時を超えても
私はこいつを許せない。何も知らず、いや、私にしたことを忘れて、無表情に眠る顔に、そっとタオルをのせた。
私は引きこもりだった。
外に出るのが怖い。人に会うのが怖い。人が何かを言うと、全て自分に言っているんじゃないかと思ってしまう。
もちろん、そんなことはない。頭ではわかっている。でも心がすくむ。凍りつく。固まって動かなくなる。
ある日、外に出ようと靴を履いて 玄関の扉を開けた。でもそこから、外に出ることができなかった。
晴れ渡った空、心地よい風、小鳥のさえずり、活気に満ちた離れたところにある幹線道路を走る車の音まで聞こえてくる。
健やかな、何でもない1日の始まり。
私はその日から外に出ることができなくなった。
そんな生活が始まって1週間ほどだろうか、私の部屋の前で親が言う。
しかりしなさい。本当にダメな子。意気地なし。よその親はこんな思いなんてしないんだろうね。
心が裂けた。
あれから何年経ったんだろう。
私の唯一の外とのつながり、スマホに1つのニュースが表示された。
それは、冷凍睡眠の成功を告げるものだった。
どうやら十数年前に、『冬眠を人間に利用する冷凍睡眠』という研究成果をもとに、世界的に有名な生理学・医学賞を受賞した人が、私のいるこの国の研究者らしい。
そのことで政府はかなりの予算を投じてこの研究を後押しし、実用化にこぎつけたらしい。
ついては、試験体を求めているとのことだった。
私は応募し選ばれた。
このことを親につけた時、彼らは私の考えを尊重してくれた。
「あなたが自分でやりたいことを見つけたなら…」その声はどこか華やいているようだった。
そして私は目覚めた。
今年のカレンダーを見ると、私は何十年も眠っていたらしい。
もちろん私の親もすでに死んでいる。
こういった情報は、私が起きた時にすでにつけられていたメガネからもたらされた情報だ。
レンズの部分がスマホで言う画面のようになっており、視界を遮ることなく 情報を提示してくれる。
音声については、柄の部分に指向性のスピーカーがついているらしく、音漏れすることもなく必要な情報を伝えてくれる。
『介護士の仕事など、いかがでしょう。人の心の痛みがわかるあなたに、是非やっていただきたいと思っています』
メガネスマホがそう言ってきた。
こんな風に必要とされたのは…いつ以来だろう。
私はOKした。
そして私は配属された施設で働き始めた。
介護というのは、AIやロボットでは、うまく仕事ができないらしい。
赤ん坊もそうらしいが、ちゃんと人間が顔を突き合わせて接しないと、相手は精神的に死んでいくものらしい。
私は、要介護者に献身的に接した。元々生真面目な性格もあっただろうと思う。でもそれ以上に、私がいないとこの人は生きてはいけないという状況に、自分自身が依存しているようにも思えた。でも、それでも構わない。私は満足した。していた、あの日までは。
「どんな子供時代を過ごしていたんですか?」
仕事について1ヶ月ほど経ったとき要介護者に質問してみた。
そして私は、愕然とした。
この人は私をいじめていた人だ。
名前を聞いた時に少し引っかかってはいた。でもよくある苗字だし、名前もそう珍しいものでもない。
でも違っていた。この人はあの人だったのだ。
それからは毎日が、ねっとりとした、粘着のあるものに変わってしまった。
息をするのも、手を動かすのも、とてつもなく重い。
夜寝ようとしても、あの要介護者のことが、アイツのことが頭から離れない。
眠れたとしても見るのは悪夢だった。
目覚ましで目が覚めた。
いつものように着替えて、介護施設に出かけた。
でも今はまだ夜中だ。
こんな時間に起きて、私は何をしようと言うのだろう。
自分の部屋で飲み物を取りに行く時、歯を磨くに行く時、その何気ない行動をするとき、特に自分の行動について深く考えていない。
その状態に似ている。
今、私の前に、アイツが寝ている。
特に幸せそうでもなく、辛そうでもなく、能面のような顔で寝息を立てている。
私が苦しんでいた間、こいつはこういう風に何も考えずに寝ていたんだ。
こいつのせいで私の人生は崩れた。
いろんな人が私に愛想をつかせ、私は自分の人生をリセットするために冷凍睡眠に入った。
なのに
その後でもこんなに私を苦しめるの?
なぜ私があなたの世話をしないといけないの?
なぜ私が眠れないのにあなたはこんなにも寝ているの?
私の前から消えて、これ以上私を支配しないで。あなたにかき乱されるのは、もういやだ。
私はリネン室から持ってきていたタオルを、水が滴らない程度に湿らせて、アイツの顔に乗せる。
不思議と心は静かなままで、ただの 単純作業のように機械的に動く自分が、少し誇らしかった。
2枚、3枚、4枚、とあいつの顔にタオルを追加していく。
あ、少し動いた。
アイツが暴れ出さないように、私は掛け布団越しに覆いかぶさった。
私をはねのけようとする強い力が伝わってくる。あんなヨボヨボの老人のどこに、こんな力があるんだろう。
この時になって私の鼓動が早まった。
私は何をしてるんだろう。この先どうなるんだろう。やめたほうがいいのでは…。
頭ではそんな考えが浮かんでいるのに、体はアイツを暴れさせないように より強く覆いかぶるようにしている。
早く終わってくれ。
そう思った時、ブザーが鳴った。
そして視界が明るくなった。
「はい、お疲れ様でした」
医者のように白衣を着た女性が、私の顔を覗き込んでいる。
「冷凍睡眠のシミュレーションはいかがでした?」
私は思い出した。
これは冷凍睡眠後に、被験者となったことを後悔しないよう作られた、体験型の装置だ。
この装置で冷凍睡眠をシミュレーションして後悔するようなら、冷凍睡眠耐性がないということで被験者になることはできないのだ。
「大丈夫ですか?」
何の反応も示さない私に、白衣の女性は言葉をかけてくる。
さて…私の考えは決まっていた。




