に強引な手段も取れない。一体どうしたらよいのだろうか。
今回、シルフィの力は使わないと決めている。
シルフィに協力してもらえば、ミジック側の情報は筒抜けにすることが出来る。だがそれでは、頭が鍛えられないと判断したからだ。シルフィに頼んでもどうにもならない事態が、今後絶対に起きないと誰も確約してくれるわけではない。
太一の役に立ちたい、と考えていたシルフィが、出番が無いと知って頬を膨らませてしまったので、太一はなだめるのに少し苦労した。
「……ダメだ。マジなんも思い付かん」
これ以上考えると知恵熱が出ると判断した太一は思考を放棄した。
ミジックが裏で糸を操っているのだと予想は出来るのだが、それを実証できるものがない。
太一は全身を弛緩させる。
「そういえば、そろそろガルゲン帝国からの王族がこの街に来る頃よね」
ぽつりとミューラが呟いた。確かに彼女の言う通り。だがそれがどうしたというのか。
「呑気ねアンタ。王族が来たら街はそっちに集中する。とてもじゃないけど調査なんてできないわよ?」
「げ」
呻く太一。凛がうんうんと頷いていた。
王族が去るまで待つという手段はある。しかしいつまで滞在するか分からない王族が去るまでずっと待機というのも気が引ける。宿の宿泊代だって今は支払っていないのだ。報酬と言ってしまった以上、払うと言っても丁重に固辞されてしまった。最悪契約不履行のため弁償という手段で支払うことができるが、同時にそれは敗北を意味している。それではあまりにみっともないし、そうなるとテイラー夫妻はこれまでと変わらぬ日々を送ることになるのだ。
「王族に直談判しにカチ込むか」
「他国の王族よ? 最重要の賓客よ? それにカチ込むとかないわ」
「冗談だよ」
静かに批判されて太一は肩を竦めた。ダメだとは分かっている。テイラー夫妻が無実だという確かな証拠を用意できていないのだ。そんなことを思わず口にしてしまうほど、この停滞が堪えているのだ。
「あー。ミジックの方から来てくんねぇかな」
それは希望的観測であった。
そんな都合のいいことはないと思ったからこその言葉。
凛もミューラもそれを咎めはしなかった。同じようなことは何度も考えていたから。
ふと、太一はピクリと上半身を起こす。ほぼ同じタイミングで凛とミューラが視線を同じ方向に向けた。
一〇人ほどの集団が歩いている。進行方向にあるのは、この宿。
「これは」
「もしかして」
「もしかするかも?」
その集団は一定の速度でこちらに進んできて、この宿の正面でぴたりと止まった。
静観することしばし。階下が俄に騒がしくなった。
何やら言い争っているようだ。聴力を強化してみると、数人の男たちと、それに抵抗するテイラーの声。凛とミューラは太一の邪魔をしないよう黙っている。
今のところ暴力はないようだ。
「これは、行った方が良さそうだ」
相手がミジック一派かどうかは分からない。だが、もし違った場合は気になる。
今まで暴力に訴えては来なかったミジックにはある種の妙な信頼があるが、ミジック一派でないのなら、力に訴えてくる可能性はある。
部屋を出て階段を降りて、一階へ続く階段の踊り場で、太一は足を止める。
「ミントさん」
一階から二階に上がる途中でぐるりと曲がる階段。その踊り場で、ミントは蹲っていた。
「あ……タイチ君……」
今にも泣き出しそうだ。整った顔立ちが今は歪められている。
ここまで来ると声は強化せずとも聞こえてくる。太一はそちらに意識を向けた。
「ミントは渡さないと言っているでしょう」
「アンタも強情だなあ。こんな場末の宿なんかより、ミジック様に嫁いだ方がよっぽど幸せな暮らしが出来るってもんだ」
「金があれば幸せなんて……それでは心は貧しいままだ!」
「いい歳して甘ちゃんの綺麗事かよ。客もロクに入らねえから、ギリギリの生活してんじゃねえか。そんなんで嫁を養っていけんのか? あ?」
「ぐっ……そう仕向けておいてよくもぬけぬけと……」
「はっ。テメェの犯した罪を棚にあげて図々しいこったな」
この声には聞き覚えがある。散々街を探してもついに出会うことが出来なかった、あの日の男の声だ。
