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八色のマカロン  作者: 希主果


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3/3

後悔のかたち

 「なぁ、この事。塔子には言ったん?」


 「言って……ない。何か言いそびれちゃって。」


 お節介なほどに世話好きで俺たちのお母さん的存在、それがラスボス塔子だ。たまに度が過ぎるところは珠に瑕だが、それでも母性に満ちたその笑顔に俺たちは何度となく救われてきた。


 「冬に帰るからその時にちゃんと話す……。」


 「ふゆ?夏休みは……、そうだな、それが良い。」


 「っていうか、どうせあんたも言ってないんでしょ。同罪よ。」


 《隠しごとや秘めごと》の一つや二つ、誰だってあるものだ。これは公序良俗に反しない限り、それを明かすどうかは基本《本人の裁量》に委ねられる。俺は明かさない選択を経て現在に至るのだが、亜衣子は少なくとも今を良しとしていないようだ。それを考えると亜衣子は俺よりちょっと大人なんだと思えた。


 「あぁ、分かってるよ。俺もそのうちな。それより、しょうゆ取って。」


 「あっ、はいはい。でもあんまりかけ過ぎちゃ駄目よ。」


 季節を違えるような照りつける太陽のお陰で昼間は汗ばむ気候だったが、夜になると幾分マシだ。建物が古く気密性が悪いせいもあるのだろうが、この寒暖の差はやっぱりまだ四月のそれなんだと思わせる。

 時計の針が天と地を指す頃、俺たちは十畳ほどの和室で八人程が座れるやや大きめの卓袱台を挟んで少し早めの夕食を摂っていた。


 本日のメニューは……。


 「なぁ、四月にサンマってどうなの?」


 「こらっ、文句言わない。折角、十和子さんが作ってくれたんだから……って、あっ!かけ過ぎ〜、駄目って言ったのに。もぅ。」


 (お前は俺の母ちゃんか。)


 「おい、そんなことより他に言う事が……。」

 

 「あっ!お汁のニンジン残してる!」


 「えぇ~、俺が苦手なの知ってるだろ。ってそうじゃなくて……。」


 「なに?聞こえな〜い。」


 (露骨に拒否!前言撤回、こいつはやっぱりガキだ。)


 進学に関してはいい。亜衣子の将来の話だ、百歩譲って理解出来なくはない。だけど何故、同じ屋根の下で、しかもこうやって夕飯を共にしてるんだ。これら全て《たまたまよ》と言われても流石に無理がある。


 (それに気がかりはこれだけではない)


 ここは下宿とは名乗ってはいるが元はただ部屋数の多い一軒家だ。リフォームでゾーニングされてはいるらしいが女子高生のそれも初めての一人暮らしとしてはあまりに不用心だ。

 実際、高校生は俺たちだけで他の住人は大学生。その中の一人は卒業後も定職につかず十和子さんの温情で居座っているなんて変わり者までいるらしい。


 (十和子さんの事だから危険な奴を済ませる事は無いと思うが、用心するに越したことは無い。)


 (ジィィィッ!)


 食事を終えて片付けも一段落ついたのでちょっと一息と思っていたら、何故か亜衣子の視線はずっとこちらに向けられている。しかも凡そ好意的とはほど遠い、殺気に満ちた表情だ。


 「何?何だよ、」


 「お……、」


 表情とは裏腹に発する声には力が無く聞き取りづらい。どちらかと言うと表情と感情にズレがあるようにも思えた。


 「お……ろ、」


 「はっ?何?なんて?」


 「お風呂入ってくるから覗くなよ。」


 「……はいはい。」


 (亜衣子にとって一番危険なのはどうやら俺だったらしい。)


 (…… …… …… …… …… ……、、)


 結局、その後は十和子考案のゾーニングが功を奏し互いに顔を合わすことなく俺は早めに床についた。

 今日は一日で色々なことがあった、そして謎の多い日でもあった。ただどれも結局、なにも分からず仕舞いだ。


 何故、幼馴染の亜衣子は《同じ学校》《同じ屋根の下で暮らす》に至ったのか……?


