三話
セルティアとアルティアの行き来。
普通に考えれば、そう簡単なことではないのだろう。
準備を行いながらも、太一はそれについて思考を巡らせていた。
そう考えられる理由として、現状のアルティアに対するセルティアの目論見が挙げられる。
間違いなく双方はともに敵世界であると認識している。
世界同士ではなく、国同士にまでスケールを落とせば、より太一にもわかりやすい。
敵国への渡航、というよりも入国は、それが使命を帯びたスパイや工作員などでもない限り難しいだろう。
正規ルートでは出国もできないだろうし、相手側も入国はさせまい。
セルティアからアルティアへの工作が続けられ、アルティアもまたセルティアに対して工作を行っている。
こんな現状で、双方の世界の出入りなどできるわけがない。
お互いがお互いを受け入れないからだ。
主目的として、敵の兵士などを自分たちの領域に入れないための渡航禁止。
二次目的として、自世界の民を敵地に行かせないためであるし、敵世界の住人であっても一般人を保護するためである。
この場合、渡航……いや、それは正確ではないか。
世界を渡るため、渡界、とでもいうべきか。
ともあれ、禁止されている渡界を行うには、密入国しかない。
どうやってかは知らないが、すでにそれは成しえている。
まあ、セルティアの人間がこちらに潜伏して暗躍しているのだし、やられたからやり返すという形でアルティアも動いている。
実績はあるということだろう。
その極秘ともいえる事案にこれから関わることになる。
何せ世界渡りだ。表裏一体とはいえ、簡単なことではあるまい。戦時中なのだし、双方が排除しあっている現状では更に困難なはずだ。
今後状況が進んでいって世界同士の争いに決着をつける段になった時、再び関わる可能性があるだろう。
さて、これは完全に予想外だった。
太一は周囲を見渡していた。
もろもろの準備や手配を終えて連れてこられたのはエルフの島、世界樹ユグドラシルの領域。
眼前にはまさにそびえたつという言葉が相応しい巨樹。
ユグドラシル、その本体である。
その巨樹の前にはアルガティと顕現したユグドラシル。
背後、領域の入り口にはヤミュール。
そして、太一たち四人だ。
ヤミュールはこれ以上はここにいていい立場ではないのか、既に辞するところだ。
ユグドラシルの力については、後で聞く時間はとれるはずである。
「ユグドラシルがシェイドの側だったなんてな、驚いた」
「驚かせてしまいましたか」
太一の言葉を受けて微笑んだユグドラシルだが。
ふと、その笑みをひっこめ、わずかに目を伏せる。
「黙っていて申し訳ございません」
「いやいや、責めてるわけじゃないよ」
思ったことを口にしたら謝られてしまったので、太一はあえて軽く流した。
驚いただけ、という感情を伝えるように。
「状況が変化している故にな」
確かに、あの時とは前提が違う。
セルティアとのことも知らなかった。
帝国に戻り、アルガティと激突して薄氷の勝利を挙げた褒美にとシェイドに教えてもらったのだ。
「貴様らはシェイド様からも一定の評価を賜っている。なれば、明かせる事情も増えていくというものよ」
数か月前、ここに入れたのは、四人の中で太一だけ。
凛、ミューラ、レミーアは入れなかった場所だ。
その事から秘匿されているのだとばかり思っていたが、現在はそこに仲間全員で連れてこられた。
まあ、何かしら方針転換などがあったのだろう。
そんな太一の表情から何を考えているのかを察したのか、アルガティがふっと笑う。
「当時は秘匿していた。今は問題なくなった。そこの娘らが精霊魔術師になった故にな」
太一はまたしても思考の海に沈んだ。
世界の理を書き換える、普通の魔術師から精霊魔術師への転身。
なんとなく理解した。
限界突破を希望したのは凛で、精霊魔術師になればいいと手段を示したのはウンディーネである。
精霊魔術師になるには世界の理の書き換えを行う必要がある。それを、シェイドが見逃したのだろう。
それどころか凛に精霊憑依という唯一無二の力を、シェイドが手ずから授けるという特別待遇。
この世界に呼ばれた太一がシェイドにとっての主目的だったが、そこに凛、ミューラ、レミーアもまた食い込んできたと考えて良いのか。
歓迎すべきか。考えるまでもない。歓迎すべきだろう。
これから起こりうる様々な事件、発生し得る案件、それに仲間と共に当たれるというのは、太一にとってとても心強い。
もしも太一一人がシェイドに引き上げられたとすれば、仲間、同僚となるのはアルガティとユグドラシルか。そして上司がシェイドである。太一一人だったとして、拒否はできない。シェイドがそれをさせるはずがない。
ユグドラシルはともかく、アルガティとでは気が休まらない。シェイドは言わずもがな。
そうなった時、事情を知らない凛たちに心情を吐露できるか。
否である。
巻き込めない。そう考えるに違いない。
そして、いざ本番の決戦となった時、関わらせられない三人と別れて、平常心でいられるか、だ。
今であればその負担も相当に軽減される。凛たちの戦う力、戦える相手の範囲が格段に広がっているからだ。
