揺れる境界、眠る記憶
混乱した言動を見せるフレディ。そんな彼の前に、マコから連絡をもらっていた万事屋を営むマミがやって来る。
彼女が感じ取ったフレディの『境界』は、まるで内側に別の誰かが居るような──これまで見てきたものとは違う、異質な気配だった。
翌日。マコはラボ内を歩き回るスタッフボットたちに挨拶をしながら、フレディの居る部屋へと向かっていた。
「フレディ、俺だ。入るよ」と一声かけ、部屋へと入る。
ベッドに身を預けたフレディは、まだ起動していないようだった。きっとまだ疲れが残っているのだろうと思い、マコは一旦部屋を出ようとした。そんな彼の耳に、カチリ、カチリと歯車が噛み合うような乾いた音が入ってくる。
音の出所はどうやらフレディの身体から鳴っているようだった。……まるで古い時計の針がゆっくりと時を刻むような……。
「起動音、ってやつか?」
一体どういう風に彼が起動するのか興味が湧いたマコは、そっとフレディに近づいて彼を眺めた。
暫く眺めていると、閉じられていた瞳がゆっくりと開かれ、紺碧色の瞳の中に自分の姿が見えた。
「おはよう、フレディ。少しは眠れたかい?」
「……父、さん……?」
マコは驚いて何度か瞬きを繰り返した。そしてフレディはまだ起動したばかりで、意識が混濁しているのだろうと自分を納得させてから、彼に開発者ではないことを伝える。
フレディも瞬きを繰り返していたが、やがて意識が覚醒し始めたのか「すまない、マコ」と謝った。
「気にしないで」
マコは昨日置きっぱなしにしていた椅子に再び腰を下ろした。
「……また診察というものか?」
「あぁ。といっても機能とほぼ変わらないから、そんなに気が舞えなくても大丈夫だよ。それと――」
「昨日は中途半端な診察をして、悪かった」
マコが頭を下げると、フレディは表情こそ動かさなかったものの、不思議そうに首を傾げた。
「どうしてマコが謝る? 私のバグがいけないのに」
「……キミのバグ……というよりエラーを理解できていなかった俺にも責任があると感じたんだ。だから、謝っておきたかった」
「エラー……?」
マコは頷いた。
「まるで別の人格の記憶が混ざったみたいに、言動が切り替わる。バグというか、混乱に近い感じかな」
「……よく理解できないが……それでキミを困らせているのは違いないんだろう?」
いやいや、とマコは主張を譲らなかった。それに対してフレディも頑なに主張を譲らない。互いに主張を譲らないという奇妙な空間が出来上がり、キリがないからとマコが笑ってそれを制止した。
「マコ、どうして笑っているんだ?」
「どうしてって……フレディとの会話が楽しいからだよ」
「――楽しい?」
そう、とマコは頷き、穏やかな表情を浮かべて自身が感じている感情について述べ始めた。
「楽しいっていうのは、心が満ち足りているんだ。こう……心の奥がふっと軽くなって、温かくなるような感じかな」
……その言葉の意味が分からず、フレディはただ黙っていた。それでもマコは説明を続ける。
「誰にでも心がある。俺にも、アニマヒューマノイドのキミにも。でもな、心っていうのは案外脆くて壊れやすかったりもするんだ。心を壊さないために、俺たちは誰かとこうやって話をしたり、時間を共有して心を保つ。……ヒトによって何が楽しいかは違うだろうが、俺はキミと会話をするのは楽しいと思っているよ」
「……いつか、私にも感情というものが分かるだろうか?」
マコは「きっと分かるさ」と笑みを浮かべ、フレディの手を握った。
「マコの手は温かいな……そういえば、前にも――」
フレディが何か言いかけたその時、数回扉を叩く音が聞こえた。
「ちょっと待っててくれ」
一言断ってマコはフレディから手を離し、扉を叩いた者が一体誰なのかを確認するため、扉を開いた。
そこにはマコによく似た容姿で、赤髪を軽く編み込んだ女性が立っていた。
