十話
海底神殿。
正確なところは凛たちも知り得ないが、実際は深海二〇〇〇メートルのところにある。
その入り口に、凛、ミューラ、レミーア、そして帯同する武官と文官達が立っていた。
背後には、今自分たちが出てきた転移魔法陣が敷設してある広間へ続く扉。
そちらとは違う方向には、船を止める場所らしき埠頭がある。その先は海中に続く。どんな原理かは分からないが、海水は埠頭に必要な分以上は入ってこない。
文官は、凛たちにそう説明した。
「試練、か……」
眼前の巨大な扉を前に、凛はぽつりとこぼす。
休暇となった三日間の間に、太一を介したウンディーネから聞いた話である。
ウンディーネの封印を解く。
その方法と共に聞いたこと。
水のエレメンタル曰く『ただで封印を解除できるわけではありません』とのことだ。
簡単に解除されては困るから封印を施したのだ。
封印を解除するには、試練を乗り越える必要がある。
「ふむ。一人一人、試練の内容は違うとのことだが……」
クリア不可能な試練は存在しないが、簡単にクリアできる試練も存在しない。
ウンディーネからはそう聞いていた。
更に、試練は、儀式に挑む者一人につき一つ。
三人同時に扉をくぐっても、行き先は全く別になるようだ。
試練には、一人で挑むことになる。
「まあ、考えていても始まらんな。行こうか」
「どうか、この国をお願いいたします」
文官のリーダーである女が頭を下げる。
次いで、その補佐の文官と三人の武官も頭を下げた。
彼らに応えるように頷くと、三人は連れだって扉を開いてくぐる。
三人を強い光が襲い。
全員、思わず目をかばった。
光が収まる。
薄目を開けてまぶしさがなくなっているのを確認した凛は、目をかばうために上げていた腕を下ろした。
「ここは……」
くるりと周囲を見渡す。
足下に感じる水の感触。踏みしめるのは砂。そして、遙か遠くに見えるのは水平線。
「……海?」
そう、ここは紛れもなく海岸だった。
ただし、凛はこれが幻術の類いではないかと疑っていた。
青空と、綿のような白い雲が浮かんでいたからだ。
海底にある神殿だったはず。
ならば、ここから青空が見えることはおかしい。
「そう。その通りです」
「誰!?」
声のした方に振り返る。
そこには。
群青色の髪を背中まで伸ばした、ワンピースの少女が微笑んでいた。
氷で出来た鳥の羽を左右一対に生やしており、手のひら大の小さな身体の周りには冷気が漂っている。
「妖、精……?」
凛が呆然と口にすると、小さな少女は否定した。
「いいえ、ワタシは氷の精霊、アヴァランティナと申します」
「……! 精霊!?」
馬鹿な。
精霊を、見られるなど。
太一のように、召喚術士ではないのに。
「ふふ。ここは、ウンディーネ様の領域となっております。外の世界とは仕組みが違うのです」
「……」
凛の疑問を感じ取ったのか、アヴァランティナはそんなことを言った。
一瞬思考を巡らせかけたが、凛はそれを取りやめた。
世の中、考えても分からないこともあるのだ。
特に、この世界では。
「賢明です。さて、ワタシが現われた理由ですが、試練に挑む皆様の見届け役になります」
「見届け役……」
反芻するように呟くと、氷の精霊は頷く。
「それでは、始める前に。ウンディーネ様からのお言付けをお伝えします」
攻略のヒントか。
いや、そんなに甘くはあるまい。
とはいえ、聞き逃していいはずもない。
凛は耳をそばだてる。
「この試練。挑む者のレベルに見合った難度となります。ゆめ、気を引き締められるよう……」
これは良い情報だった。
まあ、ウンディーネが施した封印を解き、その力を元に戻すのだから、簡単でない方がむしろ納得がいく。
「簡単じゃない方がやりがいがあるね」
「ウンディーネ様から報酬もありますので、奮闘を期待しています。……始めても?」
「いいよ、いつでも」
元より、準備万端の状態で海底神殿に乗り込んできたのだ。
今から改めて何かする必要はなかった。
「では、始めます。試練はシンプル……これから現われる相手に、勝利することです。大丈夫ですよ、偽物ですから」
凛の前方、二〇メートルほど。
「……!」
砂と海水が盛り上がり、大きな渦ができあがる。
そこに込められた魔力は膨大。
思わず後ずさりそうなのはどうにかしてこらえていると、渦が収まった。
その中から現われたのは。
「……ミュー……ラ?」
現われたのは、凛が良く見知った、エルフの少女剣士だった。
全体的に色が薄く、目の前の彼女が本物ではないと、凛はすぐに理解するのだった。
同時刻。
別の空間では、ミューラが周囲を見渡していた。
周囲はゴツゴツとした岩が無数に転がり、ところどころに溶岩の川が流れていた。
「……火山、かしら?」
大地と火の精霊の怒り。
この世界ではそう呼ばれる、山が火を噴く現象。
そして、かつて凛が、その正体を明かした現象でもある。
彼女は「アルティアと地球が同じなら」と付け加えていたが、どうやら物理法則などは似通っているらしいし、彼女の解説は間違っていないだろう。
「そう。正解だよ」
