他人の空似
《白河和望》
それが彼女の名前だ。校舎入り口に貼り出された新入生の名簿、入学式を気にしていたので同族とは思ってはいたが、まさか同じクラスだとまでは思わなかった。
あの後は実にドタバタだった。新入生入場の行進には何とか間に合い、列に無理やり割り込んで何事もなかったかのように式に参加する事は出来た。だが、安心したのも束の間、式典終了後には担任の女教師にこっ酷く怒られた。
結局、遅刻した理由の詳細までは話さなかった。何か特別誇れるような事をした訳でもなかったし、《そんな事で》と言われるのは何だか癪だったからだ。
だが妙な充実感と背徳感に満たされた俺はこの理不尽な状況も全く苦にはならなかった。寧ろ、二人だけが知る秘密が出来たのがこそばゆい感じがしてそこまで悪い気がしなかった。
「あそこまで怒らなくても良いと思うんだけど……。」
ようやく解放されたのは皆が下校して一時間程経った後だった。彼女はこの手の案件にはそれなりに耐性があるらしく、校門を潜ろうとするまでの間、休む事なくあの女教師に対し愚痴り続けていた。
それにしてもよく喋る、何処で息継ぎをしているのかと感心してしまうレベルだ。この子はもしかしたら口から産まれたのではないだろうか?
まぁ、そのお陰で俺もそれなりに発散できた気もするし、やっぱり一緒にいて嫌な気はしない。寧ろ、今日初めて会ったとは思えないくらいに心地よい。
それにしてもあれは何だったんだろうか?今の彼女からは先程までの感じた雰囲気は微塵も感じない。
そもそも俺が知る凪という人物は《沈黙寡言》を地で行く《物静か》且つ《穏やか》。ここまであからさまな感情表現など絶対にしないし、間違っても入学初日から担任に目をつけられてしまう事など絶対にあり得ない。
結局、モヤッとした感情だけが残る結果とはなってしまったが、それでも初めての土地でここまで打ち解ける知り合いが出来たというのはかなり大きい。ボッチの三年間というのは何とか回避できそうである。
それよりも今日の陽射しは容赦がない。桜が満開を迎えて早五日、そろそろ勇み足の花たちが化粧直しを考える時期である。例年ならば《春うららかな》なんて言葉が定番の決まり文句で先程も主賓の挨拶で使われたりしていたが、今日に限っては明らかな選択ミスである。
彼女もこれには同感のようでいつしか二人で校長のモノマネ合戦が始まってしまったのだが、和望の妙に似ていて俺は大笑いしてしまった。
「へぇ~、随分遅いなと思ったらそういうこと。ふぅ~ん、そうなんだぁ。随分仲のよろしいことで。」
(…… …… !?)
背後より感じるただならぬ視線と冷ややかな声に蒼汰に纏わりつく空気の全てが凍りつき、額に滲んだ汗は一瞬で冷や汗へと変わる。
あの声には聞き覚えがあり、その主には確かに心当たりがある。だが、どうしても分からないのは何故にあいつがここにいるのかという事だ。
(そうか!またいつものドッキリ!)
……って事は考えにくい話か。あいつの家からここまでは公共の交通機関で約二時間、それも上手く乗り継ぎがあった場合の話であって実際はもっとかかってもおかしくない。これは俺の実体験でだからほぼ間違いはない。
いくら馴染みとは言ったってノリでここまで体を張るとも思えない……。休み期間ならいざ知らず、優等生で通っているあいつは社会のルールから簡単に逸脱する事が出来るなんてとてもじゃないが思えない。
だとしたら余計にその行動の意味が分からない。それに気がかりはもう一つある。今、隣に並ぶ彼女の事だ。
表裏の無いと言ったら聞こえは良いが、これまでの様子から察するにどうやら思考を咀嚼するタイプでは無さそうである。不用意な発言をぶっ込んで状況を拗らせてしまうなんて可能性は大いに考えられる。
だが、それはそれで興味がある。あいつがどういった反応を示すのか……。俺と同じ馴染みのこの娘であればあの違和感に気付くかもしれない。
「ひっさしぶりだな、亜衣子。いつ以来だ、元気だったか?」
やはり亜衣子……、俺の読みは正しかった。だからこそ普段通り、まるで何事も無かったかのように声をかけた。
何故か俺に対していつもタメ口で遠慮の無い彼女の棘ある言葉はある種の方言のようで、それはもう日常だと思っていたけれど今日のそれはそのいつものどれとも違う。
明らかな負の感情がひしひしと伝わつ。なにも疚しい事は無いのだが、気を拭くと直ぐにでも土下座してしまいそうなレベルだ。
だが、そもそも亜衣子とはそういった関係で無く、別に誰と仲良くしようとも例え付き合っていたとしても何ら咎められる筋合いは無い。だからこそ、俺は努めて自然に振る舞うことだけに注力した。
やや青みがかった黒髪と均整のとれた顔のパーツ。なにより印象的なやや目尻の下がった大きな瞳。少し見ない間に背は少し伸びたであろうか。と言っても最後に会ったのは1ヶ月前の卒業式の話だ、あれからそんなに日は経っていない。そう感じたのは衣替えで足の露出が増えスタイルが良く見えたからだろうか?
