九話
「んじゃ、ひとっ飛び行ってくるぜ」
書面を落とさないようにきちんと所持した太一が、ふわりと浮き上がる。
定期連絡に行けなかったことで共有し損ねたもろもろの情報を書き綴った書面だ。
それを砦に届けるのが、太一が頼まれた仕事である。
空を飛んでいけるということで、適材適所なのは間違いない。
「ええ、お願いします」
「往復の移動時間だけならばたいした時間はかからぬ。向こうが返事にどれだけ時間をかけるかによるが、長くとも数時間で帰ってくることだろう」
音速の半分弱のスピードで飛べば、片道は大体10分かからないといったところか。
まず懸念点というか未達の仕事がひとつ片付く。
そのままゆっくりと前進していき、街の柵を超えたあたりから速度を上げていく。
風を裂くように、あっという間にその姿が見えなくなった。
「……すさまじいですね」
フィリップはもちろん、アドリアーノやテニズも同じように口をあんぐりと開けている。
太一の能力を初めて見た者がとるリアクションだ。
それもそうだ。
レミーアは太一が飛んで行った方向を見つめながら思う。
飛翔の魔術というのは未だできたことが無い。
レミーアが知る限り、凛が辛うじて疑似的に空に浮いたくらいか。
浮いた、と表した通り、あれは空を飛ぶ魔術ではない。
浮けるだけでも十分すごいのだが、太一のそれとは方法からして違う。
まあ、それだけ太一がいかに桁が外れているか、ということだ。
風の精霊、同じ属性の精霊の力を操るようになったレミーアだからこそ、太一がシルフィードの力を借りて起こしたあれこれの非常識さが良く分かった。いやそれは、エアリアルの時からそうだったか。
かつての己と比べればできることの多彩さは格段に上がっている。それは純粋に出力が上がったからこそ叶うこともあるだろう。
ただまあ、未だその制御においては道半ば。
さらなる研鑽に次ぐ研鑽の険しい道が伸びているのだが。
それはさておいて。
「その毒の生き物とやら、我々で対処できるか試してみるとするか」
「そうですね。やってみましょう」
「タイチがいたら一瞬で終わりますが、それでは、ね」
「うむ、そうとも」
鹿を一瞬で全身麻痺させてしまう強力な毒の使い手。
わかりやすい強さではない厄介さを持つ敵。
太一ならば、圧倒的に上回るパワーで小細工を粉砕しどうにかしてしまうだろう。
また、臆病か慎重か分からないが、姿をなかなか見せない相手の探知も問題なくできる。
風か土か水か。いずれの力でも毒を封じ込めて完封してしまうに違いない。
一方のレミーアたちはどうか。
まずは探知だ。
この場所から、探せるだろうか。
「……可能なのですか?」
探ってみると言ったレミーアに対してのフィリップの言葉は、疑問が多分に含まれていた。
まあ、そうだろうな、というリアクションである。
どこにいるかはおろか、どれほど離れているかすら不明の相手を探るというのだ。
「何とも言えぬが、まあやってみる価値はあろうな。ちょうど、私たちの良い修行にもなりそうだ」
探知についてはレミーア、次点でミューラだろうか。
優先順位が高いのはレミーアだ。
風が探知において非常に有効なのは、既に太一が証明している。
土属性でも探知は可能だが、対象が地面に触れていることが必須条件になるので、万能さでいえば一歩後れを取る。
まあ、風の方が優れているとか、土が劣っているとかそういう話ではない。
向き不向きの問題だ。
現に凛に探知は向かない。
だが、氷属性の有用さはすでに証明されている。
精霊憑依ありきにはなるが、間に合いさえすれば致命傷不可避の攻撃さえしのぐことができるのだから。
「ともあれ、相手がどんな生物なのかが分からなければ探知しようにもないのでな」
「当面は、斥候部隊が帰還するのを待つ形になりますね?」
「うむ、そうさな」
「私は探知には向かないと思うので、毒への対処を練習してますね」
「そうだな。リンはそちらの方が良かろう」
「分かりました」
相手は毒液を吐き出してくる生物。
例えば吐き出されたそれを急速冷凍させるとか。
言うは易く行うは難し、の典型だろう。
まあそれはいいとして、それぞれの精霊が生きる方法を探すのも、契約者の務めである。
せっかく契約してくれたのに、その力を十全に生かせない運用方法しか導き出せないならば、精霊魔術師としては二流三流というところだろう。
こうして実力アップが叶った以上、とことんまで追い求めてやるつもりだ。
そのためには、からめ手を使ってくる相手は願ったりだ。
力押しではなく、様々な方法を試せるいい機会だから。
◇
砦が見えてきた。
完全な徒歩ではかなりの距離があるが、空を飛ぶと本当にあっという間だ。
空の旅は地球上でも最速の移動手段。
それはこちらでも変わらないようだ。
転移魔法があれば話は別だが。
時空魔導師として名高いシャルロットであれば、あるいは使えるのかもしれないが。
「敷地内に直接着地ってのはやらない方がいいよな」
空の移動手段は一般的ではない。
というよりほぼ太一の専売特許だ。
なので、空からというのは知らない状態の相手にやると驚かせてしまうのは間違いないので、砦の近くに着地して後は歩いていくことに。
数分して到着した。
砦の敷地内で各々の仕事に従事していた者のうち太一に気付いた者は、数時間前に出発したはずの人物が一人戻ってきたことに訝しそうにしたり驚いたり。
召喚術師として本格的に歩み始めた太一からすれば、注目自体さんざん受けてきたものだ。
しばし歩き、太一は砦の入り口に到着した。
そのまま建物の中に入り、勝手しったるとばかりに進もうとしたところで。