 どうして和望に凪を重ねてしまったのか……?


 一つ目の謎については取り敢えず亜衣子が正解の全てを知っているのだが、二つ目に関しては何もヒントは無く進展しそうな気配もない。頼みの綱の亜衣子も今日の反応からしてあまり期待出来そうにない。

 やはり俺の勘違いだったと言う事か。あの時への想いが強すぎて今もそれを引きずって……。


 (ダッサ、我ながらこの性格には嫌になる。)


 徐々に遠退く意識の中で後悔だけが頭をグルグルと駆け巡る……。

 

 (…… …… 、、)


 (…… …… …… 、、)


 (…… …… …… ……、、)


 「よっ、おはよう凪!」


 「みゃ〜!」


 (えっ、ねこ……?)


 いつも《オドオド》《ビクビク》で何気ない会話でも緊張してしまう。常にやんちゃ坊主たちの悪戯心を掴んで離さない、それが俺たちのアイドル《静原凪》その人だ。

 更に加えて《寡黙で控え目》《勉強そこそこ運動からっきし》取り柄らしい取り柄のない実に目立たない女の子。だけど俺たちは知っている、本当の彼女は……。

 

 「こらぁっ!また凪で遊んでるんでしょ。」


 遠くから何とも聞き捨てならない言葉を投げつけるは塔子だ。最近は世話好きを通り越して余計な《お世話》の肝っ玉母ちゃんのように見えてきた。しおらしくしていればもう少しモテても良いはずなのに人生とは上手くいかないモノである。


 「バッカ!お前見てただろ、何でそうなる?」


 「ハハハッ、バカだ。」


 高笑いする航大と呂久、お前らはいつもこっち側の人間だろと言い返したいのは山々なのだが、それでは今回の件を認めた事になるのではと《グッ》と堪える事にした。


 「ご、ごめん……さい。私が……としっかりしなきゃ……いけない……のに。」


 「そんな事ないよ、凪。悪いのは全部あいつなんだからね、よしよし。」


 (お前らタメ……だよな、そっちの方がよっぽど…、)


 「さっ、遊んでないでさっさと行くぞ。」


 「蒼汰も、塔子が揶揄っただけから真に受けないで。」


 冷静沈着、泰然自若を地で行く二人が声を掛けてきた。《汐斗と詩音》兄妹でも無いのにここまで似ているとは……、毎回感心させられる程の出来栄えだ。

 彼らの言葉に《てぇへ》と聞こえてきそうなくらいに戯けた表情を見せる塔子、それにもう一度驚く凪。


 「あれ?そう言えば亜衣子は?」


 「あっ、本当。どうしたんだろう?そう言えば昨日、少し赤い顔してたよなぁ。」


 「もしかして風邪?だとしたらもうすぐ期末テストなのに大丈夫かな?」


 俺がいち早く異変に気付けたのはいつものウザ絡みが無かったせいだ。無いなら無いで少し物足りなさを感じるのは俺が毒されてきたからだろうか?


 (何か無性に腹が立つ……。)


 「き……と、大丈夫。亜衣ちゃん……なら……。」


 引っ込み思案で有名な凪が珍しく自分から話し掛けてきた。しかも、なにやら事情を知っているような口振りだ。


 「おっはよ。みんなどうしたの?」


 後ろから声を掛けてきたのは先程から体調を心配されていた亜衣子。見たところ、変わった様子は見られなかった。


 「良かったぁ、遅いから心配してたのよ。何かあった?」


 本当に安堵した表情を見せる塔子は思わず亜衣子に抱きついた。他の男子生徒が見たならばきっと羨ましいと叫んでいたに違いない。


 「あぁ〜、もぅ痛いって。うん、昨日ちょっとね、熱っぽかったんだけど。」


 そう言うと亜衣子は凪の方へ振り向き、手に持っていた手提げ袋を差し出した。


 「昨日はありがと。お陰で助かったよ。」

 