さて、思考の海に沈むのもここいらにして、本格的に浮上する時だ。
「ここから、か?」
ここが世界を渡るための場所なのか。
なるほど、世界樹、の名を冠するユグドラシルが文字通り根を張る場所ならば、それもあり得るのかもしれない。
確か地中二万メートルほどにまで根を伸ばしているのではなかったか。
これは完全に太一の推測だが、その二万メートルの根、というのが、この世界の反対にあるセルティアへの足掛かりなのではないだろうか。
そう尋ねると、ユグドラシルはうなずいた。
「物理的にではありません。概念的にです。地中深くに根を張っている、即ちセルティアにより近い位置に手を伸ばしているといえます。それをたどっていくのです」
「……なるほど?」
なんとなくわかるが、本質は理解できなかった。
横にいるレミーアはふむ、と考えている様子。少なくとも太一よりは理解しているだろう。ならば、後で彼女に聞けばいい。
太一はその概念についていったん横に置いた。
「貴様らは詳しく知らずとも問題はない。ユグドラシルの手によって、世界を渡れるとだけ知れば十分だ」
「そうですね。詳細を知りたければお教えするのは問題ありません。時間がある時にお尋ねください」
遠回しにではあるが、今はそれを考える時ではないといわれた。
そうだ。
これからセルティアに行くのだ。
アルティアと表裏一体という世界。
どちらが表でどちらが裏かは分からないが、異なる世界というのは変わらない。
ともあれ、人間が世界を渡って、セルティアでも活動できるのだろう。
セルティアの人間がアルティアに来ていることからも、そしてシェイドの手先がすでに潜り込んでいることからもそれは明らかだ。
でなければ、アルガティも太一たちを連れて行こうなどとは言うまい。
「では、始めるとしよう。ユグドラシルよ、首尾はどうか?」
「問題ありません。こちらはいつでも行けます」
「それは重畳。では、やれ」
「分かりました。では、開きます」
ユグドラシルは踵を返して自身の本体である世界樹に手を触れる。
すると、ユグドラシルが触れたところがびきびきと音を立てて割れていった。
「……っ」
まるで自分を引き裂いているかのような光景。
思わず息をのんだのは誰か。
そんな心配の感情を読み取ってか、ユグドラシルは首だけ振り返って微笑んだ。
「ご心配ありがとうございます。ですが、無用ですよ。裂いたのは空間ですから。世界樹を触媒にしているので、木が割れているように見えるだけです」
なるほど、ユグドラシルには影響はないらしい。
ホッとしたのもつかの間。
「空間を、裂く、だと……?」
レミーアが思わず呻いた。
それは、時空魔導師の専売特許ではないのか。
現代では、シャルロットしかいなかったはずである。
「ふふふ、ワタクシも時空間操作はできるのですよ、ただし、非常に限定的ではありますが」
曰く、神託は限定的な可能性を探る未来視の術。今回の空間断裂は自身の根を行先の概念とした界渡りの術。
時間と空間を操る術の多彩さでは、時空魔導師の足元にも及ばないとのことだ。
これは魔術、魔法ではないとのこと。世界に根を張るユグドラシル固有能力ともいうべきものだそうだ。
「アルガティ、繋がりました」
「ご苦労」
「さあ、皆さん。道中の安全は保障いたします。ご武運を」
「そう長くは繋げておけぬぞ」
「あ、ああ、分かった」
帰り道もこの界渡りとなるのだろう。
となれば、片方通行ではなく、双方通行可能な道ということだ。
道をつなぐ先の安全は確保してあるのだろうが、物事に絶対はない。
アルティアの人間だけではなく、セルティアの人間も通過可能となれば、長くは繋げないというのも分かる。
我先にと空間の狭間に身を投じたアルガティを太一が追う。
「じゃあ、帰りもよろしく!」
すれ違いざま、ユグドラシルに声をかけて。
「助かりました」
「ありがとうございます」
「世話になる」
凛が感謝を伝え。
ミューラが丁寧に礼を言い。
レミーアは自然体で。
それぞれ一言ずつ告げて空間の狭間に消えていった。
そのまま少し。
実質数秒のことではある。
五人が無事セルティアに到着したのを確認し、ユグドラシルは空間の裂け目を閉じた。
そこには、傷一つない世界樹の幹。
「シェイド様へのご助力、感謝いたします。どうぞ、ご無事で戻られることを願っています」
ユグドラシルはしばし、太一たちが消えていった裂け目があった場所を眺める。
すると、やおら振り返ってひざまずいた。
「行ったかい?」
そこには、闇の精霊シェイド。彼女は感情を感じさせない
「はい。無事送り届けました」
「そうか」
シェイドはそのままユグドラシルの横を抜けて世界樹の前に立ち、幹に手を触れた。
「見てくるといい。セルティアを。争いは避けられないんだ、悲しきことにね」
ふと、シェイドの表情がかげったことを、頭を垂れたまま、ユグドラシルは悟った。
セルティアに思いを馳せるたび、シェイドは同じ表情をする。
それも仕方のないことだ。
アルティアと――シェイドとセルティアの間柄のことを思えば、彼女がそうなってしまうのも必然といえるのだから。