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八色のマカロン  作者: 希主果


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解けた虹

 「なぁ、あれ。俺たちみたいだよな。」

 

 指さす先には七色の虹。通り雨が去った後、澄んだ青空にかかるそれは今まで見たこと無いくらいにくっきりと、そして色鮮やかだった。


 「赤色が汐斗で橙色は塔子、黄色が航大で緑色の呂久、青色が俺で藍色は亜衣子、最後に紫色の詩音。」


 《たまには良いこと言うだろ》とでも言いたげな表情で蒼汰は周りを見渡したのだが、思いの外反応は冷ややかなものだった。

 

 「え〜、何で私が蒼汰の隣なの?」


 初めにケチをつけてきたのは亜衣子だった。事ある毎に何故か俺にだけ噛み付いてくる奴だったので、正直このリアクションは予想通りと言ったところだ。


 「なんだよ、何が嫌なんだよ。」


 「別に〜。」


 この素っ気ない態度は少々気に食わないところであるが、それでも口角の緩んだ横顔を見ると何とも憎めない奴ではある。


 「何だ、またやってんのか?」


 「夫婦漫才、夫婦漫才。」


 呆れ声の汐斗、そしてそれに同調するように茶化してくる航大と呂久。そこは彼女にとって触れられたくないナイーブなところだったようで、亜衣子は闘牛場の牛かと思えるような血走った目で男子二人を追い回していった。


 「ちょっと、それじゃあ凪は?」


 《はい!待ってました。》と言わんばかりに満面の笑みで振り返った蒼汰であったが、視線の先にはあからさまな敵意を見せる塔子が立っていた。

 これまた何とも見事な《仁王立ち》だろうか、こんな物を見せられては此方に非がなくとも尻込みせざるを得ないではないか。


 「お、おい、ちょっと待てって。話は最後まで聞けって。」


 それにしても今日の塔子の圧が凄い。今にも土下座して許しを請いそうになるのをグッと我慢して蒼汰はもう一度、東の空を指差した。


 「ほら、七色の虹を縁取る白。俺たちを繋ぐ白。凪にピッタリだと思わないか。」


 「また、取ってつけたような……、言い訳にしか聞こえないし。」


 これは決して苦し紛れで出た言葉では無く、初めからこう言おうと決めていた、紛うことなき本心だ。だが、興奮冷めやらぬ塔子にはどうやら上手く真意は伝わらなかったらしい。

 当の凪に至っては顔を真っ赤にしてその場で蹲ってしまっている。そこにある感情は何だったのかは分からないが凪らしいと言えば凪らしい。


 凪……、彼女は良く言えば大人しく物静か、悪く言えば華が無く目立たない女の子だった。自己主張することも無く、時にその存在すら気付かれない事も多々あった。クラスのレクリエーションでかくれんぼをした時なんて誰も見つける事が出来ず、そのまま忘れ去られそうになんて事も……。

 その頃からだ、凪が《かくれんぼの女王》なんて大層な渾名を襲名するようになったのは。そして今はその片鱗を惜しげもなく見せつけている。

 だが、これでは俺がただの悪者だという事になってしまうのでそれは何とも腑に落ちない。


 「あんた、これどういう状況?凪に一体何したのよ。」


 (うぐぅぐぅ……。今日は何て日だ、厄日だなこりゃ。)


 追い打ちをかけるように今度は詩音が冷ややかな言葉を浴びせてきた。四面楚歌を辞書で調べればこの状況を例文として採用されるに違いない。


 「ちょっと待て、何でそうなる?なぁ、塔子。」


 救いを求める相手を間違えているのは百も承知だ。だが、亜衣子は今だ逃げ惑う航大と呂久を追い回すのに必死で、汐斗に至ってはこんないざこざにはまるで無関心だ。頼みの綱は事の顛末を知っているのはこの女しか残っていないのだ。


 「聞いてよ詩音。蒼汰がさぁ……。」


 どうやら先程の言い分は無かった事にされたらしい。ある程度予想していた事ではあったけれど、現実を突きつけられるとそれはそれで胸に《グッと》くるものがある。

 同情を誘うような上目遣いを試みてみたが判定は覆らず、これで今日の悪者が確定する事となった。


 (はぁ〜。)


 蔑んだ疑いの眼差し、あの遠い目はこちらの真意になど触れる気はさらさら無いらしい。何より二人とも目が笑っていない。悪者を扱うにはかくあるべきと見本のようなそれだった。

 ほんのつい数分前までは何事もない平和な日で終われるはずだったのに。


 「だからさっきも言ったけどさぁ。」


 この期に及んでまだ苦し紛れの弁解を続けようとしている自分に少し驚いたが、このままと放っておく訳にもいかない。俺の性分から言えばこういうのは確実に無しなのだが、今回ばかりはそうも言っていられない。