 みんな一応に顔を見合わせて事情を飲み込むに必死となっていた。


 「実は昨日ね……。」


 亜衣子の話によると昨日の夕方、突然凪が家にやって来てこの袋を渡してくれたのだと言う。袋には綺麗に洗われた空のタッパーと可愛らしく包装された紙の小箱が入っていた。


 「風邪の……引き始めには……焼き……梅干しが良いって、おばぁちゃんが言っ……たから……。ごめん……さい、余計な……して……。」


 どうやら亜衣子の異変にいち早く気付いた凪は弱った身体を気遣って風邪に効果と焼き梅干しを差し入れたのだというのだ。これには一同、改めて凪の観察眼と差し入れた物のシブさに驚いた。

 改めて……。そう、凪の気遣いは今に始まった事では無い。神通力とでも言うべき観察眼と洞察力で幾度となく俺らの窮地を救って見せてきたのだ。

  汐斗が喉が痛いと言えばはちみつ大根を作ってきたり、航大が膝を擦りむいたらアロエを鞄から取り出してきたり。


(アロエは流石にと思って航大は丁重に断っていたのだが……。)


 その選択肢が余りにシブ過ぎて、独特で。みんながドン引きしてしまう事もあるのだが……、器用では決して無いけれど、真っ直ぐでどこか温かい凪の気遣いがみんな好きだった。


 「 …… 、」


 「 ………… 、、」


 「 ……………… 。」


 《ジリリリッ》

 無機質な和音の羅列が鳴り響き、蒼汰は目を覚ました。


 (……眠い。えぇ、もう朝か?)


 暗闇の中、軋む体を無理やり伸ばし何とか騒音の発生源迄手を伸ばすことは出来たのだが、ふと目をやった時計の針は二本ともに真上を指している。

 《なんて非常識な奴なんだ》と怒りが込み上げてくるのと同時に何か緊急事態が起こったのかという不安も頭を過ぎる。

 手に持ったスマホを見ればこの非常識な犯人の正体は直ぐにで突き止められるのだろうが、こういった時はどうにも躊躇われる。


 《 ……………… 、》


 (あっ、切れた。)


 部屋中に鳴り響いた機械音はパタリと鳴り止み、スマホの画面だけが今も闇夜に煌々と光っている。俺は一瞬過った不安のせいで名も分からぬ誰かの呼びかけに応じる事が出来なかった。

 それは他愛もない内容であったかもしれないし、もしかしたら誰かのSOSであったかもしれない。ほんの一瞬、ほんのコンマ何秒の世界で繰り広げられた自分の中の戦いに勝つ事が出来無かった。

 いつもこれだ、もう少し強ければ今とは違う光景が見られていたかもしれないのに……。


 「 …… 、」


 「 ………… 、、」


 「 ……………… 。」


 《ジリリリッ》


 再び鳴り響いた機械音に驚いて、思わずスマホから離してしまった。どうやらこの名もしれない誰かは俺と違って相当強靭な精神力の持ち主のようである。


 意を決して煌々と光るその画面を覗き込むと……、


 (塔子……。あっ、こりゃ死んだな。)


 五人の内の誰かとは思っていたが、よりにもよっていきなりラスボスのお出ましだったとは……。

 全身に流れる血液が急に騒ぎ出し、心臓は今まで聞いたことのない音を立てる。そのピッチは次第に早くなり、画面をタップする頃には自分では制御する事が難しい程になっていた。


