十八話
ドスケル山脈とは、標高六〇〇〇メートルの霊峰ドスケル山を筆頭に、三〇〇〇メートルから五〇〇〇メートル級の山々が連なる大山脈である。
ルート設定を誤れば数千メートル級の山々を登って下りてを繰り返すことになる。
山脈の中心線はまさに秘境と言ってよく、人が立ち入るような領域ではない。
その堂々たる威容は人の侵入を拒むようにそびえたち、また植物が少なく岩肌がむき出しになった山々は寒々しさを感じさせ、限られた生き物しか生きられないことを如実に物語っていた。
それでもなお。
手近な山の中腹に太一が建てた小屋の中ならば安全だし、標高が高い分寒くもなるが、建物の中は暖かかった。
「うむ。相変わらず快適だな、ここは」
エルラ・クオステで宿は借りられない。
賃貸物件などもってのほか。
街の外で寝泊まりするか、太一の力で都度砦に戻るか。
選択肢はその二つだった。
たださすがに都度砦に戻るのは手間が多い。
よって森の中でもそうしたように、太一が小屋を建築して、そこで寝泊まりすることにしたわけだ。
窓などは無いが、気にせずに眠れる、というだけでも価値は非常に高い。
特に、人間の手が行き届いていない自然のど真ん中では。
「早いですね。眠れましたか? レミーアさん」
「ああ。快眠だったとも。ミューラ、お前はどうだ?」
「そうですね。あたしも変わらず、いつも通りです」
「そいつは重畳。……タイチとリンはまだか」
「そうですね」
朝目覚めたレミーアとミューラが、それぞれお湯を沸かして飲む。
暖かいお湯。
土地柄を考えればそれがどれだけ贅沢か、二人とも口に出すまでもなく理解していた。
太一と凛が寝坊しているわけではない。
レミーアとミューラが早く起きただけだ。
先ほど玄関から外を確認したが、まだ朝焼け、というところ。
今日の予定からするともう少し遅く起きても全く問題ないのだが、目が覚めた後二度寝する気になれなかっただけ。
「しかし、今回はタイチとリンがファインプレーだったな」
「そうですね。まあ、さすがにあの図書館の規模で目的に行き当たるのはちょっと難しいですね」
「司書に尋ねられれば早かったのは間違いないが」
「さすがにそれをするわけにもいきません」
「そうさな」
姿を現しては、何のために隠蔽術式の魔道具を受け取ったのか、という話になってしまう。
シェイドが手掛けたこの魔道具。必要だから、隠蔽の範囲から出てはまずいから、シェイドはこれを渡してきたのだ。
あくまでもセルティアに連れてきてもらって泊めさせてもらっている、という前提だ。
であれば、宿の管理人が「こうしろ」と言ったことは守るべき。
まあ、シェイドに逆らうなど恐ろしくてできないというのも本音だ。
あの理不尽が服を着て歩いている太一をして「ありゃあ勝てない」と言わしめるのが闇の精霊シェイド。
逆らえる者がいるのなら見てみたいところである。
「あやつらがあれを持ってきてからは早かったな」
ギルド所有の書庫の確認を切り上げ、太一と凛はレミーアとミューラに合流した。
一〇〇年前の調査の概要と、神話という情報を引っ提げて。
太一が神話についての書物を見つけた翌日のことだった。
ギルド書庫の確認を続けてもいいのだが、指標が見つかった以上そちらの方面から攻めた方がいいのではないか、と凛が提案し、それをレミーアが認めてそうなった。
四人がかりで図書館の探索を行い、ドスケル山脈にある神殿について記載されていた書物を発見した。
図書館の奥寄りの本棚に陳列されていた。
その書物には、神殿は霊峰ドスケル山のにあると書かれている。
一〇〇年前に行われた魔境の調査、その時から更に一〇〇年以上昔に行われた探索で神殿が発見されたらしい。
ただ非常に危険な場所にあるので、多大な犠牲を払ったのだという。
標高六〇〇〇メートルのドスケルさんの山頂近辺に、神殿はあるのだとか。
「タイチがいなければ、厳しい道程になっただろうな」
「それは確かに」
高山は気圧が低く空気も薄く、そしてかなり寒い。