 そう、これはこの二人に向けてというよりもその前で蹲っているその少女に対してとの意味合いの方が強い。どういう感情なのか自分でも探りかねているのだが俺は華もなく目立たないこの少女の事がどうしても気になって仕方ないのだ。


 ここまで来ると少女のご機嫌を伺おうと躍起になる自分が何だか可愛くも思えてきた。それ程に俺はこの一人の少女に固執している。それは俺だけじゃなく仁王門に並び立つ仁王像を真似たのかと思う程に見事な阿吽の呼吸を見せる塔子と詩音にも言える事なのだが、ここまでくるともう、一つの病気だとも言える。


 「だから、ちゃんと話しを聞けって……。」


 「ちょっと……、」


 「 …… 、」


 「 ………… 、、」


 「 ……………… 。」


 《ジリリリッ》

 無機質な和音の羅列が部屋中に鳴り響き、蒼汰は目を覚ました。


 まただ、またあの夢だ。もう何年も経っているのに未だに現れる昔の記憶。今尚、色褪せないそれにはほとほとうんざりする。


 それにしてもこんなにも目覚めの悪い朝は久しぶりだ。今日は何とも気怠く、指先一つ動かすのにもそこそこの労力が必要だ。これが昨日なら今から二度寝を決め込むところであるのだが、残念ながら今日からはそういう訳にはいかない。


 眠い目を擦りながら取り敢えず、こちらの事情などお構いなしに叫び散らすスマホのアラームに目をやった。


 「ヤバっ!」


 液晶画面が示す無情なる数字の配列は彼を一気に悪夢から現実へと引き戻し、顔中から血の気が引いていく感覚に思わず嘔吐いてしまった。


 昨日は早く寝たはずなのに、あんな夢を見たばっかりに出だしから躓く事になるなんて……。つい先日までウザいと耳を塞いでいた母親の金切り声、そして何で《起こしてくれなかった》のかと文句が言えないこの状況……、今となってはなんと有難かった事か。

 慌てて吊るしておいた制服に袖を通した蒼汰は今ならまだ走ればなんとか間に合うと朝食もそこそこに下宿先の部屋を後にした。


 15歳の春、俺は県外の高校に進学した。この決断にはみんな一様に驚いたようであるが、俺にとっては単なる思いつきなどでは無く、以前から極秘裏に計画を練っていた事なのだ。

 だが、この高校に特別拘りなど無い。もちろんやりたい事があった訳でも現状に大きな不満があった訳でも無い。それでも俺はこの計画を実行に移さなければならなかった。


 これは誰のためでもない……。これはこれからも《俺が俺であり続ける為》に絶対に必要な事だったのだ。


 だが、これは決して簡単な話では無い。決して裕福とは言えない家庭で育ち、取り分けて優秀でもない凡人日本代表のような俺にとってこれは無謀とも言える挑戦で雲を掴むような話である。


 それでも誰にも頼ることは出来なかった。親や担任に相談したって軽くあしらわれるだけだろうし、ましてやあの幼馴染達に相談するなど以ての外だ。彼奴等なら途端に心の内まで見透かされてしまいかねない。

 この計画が頓挫するなんて事が起こったら俺の今後の精神状態に関わる大問題だ、世紀の大悪党になるなんてまっぴら御免だ。

 この着地点の見えない未来予想図は酷く難解で何度となく心が折れそうになったものだが、思いがけない話が舞い込んできたのは中三のお盆の事だった。


 ……夏の日差しが突き刺さるとある日、親戚が一堂に会する法事の席の出来事。俺の一族は資産と呼べる代物はてんで無いくせにやたら《家族、家族》と繋がりを大切にする家だった。冠婚葬祭は勿論、些細な法事でも何かにつけてみんなで集まろうとする事が多い。


 当時、受験生だった俺は当然ながら声高々に欠席を宣言してみたのだが、《どうせ勉強しても一緒でしょ》とものの見事に一蹴されてしまった。それを亜衣子に愚痴ったら何故かこっ酷く怒られ渋々参加する事になってしまった。

 何でも俺に突っ掛かってくる亜衣子らしいと言えば亜衣子らしい。本当は義理人情に厚く深い愛情を持っているやつなのだが、如何せん感情表現が不器用で誤解を生みやすいのが玉に瑕だ。


 (まぁ、それがあいつの良いところでもあるのだが……。しかし、俺もこんな事くらいで引き下がるほどやわじゃない。)