それよりも俺の記憶の中の彼女は背中に触れるセミロングであった髪だったはずなのに、今はシャギーの入った毛先が肩に触れるか触れないかの軽やかなボブとなり、あどけなさが残る血色の良かった肌も淡いファンデとサクラ色のリップにより少し落ち着いた印象となり、少しオトナ感が増した感じだ。
小さい時から知っている俺からしたら何と《背伸びしたな》と冷静でいられるが恋愛に疎い男なら簡単に落とせるのではないかと思わせる程の出来栄えである。
亜衣子は昔から男子に絶大なる人気を誇り、月に一度は必ず校庭の隅に呼び出されるという特異なスキルを持った何とも残念な人物でもある。
それは《思い内にあらば色外に現る》という言葉がこの子に至ってはそれは当てはまらないからだ。
( あの時も確か…… 、)
(…… …… …… …… …… …… 、、)
(…… …… …… …… …… …… …… …… 。)
「なぁ詩音、亜衣子見てない?」
「いつもの場所。」
「えぇ〜、またぁ!数学の宿題、写させてもらおうと思ったのに。しゃあない、この際詩音でも良いや。宜しく頼むよ。」
昼休みの教室、一通り昼食を終えた生徒達はみんな思い思いの時間を過ごしていた。そして俺はというと昨日遊びすぎた埋め合わせに奔走しているという訳だ。
「あんた、それが人に物を頼む態度?まだ時間はあるんだし自分でやりなさい。じゃないと自分のためにならないでしょ。」
「そう言うと思った。それが出来るんならとっくにやってるっつうの。汐斗もどうせ同じ事言うだろうし、塔子や凪はクラスが違うからやってないって言うし。」
「あれ?僕には聞かない感じ?」
折角の申し出だが、同族の呂久に頼る程落ちぶれちゃいない。取り敢えずこいつに構っている時間も無いので聞かなかった事にした。
「それにしてもみんな懲りないなぁ。」
「当たり前じゃない、亜衣子モテるから。今や《学園のアイドル》なんて呼ぶ人もいるくらい。しかも今日はなんとあの山田先輩。」
(あのじゃじゃ馬が学園のアイドルとはねぇ〜。)
中学一年の秋、昼休みの校庭の隅。体育館にほど近いその場所の一角に《縁結びの庭》と呼ばれる場所がある。
そこは物陰だというのに頭上から伸びる陽の光のお陰で陰険な雰囲気はなく、緑の芝生にちらほらと咲く名も知らぬ花たち、時折優しく撫でる風の感触。そんな異世界感が中学男女の心を擽り、今では絶好の告白スポットになっていた。
しかし、俺たちが入学して以降、亜衣子が意を決した勇者たちをバッタバッタとぶった斬るもんだから《魔王城の庭》なんて縁起でもない名前に改名させられそうになっていた。
それからみんなの興味は《誰が亜衣子の牙城を崩すのか》との一点に注がれる事になり、今尚何とかその威厳を保ち続けている。そして今日はこの中学で最強の勇者が挑もうとしているというのである。
「はぁ~、そろそろみんな、気付いたら良いのに。」
「それな!いつも口煩くて、事ある毎に直ぐに怒るし……、あんなのの一体どこが良いのやら。」
「あらっ、そんな事言っていいの?あの子に知れたら大変よ。」
「大丈夫だよ。詩音はそんな面倒な事はしない。」
「そうね。あの子が機嫌を損ねたらそれこそ大変だもの。でも流石に本人の前じゃ、私も庇いきれないわ。」
「へっ!」
振り返る蒼汰の目の前には鬼の形相でこちらを見下ろす陰口の主役。その後ろでドギマギしながら心配そうな表情を浮かべた凪が立っていた。
「あれっ?お呼び出しがあったんじゃないの?誰だったっけか。あっ、そうそう山田先輩。」
「あんたには関係ないでしょ。」
「蒼汰が……、困ってそうだったから……。亜衣子に無理言って……、急いで来てもらったの……。ごめんなさい……、私……余計な事しちゃった……よね。」
