洋館
扉が甲高い音を響かせ、重たげに閉まる。
その音がやけに耳についたのは、あたり一面を包む静寂のせいか。あるいは、館が訪問者を拒んでいるのか。
速水はスマホを持ち上げ電源ボタンを押す。闇の中で唯一の光源となるスマホの画面に目を細め、慣れた手つきでライトの照度を上げた。
先程より広がった淡い光が、外観から想像していたほど荒れてはいない館内を照らし出す。
崩れかけているわけではない。けれど、長く人の手が入っていないことは明らかだった。劣化というより、埃と放置の積み重ね。掃除さえすれば十分に住める程度の空間だ。
エントランスに立ち尽くし、あたりを一通り見回す。
しかし、生き物の気配はまるでない。
静かすぎる空間に、速水は小さく息を吐いた。
_人が住んでいた痕跡すらないな。
声に出すことなく、速水は探索を開始する。
まずは電気の有無を確かめるべく、玄関脇の壁を照らす。見慣れたプレート型ではなく、分電盤で見るような片切りスイッチがひとつ、埃を被って取り付けられていた。
指で押し上げると、カチッという音。だが、それだけだった。
_電気自体が通っていないのか。
スイッチを上下させても、頭上のシャンデリアは沈黙したまま。
壁のブラケットも反応を返さない。
潔く諦めた速水は、一度館を出て車へと戻る。スマホをしまったポケットからは熱が伝わってきた。
グローブボックスを開け、懐中電灯を取り出す。
再び館内へ。スマホのライトよりも広く、強く、頼もしい光が足元を照らした。
正面に続くのは真っ直ぐな階段。その踊り場には、成人男性が両手を広げたほどの絵が掲げられていた。花瓶に挿された、どこか無難な花の絵。
そこから階段は左右に分かれ、二階の両翼へと続いている。その階段の裏手には、一階の奥へ向かう廊下が伸びていた。
一階もまた、左右対称の構造。
左にはリビングとキッチンダイニング。右にはガラス張りの踊り場、図書室へ続く扉が外壁側に並んでいた。
中央寄りの壁面には、トイレや風呂などの水回り。
最奥部には、左右対称の客間がひとつずつ。
機能的に作られてはいるが、どこか“整いすぎた”印象を受ける配置だった。
生活の機能が一階に集中している一方で、二階は洋室がふたつあるだけ。
無駄に広い廊下と、本来の役目を果たせていない家具たち。すべてが、演出されたセットのように思えた。
_いよいよ訳が分からなくなってきた。
あらゆる扉を開き、部屋の隅々まで確認すること小一時間。
人がいた痕跡どころか、生活の名残すら存在しない。まるで最初から誰も住んでいなかったかのようだ。
依頼人が不在、あるいは遅れているだけならば、日を改めればいい話だ。
だが、今回に限っては、そもそも依頼人が実在しているのかすら怪しい。
それを確かめるなら一条に連絡をするのが手っ取り早い。
だが、速水は思いとどまる。
もし連絡が必要であれば、一条の方から事前に指示があったはずだ。あの女はどれだけ変人でも、仕事の段取りだけは確実に押さえる。忘れるような抜けはない。
つまり今、自分がやるべきは一条の言う“依頼”の正体を探ること。
妖艶な微笑みと好奇の光を宿した一条の顔が脳裏にちらついた。
埃の匂いを背に、洋館の外へと出た速水は、ボンネットに腰を預け、あらためて建物を見上げた。
視点を変えれば何かが見えてくるかと期待したものの、やはりくたびれた洋館はどこから見てもただの古びた建物にすぎない。
見た目も、大きさも、初めて目にしたときと何ひとつ変わらなかった。
「……見た目、か。」
ぽつりと呟いた言葉とともに腕を組み、速水は脳内で館の構造を再構築する。パズルのように、目測で形づくられた部屋が平面図の上に配置されていく。
広さを要するリビング、ダイニング、書庫などの部屋はすべて建物の外周へ。
一方、風呂やトイレ、客室などは、最小限の広さで中央側に押し込まれている。
二階は洋室がふたつだけ。収納も極端に少ない。この広さの屋敷にしては、物置ひとつ見当たらないのは不自然だ。
あるとすれば…
「……中央が、空くな。」
全てのピースが埋まったはずの空間に、ぽっかりと空いた空間。
ちょうど階段の裏手、大きめの絵が掛けられていた壁の背面。
いったいそこには何があるのだろうか。目隠し収納か、設計上のミスか。
あるいは、あえて人目に触れないように造られた“何か”か。
_確かめた方が早いか。
速水は腰を上げ、再び洋館の中へと足を踏み入れた。