 法事当日の朝、皆が準備で忙しくしている中、俺は台所の勝手口の前で身を潜めていた。勿論手伝いという殊勝な心意気では無い、機を見て家から抜け出す算段を立てた。何が嫌という訳でも無かったが反抗期真っ只中と言えばそれまでだ。


 人の気配が途絶えたのをここぞとばかりに隠し持っていた靴と共に俺は勝手口を開けた。

 まんまと家から抜け出すことに成功……、したはずだった。


 《ニタッ》

 陽の光を背に目の前に聳える一つの人影、見上げたその顔にはしてやったりと嫌らしい笑みが浮かんでいた。


 「亜衣子!」


 (しまった……。)


 迂闊だった、愚痴った相手が悪かった。名前を呼ばれたこの娘には俺が強硬手段に及ぶ事まで見透かされていた。しかも何故かご丁寧に黒色のフォーマルなワンピースまでお召しになられてやがる。


 (それにしても馴染みの女子たちは揃いも揃って仁王立ちで睨みつけてきやがる。このポーズが流行っているのか。)


 結局、観念した俺は法事に出席する事にしたのだが、一番驚いたのは部外者であるはずのこの娘も俺の隣に陣取った事だ。


 抜かりがない……、手に持っていた数珠は小さめの小さな珠が連なった清楚な作りで良くもまあここまで準備したものだと改めて感心させられた。

 法要後の会食が始まる頃には酔っぱらった親類と思わしきオヤジたちに酌をするまでに馴染んでいたこの娘を《ただの幼馴染》と言い聞かせるのは少々無理があるほどになっていた。

 おそらくこの場にいる誰もが《彼氏彼女》と勘違いしているに違いない。俺と亜衣子は一応否定してみたが、この娘は時折満更でもない表情を浮かべたもんだから逆に怪しまれる結果となってしまった。


 (全く、何を考えているんだか……。)


 斯くして予期せぬ形で故人を偲ぶ会から亜衣子のお披露目会となったこの集まりはみんなの恰好の餌食となり異様な盛り上がりを見せる事となってしまった。

 次から次へと飛び交う質問の嵐、まるで大海原に二人投げ出された気分だ。そんな航海の先で隣県に住む母方の伯母がとある高校の近くで下宿を営んでいるという話を聞きつけた。

 幸か不幸か下宿生は年々少なくなり経営も楽では無いらしいのだが、それでも学生の為に行けるところまで行くとの言葉は何とも女気溢れる話である。

 今更ながら親元から離れての生活に不安が無いと言えば嘘になる。それよりもこの街から一日も早く出たい、そうでなければ《俺が俺でなくなる》、その思いのほ方が強かった。

 俺は亜衣子が側を離れたその隙を狙い、伯母にそっと事情を伝える事にした。これは一世一代の賭け……である。


 久しぶりに会った甥に話しかけられて嬉しそうな表情の伯母は初め話半分で聞いていたのだが次第に俺に特別な何かを感じとったのか、突然席を立つとその足で母の元まで歩いていった。

 姉妹の見せる何やら険悪な雰囲気は大盛り上がりの会場を一気に凍りつかせたのだが、やはり《姉は強し》というところか、話を終え席に戻ってきた伯母は威厳に満ちていた。


 「後はあんた次第だからね、かなりレベルの高い学校みたいだから。まぁせいぜい頑張んなよ。」


 「あぁ……、そ、それなら問題ない。それよりありがとう。」


 額の汗が止まらない、強がって見せているのは明白だった。成績は中の下、これが秀才の汐斗であれば少しは現実味のある話という事になるのだろうが、万年赤点回避が目標の俺にとっては相当高いハードルだというのは誰しもが思う事だった。だが、あの伯母に啖呵を切った以上今更無かった事に……、なんて言えるはずもなく俺は黙って腹を括った。

 ただ一番気がかりだったのは親戚一同に謎のお披露目となってしまった亜衣子である。


 何事も無かったかのように席に戻った俺を待ち受けていた彼女は意外にも静かだった。あれ程に周りを凍りつかせた話題だ。話の全容は聞こえていなかっただろうが、言葉の端々を集約すればどんな内容だったかくらいは大凡の検討がつくはずだ。こんな話題であればいつもウザ絡みしてくるのが亜衣子のはずだったのだが、今に限ってはそんな素振りは見せず俯いて注がれたオレンジジュースを口にしていた。

 何にせよ、これで先の見えなかった俺の未来予想図が少しずつ動き出す事となった。


 それからは彼奴等との付き合いもそこそこに参考書と問題集、そして過去問との格闘の日々、《脇目も振らず》を文字通り遂行して見せた形だ。

 明らかにこれまでとは違う勉強に対する積極的な姿勢に一同驚きを隠せないでいた。航大や呂久なんかは悪い物でも食ったんじゃないかと本気で心配する程だ。

 それでもどうやら此奴等に事情を知られていないあたり亜衣子もあの事は誰にも話さなかったようだ。そもそも、亜衣子自身が《また戯言を……》と本気にしてなかったとも考えられる。


 結局、汐斗と詩音は県内の有名進学校、塔子と航大と呂久は近くの公立校に進むことになった。そして亜衣子は……?