太一は、ふと振り返る。そこにいるのはもちろん凛とミューラ。
二人の顔を交互にじっと見つめる。
地球にいた頃から太一を好きでいてくれた短くない付き合いの女の子。
この世界に来て最初に出来た、同世代の友人。とても才能に溢れた女の子。
二人とも、太一にとってかけがえのない存在。
穴が開くほど見詰められて二人の心臓は跳ね上がっているが、太一はそんなことお構いなしに二人を暫し見つめた。
そして。
「凛、ミューラ。ここで待ってろ。俺一人で十分だ」
想像以上に低い声が出たが、今の太一にそれを省みるつもりはない。
「う、うん……」
「分かったわ……」
それに気圧されたのか、二人はそう答えるのが精一杯だった。
「ミントさんも、ここから動かないでくれ」
太一の気迫に押され、ミントは頷くことしか出来ない。冒険者としてそこそこ修羅場を潜って肝が据わってきた太一と、街で平和に暮らしていたミントではそもそもの土台が違う。魔力強化がなくとも、一般人相手なら気迫で黙らせることが太一には出来る。本人は気付いていないが。
太一は三人に背を向けて階段を降りていく。
「やっていないものを何故認めなければならないんだ!」
「俺もこのやり取り飽きたぜ。こっちには証拠もあるんだからよぉ」
「そりゃ初耳だ。俺にも見せてくれよ」
とんとんと足音を響かせて、太一は階段を降りながら無遠慮に会話に割り込んだ。
「た、タイチ君……!」
「おめえ……」
驚くテイラーと、太一をにらむ男たち。あれは客が食事をするためのテーブルだ。それに足を乗せている男は、太一の顔を見て呆れた顔をした。
「本当にまだ宿にいたんだな。せっかく忠告してやったのによ」
「いい言葉を教えてやるよ。小さな親切大きなお世話、ってな」
「おいおい。いきなり挑発たあ穏やかじゃねえな」
太一の挑発に、男は笑って見せた。この男、見た目に反してそれなりに冷静さを持ち合わせているようだ。
「まあどうでもいいけどよ。おめえちっとばかし図に乗りすぎじゃあねぇか?」
「そうか? こんなもんだろ?」
「ガキだと思ってちょっと甘くしてりゃ調子に乗りやがって。大人代表として、ガキには世間の厳しさを教えてやらんといけねえな」
太一はその言葉を鼻で嘲う。男が頭に血を昇らせるまで挑発するだけである。
「チンピラに教わることなんかないね。黙って帰れ」
「こいつ……一発だけで済ませてやるから感謝しな」
「俺の顔まで届いたらご褒美に銅貨一枚やるよ」
「ガキが! 避けんじゃねえぞ!」
男は椅子を蹴り倒して立ち上がり、拳を振り上げた。その動作はてんで素人で、筋力にものを言わせた技の欠片もないパンチだ。
剣を失った際の護身術として会得しているミューラの格闘術を見せてもらった太一から見て、子供のお遊びにも見えなかった。
もっとも身体つきはかなりよく、同じく魔術を使えない一般市民相手ならこれ以上ない驚異になるのだろうが。
迫り来る拳を、太一は左手一本で受け止めた。体格差を考えれば、それは信じられない光景だった。
「こんな攻撃、避ける必要全く無い」
拳を押し返す。男がたたらを踏んだ。
「回避ってのは、防御しきれない攻撃に対してするもんだからな」
とても鍛えているようには見えない細身の少年にあしらわれて二の足を踏む男たち。力比べでは圧倒的に優位だったはずなのだ。
太一はギルドカードを取り出して男たちに見せる。冒険者、つまり魔力を持ち、それを操れるという証拠。簡単には手に入らないカードである。
「俺はここの宿の主人と契約してる。理不尽な暴力も、証拠の伴わない冤罪も許す気はない。分かったらミジックに言っておけ。てめえが出向いて来いってな」
「この野郎……口の利き方に気を付けろ」
男の言葉が負け惜しみだと、太一は何となく察する。
「チンケな真似しか出来ない腰抜け相手にビビる理由はないね」
「……その言葉、きっちり伝えるからな」
「どうぞどうぞ。お前ら頭悪そうだからなあ。間違えんなよ?」
くそが、と毒づいて、男たちは出て行った。
騒がしかった宿のロビーは静けさを取り戻す。
