7話:運命の契約、刻印について
六月半ばの今日、学校はその噂で持ちきりだった。
噂の中心は俺の担任のエミ先生の結婚……それに加えて、その刻印について。
結婚は物凄くめでたいことだけど、それだけじゃここまで話題にはならなかったと思う。学校の先生が結婚すること自体はよくある事だから。
だけど、刻印は違う、学校どころか、街でも、国でも数年に1人いるかどうかなんて物だ。
魂と魂を結びつけ、お互いの運命を共にする誓い。通常刻印と呼ばれるそれはそもそも普通の人じゃできない。一定以上の魔力を持った人同士が心の底から愛する相手とキスをする事でできる特別な誓い。
具体的なやり方は……キスをした瞬間にお互いの胸元にお揃いの刻印が浮かび上がるらしいけど……見た事はないから本当かどうかはわからない。
俺たちの国には結婚って制度があるけど、結婚してても刻印はしていないのが普通だ。というのも運命の誓いである刻印だけど、メリットだけでなくデメリットもあるからだ。
まずメリットだけど、これは唯一無二の絆の証であるという事、刻印は例外を除いて生涯ただ1人の相手としかできない。つまり、絶対の愛の誓いとしての側面がある。これはロマンティックな面でのメリット。そして実用的なところで言うと、効果は様々だけど刻印をした者同士は魔力が安定して強化されるっていう効果がある。中には超常的な魔力を得られる運命の刻印なんて相手もいるらしいからロマンティックだよね。……あ、結局ロマンの話になっちゃった。
まあこれが主なメリットなわけなんだけど、この刻印、普通に生活する上ではデメリットの方が大きい。
まず、刻印をした者同士が過度に離れてしまうと精神的に不安定になりやすくなる。この時点で遠距離の結婚や仕事をしてる人にとっては刻印できない理由になる。その上離婚率がまあまあ高いうちの国で言うと、刻印したら基本的に絶対消せないって言うのもかなり大きいデメリットだ。新たなパートナーがいるのに昔の相手と魂が繋がってるなんて、気持ちがいいものではないよね。
まあ他にも細々した制限とかがあるんだけど、そんなわけで結婚は珍しくないけど刻印ってのは物凄く珍しい愛の誓いというわけだ。そして、そんな事をした人が身近にいるなら、好奇心が主な行動動機な学生が話が聞きたくて仕方なくなるのも当然なわけで
「エミ先生!刻印したって本当?」
「刻印見せて!」
「相手どんな人?かっこいい?」
なんて質問が矢継ぎ早に来て授業どころじゃなくなるわけ。
◇
「素敵な人よ、一生この人といたいって思ったの」
いつもは真面目でお堅いエミ先生が、そう一言で言い切ったのがかっこよくて、俺は授業が終わって寮に帰ってからもその言葉を反芻した。いつか、心の底から一生一緒にいたいって思える相手ができたら、それはなんて素敵な事なんだろうって思う。
「まあ俺に、そんな資格があるのかはわからないけどさ」
ベッドの上で膝を抱えながら俺は一人呟く。外にいる時は必ず身につけてる手袋を脱ぐと体だけじゃなく心も少し軽くなる気がした。
俺には夢魔の血が流れてる。一般的なイメージと違って本当は夢魔にエロい能力とかはないけど、人の心をくすぐって、操る面倒な能力は残念ながら実在している。
素手で、素肌で相手に触れたら、耐性にもよるけど大体の人は俺の虜になる……らしい。ただ触れるだけじゃなくて触れて能力を使うって行程が必要らしいけど、能力を使わなくても触れただけで反応するとも聞くしその辺りは試したことがないからわからない。
幸いその能力は、手の他は服で隠れる部分に集中してるから(特におへそ周りらしい)普段はうっかり使ってしまう事はない。でも、俺の事を好きになった相手がいたとして、その人が夢魔の能力じゃなくて俺自身を好きだっていう保証がどこにあるのか、俺にはわからない。
偶然肌が触れ合ってたら?フェロモンが漏れ出てたら?
それで俺の事を好きって相手が言ってくれても、それは本当に俺の事を好きってことになるのかな?