 そう言えば俺と同じであいつもこの話題になると途端に歯切れが悪くなった。だが、不用意にこの話題を切り出せば特大ブーメランともなりかねないし、それにこれは今後の人生設計にまで関わるナイーブな話題でもある。下手をこけばこれまで培った友情に大きな亀裂が……、なんて事だって起こりかねない。


 (まぁ、あの亜衣子の事だ。ちゃんと落ち着いたらいつもみたいにウザ絡みしてくることだろう。)

 

 本当なら旅立つ前にちゃんと打ち明けるつもりだったが、補欠合格の通知は思ったより遅く、その後の入学手続きや引っ越しやらで結局、挨拶も禄に出来ないまま現在に至っている。


 (彼奴等、元気でやってるだろうか?)


 朝は思いの外、人通りがまばらだ。校門へと続くメタセコイヤの並木道は秋に色付く真っ赤な紅葉が有名で混雑すると聞いたのだが、この時期は新緑の息吹が見え出したばかりで学生以外の通行は稀なのだそうだ。

 頼りの学生たちも見渡す限り見当たらない。それもそのはず、今日は入学式で登校時間はとっくに過ぎており、今は式の開演がチラつく時間帯だ。誰かの保護者であろうかスーツを着た数名の大人が歩いているのだがそれも数える程に少ない。


 登校初日という事もあり鞄には筆記用具しか入っていなかったのは不幸中の幸いだったが、下ろし立ての紺の学生服は時速8キロの風圧とそれを生み出す機械的な動作のお陰で所々シワになってしまった。

 だが、そんな事に構っている余裕は無い。このままでは入学式そうそう遅刻は確定だ、こんなの変に悪目立ちするに決まっている。

 新しい環境で心機一転、平穏な学生生活を願う俺にとってはとても看過できる話では無い。


 流れる景色と向かい来るメタセコイヤのその一角、ふと視界に入った小さな身体を精一杯丸めて蹲る後ろ姿。その制服から察するに同じ学校の女子で間違い無いのであろうが、それにしてもあんなところで何をしているのだろうか?

 見た感じ、体調が優れないといった緊迫した様子は感じられない。どちらかと言うと自らの意思でその場に留まっているといった感じだ。

 いや、それよりもあの幼さ残る小さな背中はどうにも気になって仕方ない。


 懐かしく……、


 何処か切なく…… ……、


 どうしようもなく愛おしい…… …… ……。

 

 「どうした?まだかくれんぼの時間じゃないぞ。」


「…… …… …… ……!?」


 (しまった!何言っているんだ。)


 思わず頭の中のつぶやきがつい漏れ出てしまった。途端に全身の血管という血管が広がり、血液が勢いよく上に昇っていくのが分かる。


 (か……、か……、顔が熱い。)


 《これはいかん》と火照る頭を冷ますため、今度は頭をブルブルと振ってみたものの意識が徐々に遠のいていくばかりで効果は殆ど得られない。それどころかこの奇行のお陰で先程の失言に拍車をかけた形となってしまった。

 《墓穴を掘った》と改めて後悔したが時すでに遅し、蹲るその女の子はいまだピクリとも動かない。これは絶対怖がらせたに違いない。


 「ゴメン、揶揄うつもりじゃなかったんだけど。つい、出来心で……。」


 (はぁっ、何言ってんだ俺は。これじゃぁ悪気があったと言ってるようなもんじゃないか。)

 

 動揺は全身を駆け巡り、次第に中枢神経を蝕んでいく。気付いた頃には何故か手をバタバタとさせていた。

 これはなんとも怖ろしい……、テンパり過ぎて死ぬんじゃないかと思ったのは後にも先にも今日が初めてだ。


 「くすっ。」


 淡く澄んだ笑い声、よほど耳を澄まさないと聞こえないくらいのボリュームだったが幸いな事に明らかな敵意は感じなかった。

 彼女はそのままそっと立ち上がると、赤みがかった黒髪を靡かせて振り返った。


 《凪!?》

 目の前には絶対に《いるはずのない》かつての馴染みが立っているではないか。


 血管が透き通るのではないかと思えるほどに白い肌と赤みがかった艷やかな黒髪。華奢な身体つきは記憶のそれのままであるが背丈はあの頃に比べて随分と高い。


 蒼汰は自分の目を疑った、そして自分の五感を疑った。こんな事はあるはずがない、あの時確かに……。

 背中に走る稲妻のような衝撃に折角落ち着き出した鼓動が再びその慌ただしさを色濃くしていく。

 