 「はい、もしもし。」


 「あっ、やっと出た!ちょっと蒼汰。亜衣子と連絡取れないんだけど!あんたなんか知ってる?」


 「はぁ……ぃ?」


 いくら親しいからと言ったって《夜分、遅くに御免》みたいな枕詞があって然るべきと思うのは俺が古いタイプの人種だからだろうか。

 せめて《久しぶり》程度の挨拶は良好な人間関係を築く上で必要だとは思うのだが……、電話越しのラスボスからはてんでその気遣いの欠片は見当たらなかった。寧ろ、一方的に会話を続けてくるあたり、流石はラスボスである。


 「亜衣子、なんか進路の事で色々と悩んでそうだったからそっとしておいたんだけど。四月になっても何の連絡も無くて。」


 (そう言えばそうだったな……。)


 「気になって亜衣子の家に行ったら、隣県の高校、しかも一人暮らしを始めたって言うじゃない。本当、ビックリしちゃって。」


 (あっ、家まで行ったんだ。おばさん、余計な心配してなきゃいいけど……。)


 こいつ、人は良いのだが如何せん度が過ぎるきらいがある。物事の善悪は常に一つだとでも言わんばかりにこちらを責め立ててくるので、たまに手が付けられなくまってしまう。

 今日も亜衣子の事が心配過ぎて周りが見えなくなってしまったのだろう。


 「ちょっと、聞いてるの?」


 「あぁ、聞いてるよ。亜衣子の事だし無茶はしないって。きっと大丈夫だよ。」


 「だと良いんだけど……。っていうか、なんか妙に落ち着いてない?もしかしてあんた、何か知ってるんじゃない?」


 周りが見えていないくせにこんなところだけは妙に鋭い。ここで下手に隠すのは得策とは言えない、要らぬ誤解から軋轢を生みかねない。

 それにこれ以上、亜衣子のおばさんに余計な迷惑をかけるべきではない。


 「察しが良いな、確かに塔子よりかは幾ばくかの情報はある。」


 これは賭けだった。選択肢を間違えれば途端に奈落へと落ちてしまうような危ない綱渡り。それなのにこの後には引けなくなった状況が無性に楽しく思えた。


 「やっぱり、何かおかしいと思ったんだ。何よ、教えなさい。」


 「まぁ、待てよ。亜衣子は簡単に俺らを裏切る奴じゃないって事はお前が一番良く分かってるだろ。そんなあいつが今は伝えるべきでないと判断したのであればもう少し待ってやれよ。」


 「 …… …… 。」


 お節介なくらいに世話好き、言い換えれば底抜けに友達思いでそれでいて度が過ぎるくらいの心配性。そんな奴には酷な話だという事くらい始めから重々承知だ。

 それでも互いのためにも言わなければならない事もある。それにこうでもしなければこのラスボスを鎮める事なんて到底出来やしない。

 幸いにも彼女はただ言いそびれただけとも言っている。きちんと伝えなきゃと思っている分、俺よりずっとマシだ。きっと話す機会を探していたはずだ。


 「……分かった、待ってみる。」


 「ありがとう、そうしてくれると助かるよ。」


 「それじゃ、何かあったら絶対連絡してよね。」


 「あぁ、必ず。」


 そう応えると互いに簡単な別れの挨拶を述べて電話を切った。少し安心したのか最後の聞こえた塔子の声は軽やかなだったので俺も安心した。


 (それにしても、最後まで俺の話題が出なかったなぁ。進学先を言ってないのは別に亜衣子だけじゃないんだが……。)


 モヤッとしした感情は最後まで残ったが、取り敢えずピンチは脱したようだ。この事を亜衣子に言うか言わまいかは明日考える事にして、一先ず今はこの酷使した頭を労る事だけに専念した。


