八話
約束の日が来た。
朝食が終わる時間帯、大司教ジョバンニ・ブルゴーニュからの使者が訪れた。
使者が携えていたのは親書。
中を検めると、予定通りドナゴ火山への入山が認められたと記載されていた。
既に準備ができていた太一は、即座に行動を開始。
使者が帰還してから約一時間後、太一はパリストールの出口にいた。
太一の前にはドナゴ火山が聳えている。
それなりに高い山であり、薄い雲をまとっている山頂からは、灰色の煙が立ち上っている。
「よし、行くか」
いざ、サラマンダーとの契約に挑むわけだが、特別気負いなどはない。
少なくとも道中においては、だが。
実際に契約の段階になってスムーズにいくかは分からないが、そこにたどり着くことに関しては問題はないだろう。
真っすぐ山に向かって一人歩く。
そう、今太一は一人だ。
他の面々は全員が宿に残っている。
ドナゴ火山にはいかずに、街で起こるだろう仕掛けに対処するためだ。
太一は空を飛んで街に行けばいいので、すぐに到着可能だ。
しかし往路は地上を行く。
どこに判断要素があるか分からないからだ。
もしかしたら、山をちゃんと足で登ってこい、という条件があるのかもしれない。
「まあ……契約できない、ってことはないだろうけどな」
かなり速く走るため、人目のつかないところを走りながらぼやく。
やがて森を抜けると、そこには土と岩が転がる殺風景な光景が広がっていた。
「さすが活火山だな」
確かに遠くからの見た目は九州の桜島のようだった。
形が、ではなく、麓から中腹あたりまでは緑に覆われているが、そこから山頂までは緑はまばらしかない。
度重なる噴火による影響だろう。
ここはまだ暑くは無いが、いつ熱に襲われるか分かったものではない。
太一は山頂を十数秒見つめたのち、再び足を動かす。
やがて、火山らしく熱を感じてきた。
しばらくは大丈夫だったが、山頂に近づいてきた頃には相当な高熱になっていた。
それこそ、お湯が沸騰する温度などとっくに上回っている。
「ウンディーネ、シルフィ」
だが、太一はそこを平然と足を進めていく。
ウンディーネの力で水のヴェールをまとい、風を操って熱を巻き上げているからだ。
熱を取り除く以外にも、そもそも火口付近は毒ガスの宝庫であるので、綺麗な空気を常に取り込む必要があった。
まさに自然の力を使った防護服だ。
それくらいのことをし続けなければ火口には近づけない。
そうして万全の体制を整えて火口に近づく。
火口の淵から下を見ると、煮えたぎる溶岩が見えた。
マグマはかなりせりあがっている。
「熱いのはこれが原因か」
せりあがっているのだが、噴火が近いわけではないそうだ。
「さて……ここまで来たけど、どうすりゃいいんだろうな」
火口の淵で、思わず首をひねる。
サラマンダーは、ここを根城にしているらしい。
人間はおろか、そもそも人が立ち入ることができる場所ではないここを根城にしているあたり、さすがは火のエレメンタルだ。
「……」
少し考えて、ひとまず声をかけてみることにした。
魔法をぶっ放してもいいのだが、火口に下手に刺激を与えるのは良くないのではと考えた。
噴火ほどのエネルギーを一人で抑えきれるかは分からないのと、魔法の威力は噴火を誘発してもおかしくなかったからだ。
「サラマンダー! 聞こえてたら返事をしてくれ!」
ぐるぐると煮えたぎる溶岩の音が絶え間なく起きており、太一の声は完全にかき消されてしまいそうだった。
だが。
「……!」
太一の声は、届いた。
溶岩のど真ん中が膨れ上がり、そこから人のシルエットが浮かび上がった。
球体の溶岩がじっくりと上昇していき……重力に逆らえずにどんどんと落ちていく。
すべての溶岩が落ちたとき、そこにいたのはマグマよりもなお紅の髪をなびかせた美女だった。
豊かなストレートの紅の髪は右目を隠しており、風が吹いているわけでもないのになびいていた。
隠れていない左眼の瞳は黄金で、吸い込まれそうなほどに強い意志の光をたたえている。
胸元と下半身を隠すだけの、いわゆる水着のビキニのようなものしかまとっていない。
その豊かで美しい肢体を見せつけるかのようだ。
「待っていたぞ、少年」
赤の美女は芯の強い声で太一に答えた。
「……サラマンダーか?」