 (い……、いや!違う。)


 《あり得ない、よく見ろ》

 彼女には首元のホクロがない。顔のパーツだって化粧をしているというのもあるのだろうがどれも華やかで、目立たず質素な彼女を思わせる要素など何一つないではないか。

 似ても似つかないその容姿にようやく我を取り戻した蒼汰は今一度思いを巡らせてみた。凪がこの場にいるなんてあるはずがない。いや、絶対にあり得ない。どんなに《会いたい》と願っても絶対に叶える事は出来ない。そんな場所に彼女は旅立ったのだから。

 募る想いが強すぎてたまたま見かけたこの子に凪を重ねてしまっただけ、きっとそれだけに違いない。

 それにしても目の前に立つその少女のその立ち姿や雰囲気は紛れもなくかつての馴染みである凪そのものだった。

 

 蒼汰は依然として呆然と立ち尽くしていた。混乱と平静がループし続け、この娘にどう接したら良いか決めあぐねていたからだ。これ以上の失態はこれからの三年間に響きかねない。

 そんな様子に右手で口を覆いながらクスクスと笑うその仕草は幼き日の凪、そのものだ。こんなのは彼女の家族でもなければ見分けなどつくはずがないのだろうが、かくれんぼの女王の事を熟知している幼馴染の俺だから出来ることだ。


 「分かってる、心配してくれたんですよね。気遣ってくれてありがとうございます。」


 此方の心情を察してか彼女から話しかけてくれた。見た目からは想像できない柔和な声色。そのどこか懐かしい響きには1/fゆらぎににも似た安らぎがあり、頭の中をリフレインしていた。


 (このままでは意識の全てを持っていかれる。)


 蒼汰は持っていた鞄を投げ捨て、目一杯両手で頬を叩いた。彼女を驚かせたに違いないが、こっちは理性を保つので精一杯だ。形振りなんて構っていられない。


 「ちょっと、急にどうしたの?いやだ!赤くなってるじゃない、大丈夫?」


 持てる力を振り絞った渾身の一撃は見事その目的を果たす事に成功したのだが、やはり《彼女を驚かす》といった望ままざる結果は避けられなかった。


 「あぁ、へいき、平気。それより君こそ何してたの?」


 「あっ、うん。実は……。」


 彼女は身を翻し、落とした視線の先には一匹の子猫の姿。命を落とした……、訳では無さそうだが元気は無く、体を丸めて静かに横たわっていた。


 「この子、さっきから動かないの。どこか具合でも悪いのかな。」


 「そ、それは心配だ。見たところ怪我もして無さそうなのに……。ちなみにこの子は君が飼っているの?」


 「ううん、違うの。たまたま通りかかって見つけたの。気になってこのままにしておく訳にもいかないし。」


 よく見ると彼女の手に何か握られていた。その大きさと仄かに香る甘い香りから菓子か何かであろう。


 「その手に持っているのは?」


 「あっ、これ?私が作ったマカロン。甘いも物を食べたら少しでも元気になるかと思って。」


 「それは駄目だよ。人には良くてもこの子には毒になりかねない。」


 「えっ!そうなの?良かったぁ、食べさせる前で。」


 目を丸くしてこちらを見つめる姿は屈託がなくまるで教えを請う子供のよう、そう言えば前も同じ事があったな……、

 

 …… …… ……、


 「ねぇ、みて、見て。かっわい〜。」


 いつになく塔子がはしゃいでいた。いつもは頼りになる姉さん的ポジションでどちらかと言えば怖い印象を持たれがちな彼女であるが、こと好きなものにおいてはそれは当てはまらない。


 公園の大きな滑り台の側、片手で持てる程の大きさの段ボールの箱。中からは《にゃ~、にゃ~》と庇護欲を擽る愛らしい鳴き声、小刻みに震えるその声の持ち主は正に彼女のストライクゾーンド真ん中であった。

 

 「お腹空いてんのかなぁ。」


 次に覗き込んだのは呂久だった。お調子者の彼は時に悪ふざけが過ぎるきらいがある。放っておくととんでもない事を仕出かしかねない。仕方なく俺はその話の輪に入りこの自由人を観察する事にした。


 「何か無かったかなぁ。そう言えば……。」


 呂久はランドセルの中身を豪快にその場に広げると何かないかと探し始めた。


 (おいおい、真っ当な小学生の鞄から猫が食べられる物があるわけ……。)


