器を越えて
ニンゲンの歴史を知り、記憶を取り戻す決意をしたフレディ。
物語はルナが独自で纏めていたフレディたちの製造会社に関する資料から新たな局面へ。「魂と器」という本に、アベル・ヌーマイトという開発者。一体彼はフレディの存在にどう関わっているのか。
診察室に電子音が響いた。
ルナが腕に装着していた端末を操作すると、三枚の光のスクリーンが空中に浮かびあがり、それぞれマミ、マコ、フレディの三人の前でピタリと静止する。
「何だよこれ」
「フレディたちの製造会社に関する情報よ。個人的に纏めていたものだけど、少しは話が前に進むかなと思って」
三人がそれぞれのスクリーンを覗き込むと、企業名や開発者の名に混じって、一冊の本のタイトルが目に留まった。
「『魂と器』……」
フレディがその言葉を口にした瞬間、マミの目つきが僅かに鋭くなったのをマコは見逃さなかった。
「なぁ、この本はどこで見つけたんだ?」
「獣人の里にある本屋よ。偶然見つけてね、タイトルに惹かれて買ったんだけど……ちょっと哲学めいてて期待はずれだったわ」
ルナは肩を竦め、適当にスクリーンを指でスクロールしつつ言葉を継いだ。
「あー……でもね、本文のどこかに妙な一文があったのは覚えてるわ。『機能を停止した器に、かつての記憶を記録したものを別の器に移せば命は継続される』……だったかな」
「器っていうのは……肉体のことか?」
「多分。記憶が魂の役割を持つっていう仮説に基づいた話だったはず」
マコとルナの話を聞いていたフレディが顔を曇らせた。
「何だか自分のことを言われている気分だ……」
誰もすぐにフレディの疑問に答えなかった。ただマミだけが、ジッとスクリーンに映された開発者――アベル・ヌーマイトの顔写真を眺めている。
「……姉さん?」
マコが呼び掛けるも、マミは変わらずスクリーンから目を逸らさず言った。
「……ねぇフレディくん、お父様のモデルとかは知ってる?」
「そういえば、前に聞いてみたことがあるような……でも、モデルはないって……何でそんなことを聞くんだ?」
フレディの問いに、マミはスクリーンから目を逸らさず答えた。
「妙なのよ」
「……妙、って?」
「動物の特徴が見当たらない。それにこの顔……三百年前の天狗の新聞に載ってたニンゲンと似ている気がして」
マミは頭を押さえて思い出すように言った。
「何ていう記事だったかな……確か、不老不死の研究の為に西洋から来たニンゲン……だったかしら。名前は違った気がするけど、このヌーマイトって字に見覚えがあるのよね……」
話を聞いていたマコが息を吞んだ。
「なぁ……もし、その研究に来たニンゲンとアベルが同一人物だったとしたら……」
「……それこそ、器を変えて生き永らえた可能性もあるわね」
……沈黙が落ちた診察室で、ふとマコがルナへ顔を向ける。
「なぁルナ、その『魂と器』って本……まだ手元にあるか?」
ルナは一瞬呆気にとられた顔をしていたが、すぐに頷いた。
「まだ残してたと思うわよ。取ってくるから待ってて」
軽やかな足取りで部屋を出ていくルナの背中を見送りながら、マミとマコ、そしてフレディは考え込むようにそれぞれの沈黙を守った。
……数分後、再び扉が開き、ルナが一冊の厚みを持った本を小脇に抱えて戻ってきた。
「はい」
ルナが差し出した本には、古びた表紙に金色の文字で『魂と器』と記されていた。ページのあちこちには付箋が貼られており、所々に使用感のある傷がついている。
「……えらく読み込まれてるな」
「多分……パパか伯父さまが読み込んでたんじゃないかしら。私は途中で挫折したから分かんない」
苦笑混じりにルナは言いつつ、マコに本を手渡した。本を受け取った彼は、慎重にページを捲っていく。
「どっかにさっきの話が載ってるんだよな……」
「それならまだ読んでた範囲だと思うわ。確か……あぁ、あった。そこの章」
ルナが指し示した章には、奇妙な一節が記されていた。
――器とは、魂を保持する為の依代でしかない。肉の器が朽ちたとき、魂は放たれるが……適切な手順を踏めば、魂に刻まれた記憶を新たな器へ受け継がせることが可能である。
器が異なろうとも、記憶を保持する限り、その存在が消えることはない――。
マコは指でページを押さえながら、慎重に文章を読み進めていた。
マミやフレディも、いつの間にか腰を上げて、マコの肩越しに本の内容を覗き込んでいる。
「記憶を保持していれば存在が保たれる……か」
マコの呟きに、フレディが反応を示した。
「それが本当にそうなら、私は……」
その先の言葉を、フレディは紡げずに口を噤んだ。代わりにルナが言葉を紡ぐ。
「生まれ変わった、ってことになるのかもしれないわね」
明るめの声音で言ったルナだが、その裏には計り知れない重みがあった。
「……」
暫し思案するように本を見つめていたマミが「この理論が正しいとするなら……」と口を開いた。
「フレディくんは偶々造られた存在じゃないってことかしら」
「姉さん、それどういう意味?」
「……魂と器を結びつける技術が、不老不死の研究の一環だと考えてみなさい。もしそうなら、フレディくんは誰かの意図によって魂を今の身体である器に繋ぎ止められた存在ってことになる」
マコはちらりとフレディを一瞥し、すぐにマミの方へと向き直った。
「フレディの異常を思えば、あり得ない話でもないもんな……」
「問題は……研究者とアベルが繋がっているかどうか、ね」
マミはルナの方へ視線を移し、本を指さして尋ねた。
「ルナ。この本、獣人の里にある本屋で見つけたって言ってたわよね。それってどこの本屋か覚えてる?」
「シノモト古書店よ」と答えるルナ。それを聞いたマミは「分かった」とだけ返し、先程まで座っていた椅子を畳み始めた。
「えっ、もしかして帰るの?」
「色々と整理しておきたいことが出来たからね」とマミは万事屋の所長らしい頼もしさを纏って答えた。
「マコ。私は一旦帰るけど……何かあったらすぐに連絡していいからね」
そう言ってマミは軽く手を振り、診察室を後にした。
マコは急いでマミを見送り、姿が見えなくなったのを確認してから部屋へと戻ってきた。
「……マコ。マミはとても博識なんだな。まだ全部を理解できていないけど……彼女の話は、私の糧になる。そんな気がしたよ」
マコは少し照れくさそうに頬を掻いた。
「……わざと忘れないでいるんだよ。自分にとって大事なものを守れるように」
「成程……」とフレディが小さく呟く。
その様子を見て、ルナがニヤニヤと笑いながらフレディへ近づいた。
「フレディ、良いこと教えてあげましょうか。マコが頬を掻くのは照れている証拠なの。憧れのマミについて話せて嬉しいのよ、ほら!」
「……うるさい」
マコは咄嗟に手を引っ込めたが、どうやら間に合わなかったらしい。フレディが小さく、しかし確かに表情を緩めていた。
診察室の中に、静かで優しい空気が流れていた。