男たちの気配が完全に去ったのを確認して、太一はテイラーに向き直った。
「ごめん。やっちまった」
完全な宣戦布告。ミジックを挑発した以上、これまでのように大人しくはしていないだろう。今までは無かった、暴力に訴えてくるかもしれない。力の張り合いなら滅多なことで負ける気はしないが、選択を誤れば暴力を受けるのはテイラーとミントである。
「ありがとう、タイチ君」
責められるかと思ったが、返ってきたのは意外な言葉。太一はテイラーを見る。彼は笑っていた。
「悔しいけど、僕では何も出来なかった。今までと同じだったんだ。 多少分が悪くなっても何かを変えなければならないのに、後のことを考えるとどうしても出来なかった」
テイラーはとつとつと語る。二年間の停滞はとても長いと言えるだろう。よくぞ耐えていた。
だが、何かを打開するには行動を変えなければならない。例えば今の太一のようにはっきりと抵抗の意思を行動で示す。しかし、テイラーでは束になってくる屈強な男たちに太刀打ちなど出来ない。最悪そのままミントを連れ去られてしまうかも知れなかった。そう考えると、行動も起こせなかったのだ。
だが今回、Bランク冒険者という協力者が、テイラーの代わりに行動を起こした。太一の言動は、程度の差こそあれ、テイラーの代弁だったのだ。
隠れていたミントにも、男たちを追い払ってくれたことで礼を言われる。太一としては我慢できずにやってしまったことだったので、些か居心地が悪かった。
これで敗北は許されなくなった。自ら崖の縁に進んだのだ。
一頻り感謝された後で部屋に戻った太一は、真正面から四つの視線を受け止めている。その視線の主はもちろん凛とミューラだ。
二人は神妙な顔をしている。太一の行為を責めるつもりは、二人にはない。どの道あの場は止めに入るのが正解だと思ったし、ミジックを直接挑発したことで、事態は変わる。停滞していた状況が動くきっかけになるはずだ。
気になることはある。何故ミジックは、今になって部下を動かしたのか。これからガルゲン帝国の賓客が来るのは分かっている。ならば何故動いたのだろう。
テイラーとミントを吊し上げて点数稼ぎでもしようとしたのか。もしもそうなら性急すぎやしないか。
ミジックの考えが読めない。
そして、もう一つ。
太一のあの怒りは何が原因だったのだろう。
あれだけ怒りを露にするのも珍しい。一体、何に怒っていたのか。
太一は秘密、と言って黙りを決め込んだ。
気恥ずかしくて。
もしも、テイラーの立場に太一が立っていたら。
自分の大切な人を、彼女らの意志を無視して強引に連れ去ろうとされたら。
怯えるミントを見て、その姿に、凛が、ミューラが重なった。
もしも力がなければ、テイラーの立場に立たされていたのは太一だったかもしれないのだ。
たらればの話に意味はないと太一自身も分かっている。
だが太一は許せなかった。金にものを言わせて掠め取ろうとするその性根が。正々堂々と出来ないからそういう手段を取ろうとするのだろう。全てを自分の思い通りに出来なければ認められないという、浅ましい思考が見てとれる。そして、本人はそれが許されると本気で考えているのだろう。特権階級の選民意識。槍を突きつけられながら、孤立無援にも関わらず太一の前に姿を見せて、尚誇りを失わなかったドルトエスハイム公爵とは雲泥の差だ。
こんな横暴を許す気はない。
いよいよ本腰を上げて動いてくるだろうミジックを正面から打ち砕く。
力押しでくるならそれもよし。むしろ願ったりだ。また搦め手で来るなら厄介だが、今度は相手の手に乗る気はない。一度痛い目に遭わないと身に染みないだろうから。
「絶対に、守るぞ」
主語がごっそり抜けた太一の言葉。だが、それが何を指しているのか、今更考えるまでもない。
あの男たちがどういう存在なのか、今回の騒ぎできっちり知ることが出来た。太一の言う通り理不尽な行為も、暴力も、濡れ衣も許す気はない。
太一の言葉に、凛もミューラも力強く頷くのだった。
2019/07/17追記
書籍に合わせて、奏⇒凛に名前を変更します。




