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64話: エリート竜族弟の自覚① sideエリオ

 5月初めの昼下がり、基礎魔術理論の授業中。

 わかりきっている理論を聞くのに飽きて、窓越しに校庭を見ると、見慣れた春薔薇色が目に止まった。


 フレン先輩。僕の兄さんの元ペアで最近知り合った3年生の先輩。

 彼は魔法実技の授業中らしく、炎魔法を使っていたけれど――


「ふふ、なんですかあれ」


 遠くから見てもわかる辿々しい魔法陣と、詠唱に欠けがあったのだろう揺らぎを見て僕は思わず笑ってしまった。

 今度会ったらやり方を教えてあげようかななんて考えが浮かぶ自分自身に驚く。

 僕は弱い人が嫌いだ。見ているとイライラするから。だけど、先輩の事は別に嫌いだとは思わなくなっていた。

 竜族の自分と比較する以前に、絶対的に弱い人。魔力も平均だし、魔法も上手ではない。背丈は僕と同じくらいだけど僕より華奢で力だって僕より全然弱い人。実際最初は目に入るのも嫌だった。見ていると心の中の柔らかい部分を刺激してきてイライラしたから。


 なのにどうしてか、今はずっと見ていたいと思ってしまう。


 理由は、色々あってどれがきっかけかわからない。

 僕の事を絶対に見ないと思っていた兄さんが僕を見るように仕向けてくれた事。僕の魔法を他意無しに褒めてくれた事。どう言い訳しても良くない態度を取っていた僕に、変わらず声をかけてくれた事。そして、兄さんの境遇を話した時に涙を流していた事。


 先輩の大きな瞳から流れ落ちる雫は今まで見た何よりも綺麗だと思った。


 最初のうちは見る気もなかった先輩の顔を今は目を凝らして見てしまう。竜族は視力もいいのでここからでも校庭の様子がよく見え、先輩が魔法を失敗してごまかし笑いを浮かべているのがわかった。


 目がとても大きい事を知った。

 潤んだような薄灰色は目まぐるしく表情を変える。

 髪が艶やかな事を知った。

 手入れされた長い春薔薇色は風に靡いてよく揺れている。

 肌がとても白い事を知った。

 露出が少ない服装の、袖からのぞく手首や、顔は透き通る様な滑らかさをしている。

 手が小さい事を知った。

 たまに、僕の事を褒める時に触れるそれは手袋越しでも温かく柔らかい。


 ふいに先輩が動いて、その後ろ姿が見える。フードのついた魔法練習着に覆われた小さな背中。長い髪が揺れるそこを見ていたらこの間の記憶がフラッシュバックする。


『俺も羽があるけど小さくて恥ずかしいから……見せるのは無しね?』


 背中を隠す様にして言われたその言葉を思い出した瞬間、僕は思わず顔を手で覆っていた。


 (羽……小さいって、どんな形して……)


 一瞬で脳裏に先輩の姿が浮かぶ。恥ずかしそうに服をはだけて晒す背中に生える小さな羽。

 小刻みに震えるそれは、妖精族によくある蝶や蜻蛉の様に透き通っているのか、それとも小鳥の様な形なのか、あの日から毎晩考えているけれど答えはわからないままだ。


 こんな風に、他種族の事を考えたことも初めてだった。僕達竜族は同族以外と関わることは殆どない。だから、他種族の事を考える理由もなくて今まで興味を持った事はなかった。

 だけど、今僕の鞄の中には図書室で借りた妖精族についての文献が入っている。先輩に聞けば教えてくれるだろうけど、最近はペア授業の監督として来る事も減っているし、授業では主に兄さんが先輩を離さないので話す機会がない。


 (というか、兄さんって先輩の事を……)


 初めて僕が先輩に会った時から、兄さんは先輩にくっついていた。最初は先輩が兄さんに媚びてそうなっているのかと思っていたけど、先輩の事を知っていくうちにそうではない事がわかった。寧ろ先輩を離さないのは兄さんの方だった。


 邪竜と竜族は分かり合えない。邪竜とはそういう存在だから。だけど、兄さんが先輩に明らかに執着している事は僕にもわかる。竜族は自分の物だと認識したら手段を選ばない種族だ。だからその感覚はよくわかってしまう。


 そう、先輩は邪竜に目をつけられてしまった。


 僕は兄さんに何一つ敵わない。それは覆せない現実だ。だから兄さんが先輩を選んでしまった以上僕にできる事は何もない。天災や、そういうものだと思うべき事だ。兄さんのすることは、そう思って納得するべきなのだ。