 「 …… 、」


 「 ………… 、、」


 「 ……………… 。」


 《ジリリリッ》

 又もや無機質な和音の羅列が部屋中に鳴り響いたが、今日は既に目が覚めていた。

 深夜の襲撃者のお陰で、あの後目を閉じては見たものの、ちゃんと眠る事は出来無かった。まぁ、そのお陰で昨日食べそびれた朝食にはありつけそうである。

 蒼汰は手早く身支度を済ませると食堂に向かった。


 「おはよう……ございます?」


 部屋に広がる味噌汁の匂い、視線を落とすとハムエッグとサラダ、そしてその味噌汁が置かれていた。親元を離れてとる初めてのちゃんとした朝食、質素だが心躍るメニューだ。

 休みの期間はみんな時間帯がバラバラなので《各自で》という事らしいが、昨日から本格的にこの青空荘も始動という訳だ。朝早くから用意してくれた十和子さんの好意も昨日は不意にしてしまったのだから何とも申し訳ない。

 

 「おぉ、今日はちゃんと起きられたみたいだね。」


 台所から割烹着姿の女性が話しかけてきた、十和子さんだ。昼間会った時より幾分声のトーンは大人しめだが、それでも朝からこれだけの事をしてくれているのだ、改めてこの人のパワフルさには恐れ入る。

 そして何より驚いたのは食卓に並べられたその食事の数、一、二、三、四、五、六……。


 (俺、亜衣子、そして十和子さん。だとしたら後の三つは?)


 「おはぁ……。おっ、今日はちゃんと起きられたようだね、少年。」


 背後から耳に触れる艷やかで伸びのある声。そして頬に触れる艶めかしい大人な息遣いと鼻先を擽る甘く湿った香りに俺の心筋は収縮と拡張の周期を一層早めていった。


 「ゔぅわ〜!」

  

 予期せぬ襲撃者の登場に蒼汰は振り返る事も出来ず、大きく仰け反った後前屈みの姿勢で固まってしまった。このシチュエーションは思春期の男子には極めて刺激が強く、恥ずかしながら経験が乏しく未熟な俺にはこのままやり過ごす以外に、己の自尊心を守る方法が思いつかなかった。

 

 「ほら、リンちゃん。いつまでもそんな格好でいないで早く着替といで。」


 「リンちゃん?」


 台所の陰から聞こえる母に似た声、一先ずこの場に二人という訳では無さそうで少し安心したが、それよりそんな恰好って……?


 「あんた、何やってんの?」


 「ひぃ〜!?」


 「何、ひぃ〜って?あんたは馬か?」


 聞き覚えのある声に俺はようやく我に返ることが出来たが、振り返るとその先には明らかに異物を見るような冷たい視線を浴びせる亜衣子が立っていた。彼女は既に身なりを整え、いつその時が来ても大丈夫と言わんばかりだった。


 「ははぁ~ん、さてはまた変な事考えてたんでしょ。最低、この変態。」


 「 ………… 。」


 朝から浴びせられる辛辣な言葉。ただ強ち間違ってもいないので返す言葉がない。


 (それにしても何だったんだあの人は?)


 「あっ、亜衣子ちゃんおはよう。いつ見てもべっぴんさんだねぇ。」


 「また〜、十和子さんたら。あっ、私洗い物手伝います。」


 「そうかい、悪いねぇ。でも、遅刻しないように適当に切り上げちゃってね。」


 「はぁ〜い。」


 《否定しないんかい》と思わず突っ込みそうになったが、それよりも親戚の俺より馴染んでいる事に殊更驚いた。

 そう言えば普段学校では塩気たっぷりの接遇を見せる彼女も並み居る親戚どもの前では怯むことなく接待していたっけか。あれを自主的にやってのけたと言うのだから両者には天と地ほどの開きがあると言って良いだろう。

 本当に何を考えているか分からない娘だが、今はそんな事より徐々に迫る始業のベルが気になる。俺と亜衣子は十和子さんが用意してくれた朝食をかきこんで新しい学び舎を目指す事にした。

 

 高校までの通学路、昨日も通ったはずなのに今日は何だか違って見えた。向いている方角が違うというのもあるのだろうが、会話の半ばで路傍に咲くネモフィラに目をやる余裕が出来たのも大きいと思う。

