【番外編】吾妻凛の朝模様
書籍化記念ということで投稿です。。
この後、もう一本番外編を投稿します。
どちらも、7巻の一部に付録されたSSになります。
そして、番外編二本の後に、5章の一話を投稿いたします。
ゆっくりと瞼が上がる。
かすむ視界が広がっていく。
ゆっくりと上体を起こして、眠い目をこする。
ややぼさぼさになっている髪。凛にとっては自慢の髪だが、手入れをしていない今はとてもではないが人に見せられるものではない。
寝起きのために散らばった髪をまとめ、一つにして背中に払った。
ベッドから降り、普段使っているブーツではない、宿の部屋用に用意しているスリッパにつま先を収めて立ち上がった。
隣のベッドに寝ていたミューラは既にいない。今日もまた、朝の訓練に励んでいるのだろう。もはや日常であるため、凛も全く気にすることはなかった。
窓を開け放つ。
朝焼けに赤く染まる空。やや多めの雲に朝日が遮られて光のカーテンができている。
今日は曇り時々晴れといったところか。
日差しも強くない過ごしやすい日になるだろう。
「うー……ん。うん。今日は過ごしやすそう」
日差しが強くないのはありがたい。日本で愛用していたような日焼け止めは望めないから。
外で活動する冒険者という稼業についている以上ある程度の日焼けは仕方ないが。
両手を身体の前で組み、上にあげて身体を伸ばす。
太陽の高さを見るところ、大体いつも通りの時間である。
今日は冒険者活動は休みだ。
王都ウェネーフィクスでの内乱を鎮めるのに寄与した報酬が莫大であったため、金銭に困ることはない。
今日は休みの日。何をしてもいい日だ。
ただ部屋でゴロゴロしていてもいいし、買い物してもいいし、散歩してもいい。
暇だからと依頼を受けても構わない。
けれども、休みだからと、凛は惰眠をむさぼる、という選択はしなかった。
日本でなら、夜更かしした翌日は寝坊することもたまにあった。もちろん、土日祝の前日に限るが。
まあ、凛はそれ以上にプロも視野にいれて本気で活動しているテニスプレイヤーだったので、不規則な生活からはほぼ無縁だったが。
そしてその習慣は、異世界アルティアに来てからも変わっていない。
「やっぱり空気がおいしい」
朝のすがすがしい空気を思いっきり吸い込む。
排気ガスなどとは無縁のアルティアの空気は、地球とは比べ物にならないくらいおいしい。
空気がおいしい、という表現の意味が分からなかった凛だったが、今はこれ以上ないくらいに体感していた。
「さてと」
今日もいい一日にしよう、そんな風に考えて、凛はもう一度朝日を見つめ、着替えるために窓を閉じてブラインドした。
日本のような採光やプライバシーなど考えられていないため、真昼間でも締め切ると部屋の中は暗くなる。
部屋の中にいくつか据え付けてある燭台の蝋燭に、豆粒ほどの火の玉を飛ばして明かりを確保する。
それから、寝巻として愛用している着心地のいい部屋着を脱ぎ、いつもの服を取り出した。
この世界に来て更に絞られた身体が露わになっている。
冒険者という仕事をしているが、今のところ残る傷もついていない。
スソラとの戦闘では深い傷が足にできたが、それも今は痕一つなく完治している。
レミーアには感謝してもしきれない。
さっと肌着を着込むと、乱れた髪をくしで整える。
今日も櫛に引っ掛からない自分の髪の滑らかさに安堵する。
この髪は彼女の自慢だ。手入れのためにいい櫛を入手し、また、ケアに使えるようなものも手に入れた。
ミューラも愛用しているそれは、日本のヘアコンディショナーが手に入らない凛にとっては地味に重宝しているものである。
いつも通りの手順で丁寧に丁寧に櫛を通して整える。
人前に出る前の身だしなみで一番時間がかかるのは髪の手入れである。
次に顔のチェック、最後に服装のチェックだ。
