第十七話 小さな重みと酒場の喧騒
「――それで、一体どういう状況なんですか、これは」
レイは、放心状態のセシルを座らせて、ヴェルへと向き直る。
「知らん、これはなんだ?」
ヴェルも状況がわかっていないようで、この場で唯一現状を把握しているだろう妖精へと水を向ける。
「この子は"あの子"よ! こないだ会ったでしょ!?――人間ってこんなに記憶力が悪いの? ばかなの?」
「…………あの子」
ヴェルは足にしがみつき、きゃっきゃと騒ぐ幼女を無造作に引き剥がす。
そして猫でもつまむように、幼女の首根っこを掴み、自らの目線の高さまで持ち上げる。
「ヴェルさん! そんな乱暴な……」
レイが子供の扱いについて指摘するが、幼女の方は突然の浮遊感に声をあげてはしゃぎだす。
ヴェルの顔が近づいたことが嬉しいのか、その小さな両手をヴェルに向かって一生懸命伸ばしている。
「確かに、覚えはあるな――あの時のトレントか?」
「そーよ、魔力を見てわかんないのかしら」
妖精は当たり前のように言うが、何せ見た目がまるで違う。
これで分かれという方が無理がある。
「――で、何をしにきた?」
幼女には話が通じるわけもないので、妖精の方へ問いかける。
「何って、知らないわよ。この子が会いたいって言うから連れてきたの!」
「何故だ?」
妖精は質問ばかりのヴェルに、イライラとした表情を隠しもせず声を荒げる。
「だーかーら! 知らないって!――多分あんたの魔力に味を占めたんじゃないのー?」
「…………はぁ」
ヴェルは小さくため息をつくと、レイが問いかける。
「ヴェルさん、この子が報告にあったトレントですか?――聞いていたものとはだいぶ違いますね、この喋る妖精といい、かなり特異な存在のようですが」
「元は魔物だ、人を襲うかもしれん。始末するか?」
「だめに決まってんでしょー!!! ばかなの!?」
ヴェルの言葉に妖精は、顔を真っ赤にして怒る。
「ヴェルさん……流石にそれはどうかと思います」
ヴェルははしゃぐ幼女をひとまずソファの上に下ろす。
そして自らもその隣に腰掛けると、幼女の体がポンっと弾む。
「なら、俺の手には負えん。――ロックを呼んできてくれ」
「わかりました。少し待っててください。――ほら、セシルさん、戻ってきてください!」
レイはセシルの肩を揺さぶり、セシルを現実に引き戻す。
セシルはレイの言葉で、ようやく状況を冷静に見ることができた。
「この子は……ヴェルさんの子供じゃないんですね?」
「違う」
セシルはほっと胸を撫で下ろす。
何故こんなにも動揺してしまったのか、自分でもよくわからなかった。
「あ、あとこれ返しとくわ」
妖精は何かを思い出したように、幼女の髪の毛に両手を突っ込む。
幼女の方はくすぐったいのか、いやーと声を上げながら笑っている。
そして妖精が幼女の首の後ろから、何やら黒い塊を取り出す。
ずるりと取り出されたのは、ヴェルが使用していた黒曜石のナイフだった。
「あんたこれ置いてったでしょ? これに残った魔力を辿ってここまできたのよ」
妖精は先端が欠けてしまっているナイフを、ヴェルへ返す。
「え? 今、何が……どこから出したんですか?それ」
セシルの言葉に妖精はめんどくさそうに答える。
「あー、この子の首の後ろに変な空間があるのよね、空洞の木みたいにぽっかり空いてるのよ」
「へぇー不思議ですねぇ」
セシルは幼女の前にしゃがみ込み目線を合わせる。
すると幼女はセシルに満面の笑みで応える。
「か、かわいい……」
セシルは思わず幼女を持ち上げて抱きしめる。
幼女の方も小さな体で、セシルの首に抱きつく。
その体は、陽光を浴びた新緑の香りがほのかに漂う。
そして、セシルは気づいた。
「あれ? この子、魔力が溢れ出してませんか?」
セシルの言葉に妖精が答える。
「そーなのよ、この子魔力の制御ができないみたい。だから今はあたしが制御してるの。――それでもちょっと溢れちゃうんだけど」
それに、と妖精はヴェルの方へ向き直り、続ける。
「なんでか、あんたの魔力しか受け付けないみたいなのよね。あんたがいなかったら、この子またあの枯れ木に戻っちゃうわ」
「ヴェルさん……」
セシルは、ヴェルへ何かを懇願するように見つめる。
ヴェルは小さくため息をついて、一言。
「貸せ」
セシルは、幼女をヴェルの膝の上に乗せると、ヴェルの服を小さな手でギュッと握る。
すると幼女はヴェルのお腹に抱きつき、蜜を吸う虫のようにへばりつく。
そして幼女の緑色の髪が、ヴェルの腕や首に巻きつき、魔力を吸い出す。
その様はヴェルと初めて出会った時のことをフラッシュバックさせる。