 

 だけど、僕は先輩についてだけ、どうしてもそう思う事ができない。全ての竜族がやるだろう、邪竜のする事への黙認という行動。当たり前のことなのにそれをすることに抵抗を感じる。それがなぜだかわからない。


「次の問題をエリオ君、回答してください」

「え?えっ……と」


 当てられたのは基礎魔術理論で、簡単な内容の筈だった。解法に当てはめれば答えはすぐ出る。なのに僕は、生まれて初めて答えに詰まり、答えを口にすることができなかった。


 横目で見た校庭ではまだ鮮やかな春薔薇が何も知らずに楽しそうに揺れていた。



 カリキュラムに毎日組み込まれているペア授業。今日も僕はいつも通りペアの兄さんとそれを受けているのだけれど


「兄さん、準備できましたか?」

「…………」


この無言の圧力から、彼が今日は明らかにやる気が無いことが伺える。

 原因は明確で、今日はフレン先輩がいない日だから。元々ペア授業は1、2年生が対象で今までがイレギュラーだったのだけれど、いつの間にか僕も先輩がいないと物足りなく感じる様になっていた。


 (まあ、それでも兄さんほどではないけれど)


 兄さんのこの、説明を聞く気が一切ない態度からはやる気なんて全く感じられない。始まった実習も先輩がいる時のお手本の様な綺麗な魔法ではなく、強大な魔力をを制御なしに、悪く言うと雑に振るうだけだ。美しさはなく、ただ純粋な力として振るわれる兄さんの魔法を必死にかわしながら僕はある疑問に行き着く。


 (そもそも何で兄さんは授業に参加してるんだろう)


 これは授業内容としては全く兄さんの役に立たないものだ。それに加えてペアの僕への義理なんてあるわけもない。でも兄さんはどれだけやる気がなくても、フレン先輩がいないペア授業に参加している。それに、聞くところによると他の授業にも参加しているらしい。授業態度は別として、サボらずに、全ての授業に。こんなの絶対におかしい。


 (おかしい事といえば、他にも…)


 兄さんの先輩への執着は本物だ。同じ竜族から見てもゾッとする程強い執着。それにも関わらず、兄さんは先輩の授業に無理について行く事はしない。最近は昼休みに足繁く先輩の元に通って、『膝に乗るのなしなら、ご飯一緒に食べてもいいよ』と言われて大人しく隣に座って食事をしているらしい。周りはそれを微笑ましく見ているらしいが本題はそこじゃない。これはありえない事だ。

 邪竜に道理は通じない。無理を通す力があるのが邪竜だから、ルールの方が捻じ曲げられる。


「あの……兄さん」

「……」


 兄さんは基本的に会話をしない。僕が話しかけても聞こえていないかの様にスルーしている。

 だけど――


「なんで兄さんはフレン先輩のところに行かないんですか?」

「……フレンが、駄目って言うから」


 このように、フレン先輩に関する話だけは返事が返ってくる。相変わらず僕の方は見てないけれど。

 そして一番の異質、それはこの回答だ。

 いくら執着している相手の言う事だとしても、邪竜が大人しく従うなんてありえない。これは僕達竜族が邪竜を穿った目で見ているわけではなく、邪竜とはそういう生き物だからだ。全てがそうではないけれど、魔力と感情は密接な関係にある。魔力が多いほど感情の揺れ幅の最大値は大きくなる傾向があり、莫大な魔力を持つ邪竜のそれは常人の理解を超えるものだ。


 (なのに、どうして……?)


 僕には邪竜である兄さんの事はわからない。それが竜族にとっての邪竜で、ある意味当然な事なのだけど、この不気味なまでの違和感はそんな言葉では片付けられない。何かもっと底知れない恐ろしいものがある気がして、僕は背筋に寒いものを感じたまま兄さんとの会話を終えた。


 ◇


 ペア授業で今日のカリキュラムが終わり、僕は寮に帰宅する。授業で出た課題を済ませ時間を確認しようとしたら携帯にメッセージが届いていた。珍しいと思いつつ携帯を開くとそこには


『今度の休み空いてたら出かけない?』

「……っ!?え?」


 とフレン先輩からの誘いが表示されていた。

 前に一度一緒に出かけた事はあるけどそれは兄さんの誕生日の為で、こんな風にまた誘われるなんて思ってもいなかった。驚きからか高鳴る心臓と震える指で文字を打ちながら、僕はカレンダーに小さく印をつける。送信音が鳴って、気持ち軽くなった携帯を机に置き、来週の休みに思いを馳せながら眠りについた。

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