まだ若造ではあるが、それでも一乙女だ。人の前に出るのに、隙など見せられるわけがなかった。
部屋の隅に置いてある桶二つと、清潔なタオルを一枚用意する。
小さい方の桶に水を生み出して中を軽くすすぎ、大きい方の桶に移す。
そしてもう一度小さい方の桶に水を満たすと、顔を洗う。
夏なら冷たく、冬ならぬるめに。
寒くなってきたので、冷たくない水を用意している。
この辺りは凛のさじ加減一つである。魔術様様だった。
念入りに顔を洗って顔を拭う。
やっとしっかり目が覚めた感覚があった。
基本的に化粧はしない。しても最低限のナチュラルメイク程度で、基本はスキンケアだけで済ませている。
これまたミューラに教えてもらった化粧水と乳液で肌をケアする。
野外活動のため肌は荒れやすい。エルフという種族の特性上荒れにくいミューラはともかく、凛はそこをさぼるとさすがにひどいことになってしまうのだ。
特に冒険の最中にスキンケアなどする余裕はほとんどないので、こうして宿できちんと寝られるときは欠かすわけにはいかない。
ひととおりの準備を整えると、最後に服を着込み、乱れがないかの最終チェック。
冒険に出ないのならばメインウェポンの杖は不要だ。万が一のために携帯用の短杖をベルトに手挟んで。
完了である。
ここまでが凛の朝の準備だ。
部屋を出た凛は、アルメダにクーフェを淹れてもらおうと一階に向かう。
その途中で、朝の訓練を終えたミューラと鉢合わせた。
「おはよう、ミューラ」
「ええ、おはよう、リン」
挨拶だけを交わすと、二人はそのまますれ違った。
日によっては「いつも精が出るね」などの声をかけることもある。逆にミューラから「タイチはまだ寝てるかしら?」などの声をかけられることもある。
けれどもどちらかの時間が少しずれればすれ違うこともないため、挨拶以上に声をかけないのもいつものことであった。
「おはよう、アルメダ」
「おはよう! もうすぐクーフェできるから待っててね」
「うん、ありがとう」
早朝であるため人もまばらな宿の食堂。
その中でアルメダは朝から精力的に動いていた。
この世界は商人も冒険者も朝は早いが、活動開始の時間はもう少し後である。
そのため特別早起きな者しかここにはいない。
なのでこの宿を拠点としている者であれば、顔触れも自然と固まっていく。その日その日で面子が違うが、それは当然のことだ。
いつもの四人掛けのテーブルに腰掛ける。
宿の食堂にも暗黙の了解のようなものがあり、奥まった方はここを定宿としている客が、手前側は一泊だけの客や食事だけの客が使うスペースである。
大体はどこの宿もそうなっていることが多い。
特に凛たちの場合は、バラダーたち以外で唯一アズパイアを拠点としているBランク冒険者であるため、周囲からの扱いも一つ頭抜けている。
なので、凛が腰かけたテーブルが誰かに使われたことは、最近では全くなかった。
凛たちが見ていないところで、その暗黙のルールを知らない者が使おうとすることはある。
その場合、周囲の者が事実を伝えて控えさせているのだ。
気付かないところで高ランクの恩恵にあずかっているが、気付かなければ意識することもなかった。
「お待たせ~!」
テーブルに腰掛けて少し。アルメダからクーフェが運ばれてきた。
「ありがと」
「どういたしまして!」
ウィンクを残して、アルメダは仕事に戻っていく。
クーフェの香りを楽しんで、一口。
「うん、おいしい」
変わらないいつもの味にほっとする。
もう少ししたらミューラがやってきて、暖かい紅茶を頼む。
そして二人でしばし時間を過ごした辺りで、太一が眠い目をこすりながら起きてくることだろう。
最初は寝坊助な彼を見てミューラと二人顔を見合わせて苦笑の一つもしたものだが、今はそれが当たり前になったのですることもない。
何でもない、朝のいつもの一風景である。