突然のホラーのテイストに、セシルは思わず一歩後ろへと下がる。
ヴェルは先日このトレントに一度殺されている。
その時は魔力枯渇になるほど、急激に吸い取られていた。
だが今は哺乳瓶からミルクを吸うように、少しづつしか吸われていない。
「――下手くそね」
「ああ、そのようだ」
これでは進化したのか、退化したのかわからない。
しばらくして、急に魔力の流れが止まる。
そして幼女はヴェルにもたれかかる。
巻きついていた髪の毛も、力が抜けたように、はらりと下に落ちる。
「……疲れたみたい」
「――何がしたいんだ、こいつは」
ヴェルの膝の上で、すやすやと寝息を立て始めた幼女。
そしてセシルへとそれを押し付ける。
ヴェルは理解できない生物に対し、それ以上考えるのをやめた。
そして1人で静かに、自室へと戻っていった。
――――――
「――ほぅ、つまりお前さんは、精霊ってわけか」
レイに呼ばれたロックは店に着くと、幼女を抱いたセシルから状況を知らされる。
「呼び名なんて知らないわ、勝手に区別しないで!」
「そりゃ悪かった。だが、お前さんのお仲間とはだいぶ違うみてーだ、その辺自分じゃどう思ってんだ?」
ロックの言葉に、妖精は少し考えてから答える。
「まぁ、肉体があるってのは結構便利ね。自分と"それ以外"の境界がはっきりしてるわ。だから前とは違うってのはわかるわ」
ロックは妖精の言葉を受けて、考えを巡らせる。
そして頭の中を整理するように、事実を繋げていく。
「つまり不安定な魔力の集まりだった妖精は、死にかけのトレントと混じり合ったってわけだ。――そんでそのトレントにアホみてーな魔力を注いじまったから、お前さんにも大量の魔力が流れたと」
「まぁそんなとこね。――あんた蜥蜴頭のくせにばかじゃないのね」
ロックが話を整理すると、セシルにも概要が見えてきた。
ロックは妖精の言葉に「そりゃどーも」と皮肉に笑みを浮かべると、今度はヴェルへと尋ねる。
「ヴェル、お前の話だと嬢ちゃんを襲ってたトレントは、"澱み"があったんだよな?」
「ああ、俺が起きた時には消えていたがな」
ロックは、顎に手を当てて考えると、一つの結論に至る。
「ってことは、おそらくそのガキはフィアーだ。――魔物の中でも強力で、特異なやつだ」
「この子が、フィアー――あの死糸を織る者と同じ……」
セシルは信じられない、と腕の中で眠る幼女に視線を落とす。
だが、セシルとてこの妖精とトレントには、一度殺されかけているのだ。
ロックはレイが入れたお茶に口をつける。
不味いと一言告げると話を続けた。
「本来ならギルドに報告、討伐の流れだ。――だが、今は澱みを消したヴェルの魔力しか受け付けなくなってる。人を襲うこともないだろう」
ロックは妖精に視線を移し、続ける。
「それに、ある程度はお前さんが制御できるんだろ?――見たところ、魔力の扱いは上手そうだ」
「当然でしょ!あたしは天才なんだから」
妖精は薄い胸を突き出して、腰に手を当てる。
「人に好意的な魔物ってのは珍しい。観察対象としても価値がある。――ギルドの方には俺から話を通しておく」
「なんかよくわかんないけど、気がきくじゃない!蜥蜴頭のくせに〜」
ひとまず話がまとまりかけたところで、ヴェルが口を開く。
「それで、お前たちはこれからどうするんだ?」
ヴェルがこの流れで、それを口にすると言うことは、出ていけと言いたいのだろう。
セシルにはなんとなく、わかる。
あれはルークさんに向けるのと同じ目をしている。
「ヴェルさん!」
「――なんだ」
「だめですよ、出て行かせるなんて!――この子はヴェルさんの魔力しか受け付けないって言ってたじゃないですか!ちゃんと責任を持って面倒を見ましょう!」
「…………。」
ヴェルはロックへと視線を向ける。
何か言え、とヴェルは珍しいことにロックへ助けを求める。
それを受けてロックは、にやりと意地の悪い笑みを浮かべると、一言。
「――パパなら、ガキの面倒はちゃんと見なきゃな」
「勘弁してくれ」
ヴェルは、ぐったりと疲れた様子で力無くうな垂れる。
彼の珍しい姿に、一同は目を見開く。
そして自らに視線が集まることに、わずかに居心地の悪さを感じた。
「…………なんだ」
少々語気が強くなったヴェル。
それを見て、にやにやと気色悪い笑みを浮かべる一同。
その様子にヴェルは、黙って自分の部屋へと逃げ出すのであった。
――――――
(――何故こんなことになっている)
ヴェルはガヤガヤと騒がしい周囲を見渡す。
ここは酒場だ。
酔った客たちが、あちらこちらで騒いでいる。
