84話:ある邪竜の運命論③ sideエリオ
「フレン先輩について、考えてるんですか?」
「……」
返事はない。けれど、僅かに兄さんの視線が動く。
「あの日、なんで先輩が泣いてたか、兄さんはご存知ですか?」
「……」
兄さんがこちらに顔を向ける。座っているから彼が僕を見上げる形になるのに、まるで見下ろされてるかのような威圧感を感じた。
いつも兄さんが会話をする時は先輩の方を向いていた。だから、正面から兄さんの顔を見つめたのは、初めて兄さんと出会った日以来、今日が2回目だった。
全ての竜族が、本能的に拒絶する強大な存在。僕と同じ色の筈の瞳からはなんの感情も読み取れない。
「先輩は怯えてたんです。自分の……」
「……俺なら、何からでもフレンを守れる」
話を遮られて告げられる、圧倒的強者としての偽りない本音。確かに、相手がいるならそうだろう。
「兄さんでも無理ですよ」
「………なんで?」
この数秒の間が、却って恐ろしい。答え次第では、比喩ではなく首が飛ぶだろうということが本能でわかってしまうから。
「……先輩が怯えていたのは、自分が夢魔である事だからです」
「……っそんな事、ありえない!!!」
兄さんが立ち上がると同時に、魔力圧が膨れ上がる。耐性の無い人ならそれだけで倒れるようなプレッシャーを放ち、こちらを見る目は瞳孔が開いていた。今僕の首が繋がってるのは運が良かったからだろう。
「……っ、あの日先輩は羽の形でそれが周囲にバレるのを恐れて、1人で隠れていたんですよ」
「……あんなに、綺麗なのに、隠す必要ない」
やっぱりというか、全く話が噛み合わない。この状況で兄さんがまだ僕の話を聞いている事が奇跡だった。
「兄さんだって、世間で夢魔がどういう扱いを受けてるか位知っているでしょう?先輩はそれを怖がっていたんです」
「……それは間違いだから、フレンとは関係ない」
いくら世間に興味がなくても夢魔に関する書籍を集めているからか、流石に兄さんも夢魔への偏見を知っているらしい。
確かに兄さんの言う通り、世間のイメージが間違いだ。けれど、そんな単純じゃないのがこの世界だ。
「兄さんも見たでしょう?先輩が泣いていたのを。これが事実で……」
「黙れ」
「っ!?」
魔法すら使われず、ただの魔力圧で僕は体を床に叩きつけられた。その衝撃に、僕が起き上がることすらできず目線だけで兄さんを見上げると、逆光で真っ黒になった彼の顔が見えた。その中で煌々と光る緑の瞳が本能を刺激し何よりも恐ろしく感じる。本当なら今からでもここから逃げ出すのが正しい行動なんだろう。
「僕には、兄さんが先輩の事を、どう思っていようと口を挟む権利はありません。……ですが、先輩が兄さんにしてくれた事を、もう少しちゃんと受け取って、ください。」
「……フレンが……してくれた事?」
だけど、僕はそれを選ばなかった。
体が押し潰されそうで、息をするのさえ難しい。言いたい事も途切れ途切れにしか言えない惨めな状況で僕は僕の主張をすることを優先した。
だってこのままではあまりに先輩に失礼だと思ったから。先輩が兄さんにしてくれた事はきっと僕が知ってるより遥かに多い。僕にすらこの短い期間で沢山のものをくれた先輩が、兄さんの為に涙を流すくらい心を割いている事を僕は知っている。だからこそ、それらを全て運命という言葉で、夢魔だからという理由で深く考えず、気にも留めない兄さんの態度が僕は1番気に食わない。
「先輩が優しいのは、夢魔だからじゃありません。先輩だからです。」
「……でも、フレンは俺の夢魔で……」
「兄さんがどう思おうと自由ですが……先輩の行動の理由が種族ではない事くらい本当はわかってるんじゃないですか?」
僕の言葉がどこまで届くかはわからない。次の言葉を出す前にこのまま押しつぶされても不思議ではなかった。
でもその時ふいに、本棚の端から物が落ちる音がして、それが目に入った瞬間兄さんの動きが止まった。
先輩が兄さんにあげた誕生日プレゼントのフォトフレーム。空色の枠に先輩が優しく笑ってる写真が嵌めてあるそれはこんな時でも綺麗で、邪竜の目すら奪う物だった。
「…………」
それっきり兄さんは何も言わなかった。
僕の言葉を全て理解してもらえたとは全く思わない。そんな事はありえないから期待するだけ無駄だ。だけど、彼から放たれる魔力圧は少し軽くなった気がする。
邪竜の行動を止める事はできない。兄さんが先輩に……恋、しているなら、それは僕には止める事ができない。この言葉をここで使いたくないけれど、邪竜が決めた事は運命だから、逃げる事は不可能だろう。
でもその時に、兄さんが先輩を苦しめる決めつけや押し付けをしないでいてくれるように、ほんの僅かな可能性の揺らぎくらいは残したかった。だから今日僕はここに来た。
もう一度先輩が泣く姿を見るくらいなら、僕はここで命を落とす方がましだと思ったから。
段々と兄さんの魔力圧がおさまり、体の自由が効くようになったので僕はよろめきながら立ち上がり扉の方に向かう。ここにこれ以上長居する必要はない。命があるのが奇跡なのだから。
だから、最後に一つだけ。
「一昨日、先輩の誕生日だったのをご存知ですか?」
どうしたらいいとか、そんな話をする義理はない。兄さんは僕を追ってこなかったのでこの話はここで終わりだ。
きっとまだ兄さんの中では運命が真実で、何も変わっていないだろう。
明日から何かが変わるとも思えない。
それでも、僕は今日命をかけてあの人の為に何かができた事に誇りを持っている。
こんな事で先輩の秘密を勝手に覗き見てしまったあの日の罪悪感は消えない。だけど、これから先の先輩が少しでも笑ってくれるように、僕はささやかな運命への抵抗をした。
もう二度と先輩には泣いてほしくない。それだけが僕の願いだから。




