一話
レージャ教総本山――
エリステイン魔法王国がある大陸の左、海を渡った先の大陸。
エリステイン魔法王国の対岸の大陸にあるのがクエルタ聖教国である。
物理的な距離の近さから、隣国にして友好国、という認識が強い。
クエルタ聖教国も表向きは同じ態度を示していた。
そう、表向き、なのである。
「諦めぬのう……」
レージャ教教皇ペドロ・ボニファス・グレゴリウスは、面倒くさい、という表情を隠さずに書簡を自身の豪奢な執務机に置いた。
「受けたくはないのう」
そうごちると、彼は秘蔵のワインを控えているメイドに注がせ、くい、と飲んだ。
高級ワインであり、一本で一般人の月収が吹き飛ぶ程度には値が張る一品だ。
ペドロの身体はそれなりに肥えている。ぶくぶくと太っているわけではないが、贅沢をしていなければこうはならんだろう、という体系であるのは間違いない。
「しかし、相手はエリステイン魔法王国のシャルロット王女殿下と、アルセナ大司教でございますれば……」
「うぅむ……」
渋っている。
政治的な理由で渋っているのではない。
国としての関係が悪化している、という事実はないのだから。
ただ単に、ペドロが面倒がっているというのが一番大きな理由であると、メイドも側近も既に気付いていた。
友好国に対する態度ではないのだが、これがペドロという男なので疑問に思う段階はとうの昔に過ぎ去っているのだ。
「受け入れざるをえんか……連れの者も、Aランク冒険者試験を受けているというではないか」
「まだ結果は出ておりませんが、情報からすると合格は確実であるかと」
人類としては最高の実力の持ち主であるAランク冒険者。ほぼすべての国が恩恵にあずかる冒険者、その最高位。
過去にAランク冒険者をないがしろにした愚かな国が、どうなったか。
「我に謁見する資格はある、か」
「畏れながら……」
冒険者ギルドがAランクになるために課す試験を国がクリアしようとすると、少なくない犠牲とそれなりのコストを要する。
はあ……と大きなため息を数度吐いて、ペドロはようやく決めたようだ。
「仕方あるまい。受け入れる、と返答せよ」
「仰せの通りに」
側近の男は恭しく頭を下げた。
「面倒だ……ああ、面倒だ。……面倒だ……」
側近の男が退室する間際、そんな呟きが豪奢な教皇専用の部屋に響き渡る。
あんな教皇だが、組織運営の手腕は確かなものなのだ。意外なことに。
平穏な時代の組織運営を大過なくこなしていくことにかけては、ペドロの才はかなりのものだという評価だ。
荒廃した時代で力を発揮する為政者と、平穏な時代で力を発揮する為政者。
どちらが優れているということはない。
「ただいま戻りました」
クエルタ聖教国の聖都ギルグラッドの高位者街……いわゆる貴族街に相当する区画にある屋敷。
この貴族街においても有数の規模を誇る屋敷だが、それも当然だ。
その屋敷の書斎にて、屋敷の主、大司教ジョバンニ・ブルゴーニュと対面していた。
「マルチェロ、猊下のご様子はいかがか?」
「ようやく受け入れをお決めになられましたよ」
「ふむ……長かったな」
「ええ、本当に」
ジョバンニ・ブルゴーニュは、その巨体を揺らした。
だいぶ白髪が混じった金髪は、様々な過去を経験してきた苦労を物語る。
大司教にまで昇りつめたがゆえのすごみのようなものが全身からあふれていた。
一方のマルチェロ・バルベリーニ。
特徴が無いのが特徴とでもいおうか。
とにかく顔を覚えるのが難しい。中肉中背、どこにでもありふれた茶髪。
彼の顔と名前が一致している者は、このギルグラッドでもごくわずかだろう。
彼自身は、時折人前に立つこともあるというのに。
「ともあれ、これで後は実行に移すだけということだ」
「本当にやるのですか?」
そう確認するように問いかけたマルチェロに、ジョバンニは獰猛に笑った。
「当然だ。そういう命令が既に下っているのだからな」
「それはそうですが……」
やる気十分のジョバンニに対し、マルチェロは渋る様子を見せた。
「やるとなると、あなたは完全に……」
「そんなことは百も承知だ」
マルチェロの言うことは理解しつつも、ジョバンニは全く気にした様子もない。
「分かっているはずだ。ここでやらねば、みすみす連中に目的を達せられてしまうと」
「それはそうですがね……」
「止められぬことなど分かっているとも」
ジョバンニは表情を全く動かさない。
「だが、それでもやらねばならぬ。それこそが、我らがここにいる理由なのだからな」
「……」
その通りである。
ここにいる理由ははっきりしていた。
そのためにこそ、わざわざここに潜入して準備をしてきたのだから。
音に聞く召喚術師であったとしても、完全に防ぎきるのはなかなかに難しいはずである。
「……分かりました。では、そちらに任せます」
「うむ、任せよ。卿もしくじらぬようにな」
「分かっていますよ」
詳細や主語がだいぶはしょられた会話だったが、ジョバンニとマルチェロはそれこそ数十年という単位で共に仕事をしてきた。今更相手に確認をしたりせずともやり取りは可能だったりする。
そのため、彼らは最低限の認識合わせだけを済ませてそれぞれなすべきことをなすために去っていく。
彼らが持つ、彼ら自身の目的のために。