「凪は全然悪くないよ、呼びに来てくれてありがとう。お陰であの馬鹿の本心が聞けたんだから。」
記録的猛暑のせいでもう秋だと言うのに残暑が厳しい。教室内は空調が効いて快適のはずなのだが、二人の間だけは異様な熱気に包まれていた。
「ちょっとあんた!これどういった状況?」
ラスボス、塔子のお出ましだ。何処で嗅ぎつけたのであろうか、あの表情から察するにもう出来上がっているようだ。
教室にいる全員が蒼汰に向かって指を差し、蒼汰自身も今回ばかりは自分の非を認めざるを得ない状況であった。
「実はさぁ、またこの二人が夫婦喧嘩始めちゃってさぁ。」
そう塔子に耳打ちしているのは……航大?
さっきまでいなかったはずなのに、いつの間にか現れて《一部始終見てました》みたいな顔でラスボスをけしかけようとしているではないか。
(もうこれは収拾がつかん……、まぁ今日に限っては俺が悪いのだが。)
「亜衣子、行くぞ!」
「ちょっとなに?」
焦った俺は亜衣子の手を取ると半ば強引に教室の外に連れ出した。
廊下を走る二人……、ドラマの撮影か?と見間違いそうになる光景。あれだけいきり立っていた亜衣子であったが不思議と手を振り払おうとはせず意外と従順に俺の後についてきた。
《魔王城の庭》
気付いたら二人はそう呼ばれる事もあるこの場所に辿り着いた。取り敢えず人気の無い所にと考えた結果であってそれ以外に特別な理由は……、無い。
一先ず二人は乱れた呼吸を整える作業に勤しんだのだが、俺の心臓は今日に限って五月蝿いままだ。一足先に平静を取り戻した様子の亜衣子も場所が場所なだけに何とも居心地が悪そうである。
「……あのさぁ、こんなところに連れてきて一体どういうつもり?」
特別な理由など無い。どういうつもりと聞かれても当の本人でさえ分からない。足の赴くまま人目を避けた結果だとしか答えようがない。
でも、入学してからの半年間。他人都合で通い続けた亜衣子にとってはあまり居心地の良い場所では無かったかもしれない。
「さっきは悪かったな……、その……、変なこと言って。」
「別に……、気にしてない。あんたが変なのは今に始まったことじゃないし。」
いつになく辛辣。それにあの表情、とてもじゃないが気にしてないって風にはとても見えない。額から伝う冷や汗は止まらず、亜衣子もその様子を察してか噴火する迄には至っていないようだ。
「ははっ……。まぁなんだ、彼奴等もいい加減気付けばいいのにな。目の前のお姫様は筋金入りの人見知りで上がり性で。その上、大層な放っ返りなのに。」
「あんた、本当に謝る気あるの?。」
「すいません……、調子に乗りすぎました。」
見合わせた二人の顔には対照的な真剣さがあり、何とも滑稽なその姿に二人は吹き出してしまった。
「でも本当、あんたの言う通りだよね。何か嫌になっちゃう。話すことは浮かんでるのに人前に出ると途端に頭が真っ白のなっちゃうんだよね……。さっきだってちゃんとお断りしようと思うのに、中々言葉が出てこないの。」
「人前にあまり出たがらないのはそういうこと?でも不思議だよな、俺たちといるときは普通なのに。」
「う、うん……。そう見える?そっか、それなら良かった。でも、ここだけの話。ちょっとだけね、ほんのちょっとだけ、気になっちゃうんだよね。間違ってたらどうしようとか変なこと言ってないかなとか……。」
(思春期特有のあれだな。なまじ見た目が良すぎるから余計に自分を良く見せようと気になるんだろうな……って。おい、待てよ。それじゃ……。)
「その理屈で言うと俺は……。」
「だから言ったじゃない、人前ではって。」
「ひでぇ!俺は人認定されてないってことかよ。」
クスクスと笑うそのいたずらっ子はいつもより随分幼く見えたが同時に眩しくもあった。
