45話:不良ワーウルフの決意③
深夜、隣のベッドがゴソゴソと動く気配を感じて俺は目を覚ました。狭ぇ部屋だから小さな音でもよく響く。足音の方向からおそらく便所だろう。ここの部屋空調死んでるから寒ぃし、きっとそのせいだ。そんな事を寝ぼけながら考えつつ、俺はさっさと寝直そうと目を閉じる。
「……ん、よいしょ」
「………!?!?」
布団が捲られる感覚に気づいた時には遅かった。便所から戻ってきたフレンが寝ぼけて俺のベッドに潜り込んで横になる。おそらく昨日の部屋とベッドの位置が違ぇから間違えたんだろう。
いや、そんな理由なんてどうでもいい。重要なのは今、俺の真横で、フレンが眠っているという事実だけだ。
(こいつ……嘘だろ??)
都合のいい夢でも見てる方がマシだった。だけど一回り以上小さな布団の膨らみがこれは夢ではなく現実だと俺に告げる。瞬時に眠気がぶっ飛び、心臓が跳ね上がる。すぅすぅと寝息を立てているフレンがこの音で目を覚ますんじゃないかってほど鼓動が高鳴った。布団であったまったからかほんのり寝汗の混ざったフレンの甘い匂いが俺の脳を揺らす。そのほんの少し癖のある香りに触発された瞬間、生理的な反応が体を襲い下半身が急激に熱をもつ。
(馬鹿、落ち着け、こいつは男だ。それに顔以外は可愛くもなんともねぇ)
布団に篭った香りと体温で煮えたぎる思考の中、少しでも冷静になりたくて俺は必死に自分に言い聞かせる。そうだ、こいつは男だ。一年の初めの頃女と間違えて告ったという黒歴史はあるがそれは過去の話で、今はこいつとは仲のいいダチなはずで……
「ん……さむ……」
俺の懸命な努力の最中、ごにょごにょとした言葉と共にフレンの小さな手が伸びて俺の体に絡まる。この小さな侵略者様は抱き枕をご所望らしくそのままぎゅっと俺にしがみついてきた。
「……っ!!!!」
声を出さなかったことを褒めて欲しい。
自分とは骨格から違う柔らかい感覚が薄い部屋着越しに密着する。同じ男のはずなのにこうもふわふわしているのは何故なのか。その柔らかさに導かれ、俺は全身の血流が一箇所に集まるのを感じた。今すぐここを抜け出してトイレに駆け込みたくて仕方ない。だが俺は、見たことはないがきっとつるんとした腹をしてるだろう、俺より全然非力な筈のこいつの手を何故か指一本分も振り解くことができない。
いや、その理由をずっと見ないようにしているだけで、本当はとっくの昔から知っているのかもしれない。いつもは見ないようにできていたそれがこの非常事態に際して少しずつ形を見せていくのを止められないまま時間だけが過ぎていく。
(気づくな……それは駄目だ……)
脳の中の一筋の理性が必死に押し留めているこの感情に名前をつけたら戻れなくなる。
(今ならまだなかった事にできる。気がつかねぇふりを続けろ)
ずっと繰り返しこうしてきたから、今回もそうできるはずだった。なのに――
「ん……クロード……」
舌ったらずな寝言。
その短い一単語が耳に届いた瞬間、これまでの興奮が嘘みたいに引き、全身が凍りつく感覚と、抑えきれない感情が体を駆け巡った。
フレンの幼馴染で、化け物みてぇに強い、そして何より中身がやべぇ奴。身体的に有利な筈のワーウルフの俺が決して勝てないと本能的に避けてる勝ち目のねぇ相手。その名前が、フレンの口から出てくる度に俺はこの感情に蓋をして、見ないふりをしていたのに。よりにもよってこの名前が最後の一押しになってしまった。
「こんなの、無理に決まってんだろ」
本当はずっとずっと心の中で叫んでいた。こいつが、フレンが好きだと。目の前の壁が大き過ぎて、今の距離感で満足したくて、でももうそれじゃ駄目だった。勝ち目が見えねぇ、クソみたいな戦い。狼は決して1匹では狩りをしない。大きな相手には集団で挑む。犬死には無駄だから。だけどこれはその本能に逆らってでも避けられない1人で挑む戦いだ。
ボロホテルの安っちいベッドの上で自覚した、この思いからはもう逃げることはできない。背中から伝わる愛しくて仕方ない体温に手を伸ばせないこの距離で、俺は1人静かに想いを固めた。
◇
結局あの後は一睡もできなかった。俺は力加減を間違えて抱きしめそうになりながらフレンを隣のベッドに運んで、その残り香の中で自覚してしまった想いを見つめ続けた。
班での朝食の時間、フレンの風呂の話をしてた奴らが近寄ってきた時俺は、フレンの後ろに立って視線で明確に威嚇をした。今までみたいにむしゃくしゃして不機嫌をあらわすのではなく、強い雄が相手を従わせる時に行うそれは、時に言葉よりも有効だ。フレンは奴らから話しかけてこられなかったことを不思議そうにしていたけどこれでいい。ガネマルやノートンみてえな下心のねぇやつは普段通りにフレンに話しかけてくるから。
◇
修学旅行の最終日の終盤、バスは土産屋に止まり俺達は買い物に降りた。
「お土産何買おうかな……クロードと、ルカと後は……」
隣に立つフレンが楽しげにクロードの名前を口にするたび胸の奥がズキズキする。だけど
「カイ!これすごく美味しい!食べてみて?」
フレンからキラキラした目で見上げられるだけでそれ以上の愛しさが胸に込み上げてくるから俺はその声を無視することができない。そもそも人より耳がいい分好きなやつの声なんて聞き逃せるわけがなかった。
◇
「あのね……これ」
会計を済ませたフレンから耳打ちをされる。小せぇこいつは背伸びをしても俺の耳に届かないから正確には耳というか肩の辺りで告げられたのは
「昨日の博物館、カイのおかげで助かったから。ありがと」
という言葉だった。そのまま先ほどおいしいと言っていたチョコレートの小箱も一緒に渡される。
(こいつ……本当に……)
こういう事をされると、場違いにも、期待していいんじゃねぇかって考えが頭を擡げてしまう。
犬にとってチョコレートは毒だ。ワーウルフは犬じゃねえけど毒よりも甘いそれは俺を狂わしきっと俺はそれから逃げられないんだろう。
灰色の冬海を見下ろしながらバスは学園へと向かう。日常への帰路、行きと同じく隣で寝息を立てる相手に対し、今までとは違う感情を抱えた俺はバスに揺られながらそんな事を考えた。
箱から取り出して一口齧ったチョコレートは舌を焦がすほど甘い。その胸焼けするような甘さと苦味を味わいながら、俺もゆっくり目を閉じた。