「あー、だめだめ、せっかくおめでたい日なんだから暗い気持ちになっちゃだめ!」
俺がベッドの上でバタバタと足を動かし暗い考えを散らしていると、コンコンっと軽いノックの音が響く。
「フレン、いるか?」
クロードだ。俺は脱いでいた手袋を急いで身につけ、扉を開く。
「どうしたの?今日何かあったっけ?」
「いや、なんとなくフレンと話したくなって」
そう言って彼は俺の好きな店のクッキーとお茶を鞄から取り出す。
「少しお茶でもどうだ?忙しいならこれだけ置いていくが……」
「ううん!俺も誰かと話したい気持ちだったから嬉しい……クロードってなんていうかタイミングがいいよね」
「そうか……?たまたま授業が早く終わったんだが、そう言ってもらえて嬉しいよ」
部屋に入ってきたクロードが俺の手元を見て呟く。
「手袋、脱いでたのか?」
「うん、部屋だしね……どうしてわかったの?」
「そうか、いや、少し表情が軽い気がしてな……その、本当に邪魔になってないか?」
「大丈夫!お腹すいたしクッキー食べたい!」
そう言って俺はクロードの手を引いて椅子を勧めて、お茶を飲みながら雑談をしてたんだけど、先ほどの考えがちらついて勝手に口が開く。
「クロードは刻印ってどう思う?」
「……エミ先生の話か、俺も聞いたけど」
穏やかな海色の瞳が少し伏せられ、そこにどんな色が浮かんでるのか俺からじゃ見えなくなる。
「俺は、いつか、大切な人と刻印したいと思ってるよ」
そう言って俺の目を見つめるクロードの瞳は、まっすぐで美しい彼の心身を映してるようで俺は目が逸らせなかった。
「クロードは……凄いね」
人間であるクロードと、夢魔である自分を比べるのは違うのかもしれない。だけど、さっきまでの絡まった糸のように悩んでいた自分と違って、しっかりと答えを出せる姿に俺は憧れとほんの少しの羨ましさを持ってしまう。
「凄くなんてないさ、俺も迷って悩んで、うまく進めない事の方が多い。だからこそ刻印だけは迷わずにできたらって思ってるだけだよ」
そう言って笑う顔はいつもの優しいクロードで、でもほんの少し知らない人のようだった。
「クロードも悩むことがあるの?」
なんでもできる、魔法も体術ももちろん座学だって常にトップで、その上優しい、自慢の幼馴染にも悩みがあるなんて全然知らなかった。
「俺はお前が思ってるほど大した男じゃないよ。ただ、そうなれるように背伸びしてるだけさ」
また、クロードの知らない顔だ。なんで少し寂しそうな顔をするの?俺といるのにクロードも寂しいの?それはちょっと悲しい。クロードに笑って欲しくて俺は手元のクッキーを口に運びめいいっぱいの笑顔を浮かべる。
「それでも、クロードは俺の自慢の幼馴染で親友だよ。今日だって誰かと一緒にいたかった時に1番に来てくれたし、クッキーも美味しい!ありがと!クロード」
砂糖とバターの優しい味わいが口に広がる。懐かしくて落ち着く感じがクロードみたいだと思った。
「ああ、俺もフレンの事を大事に思ってる。今日は話せてよかった。おやすみ、いい夢を」
いつも通りのクロードの優しい笑顔。扉が閉まるまで見つめたその顔に俺の知らない感情が残っていたのに俺は気が付かなかった。
◇
翌日のペア授業で、俺はまさかこんな展開になるとは思っていなかった。
「……フレンは、刻印について、どう思ってる?」
「え?」
「……昨日、先生が言ってたから、魂を繋ぐ……とか」
自分より二回りも大きい後輩に掴まれながら昨日散々考えた事について聞かれるとは。というかルカってこういうの興味持つタイプなんだ、意外~。刻印なんてしなくても俺最強だしとか言うと思ってたのに……なんて思ってるとルカがさらにのしかかって物理的に圧をかけてくる。
「うーん、俺は、いつか本当の俺を好きになってくれた相手がいたらしたい……かな?」
ちょっとだけ本心を滲ませながら、昨日のクロードを思い出して俺は思いを口にしてみた。クロードほどちゃんとした事は言えなくても、思ってることを曲げずに言うことだけはしたいから。
「本当の……フレン?」
「うん、本当の俺。と言っても俺もわかんないんだけどね」
口に出すと少し恥ずかしくなって俺は誤魔化すように笑い、ルカの手を抜け出して校庭に向かって走った。
◇
今日のペア授業は他のペアと合同で行うタイプで2年生同士がペアを組み、1年生の攻撃を防ぐという内容だ。
正直ルカの攻撃を防げる気はしないけど、ルカには威力の調整をするように口酸っぱく言っておいたし、今日のペアはカイだ。カイは不良だけど割となんでも器用にこなす。ワーウルフだから魔力量はそこそこらしいけど、その分身体能力が抜群に高い。
作戦会議の途中で少し暇な時間ができる。こんな時俺はいつもなら雑談で時間を潰すんだけど、今日はさっきの今でホットな話題についてカイにも聞きたくなった。
「ねえカイ、カイは刻印ってどう思う?」
「お前……ガキみてえな事聞くなよな」
意外な反応、もっと皆みたいに興味津々なのかと思ってたのに。
「俺はそんなに魔力ねぇからそもそも刻印することなんかねぇと思う。」
返ってきたのはカイらしい論理的な答えだった。
「そもそも狼は一生を一人の相手と添い遂げんだから、そんなの必要ねぇっていうか……その、お前はどうなんだよ」
「俺は……」
俺が答えようとした所で足元に魔力弾が着弾する。
「うわっ」
「やべ」
話してる内に攻撃開始時刻になっていたらしい。
そのまま膨大に降ってくる魔力弾の雨を必死で避けていたら俺はいつの間にか何の話をしていたか忘れていた。
というか、ルカにはもう一度手加減って言葉を教え直す必要があるかもしれない。いくら威力を抑えても数で押されたら普通に無理だから。
こうして今はまだ強く意識する事はなく、刻印というビッグニュースは俺達の日常に溶け込んでいった。
この事を思い出すのはまた別の話。




