かぶれ姫
「ああ、かぐや! 行かないでおくれ、かぐやー!」
「う、う、ううう……」
月の光に包まれ、空へとゆっくり昇っていくかぐや姫を、おじいさんとおばあさんは涙をこぼしながら見送ったのでした。
それから幾年月――。
おじいさんとおばあさんは、もとの小さな家で、昔と変わらぬ慎ましい暮らしを続けていました。かぐや姫と過ごした日々を懐かしく語り合いながら、寂しさを胸の奥にしまい込むように。
そんなある晩のこと。ふいに戸を叩く音がしました。かぐや姫がいなくなってからというもの、ここを訪ねてくる者など誰もいなかったため、おじいさんとおばあさんは顔を見合わせました。不思議に思いながら、おじいさんがそっと戸を開けると、そこには――
「あ、あ、かぐや!」
月の光を背に、かぐや姫が立っていたのです。ぴっちりと身体に沿ったへそ出しスーツに、前髪をしっかり上げた髪型。どことなくギラギラとした雰囲気をまとっていました。
でも、おじいさんとおばあさんには、一目でかぐや姫だとわかったのでした。
「ただいま! おじいさん、おばあさん!」
はじけるような笑顔で、かぐや姫は両手を広げて駆け寄ってきました。おじいさんとおばあさんは驚きつつも再会を喜び、目を潤ませ、しっかりとその体を抱きしめました。
「ああ、ああ、よく帰ってきてくれたわねえ……」
「本当になあ……かぐやの顔が見られる日がまた来るとは……」
「うふふ、あたしも二人に会えて嬉しいわ。中に入ってもいい?」
「もちろんだとも。さあ、さあ、お入り」
家の中に入ると、かぐや姫はくるりと小さく回り、両腕を大きく伸ばし、鼻をぷくっと膨らませて深く息を吸い込みました。
「うわあ、懐かしい! この狭さがいいのよねえ。木と土の香りが体に染み込む感じ……ああ、ホッとするわあ」
「ふふふ。戻ってきてくれて本当に嬉しいわ。ずっといていいのよ」
「そうだぞ。向こうでの暮らしはどうだったんだい?」
「んー……一言で言うのは難しいかなあ。こっちとはあまりにもかけ離れすぎてて、エキサイティングって感じ!」
「えきさいてぃんぐ?」
「あっ! この柱の傷! うわあ、懐かしい!」
「うふふ。かぐやったら三寸ほどだったのに、どんどん大きくなるから、毎日見てて楽しかったわねえ」
「ねえ、ちょっと、ジョージ! これ見てよ! あたし、どんだけ小さかったの! あはは!」
「じょ、じょーじ?」
「あ、ごめんなさい。ジョージっていうのは、向こうでできたボーイフレンドの名前ね。あたしから離れたがらなくて、毎日一緒にいたから、つい口に出ちゃったわ。あはは!」
「ぼーいふれんど?」
「ああ、そこからかあ……。ボーイフレンドっていうのはね、恋人のこと。お互いのことが好きで、いつも一緒にいる人なの」
「え、じゃあ、その人と結婚するのかい?」
「こっちではあんなに縁談を嫌がっていたのに」
「はあ、結婚ねえ……。んー、どこから話せばいいかなあ。あのね、月はこことは価値観が全然違うの。結婚よりも『対等なパートナーでいましょう』っていう感覚のほうが強いかな。毎日会って、ハグして、キスして……って、お二人にはちょっと刺激が強すぎる話かしら? うふふ!」
「んん?」
「あーあ、静かねえ。この感じ、ほんとに久しぶり。向こうじゃ外を歩けばナンパばかりされてたし。自分のフィールドがガラッと変わるって、大変よね。でも、だからこそ自分でも知らなかった自分の中のエネルギーに気づけた部分もあるのよね」
「んー?」
「ああ、そういえば、かぐや、ずいぶん雰囲気が変わったねえ」
「それはもう、当たり前よお。環境に適応しないと、すぐに浮いちゃうもの。まあ、向こうには重力制御システムがあるから、本当に空中を浮かべるんだけどね。あっはあ! ははははは!」
「あ、あはは……とにかく、元気そうでよかったよ。別れ際には、あんなに泣いていたもんなあ」
「あらあら、おじいさん。私たちだって泣いたじゃありませんか。本当に無事でよかったわ」
「まあね。あっちでは、女はそう簡単に泣かないの。泣くのはせいぜい少女まで。女はみんな、ストロングウーマンにならなきゃいけないのよ。それがキャリアウーマンになる資格ね。あたしもムーン・ニューヨーク・ウーマンとして、日々メンズたちを相手にバリバリ奮闘中よ」
「何うーまんだって?」
「ふー、いっぱい喋ったら喉が乾いちゃった。スタァバのコーヒーある? なーんて、あるわけないよね。あはははは!」
「すたば?」
「こーひー?」
「あー、なんだかジム行きたくなってきたー! でも、こっちにはないのよねー! あーあ!」
「ねえ、おじいさん、ちょっと……」
「あ、ああ……あの、かぐや。どうしちゃったんだい……?」
「ん、どうしちゃったって、何が?」
「いや、その、昔のお前はもっと、おしとやかだったじゃないか……」
「そうよ。それに、その格好も前のほうが……」
「I don't understand」
「なんて!?」「なんて!?」
「その価値観の押しつけ、あまり感心しないわ。あっ、そういえば、おじいさん、昔あたしにこう言ったわよね? 『この世の男女は結婚するもので、お前も結婚しないままでいるわけにはいかないんだよ』って。あれ、今考えるとドメスティックバイオレンスよ? 現地民らしい古い価値観って感じ。まあ、仕方ないけどね。むしろかわいそうだと思って許してあげるけど、これからの時代、アップデートが必要よ」
「あ、はい……」
「ふー、ほんと、月って最高よねえ。自由で、先進的で、こことは大違い」
「あの、かぐや。月の暮らしが合っていたようで、本当によかったわ。でも……そんなにこっちを悪く言わなくてもいいんじゃないかしら。『自分に合う場所が見つかってよかったなあ』って喜ぶだけで……」
「はあー、なんだか眠くなってきたわあ。ねえ、ベッドある? それとも、こっちはまだお布団文化なの?」
「え、泊まってくのかい?」
「月の国に帰らなくて大丈夫なの?」
「んー、それがね、今、月の国でウイルス、つまり病気が大流行中なのよ。だから自分の命を守ろうって、私は自分の判断でこっちに一時避難してきたの」
「えっ!? それは大変だったね。でも、月の国がそんなに進んでいるのなら、病気くらいすぐに治せるんじゃ……」
「そうよ。やっぱり帰ったほうがいいわ。すぐにでも」
「あー、それがねえ……どうも原因がこっち由来のウイルスらしくて、手こずってるみたいなのよ。しかも、そのウイルスを持ち込んだのがあたしだったらしくて、今、けっこう責められちゃってさ。月って、こっちと比べて冷たいとこあるのよねえ。ほんと、エイリアンって感じ。あはははははははは!」
「I don't understand」「I don't understand」