 昨日は流石に驚きの方が強かった。今は何気ない会話をそれなりに楽しめている。

 

 「リンちゃん?あっ、それ鈴枝さんのことだわ。」


 《田畑鈴枝》

 亜衣子曰く、それが彼女の名前だそうだ。背中に触れた雰囲気からは想像し難い古風な名だが、それは本人も気にしているようでみんなに《リン》と呼ばせているらしい。

 年は十九で青空荘から少し離れた大学に通っており、《昼間は講義》《夜はバイト》と中々多忙な日々を送っているらしく、普段は青空荘で見かけることは少ないそうだ。それでもあの場所に帰って来るのはひとえに十和子さんの人徳と言っても良いのでは無いだろうか。

 亜衣子も越してきて日は浅く、初日に少し話した程度なのでまだ良く分からないと話していたが、基本人見知りの彼女がここまで知ろうと出来るくらいなのでおそらく俺の親戚に近い雰囲気を持った人なのだろう。

 それよりも夜の仕事?と聞いて一瞬、俺の心拍数に上昇の兆しが見られたが亜衣子のセンサーが反応していないところを見る限り、俺の期待した通りとはいかないらしい。


 「じゃあ、後の二人は……。」


 「んっ?今は地球一周してる変わり者が一人いるとは聞いた事はあるけど……、もう一人は知らない。」


 (…… ……。)


 確かに食卓には六人分の食事が用意されていた。俺に亜衣子、鈴枝さん。じゃあ残りは……。

 おそらく一つは十和子さん自身の分で間違いないだろう、夕食も同じ食卓で食べていた。

 後二つは一体誰の分なのなのだろうか?もし仮にいつ戻るか分からないその変わり者に用意された物だったとしたらなんと律儀な……。それでも最後の一つは説明がつかない。

 夕食だったら鈴枝さんが《友達の分も作って〜》なんて宣う事もあるかもしれないが、朝はそれも考えにくい。亜衣子もこれについては疑問にすら感じていなかったようだ。


 (まっ、いっか。おいおい分かるだろ。)


 メタセコイヤの並木道。校門まで続くその道は昨日とは打って変わって多くの学生達で賑わっていた。


 「ところで亜衣子は何組だった?」


 「…… ……。」


 返事は返ってこなかった。それどころか見下ろすその顔には先程までの柔和さは消え、純度の一層高まった塩気の強い表情となっていた。

 よく見ると周りの視線はこちらに一点集中している。チラチラと盗み見する者やジーッと凝視する輩、どれも到底気分が良いものでは無い。何より不快なのは謂れなき敵意の視線、それに限っては男どもから向けられていた。


 「お前なんかしたか?」


 「そんなわけないでしょ、バカ。さっ、こんなのほっといてさっさと行くわよ。」


 勿論、理由は分かっていた。長年、近くで見てきた俺にしか分からないそのわけ……、その容姿がゆえに良くも悪くも悪目立ちしてしまうからだ。

 こいつが外では誰も寄せ付けないように塩対応に徹するのは変な煩わしさから逃れる為……。これは前の三年間で学んだ知恵である。

 もっと上手く立ち振る舞う術もあっただろうが、人見知りであがり症のこの女にはそんな器用な事を期待する方が酷というものだ。

 俺だってそんなに器用じゃない。だから俺がしてやれることはと言えば極めて単純で極自然にこいつと接してやることだった。


 「なぁ、やっぱり朝はハムエッグよりベーコンエッグだよな。」


 「…… ……。」


 「あの味噌、絶対合わせだよな!俺はやっぱり……、そう言えばお前の母ちゃんの味噌汁はやっぱ美味かったよなぁ。」


 「…… ……。」


 やはり返事は返ってこない。全身を虚勢で武装しているのだから当然と言えば当然だ。こんな事したって結局何も変わらないのかもしれないが、それでも俺は自分が自分であり続ける事しかこの弱虫で意地っ張りを守る術を知らない。