「どうなさいました。出発なされたはずでは?」
太一を呼び止める声。
声の主はメラクだった。
彼は不思議そうな顔で太一を見ていた。
「司令官殿に用があってな」
「……なるほど、であれば、ご案内いたしましょう」
その方がいいかもしれない。
太一が直接行くよりも、この砦の人間に案内してもらう方がきっと手順として正しいだろう。
メラクに続いてしばらく歩くと、司令官の部屋にたどり着く。
この地に最初に足を踏み入れた時にもやってきた場所である。
メラクがこんこんとノックする。
「誰だ?」
室内から誰何する声。
「メラクです。タイチ殿が参られました」
「……入れ」
許可の声したのを聞き届けて、メラクは部屋の扉を開けた。
「どうぞ」
「助かるよ」
入室する太一。
どうやらメラクは去るようで、そのまま扉を閉めた。
部屋の中には、カイエンとジーラス、そしてアルガティの三名。
ウーゴはどうやら席を外しているようだ。
カイエンとジーラスは書類とにらめっこしており、アルガティは部屋の隅にある椅子に腰かけて腕を組み、目を閉じていた。
「いかがなさいましたか。他のお三方は?」
出て行ってそう時間は経過していない。
第二拠点の調査という仕事は、日帰りで済むようなものではない。
彼らからすれば任務を与えた相手があっという間に戻ってきた、と言い換えてもいいだろう。
「ちょっと報告しておきたいことがあって、俺だけ戻ってきたんです」
「なるほど?」
報告したいこと。
どういうことか。
要領を得ずに首をひねるカイエン。
さもありなん。
太一は預かっていた書類を取り出した。
「これに目を通してください」
手渡された羊皮紙を見て、カイエンはすぐに何事かを察知した。
「これは……」
「ああ、間違いない。第二拠点のものだ」
中身を見るまでもなく、カイエンとジーラスはすぐにそれを理解した。
というのも、第二拠点からの書面は必ず紫色の紐で結ばれているからだ。
ちなみに砦発行の書面を結ぶ紐の色は緑色。
保管すべき書類はいくつもある。
それを管理するのに、どちらで発行された書面なのかを中を見ずとも一目で分かるように、という工夫からだ。
内容によっても分類は変わるが、少なくとも整頓の担当者は、紐を見るだけで拠点で分類分けが可能になる。
紐をほどき、中に目を通す。
定期報告はできなかったが、第二拠点は無事であり、人員や物資の欠損も一切発生していないこと。
定期報告が行えなかったのは第二拠点に脅威が迫っていたから。
脅威というのは、毒の生物。強力な麻痺毒の持ち主で、姿もなかなか見せない相手であるから調査に時間がかかっていること。
毒の生物の調査に、定期報告の人員を派遣していること。
人選が彼らなのは、高い戦闘力も併せ持つ優れた斥候であるから。
そして、毒の生物の調査に、砦から派遣されてきた冒険者たちを新たに採用すること。
羊皮紙にはそれらがフィリップの署名の元に記載されていた。
つまり、第一の依頼を達成したことの証明にもなる書類だ。
「そうですか、第二拠点は無事ですか」
毒の生物……魔物か動物かも分かっていないような不確定な脅威が迫っていることは理解しながらも、ひとまず第二拠点が無事であることを喜ぶカイエン。
言ってみれば第二拠点はアルティア陣営のセルティアにおける最前線。
拠点の拡大と、新たな開拓を進めていき調査を進める。
言葉にすれば簡単だが、拠点の拡大など易々と行えるものではない。
まさに肝入りと言っても過言ではないのだ。
それを脅かす毒の生物。
姿も見えないが厄介であることは分かっている。
そして、たびたび第二拠点にほど近いところまで出てくる。
砦への定期報告よりも、まずは第二拠点の安全確保に動いたということだろう。
「分かりました。では、返答の書面を用意するので、お待ちを」
カイエンは執務机の引き出しから羊皮紙を一枚取り出した。
これから返事を考えるらしい。
さて、暇になったのは太一の方である。
まあ、そもそもが持参した書面をカイエンたちに手渡せば済む仕事だ。
すぐに終わることは分かっていた。
「それでは、今しばらくお待ちを」
「分かりました。適当に砦の中を見て回ることにします」
「ええ。準備ができたらお呼びしますので」
さて、しばらくの間時間ができた。
太一は一度ここを辞することにした。
屋上にでも行ってみることにする。
上から砦の陣地の様子を眺めてみようと思ったのだ。
周囲を歩いていた者を呼び止めて屋上への通路を聞き、屋上にたどり着く。
三階建ての砦からなら、陣地全体を見渡すことができた。
欄干に両腕を置いて寄りかかる。
この砦を築いた先人は偉大なものだ。
当然ながら最初期に来た部隊は、何もないところからすべてを始めなければならなかった。
自分たちの安全確保として、この砦を築くことになったのだろう。
そこには並々ならぬ困難もあったはずだ。
困難なプロジェクトに挑む番組が作れてしまうのではないか。
ここに滞在している人々がそれぞれ仕事に従事する姿を見ながら、太一はそんなことを考えていた。
「……なんか用か?」
太一はふと、そんな言葉を発した。
彼の背後に人影ひとつ。
「……」
「……」
太一の言葉に返事が無い。
用があって来たのではないのか。
間があるのは別にいい。
そのまま待つ。
しかし、数分経過しても返事が返ってくることはなかった。
「何だ、何も言わないのか?」
太一はついに振り返った。
「なぁ、アルガティ」
彼の背後に立っていたのは、アルガティ・イリジオス。
吸血鬼の王であった。