ただ、太一の力があればそれに対処するのは容易い。
むろんレミーアも同じことができる素質はあるし、事実技術の習熟も進んではいるので、似たようなことは出来るだろう。
ただ、太一ほどの精度で行うのは不可能だった。
「何か見つかるといいんですけれど」
「何も見つからなくても構わぬよ。数百年という単位で放置されているような場所だ。むしろ悪しき状態になっていてもおかしくはないな」
「それを考えると、何も無い方がいい、とも言えますね」
「うむ。無事に帰還できるということだからな」
寝起きの頭を起こしながら一服していると、やがて太一と凛が起床してきた。
全員で朝食を摂り、身支度を整える。
せっかく得た情報だ。
何の手掛かりになるかはさっぱり分からないが、それでも、いかないという選択肢はなかった。
「では、行くとしようか」
レミーアの号令で、四人は一路霊峰ドスケル山に向かう。
太一たちが拠点としていた場所からは山を三つほど越えたところにドスケル山はそびえている。
だらだらと向かうつもりは無いのだが、なにせ目的地は神殿だ。
下手なショートカットをするとどんなペナルティが科されるか分かったものではない。
理屈がどうとかそういうのは関係ない。
神殿とはそういうものなのだ。
身体強化を施して進む。
これが素の体力で挑むとなったら命がけになっただろう。
普通に滑落などの危険もあるからだ。
そういった事故が起きうることは、太一も凛も知っている。
ただ現在は、日本にいた頃とは比べ物にならない身体能力を発揮することができる。
仮に足を踏み外したとしても、滑落を防ぐ方法はいくらでもあるのだ。
ただの人間ではどうあっても叶わない方法を取れることも大きい。
四人は順調に山脈を踏破し続け、ついに霊峰ドスケル山の中腹にたどり着いた。
「いやあ、高いな」
太一は上を見上げてそう呟く。
標高六〇〇〇メートル級。
そんな山を生で見るのは初めてだったのだ。
相当高い山であるが、山脈であるので裾野から登る必要がなかったのは僥倖といったところか。
太一たちは特に立ち止まることなく、霊峰ドスケル山を登っていく。
ここに何かがあるか。それはミィの簡単な探査によって「有り」と判明している。
あの報告書がでっち上げの想像の産物でないことが証明された。
よって「あるかもしれない」ものを手探りで探すという羽目にはならずに済んでいる。
「よ……っと」
ここはかなり急な斜面。命綱が無ければ登れないような場所だ。
凛が、杖に生み出した土のかぎ爪を岩に食い込ませて登っている。
その先にある踊り場のような場所には既にミューラがたどり着いており、凛とレミーアが登っている最中だ。
体力を向上させられるからこそ、三人ともそれほど息切れはしていない。
下から見上げながら、太一はそんな感想を抱いた。
なお、太一が最後なのは、誰かが滑落した場合の受け止め役である。
それを気にするほど三人のスペックが低いわけではないが、万が一というのは何処にでも起こりえる。
仮に落ちても風に巻いて浮かせてしまえばいいので、どうということはない。
ふと軽く背後を振り返り、下を覗き見た。
(おー、たけーたけー)
太一が今いる場所は幅が一メートルほどの道で、背後は一〇〇〇メートルにもなるであろう断崖絶壁だ。
かつてならば足がすくんでへたり込んでしまっていてもまったくおかしくはないが、今は足を滑らせたところで飛べばいいためまったく恐怖心が無い。
やがて三人とも、頭上およそ三〇メートルほどだろうか、踊り場にたどり着いていた。
そこで小休止することになっている。というのも、比較的平らで直径五メートルほどの足場があるのが分かっているからだ。
平らと言ってもごつごつはしているのだが、標高六〇〇〇メートルの山を登っているこの環境では恵まれている休憩場所と言えるだろう。
それぞれ携帯食料を取り出して口に含む。
ついでに、太一はその辺の岩を使って鍋とコップ代わりのものを用意した。