 「あったぁ~。昨日おばぁちゃんからもらったマカロン。帰りに食べようと入れておいたんだ。」


 (まともじゃ無かったかぁ〜。)


 「へぇ~、良いじゃん。絶対、この子喜ぶよ。」


 いつになく浮かれている塔子は年相応に幼く見えて、姉御なんて影で呼ばれているとは想像もつかない。


 「そ、それは駄目……だよ。人には良くてもこの子には……、毒かも……しれない。」


 塔子の背後から聞こえるか細い声。声量がなさ過ぎて、周囲の喧騒に負けて所々かき消えてしまっているのだが、それでも何故かこの七人の心に突き刺さってしまう。それ程に俺たちの中で凪は大きな存在だった。


 「えっ!本当?知らなかった。」


 「うん……。少しなら大丈夫だと思うけど、砂糖の糖質やアーモンドの脂質は……、この子にはちょっと……刺激が強すぎるって……。この前、本で読んだから。」


 生まれつき体の弱かった凪は本を読んで過ごすことが多く、博識なのは俺たち以外でも有名だった。その事で他の奴に揶揄われる事も少なく無かった。勿論そのたびに俺たちの出番がやって来るのだが、中でも俺が一番、次いで塔子の粛清数が多かった。


 「やっぱり。流石、凪だね。」


 …… …… ……、


 そうか、これは凪の受け売りだ。生物系は割りかし得意な方だがちゃんとした理由を俺が説明できるとはとても思えない。

 あの時の記憶は今も俺の中でちゃんと息衝いている。


 「じゃあ、どうしよう?」


 「ちょっと待って、確か。」


 蒼汰は放り出した薄っぺらい鞄を探り始めた。これじゃ《呂久と一緒だな》と何だか照れくさい気分になったのだが、取り出したのは一本のペットボトル。中に無色透明、混じり気のないミネラルウォーターだ。ペット用とまではいかなかないがあの時の呂久よりは幾分マシだろう。


 (小学生のくそガキと張り合って、いい気になってるだなんて考えただけでも笑えてくる。)


 掌に少しの水を汲み、猫の鼻先に近づけてみた。ただならぬ気配を感じたであろうか、その猫は薄っすら目を開けたのだが、てんで飲もうとする気配は無かった。


 「やっぱり何処か悪いのかなぁ?全然飲もうとしない。どうしよぉ?」


 (どうしよぉ……、ってもなぁ。そう言えば、あの後も確か……。)


 …… …… ……、


 凪の助言で何とか呂久をA級戦犯にせずに済んたのだが、問題は何ら解決した訳では無い。あの姉御を魅了した伝説を作った張本人はいまだあの段ボールの寝床で罪なほどの愛くるしさを振り撒いていた。

 折角、八人もいるのに残念ながら誰一人として人以外の家族を持った者がいなかった。当然ながらこういった場合のノウハウなど持ち合わせておらず、頼りは凪の知識欲の矛先がそこにあるかどうかだった。


 「ねぇ、凪。これからどうしたらいい?」


 初めに切り出したのは詩音だった。冷静な物言いはここに来て何とも安心感がある。緻密な分析の元、凪に頼る事が最適解だと判断しての事だろう。


 「えっ……と。」


 言葉に詰まる凪、曇ったその表情は明らかに迷っているように見えた。


 「心配しなくていい、間違っていても誰も責めたりはしない。何よりここにいる誰もこの手の話には詳しくない。お前の思ったことを話せばいい。」


 これが人に教えを請う態度か?と思える程に横柄な言い方。これがもう一人の秀才、汐斗だ。こいつはこの状況で眉一つ動かす事なく言ってのける事の出来る、かなりの曲者だ。まぁ、これも凪の心の揺らぎを感じ取ってのことなのだろうが、たぶん俺ならそうとは知らず喧嘩になっている。


 学校の成績は常に上位、《成績優秀》《スポーツ万能》で学校のヒエラルキーでも常にトップに君臨している。

 詩音とはタイプが似ている事もあってか一緒にいることが多い。故に《こいつら付き合ってんのか?》と野暮な勘ぐりを何度した事か。

 ただ面と向かって聞いたところで軽くあしらわれるだけなのだろうし、詩音に冷たい視線を浴びせられる方がよっぽど怖ろしい。


 「ううん……、警察に……、大人に……、相談するのがたぶん正解なんだと……思う。」


 「そうか。それで?」


 こんな時、汐斗はとても嫌らしい聞き方をする。凪は言われた通りの模範解答を頑張ってスピーチしたはずなのに凪の本心はそこじゃ無いだろと見透かしているかのようだった。


 「あっ……、うん。たぶん、この子捨てられちゃったんだと……思う、だから前の飼い主はおそらく手を挙げない。もし……、次の飼い主が見つからなかったら……」


 「あっ、それ。この前テレビで見たことある。」


 間に入ってきたのは亜衣子だ。せっかちで行動力のあるこいつにはこの間延びした会話は少々きつかったようだ。


 「あっ、それ!俺も見た。ありゃ、可哀想だぜ。何とかならないのかよ、凪。」


 続いて航大が乗ってきた。興味があってか会話に入ってきたのだが、やっぱり凪頼みかよとツッコミも入れたくなるくらいに会話自体に中身が全然ない。此奴は昔からこんなやつで全然変わってない。