この子はただ素の自分を見せるのが怖かったのだろう。それを誰かに相談しても《なんだそんな事で》《考え過ぎだ》などと軽くあしらわれた事もあったかもしれない。
ただ他人にとっては大した事でなくても、彼女にとっては唯一の現実でそれが絶対なのだ。否定して解決する話などでは無い事は今の表情を見れば分かる事だ。
「しゃあねぇ〜なぁ。もういいよ、それで。その代わり……。」
「数学の宿題、写させて!」
「ダメ〜!」
「なんで〜。今度、アイス奢るからさぁ。」
「いらない!だってもう寒いもん。それより……、あのマカロンがいい!」
「分かった、それで手を打とう。」
「やった〜、絶対だからね。」
《キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン》
始まりを告げるチャイム。でもそれは同時に蒼汰にとって終わりを告げる音でもあった。
「あっ、終わったわ。やっちまったな、こりゃ。」
「そうね、残念だったわね。まぁ、今更あがいたところで冬休みの補習を回避できるとはとても思えないけどね。」
「ひでぇ!今それ言う?まぁ良いや、折角だしこのまま5時限目バックレる?」
「何言ってるの?私、これでも優等生で通ってるんですけど。」
(…… …… …… …… …… …… …… …… 。)
(…… …… …… …… …… …… 、、)
(…… …… …… ……、)
《容姿端麗》《品行方正》
どれも良く彼女に向けて使われる褒め言葉である。だが、実際の彼女はその見た目程華美でなく、寧ろ人見知りであがり症。どちらかと言うと目立つ事を望まない、そんな人種なのだ。
初めはその矛盾を楽しむ余裕もあっただろうが、中学に入る頃にはそれを楽しむ事も出来ないくらいに……、いい意味で悪目立ちしてしまっていた。
そのクセ、馴染みの俺にはウザ絡みしてくるのはその反動の最たるものだ……、と俺は睨んでいる。ただ、巻き込まれる者の身にもなって欲しいモノではある。
「わぁ~、すっごい綺麗な人。ねぇ、もしかして彼女さん?君も隅に置けないなぁ。」
(この絡み方も今となっては懐かしい……。航大や呂久もよく俺ら二人の掛け合いを夫婦漫才に例えたっけか。まぁ、亜衣子のファンに妬まれるのはもう懲り懲りだけど。)
しかし、和望効果は絶大だった。古典落語のオチで使われる《ここで会ったが百年目》のセリフがしっくりきそうな表情でこちらを睨んでいた亜衣子だったが、今は明らかに目はキョドり出し仕草が余りに不自然だ。それに心なしか頬も赤くなった気がする。
和望のズケズケと懐に入ってくるスタイルは思いの外、亜衣子と相性が良いらしい。我に返った亜衣子の慌てる様を見てこれは《良いことを知った》と思わずほくそ笑んでしまった。
「い、いや違うし!こいつはただの……。え〜っと、何?ファン?追っかけ?それともストーカー?」
「そんな訳あるか!人を犯罪者呼ばわりすな!」
思考が追いついていないのか、話す言葉は支離滅裂……。それは和望の言葉を聞いたから?それとも和望の雰囲気に当てられたからか。
「まったく、これ飲んでちょっと落ち着けよ。」
差し出した水は既に適温を大きく上回っていたが、それでも亜衣子は気にも止めないで一気に飲み干した。以前なら《間接キス》と大騒ぎしていたかもしれないが、今はそれにも気にかける素振りは見られない。
「それで……、その格好。どう見てもここの生徒、だよな。……。」
「そうだけど何か悪い?」
「いや、悪くはないんだが……。《パティシエの夢》叶える為の選択としては少し大袈裟な気がして。」
「そ、それ。覚えてたんだ……。……何かちょっと怖い。」
「…… ……。」
(なんだろうか?この遠慮のない物言い。落ち着きを取り戻したというよりは何か吹っ切れたようにも見える。)
