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33話:完璧優等生騎士の独白②

 俺の中で、もう一つ心に引っかかって抜けない棘がある。


『大丈夫!カイが助けてくれたし、結果オーライだよ』


 それは、文化祭のあの日、フレンが助けを求めていた時に俺ではない男がフレンを助けていた事を示す言葉だった。


 結果的にフレンが助かったのはいい事だからと飲み込みはしたが、他ならぬフレンの口から聞くのは気分がいい物ではなかった。決してフレンが困ったままでいて欲しかったわけではない。けれど、心の奥が踏み荒らされるような感覚があり、俺はそれをうまく飲み込めなかった。


 きっとこれは良くない感情だろう。だがそれを完全に無視することもできなくて、気がつけば俺は2年棟に足を踏み入れていた。


「なんの用っすか?先輩」


 放課後の人気のない廊下の隅で俺の目の前に立つ金髪のワーウルフ。フレンの同級生のカイ。

 フレンと同じ組である彼とは去年から何度か顔を合わせた事がある。だが、向こうからは警戒されているのかあまり直接話したことはない。きっと種族も相まって、勘がいいんだろう。


「この間、フレンが世話になったと聞いてな。少し話がしたいんだが、いいか?」


 俺はできる限り不自然にならないよう、言葉を選んで口を開いた。ここで変に気取られて距離を置かれるのは困る。


「世話って……あの日はただ、たまたま空き教室で泣……いや、教室にいたあいつを見つけて、怪我してたから保健室に連れてっただけっすけど……何か問題あるんすか?」

「いや、問題はない。少し気になっただけだ」


 カイの淡々とした回答と、ここまで足を動かした事で俺は少し冷静になってきていた。カイの述べる、なんの含みもない経緯の羅列。フレンが困っている時に、それが最悪の事態にならずに済んだという事実、それはフレンにとっていい事で、それだけでいいはずだ。まだ少し心にしこりは残るが納得はできそうだった。


 カイについては、フレンから何度か話を聞いたことがある。不良だが、面倒見が良く、フレンの仲のいい友人だと。

 実際彼といる時のフレンは俺といる時よりラフなやり取りをしていることが多い。きっと気の置けない友人なんだろう。

 柄にもなく突発的に来てみたものの、ルカと違い俺に対する邪気も感じない相手にこれ以上しつこくするのも先輩として良くない。そう思いこのまま適当に言葉を濁して立ち去ろうとした時


「フレンと、なんかあったんすか?」


カイから思いがけない方向から問いかけられ、俺は動きを止めた。


「どうして、そう思うんだ?」


 俺は動揺が悟られないように、ゆっくりと、俺よりほんの少し下にある金色の瞳を見つめ返した。


「最近あいつ元気ねーし、いつもはうざいくらい先輩の話ししてくんのに最近はそれもねぇから」

「少し、意見のすれ違い……があってな」 


 全部を説明する気はないので俺は端的に言葉を切る。今度こそ、それで話は終わるはずだった。これ以上この事に部外者を立ち入らせる気はない。


「はっ!あんた意外とだせぇのな」

「なっ……」


 そう思っていたのに、カイから発せられた明らかに挑発する声色に思考が止まる。 


「すれ違いってなんだよ、わざわざこんなとこまで来て、様子伺っておいて予防線張ってんなよ」 


 罵声と共に図星を刺され、俺は反射的に目の前の男の胸元を掴みかけ……その寸前で手を止めた。一瞬込み上げた衝動を喉奥に引っ込めて深く呼吸する。


「おい今の、なんで手ぇ出さなかったんだよ」 


 俺のこの一連の行動に対し、明らかに苛立った声でカイが睨んでくる。


「怪我を、させてしまう」


 その視線を避け、俺はもう一呼吸おく。 


「ちっ……そういうとこじゃねえの?独りよがり野郎がよ……」

「独りよがり……?」


 今俺が手を止めたのは、手を出せば目の前の、フレンの友人を傷つける恐れがあったからだ。


「あんた、自分が強いのわかってて手ぇ止めただろ」 


 それはそうだ。俺とカイが殴り合えば怪我をするのは彼だろうから。


「傲慢なんだよ……あんた、力が強い方がいつもケツ持つって勘違いしてんじゃねえの」


 だってそうだろう、強いものは弱いものを守るべきだ。それが力の正しい使い方で、それ以外はないだろう?


「してる側は気分いいかもしんねーけど、される側はムカつくんだよ、ナメられてる感じがすっから」

「俺は別に君を見下してるつもりは……」 


 人のいない廊下でいやに響くカイの言葉と、この間のフレンの言葉が重なってカイに向き直る。


「ま、別に馬鹿にしてはねぇんだろうな。あんた本当に真面目みてぇだし。けどよ」


 俺を睨む金色の瞳がまるで本物の狼のように鋭くなる。 


「強い奴にそれ言われたら、弱い奴のやる事に意味なんてねぇみたいになんだろ」

「……っ」


 カイの言葉は荒っぽく、適切じゃない表現も混ざっていたが、言いたいことは理解できた。


「そうか……俺は……フレンのやった事の意味を勝手に取り上げていたのか……」


 俺は、フレンを守りたかった。だからそう発言したけれど、それはフレンのやっていた事を無視した物でしかない。カイの言葉を借りるなら傲慢な力の押し付けだ。


「思った事全部口から出すなよ……これだから優等生様は気持ち悪ぃ」

「見苦しい姿を見せてすまない。君のおかげで俺はフレンに何を言うべきかわかった気がする」 


 うんざりしたような顔で俺を見るカイを振り返り俺は深い感謝を込めて頭を下げその場を後にする。


 カイのおかげであの日のフレンが何を言いたかったのは理解ができた気がする。その上で俺の喉の奥に引っかかる何かはまだ完全に消えてはいないのは俺の弱さなんだろう。

 でも、それでも――フレンと向き合う覚悟だけは、ようやく定まった気がした。

 こうしてはいられない。俺は俺が受けたショック以上にフレンが傷ついている事に今更ながら気がついた。もう遅いかもしれない。許してもらえないかもしれないけれど、それでも俺はフレンに早く謝りたかった。


 ◇◇


「くそっ」


 胸ぐらすら掴まれず放置された俺は小さくなっていくクロードの背中を眺めることしかできなかった。

 フレンが必ずと言っていいほど口に出す自慢の幼馴染。品行方正、叩いても埃一つでねぇような聖人君子。どう戦っても勝てねぇような相手。それがだっせぇ姿見せて、足掻いてるのを見て、好機だと思った。

 今ならこいつに1発くらいは喰らわせれるんじゃねぇか、そう思って挑発した。なのに


「だせぇのは俺じゃねえか……」


 結果は不戦敗。同じ土俵にすら上がれなかった。

 ワーウルフと人間、身体能力で言ったら、俺に軍配が上がる筈なのにいざ対面すると、そんなアドバンテージは微塵も感じられない。あいつの言った通り、喧嘩になれば負けるのは俺だ。それは実際に試さなくても本能的に理解ができてしまった。きっと魔法なしでもそうだろう。


「それでも……戦う前から負けるのは違ぇだろ……」


 小さく吐き捨てられたその言葉は、誰に聞かれることもなく、放課後の冷たい空気に紛れて静かに消えた。

 それは、負け犬にもなれない微かな遠吠えのようだった。

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