三十六
「はっ!」
「それは当たってあげられないわ!」
アンテは素早く飛びのいた。
酸を強力に噴射。
その推進力を使って距離を取ったのだ。
なるほど、その手があったか。
ではなぜ、ミューラの攻撃にはそれをしなかったのか。
デメリットがあるからに、他ならない。
「くっ!」
がくりとわずかに膝が崩れる。
やはり酸を生み出すときには、他のことはできないのだろう。
できない、というのは言い過ぎか。
正確にはしたくない、というところのはず。
とりもなおさず、アンテにとって身体への負担が大きいからにほかなるまい。
明確な弱点に、見える。
だが、ミューラは距離を取ったアンテに対し、チャンスと見て切りかかる真似はしなかった。
凛もまた、接近戦についてはミューラのことを信頼している。
彼女が追撃をしないということは、そこはチャンスではなく、撒き餌。
「ふふ……引っかからなかったわね」
膝が崩れたのは演技ではなかったようだが、それでも。
「あなたが、その程度でやられてくれるなら、私たちは苦労してないもの」
「そういうことよ」
「そ。残念だわ」
ごぼりと、アンテの周囲の地面から酸が一気に噴き出した。
「あなたたちの見立ては正しい、見事だわ。でも、戦闘継続ができないわけじゃない」
「種明かしをしていいの?」
「問題ないわ。この程度を明かしたくらいで負けるなら、わらわはそこまでだったということよ」
「やっぱり厄介ね」
自分の弱点すらも織り込んで、それを誘って餌にする。
逆に厄介だ。
相手が見せる明確な隙。
そのどれが本当の隙で、どれが誘いのための撒き餌なのかを判断しなければならない。
戦闘巧者ならば当たり前のように使う手だが、このアンテもやはりそういうことは当たり前にやってきた。
だが。
アンテのそれが誘いなら。
この会話だって、誘いである。
ふと放たれた氷の剣。
無言のまま、凛が杖をアンテに向けて撃ったのだ。
それくらいのことはしてくるだろうと思っていたのだろう。
アンテはそれを酸で受け止め。
再び接近を開始したミューラを迎え撃つ。
「話している最中とは、いいわよ、実にいい!」
「戦闘中の会話なんて、不意を打つためのものだから!」
会話をぶった切る真似をした凛は全く悪びれない。
「その通りよ! そうでなくてはね!」
そしてそれを、アンテは当然であると受け入れていた。
不意が打てなければ会話を続け、不意を打てる、あるいは休ませるつもりがない場合に取る選択肢。
もちろんそれは、凛とミューラにとっても自分たちの休憩時間も短くなるということだが……。
それでもなお、切りかかった方がいい、という選択をした結果だった。
「だからこそ、この勝負の勝ちに意味があるわ!」
アンテはぶわっと酸を広げた。
今度は散弾ではなく、手にしたバケツの中身をぶちまけるように。
それを、凛は急速冷凍。
イメージは液体窒素。
ガチンと凍る。
「しゃらくさい!」
しかしそれは表面だけのこと。
アンテは凍った酸を動かし、表面の氷を突き破った。
そこまで分厚くないとはいえ、精霊の氷を破壊してくるのだから、さすがは強敵アンテ。
しかし、破られることは想定済み。
時間をかければできるだろうが、一瞬では芯まですべて完璧に凍らせることはできないと分かっていた。
なので、時間稼ぎ。
それさえできれば、十分。
ミューラは酸が一瞬止まった隙に接敵。
アンテが凍った部分を壊す直前、ぎりぎりで懐に潜り込んだ。
剣を土の精霊魔術で強化して殴りつけるように振り上げる。
「はああっ!」
「ちっ!」
思わず漏れた舌打ちが、厄介である、という感情を表していた。
ミューラの攻撃の勢いをうまく利用して、アンテは後ろに跳んで距離を取る。
地上に降りてきた以上近寄られるのも厭わないようだが、それが嫌でないかと言われれば、そうではないということだろう。
つまり、勝機を得るなら、そこだ。
凛もまた、再び氷の剣を見せつけるように生み出した。
高威力であることはすでに見せつけている。
先ほどは防がれたものの、かなりの酸を防御に使っていたのは分かっている。
ミューラの攻撃を受けながら、凛のこの氷の剣を捌くのはなかなかの苦行だろう。
とはいえ、凛は今回ミューラと同様に飛び込むのはリスクが高い。
グラミの時は行けた。
それは、無差別全方位攻撃、しかも掠ることもままならない攻撃、というのが無かったからだ。
さすがに近接戦闘の勘を持たない凛では踏み込む方がリスクが高い、という判断である。
だから。