 「あっ、やっぱり蒼汰くんと亜衣ちゃんだ。二人ともおっは。」


 「お、おはよう。」


 底抜けに明るいその声はこの鬱滞した空気を一瞬で晴らしただけでなく、塩分の強い亜衣子の表情が和らげた。

 

 《流石は和望》その名に恥じない雰囲気は最早、国宝に推薦してもいいレベルだ。渉外や外交の役割を持たせればとんでもない力を発揮するに違いない。ただ、本人にその自覚が無いのはそれはそれで問題なのだが……。


 「えぇ~、なになに?今日も朝から一緒って?怪しいなぁ、もしかして朝帰り?」


 「お前、バッカ!変なこと言ってんじゃねぇ!」


 「あれぇ?動揺してるぅ。やっぱり図星?いいなぁ、羨ましい。青春だねぇ。あっ、でも結婚するまでは《清い交際》で!だからね。」


 それにしても相変わらずマシンガンは朝っぱら健在だ。こちらの事情などお構いなしにその銃口は激しく火を吹いた。

 敵味方関係なく放たれるその弾丸には気遣いや計算など人の思考が入る余地など欠片もない。気を抜けば土手っ腹に風穴が空いてしまいそうな勢いだ。


 「やぁ、朝から全開だな。ところで和望に一つ相談なんだが……。」


 彼女の息継ぎのタイミングを見計らい、どうにかトリガーにかかる指を緩めさせるに成功した。だが、このままではいつまたあの銃口から無数の銃弾は放たれるか分からない。

 次こそ流れ弾に当たって……、なんて事になったら目も当てられない。


 「俺たち越してきてまだ間が無いだろ、あんまりここらのノリや雰囲気に慣れてなくってさぁ。お前の言う通り、実は俺たち高校卒業したら……。」


 和望は甘酸っぱい幸せをお裾分けしてもらって満足したいたずらっ子のような表情でこちらの話に食いついてきた。

とんでもない事を言っているのは自覚している。だが、ここはそうする以外にこの窮地を打開する方法が思いつかなかった。


 「だからそのなんだぁ、なっ、分かるだろ和望。宜しく頼むよ。」


 「うん、分かった。そういう事ならこの和望様にお任せ。」


 一先ず、和望の方は何とか片が付いたようだ。だが、本番はここからだ。

 和望の猛攻から逃れる為とはいえ、とんでもない事を口走ってしまった。これまでこういった色恋沙汰を極度の嫌い、名だたる猛者をぶった斬ってきた元学園のアイドル。そんな彼女が虚言とはいえ、意図せず馴染みの男と婚約させられてしまったのだ。

 心中のほどは如何か、横目を流せば直ぐに分かる事だが、如何せん恐怖で中々その勇気が出てこない。


 「亜衣ちゃんたら、そんなに真っ赤になって……。こりゃあ応援するしかないよね。」


 「へっ?」


 和望の言葉に幾ばくかの勇気をもらった俺は彼女に気づかれないよう視線を流すとそこには頬を真っ赤にし、口をもごもごさせる不思議なその表情。しかもその目尻には薄っすら光る物だ溜まっているように見えた。


 彼女の見せたその戸惑いに似た感情は直ぐに俺に伝染。何故かそれを眺める和望にまで伝染ってしまい、最早収拾のつかない状態になってしまった。


 混乱し続ける三人を嘲笑うように頭上より降り注いぐ始業を告げるチャイム。

 途端に周囲は慌ただしさを増し、急いで校舎へと消えていった。それを見た三人もようやく我に返り、今置かれている状況に一層愕然とした。


 「ヤバい。次、遅刻したら……。」


 慌てて三人も彼らに続き、校舎の中へと消えていった。

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