「……誰?」
自分以外の気配は一切無かった。
しかし声は聞こえた。
ミューラが誰何すると、近くの岩の一つがぐにゃりとゆがむ。
岩が消失し、代わりに現われたのは。
とぐろを巻いた蛇だった。
「魔物……じゃないわね。何、この存在感……」
魔物と相対した時とは違う。
この、本能が格の差を訴えかける感じは。
「まさか……精霊?」
「その通り。オレは精霊だよ。土の精霊、ミドガルズだ」
「……」
動揺は、凛よりも少なく見える。
しかし、実際は彼女と同程度には驚いていた。
本来は見えないはずの精霊が見えている、その異常事態に。
「ここは、普通の場所じゃない。あり得ないことも、あり得るんだ」
「…………それで、納得しておいた方が良さそうね」
「話が早くて助かるよ」
疑問は全く解消されていない。
しかし、いくら考えても分からないことはたくさんあるのだ。
ならば、心を切り替えた方がいい。
「じゃあ……あなたが、あたしの試練の相手かしら?」
ミューラはいつでも剣を抜ける状態だ。
試練が戦闘なのかどうかは分からないが、今すぐ剣を抜く必要があれば問題なく対応可能である。
「いや、違うよ。オレはただの見届け役。キミが試練をクリアしたかどうか、ここで見届けさせてもらう」
「そう……じゃあ、試練は何かしら?」
「難しく考える必要はないよ。これから現れる相手と戦って勝てばいいんだ」
確かに難しくはない。
戦って勝つ。
十分過ぎるほどにシンプルだった。
まだるっこしい条件が無数にちりばめられた試験が来る可能性も考慮していたから、簡単だったのは僥倖である。
「ま。難しく考えなくて良いから簡単な試練、とは限らないけどね」
「それは、当然ね」
「挑む者に合わせたレベルになると、ウンディーネ様は仰せだよ。オレは助けもしないし邪魔もしない。がんばれ」
「ええ。もう始めていいわ」
「そうかい? じゃあ……キミの対戦相手にご登場願おうか。心配要らない、本物じゃないから」
ドン、と近場の溶岩だまりが炸裂した。
巻き上がる、ドロドロに溶けた岩。
じゅうじゅうと、降り注いだ場所から煙が上がる。
巻き上がった溶岩が落ちる。
その中から人が現われる。
「……リン?」
ポニーテールの少女が、その場にたたずんでいた。
レミーアは、空を見上げ周囲を見渡し、試練会場の特徴を簡単に把握しているところだ。
空は曇天。強い風が吹きすさんでいる。雲もかなりの速度で流れていた。
かなり広い岩棚の上。ざっと見た限りかなり高いところにいるようだ。
「ふぅむ……はて」
何をするのか。
戦闘というのが一番可能性が高いが。
顎に手を当てて考えていると。
「試練は、戦闘よ」
少女の声がした。
ゆっくりとそちらへ顔を向ける。
そこには、風を纏う鳥が滞空していた。
「……精霊か」
「うふふ。さすがね。召喚術士のあの人と一緒にいるだけはあるわ」
一目で精霊だと見破ったこと。
この場所に驚いていないこと。
精霊が見えていることに驚いていないこと。
その鋭さは、さすがにあの二人の師匠といったところか。
「ワタシは、風の精霊ブリージア。今日は、あなたの試練の見届け役をさせてもらうわね」
小鳥の姿をした精霊は、そう頷いた。
見届け人に精霊とは、なんとも豪華なことである。
「お察しのとおり、あなたにはこれからこの場所で試練を受けてもらうわ」
内容は、ブリージアが言うとおりいたってシンプル。
相手に勝つこと。
言ってしまえばただそれだけとのことだ。
分かりやすく、混乱しなくて済む。
「勝つ、とは、何をして競い合えば良いのだ?」
「戦えばいいのよ」
予想通りの答えだった。
レミーアは気合いを入れ直した。
今頃は、凛とミューラも同様のことを精霊と話していることだろう。
ここで、師である己が、弟子の二人に後れを取るわけにはいかない。
「ふうん? もう、準備は万端みたいね」
レミーアの様子を見たブリージアは、感心した様子だ。
「ああ。私はいつでも良いぞ」
「そう。この試練、受ける人によって難易度が変わるから気をつけてね」
油断は、レミーアとは無縁である。
簡単にいくわけがないというのは、この海底神殿に来る前から分かっていたことだ。
しかし、クリアできないものではないだろう、というのがレミーアの見立てだ。
そうでなくては、ウンディーネの封印は未来永劫解けることがなくなってしまう。
(試練を受ける者のレベルによって難易度は変わるものの、ある程度の成功確率は最初から担保されているのだろう)
その見立てが正しいことを、これから証明する。
「じゃあ、始めるわね。この相手に勝ってちょうだい。ああ、本物じゃないから安心していいわよ」
「……何?」
レミーアの前方で風が渦を巻く。
曇天まで届くかという風の渦はしばらくその場にとどまり、ようやく収まった。
「ふうん、なるほどな」
本物ではない、という意味が分かった。
レミーアの相手。
それは、レミーアにとっては相性が悪いと認める女傑。
エリステイン魔法王国の武の頂点。
ここにいるはずがない、スミェーラ・ガーヤだった。