水洗いしてからそこに水を溜めて火を起こし、お湯を作る。
空気調節のために和らいではいるが、この場所は既に極寒の地。
暖かいものは心に沁みることだろう。
四人でお湯を呑んで一息。
「ふむ……かつての調査隊が進んだ道が使えて何よりだな」
ここまでは比較的順調である。
というのも、二〇〇年以上昔の報告書には、大雑把ではあるが道のりも記載されていたからだ。
後進が神殿を調査する際の道しるべになるように書き記したのだろう。
実際は払った犠牲が大きすぎて、二度と調査は行われなかったようだが。
当時命からがら帰還した調査隊の遺志を継いでいる、と言えなくもないだろうか。
「さすがに環境が厳しいし、風化が進んでるかと思ってたけど」
「そういう場所もあったけれど、進む分には問題なかったね」
「そうね、幸運だったわ」
高山であるがゆえか、風もかなり強い。
そして山の天気は変わりやすい。既に数時間登っているが、晴れたと思ったら急に曇り、何度も雨に打たれた。
雨粒はウンディーネの力で逸らし、風はシルフィの力で避けてきた。
ただまともに受けていたらもっと消耗していたことだろう。
「よし、行くとするか」
「分かりました」
長々と立ち止まるとその分到着が遅くなる。
そこそこで休憩を切り上げ、再び登山に勤しむことにする。
厳しくなり続ける登山道……と呼ぶには厳しい、岩と砂と万年雪と氷の道を進み続ける。
柵も無ければ階段も無い。
高さ五メートルの岩を飛び越える、など日常茶飯事だ。
この程度はむしろ楽な部類に入る。
飛び乗った岩には杭を打ち込んだ形跡があり、ロープを張って登ったことが伺える。
二〇〇年前の残滓を前に感慨に浸る間もなく天気は急に荒れ模様。吹雪が起こった。
視界が悪すぎて進めないので手ごろな岩を加工して屋根を作り避難した。
吹雪が全く収まらないので、ついでにここで一晩を明かすことにする。
翌朝、雪が止むと、外は快晴であった。
既に登り始めてから一日以上が経過している。
更に登り続けて……ついに。
「ここか」
太一たちの目の前には、明らかに自然物ではない入り口が見えた。
人が三人並んで通れるくらいの岩の入り口。
それが、切り立った崖の麓に作られていた。
長年厳しい風雨にさらされ続けていたにも関わらず、まったく風化した様子がない。
「……飾り気こそないが、実に品格を感じさせるな」
扉も無い、ただの入り口。
長方形の岩のアーチをそこに置いて穴を掘り進めたかのようなシンプルなつくりだ。
その岩のアーチにはシンプルなレリーフが彫られている。
全く華美ではない。
しかしレミーアが言う通り、シンプルが故の品の良さ、のようなものは確かに感じた。
「ずいぶん、高いところまで登って来たね」
凛は振り返って、広がる絶景を眺めている。
見上げれば山頂までは後少しと言うところだ。
空は快晴。天が近い。
見下ろせば、大地が広がっている。
エルラ・クオステも見える。
「ああ……こういう景色が見たくて、登山する人もいるんだろうな」
俺には理解できないけどな、と太一は笑った。
登山家、と呼ばれる冒険家は地球にもいた。
偉大な登山家が「そこに山があるから登るのだ」という趣旨の名言を残したことも知っている。
しかし太一には、何が楽しいのかさっぱり理解できなかったものだ。
登りたいとは思わないし、登ろうとも思わない。
ただ、この光景を見ると、だから登るのだろうか、と思わずにはいられなかった。
「晴れてるから見晴らしもいいわね。これは見事なものだわ」
自然という最高の絵師が描き上げたパノラマ。
ほんの少しの間だけ、これを目に焼き付けても構わないだろう。
「満足したら、中に入るぞ」
レミーアもまた、多少はお目こぼししてくれるようだ。
太一、凛、ミューラは少しの間その景色を見やると、誰ともなく踵を返した。
景色に感動するのもほどほどに。
せっかくたどり着いた神殿だ。
これがもともとの目的なのだ。
三人は神殿に向かって歩き出した。