 何故か変なプレッシャーだけが凪に伸し掛かる結果となってしまったのだが、当の本人はそれがあっても無かっても全くブレることなく《おずおず》《モジモジ》していた。


 「悪いな、凪。なんか変なもん背負わせるような事になっちゃって。嫌なら嫌って言ってもいいんだぜ。」


 ガキンチョの俺の思考回路に特別な感情があるなんてとてもじゃないが思えない。だが、その少女の華奢な腕がプルプルと震える姿を見てしまうと何故だか甘やかさずにはいられなくなってしまう。


 「ありがと……、でも大丈夫。」


 そう言うと凪は背筋を伸ばし、腕を前後に大きく広げて一呼吸。すると腕の震えはピタリと止まった。


 「社会的に……、大人の言う……、正義であればたぶんこれは間違い……、でも私はこの命を守りたい。このまま放っておくなんて私出来ない。次の飼い主が見つかるまでここでお世話したい。」


 「私も同じ!」


 塔子の同意を号令に俺達はこの可哀想な子猫の面倒を見る準備を始めた。それに際して必要な物は全て凪の指示だ。俺と汐斗は寝床の準備、航大と呂久は食事の準備、亜衣子と塔子、詩音には《飼い主探してます》のポスター作成と貼り出し、どれも短時間で考えたとは思えない程に的確な指示だった。


 (適材適所とはこの事だ、皆の得意分野を瞬時に見定めて指示を出している。何より自分は一番難しい身の回りの世話を積極的に買って出ている。俺等が惹きつけられるのはきっとこれのせいなんだろうな。)


 そんなみんなの頑張りの甲斐あって日に日に元を取り戻すその子猫であったが、思わぬ形で終焉を迎えることになった。


 放課後、いつものように八人で塔子に《小春》と名付けられたその子猫の待つ公園に向かった。今日のお土産だ、家庭科の実習で余った蒸し鳥のささ身を呂久がこっそりポケットに忍ばせていた。

 いつもの公園のいつもの回転遊具の陰、何故かいけない事をしているような後ろめたい気持ちになってみんな自重しながらあの子が待つ秘密の場所に向かう。これが今の俺達の日課、いつもの時間。何も変わるはずないと決め込んでいたのだが今日に限ってはそう上手くはいかなかった。


 「小春!」


 いつもの公園、そしていつもの遊具の側、ただいつもそこにいるはずの小春の姿が無かった。

 少しずつ元気になったあの子は《ちょっとお散歩に》のつもりなのだろうか、ちょくちょく寝床から抜け出してみんなを驚かせる事は確かにあった。初めはすごく心配したものだが本人は何喰わぬ顔で寝床に戻る姿を見つけると得も言われぬ安堵と共に巣立ちが近いのだなと子供ながらに感傷的になったりもしていた。

 だが、今回は明らかに違う。小春どころか俺と汐斗の力作でもある寝床すら無くなっていたのだ。あれは風に飛ばされては大変と水の入ったペットボトルの重りをつけていたのであの子が動かしたとはとてもじゃないが考えられない。

 野良犬に襲われたのかとも思ったがそれでは争った痕跡が残るはずだが、今のところそんな血生臭い様子は見られない。

 

 「こはる〜!こはる〜!」


 真っ先にその名前を呼んだのは塔子だった。感じ取った異変を現実の物にしたくなかったのか、何処か演技っぽく見える。その大根役者っぷりはその後に続くかどうか躊躇ってしまう程だ。


 その動揺は他の七人にも直ぐに伝染し、いつも能天気で飄々としている呂久ですら目は泳ぎ、声が上擦っていた。


 結局、小春は俺達の元に姿を見せる事は無かった。風の噂では保健所の職員が保護する姿を見ただとかガラの悪い高校生が寝床を蹴飛ばしているのを見ただとか……。

 今となってはどの噂も本当かどうか分からず、ただ一つ分かっている事は小春が俺達の前に現れる事は二度と無かった。しばらく俺たちもその公園に通っていたのだが、それも次第に足が遠のいていった。