「何よ?急に黙っちゃって。返事が無いって事はもしかして図星……?」
「はい、はい。そうですね。」
「なによ!なんかその言い方、すっごい腹立つんですけど。」
「そうだな、言った俺でもすっごい腹立つ。」
「…… ……っぷ。」
互いの膨んだ頬を見ていたら何だか急に馬鹿らしくなってしまって、堪えきれずに二人は吹き出してしまった。除け者みたいになった和望には悪いと思ったが、こればっかりは許してくれと願うばかりだ。
結局、その後も彼女の真意を質す事はしなかった。亜衣子もまた話そうとはしなかった。《一体どういうつもりだよ》と喉元まで出かかっていた言葉を俺はそのままグッと飲み込んだ。
これはかつての恩に報いる為……、
あの時の亜衣子は俺の思いに気付きながらも、それでもなにも聞かずに俺の決断を尊重してくれた。だから、次は俺の番だ。
今それを話すべきでない、そう判断した彼女の思いを尊重する事にした。それにしても《亜衣子のこんなとこ、初めて見たな》と何ともむず痒い気になった。
「ほんじゃまぁ、帰ろっか?」
「そうだね、お腹も空いたしね。」
「あっ、だったらどっか食べに行かない?折角だから三人で。」
そう提案したのは和望だった。普通、あのやり取りを見せつけられれば、ただならぬ関係と不遜な勘ぐりをしようものだが、そうしなかったのはそういう事に単に疎いのか、それとも何かを察しての事なのか。
いずれにしてもあの屈託の無い笑顔に当てられれば断る事なんて出来るはずもなく、特段これと言って用事のなかった二人は二つ返事で了承した。
メタセコイヤの並木道を抜け、三人は駅に向かっていた。先程まで二人の関係に自重していた和望もその反動なのか実に饒舌で、ようやく本来の力を発揮した感じだった。
初めはそのペースについていくのがやっとの様子だった亜衣子も並木道を抜ける頃にはすっかり打ち解けて旧知の友に見せるような柔らかい表情になっていた。
亜衣子の人感センサーが《こいつは害無し》と一先ずの判断を下した結果であろうがこれは案外と難しい。それをいとも簡単にやってのけるあたり、和望はよほど人心掌握術に長けているのだろう。これはもう彼女の優れた才能と言っていい。
「……すげぇな、なんか。」
「えっ、なに?私のこと?」
「はははっ……、」
(それにしてもいつも男には塩対応のくせに俺だけはその限りでなく、寧ろ図々しいくらいに馴れ馴れしい。ただ、これを好意と名付けるには余りに幼すぎる。)
いくら他人の思考を読み取ろうと努めても結局は結論は出ない。そうであれば一先ず余計な事を考えず、この次々と押し寄せる言葉を如何に裁くかという一点に集中することにした。
「え〜っと、二人は何食べたい?取り敢えず、駅に向かってるけど帰り道は遠くならない?」
「あっ、俺は平気。越してきたばかりだから土地勘ないし。観光気分?って言うか歩いた方が早く覚えられるでしょ。それより亜衣子は?」
「あっ、うん。私も。」
和望はここでも心配してくれている。止むことのない会話のマシンガンの端々で見せるちょっとした気遣いは何とも心地よい。
「ところで亜衣子は何処に住んでんの?お前の家、結構厳しいからすっげぇセキュリティのマンションとかに住んでそう。」
「そ、そんな事ない……。親だってお金が無限にある訳じゃないし、ホントちっちゃい下宿だよ。」
「へぇ~、意外。でも紺藤さん、女の子の一人暮らしって結構危ないって聞くよ。ここら辺はまだマシらしいけど、気をつけてね。」
「う、うん、そうする。」
(なんだ?凄い複雑そうな顔……。そうだな、こいつはなんだかんだ言って緊張シイだし、ビビリなとこあるし。)
「何かあったら呼べよな。」
「いい……、それだけは絶対いや。」