「ああ。オレがサラマンダーさ」
どうやら彼女は自身を「オレ」というらしい。
個性のひとつだろう。別に気にすることでもない。
「オレの力が必要なんだってな?」
「ああ」
自分を必要とする声を受けたサラマンダーはにい、と笑った。
「いいだろう。貸してやらないこともない」
その物言いは――
「けど、ただで貸すわけにもいかない、ってか?」
「おう、よくわかってるな。話がはやくて助かるぜ」
サラマンダーはその豊かな胸の前で、男らしく腕を組んだ。
「シルフィードはほぼ無条件だったが、あれの方が例外だぜ。それはお前も分かってるだろ?」
それはその通りだ。
ミィことノーミードも、ディーネことウンディーネも、何かしらの条件というか、そういうものを課してきた。
サラマンダーも同様に条件を用意しているということだろう。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
条件があることそのものは覚悟していた。
むしろ気になるのはその内容だ。
「そうだな。いくつか用意してあるぞ」
「複数あるのかよ」
「ひとつじゃないとダメだなんて誰が決めたんだ?」
そう言われると、返す言葉が無かった。
しょうがない、と肩をすくめて、太一は先を促す。
「よろしい。まずひとつめだ」
サラマンダーは指を一本たてる。
「まず、お前にはオレたちの力をより精巧に使えるようになってもらう」
「なるほど?」
確かに必要なことだ。
自分の力が不足していることが分かった今、更なる向上は是非成したいと思っていたところ。
いや、成さねばならないと思っていたところだ。
その一助になる試練だ。望むところである。
「そうしたら二つ目の試練だ。これから街で起こる事件があるだろ?」
サラマンダーは、視線を街に向けた。
その先にはパリストール。
高所から見下ろしているからか、全貌を把握することができた。
もちろん、細部まで事細かに見ることができるわけではないが。
それは、太一の魔力強化をもってしてもそうだ。
パリストールで起きる事件。それは、ジョバンニが企んでいると思われることについてだ。
サラマンダーは関係者なので、それについて知っていてもおかしくはなかった。
「それに対して、お前からできる支援は一度のみだ」
「一度のみ、か」
それはなかなか厳しい条件だ。
「ここから動かずにやること。まずはこの二つの試練をクリアしてもらう。残りの試練はそのあとだ」
「……マジかよ」
試練の難度がぐっと上がった。難易度が上がったうえに今提示されたもの以外にもあるということも示唆された。
「お前自身での事件の解決は無理だな。何ができるか、どんな役目が果たせるか。それを考えて、お前が持つ力でやってみろ」
「……厳しいな」
太一が思わずごちると、サラマンダーは右手を腰に当てて前かがみになった。
そして左手の人差し指をびっと太一に向ける。
「何言ってやがる。簡単じゃあ試練の意味がねえだろうが」
「それはそうだ」
簡単に完遂できる試練は試練と呼ばない。
それはただのタスクでしかない。
クリアした達成感すらないだろう。
「ほら、始まったぞ」
言われてパリストールに目を向ける。
「なんだ、ありゃ」
すると、街全体を覆うように紫色の膜が拡がっていくのが見えた。
その膜は街をすっぽりと覆いつくしてなおどんどんと広がっていき、やがて山の麓まで到達したところでようやく止まった。
「あれが連中のたくらみだ」
「……あの膜、どんな意味があるんだろうな」
「さあな」
サラマンダーはそっけなく言った。
聞いても教えてはくれなさそうである。
もしくは、単に知らないだけなのかもしれないが。
「まあ、あの膜は防御結界じゃあない。攻撃、って支援をしたり、侵入するのは問題ないから心配しなくていいぞ」
それは朗報と言っていいだろう。
「向こうはお前の仲間に任せて、お前はお前のやるべきことをやれよな」
「……ああ、分かったよ」
そうだ。
街のことも気になるが、太一も目の前のことに向き合わねばならない。
サラマンダーはかなり厳しい。
これは締めてかからないと、いつまでたっても終わらなそうだ。
ひとまずパリストールのことは意識的に頭の片隅に追いやり、太一は自分に何ができるかを考えるのだった。