テーブルの上には、大量の料理が並べられている。
――ヴェルが食べるはずもないのに。
そして一番場違いなのは、ヴェルの膝の上でテーブルの料理を、手づかみで貪るこの幼女だ。
見ていて気分が悪くなるほど、良い食べっぷりだ。
「さぁ!今日は全部僕の奢りだ!みんなどんどん飲んでくれー」
さらに、いつの間にか現れたルークによって、酒場の盛り上がりは最高潮に達する。
「ルークさん、お金……大丈夫なんでしょうか?」
銀の冒険者とはいえ、数十もある卓の全ての会計を持つのは流石に無理がある。
セシルの疑問に、豪快に肉を齧るロックが答える。
「ルークのやつ、今日は賭場に"負け"にいったのに、何故か逆に大勝ちしちまったらしい。――あいつは金を持ってると碌なことにならねぇからな。宵越しの銭は持たないらしい」
「ルークさん、運命を調整したのに、"運悪く"勝っちゃったんですね」
セシルは初対面であるはずの男たちと、楽しそうに騒ぐルークを見て、顔を綻ばせていた。
ヴェルは膝の上にポロポロ落ちる食べかすを手で払う。
今日は何もしていないはずなのに、ひどく疲れた。
そのため早めに寝てしまおうと、ソファに横になっていた。
そこでセシルが買い出しを忘れたことに気づいたらしい。
そこからロックの提案で、酒場に飯を食いに来た。
ヴェルは食べないので拒否したが、セシルが来いと言う。
それで今に至るのだが。
「パパー、あい!」
膝の上の幼女がヴェルへ振り返り、蒸した芋のようなものを差し出してくる。
振り返った幼女の口元はベタベタに汚れている。
そして差し出された芋も、何の汁かわからないものが付着しており、見てくれの悪いものだった。
「――いらん」
ヴェルが拒否すると、幼女は顔をくしゃっと歪ませる。
そして目尻に涙が溜まってきた頃、横からセシルが口を出す。
「ヴェルさん、せっかくですから、ちょっとくらい食べてあげてください」
セシルがやんわりと微笑みながらヴェルに促す。
「…………はぁ、少しだけだ」
ヴェルは小さな手から、ベタベタの芋を受け取り、口の中に放る。
幼女は満足したのか、また自らの食事を再開する。
そしてヴェルは、文字通り苦虫を噛み潰すように咀嚼すると、ゆっくりと嚥下し、水を飲む。
口の中がヒリヒリとして、大変不快だ。
今朝、彼女と話をしてから、ヴェルは明確に食べることが"嫌い"だと自覚した。
「やっぱり今度、薄味の食事、作ってみますね」
不味そうに"食事"を終えたヴェルに、セシルは優しく微笑みながら言った。
そしてセシルは幼女の口元を布で拭いながら、妖精へ話しかける。
「そういえば、この子は名前はあるんですか?」
妖精は口に頬張った米粒を飲み込んでから、答える。
「名前なんてないわよー、あたしとこの子だけだったから必要なかったし」
「ねぇヴェルさん!」
キラキラとした目を向けるセシル。
話しかけられたヴェルは嫌な空気を察した。
「――なんだ?」
「名前!付けてあげましょうよ!」
やはりきた。
ヴェルに名付けなどできるわけもない。
そんなこと考えたこともないのだ。
だが付けろ言われたらやるしかない。
ヴェルは少し考えてから提案する。
「では、アインスと」
「アインス?可愛い響きですね」
セシルが同意しかけると、向かいに座るロックが止めに入る。
「おいてめぇ、そりゃ番号だろうが!ダメだ絶対」
ロックはらしくない様子で強く否定する。
まぁ確かに、番号というのは流石に可哀想だ。
「では、可愛くひねって、アイルにしましょうよ!」
セシルはパンと手を叩くと、有無を言わさない様子で押し切る。
セシルは、ねー?とアイルと名付けた少女に、同意を求める。
「あーう、あいうー?」
「そうですよ!ア、イ、ル」
セシルはアイルの頭を撫でる。
アイルはいやーと楽しそうな悲鳴をあげる。
「それで、妖精さんは、アイルから1文字取って、ルルさんというのはどうでしょう?――アイルも呼びやすいと思いますし!」
「え、あたしも?――別にいらないのに……ルル、か、ふーん」
妖精の方もまんざらではないようだ。
2人の名前が決まって、セシルも満足そうに笑う。
果実を絞ったジュースを飲み干し、アイルの分と合わせて追加を注文する。
その後も宴のような食事は続き、周りの客がバタバタとアルコールに倒れていく。
だが、静まり返る街の中で、この店だけは朝まで灯が落ちることはなかった。
こんなに騒がしい夜は、ヴェルにとってはじめてのことだった。
膝の上で眠る小さな重み、酒場の喧騒、一人ではない夜。
全て自分には不似合いだと思う。
――だが、不思議と嫌ではない気がした。