いつも通りバッサリと断って見せた亜衣子だったが、先程までの勢いは無く、何故か俯き加減で心無しか頬が薄っすら赤い気がした。
「そうだね、蒼汰くんが一番危ないかもね。」
「ひでぇ、なんでだよ。」
俺たちは駅前のファーストフードで遅めの昼食を簡単に済ませ、和望は電車通学という事で改札口まで見送って十五時前に解散となった。
「じゃあ俺、こっちだから。下宿先は学校から少し離れてるけど、その方が溜まり場にならなくて済むし気が楽だからな。」
「わ、わたしも……、そっち。」
「あっ、そうなんだ。奇遇だな、途中まで一緒だな。」
亜衣子は《コクリ》と無言で頷くと二人は来た道を引き返すことにした。
俺の下宿先は駅から約三十分、学校まで約二十分という立地で途中でメインストリートを外れる為、人通りは疎らだ。商店はどれも駅前に集中しており、頼みのコンビニも残念ながら近くにはない。長閑な田園風景は魅力的なのだは持病の花粉症が悪化しないか心配だ。
それにしても亜衣子は何処までついてくるのだろうか……。歩き始めて早二十分、見晴らしが良すぎるお陰でそろそろ下宿先のアパートが見えてきそうなところまで歩いているが、いまだ歩調を弱める気配がない。
そもそも曲がる道が無い一本道だ。この先にまだ高校生が一人暮らし出来るようなところがあっただろうか。
「なぁ、亜衣子。お前ん家、どの辺?」
これは至極当然の疑問だろう。別に疚しい気持ちが有るとか無いとかそういう問題などではなく、ここまで家の方向が同じだと単純に気になるものである。
「あっ、うん。もう少し先。」
「そうなんだ、それにしても本当に奇遇だな。そんなに近いんだったら今度一緒に……。」
「…… ……。」
「蒼汰、亜衣子ちゃんおかえり。やっぱり二人一緒だったのかい。まぁまぁ、仲のよろしい事で。」
鼓膜が破れるんじゃないかと思う程の大きな笑い声が周囲に鳴り響いた。一瞬、返事しようか躊躇ったが、このまま放っておいたら次はどんな手でこちらに構ってくるか分からない。
この遠慮なくデリカシーの無い一言を宣える者はこの世で一人しかおらず、俺はこの先一生この人に足を向けては寝られない大恩人。そして年を追う毎に俺の母親に似てきて、たまにどちらが正解か見分けがつかなくなる程の女性。
そう俺の伯母であり、この下宿《青空荘》の管理人、竹島十和子その人だ。
十和子は親の始めたこの青空荘を若い頃から手伝って、年を重ねた今では一人でここを切り盛りしている。
年々子供の数が減り経営は楽ではないとの事だがそれでも未来ある学生の為に続けているという。十和子さんは口は悪く厳しい半面、深い愛情を持った第二の母親のような人だ。
「だから、違うって言ってんのに。」
でも俺は俺でそれ以上強く否定しなかった。変に否定するよりも肯定も否定もせずに有耶無耶にするのが一番だ。何よりこの女が俺の話をまともに聞いてくれるとはとてもじゃないが思えない。
そんなつもりがなくても結果的に親戚一同へのお披露目会となってしまったあの日の出来事を無かった事になんて今更無理な話だ。
亜衣子には悪いが今回は若気の至りという事で自分のケツは自分で拭いてもらう事にした。
「まっ、いいか。それじゃあ、亜衣子。また明日な。」
「あんた?何言ってるんだい。さっ、変な事言ってないで二人とも早く入りなさい。」
「二人?」
「…… …… …… …… …… …… …… …… ……。」
「今、なんて言った?」
「早く入りなさいって言ったんだよ。亜衣ちゃんも慣れない場所で疲れたろぉ。晩御飯まで部屋でお休み。」
「はぁ〜い。」
何事も無かったかのように談笑しながら青空荘の入っていく二人を尻目に理解が追い付かない俺はしばらくその場で立ち尽くす事となった。