 そして俺達の日常は何も変わらず動き始めた……。


 …… …… …… …… …… ……、


 随分前の出来事だ。苦く儚い思い出は数多の記憶の中で少しずつ色褪せていったのに、いざ思い出してしまうとどうにも頭の中から離れない。暫し呆けてしまったが、待たせた相手にはこの難題の対策を練る時間とでも言い訳するしかない。


 「取り敢えず病院かな。駅前に病院があったんじゃないか?確か《盛華アニマルクリニック》だったか?」


 これはあの時に選べなかった選択だ。別にあの頃をリグレットしている訳じゃないがこの決断を……、凪の後押しが出来ていたなら俺は今は変わっていたんじゃぁと考えてしまう。


 「う〜ん、そうだね。やっぱりそうだよね。やっぱ、《餅は餅屋》私たちが悩んでもきっと分からないだろうしね。よし、今から行ってみる、ありがとね。」


 「ちょっと待てって、今から?君だって学校があるんだろ。」


 「うん、そうだけど……、このまま放ってはおけないよ。」


 (放っておけないか。凪がこの場にいたとしら、きっと同じ事を言ったんだろうな。)


 「分かった、乗りかかった船だ。俺も行くよ。」


 「えっ、駄目だよ。学校にはちゃんと行かなきゃ。しかも今日は入学式なんでしょ。」


 「何で知ってるんだ?」


 「へへっ、そりゃ分かるよ。下ろし立ての少し大きめの制服、それがシワになるくらい急いでるって事は……。」


 「なるほど、鋭いね。……ってかその理論でいくと君もそうなんじゃないのか?」


 艶のある紺のブレザーに純白のブラウスはシワ一つなく折り目正しく淀みがない。新品特有の鼻につく匂いしなかったのは流石は女子といったところだろうか。この日の為に丁寧に扱っていたのは一目でで分かる。


 「はは、バレたか。そっ、私も一年なんだ。」


 少しはにかんだその笑顔には年相応の明るさと茶目っ気があり、やはりさっき覚えた感覚は俺の思い違いだったのだと安堵させた。


 やっぱりあいつはもういない……。そして解けてバラバラになった俺達の虹。どんなに強く願おうともそれは叶う事など無いのだから……。


 「小春!?」


 後ろから聞こえる女性の声、やや乱れた息遣いと上擦った抑揚に俺は一先ず安堵した。直ぐに振り返って確認するとそこには初老の女性が立っていた。


 両手で持つ猫用の折り畳みゲージは簡素なプラスチック製ではあったが、所々に散りばめられた桜の装飾が施され、一目でこの人がいかに小春という娘を大切にしていたかを推し量ることが出来る。そして、整った身なりに似合わない靴下にゴムサンダルといった出で立ちはよっぽど慌てていたのだろう、見ていて微笑ましくもあった。


 「もしかしてこの子のお母さんですか?」


 気さくに話しかける少女にその女性も安心したのだろう、先程まで切らしていた息もようやく整い、何とか会話できる迄に回復していた。


 「は、はい。今朝から急に姿が見えなくて。いつもは出掛けても直ぐに戻って来るのですが今日に限って全然帰って来ないので心配してたんです。」


 「そうなんですか、良かった……。あっ、ですが小春ちゃん、足を怪我したのか歩けないようなのです。一度、病院で診てもらった方が良いと思います。」


 「お二人が介抱して下さったんですね。貴方がたがいなければ、もしかしたら……。本当に何とお礼を申したらいいか……。」


 「あ、いえ。そんな大した事はしていませんよ。でも本当に良かったね、小春ちゃん。お母さんが見つかって。」


 怖がらないよう優しく抱きかかられた小春は飼い主のその女性へと引き渡された。


 (はぁ〜、取り敢えず一件落着……だな。それにしてもあの子の名前だけは何とかならないものか?ここまで人の思い出に土足で入ってくるというのは何とも戴けない。)


 去り際、俺は何とも複雑な心持ちだった。しかし、名残惜しそうに見送る少女の横顔を見ていると水面に浮かぶ泡のように小さな音を立てて弾けて消えていった。


 「さてと、俺たちもそろそろ学校に行かなきゃマズイんじゃないか?」


 蒼汰が差し出した腕時計の長針は実に残酷な方角を指し示していた。先程までの彼なら確実に腰を抜かしていたであろうが、何故かこの少女といると《こんな小さな事で……》と変に強がってしまう。


 「そだね、もう式が始まってる頃かもしれないね。急ごっか。」


 「あぁ、そうだな。行こう。」


 一先ず、何とか最低限の使命を果たし終えた二人は何とも晴れやかな気分で再び学び舎に向かって歩き出した。

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