「言われた通り、手伝いに来たわよ」
マコは一瞬だけ目を見開き、ふと表情を緩ませた。
「姉さん!」
「急いで来たのだけれど……ちょっと早く来すぎたかしら」
「いや全然。今から診察始めようとしてたくらいさ」
マコがそう答えると、女性はそっと部屋の中を覗き見た。視線の先には、ベッドの上から外の景色を眺めているフレディの姿がある。
「あの子が例の急患さん?」
「そう。獣人をモデルに造られたアニマヒューマノイドのフレディ」
「成程ね……」
すると女性はマコの脇を通り抜け、フレディへと歩み寄った。
フレディは近づいてくる足音に気が付いたのか、視線を外から女性へ戻した。
「キミは……?」
「はじめまして、フレディくん。マコの姉のマミです」
「姉……」
フレディはマミとマコの二人を見比べ、「確かに似ているな」と感想を溢していた。
「姉さんは普段、万事屋としていろいろな仕事をしていてな。今回は俺の仕事の手伝いで来てくれたんだ」
「そう、なのか。何だか申し訳ないな……ただのバグだと思っていた不具合がここまで騒ぎになるなんて」
フレディは眉尻を下げ、肩を竦めた。
「バグ?」
マミは視線をマコへと向けた。マコは軽く頷くと、懐から手帳を取り出す。
「フレディが言うにはな、自分の中に知らない記録があるみたいなんだ。しかも俺たちみたいな半妖とか、獣人とか……そういうどの種族にも当てはまらない誰かの記録らしくて。確認しようにもそのデータが見当たらなくて、八方塞がりって感じでさ」
「ちょっと待って。そういうのはルナがバックアップ? とかいうのをしてるわけじゃないの?」
マミの疑問に対し、フレディは申し訳なさそうに口を挟んだ。
「すまない、私はここで造られたわけじゃないんだ。私は、アベルコーポレーションという場所で……」
ふとフレディの言葉が途切れた。額を押さえ、何度も瞬きを繰り返している。
「……そう、だったっけ……」
ぽつりと疑問を溢したフレディの焦点は、僅かに合わなくなっていた。
「僕、は……」
「――フレディ。フレディ、一旦落ち着こう。キミの出身は、いざとなったらルナやフォルテたちに教えてもらうから、な?」
マコはベッドの傍に寄り、フレディの背をゆっくりと何度も撫でた。
「大丈夫、大丈夫だから。深呼吸しようか、吸って……吐いて……そう、上手」
ケアをするマコの様子を暫く静観していたマミだったが、フレディの様子が落ち着いたのを確認してから、そっとマコの肩を叩いた。
「マコ、ちょっと外で話しましょう」
マミの言葉は短かったものの、視線は真剣だった。
「……分かった。フレディ、ちょっとの間席を外してもいいか?」
「……あぁ……」
マコはフレディが頷いたのを見届けてから、マミの後に続き、部屋を後にした。
廊下を少し歩いたところで、マミが口を開く。
「――あれがバグで間違いないのかしら」
「あぁ……途中までは会話が成立するのに、ふとした瞬間、全く関係ないような話をし始めたりするんだ」
「何度も目の当たりにしてる感じ?」
「……二回目。開発者とかの話を聞いてた途中だった」
マコは記憶を辿るように、低く言葉を紡いだ。
「――孤児院で育ったって言い出したんだよ。二十二世紀に造られたはずの機械人形が」
「それは……妙ね……」
「……なぁ。姉さんなら、心じゃなくても、フレディの境界線が見えたんじゃないのか?」
……暫しの沈黙を経て、マミは小さく息を吐き、マコから僅かに視線を逸らして言った。
「……確かに見えたわよ。でも……あれは……普通の境界線じゃない」
「……? どういうことだよ、それ」
マコが問いかけるも、マミはすぐに答えなかった。何かを言おうか迷っているような……そんな表情を浮かべていた。
しかし意を決したのか、ぽつりと呟く。
「境界の奥……あんたの専門でいう精神領域に近いのかしら、そこに子供が居るような気配がしたのよ。何かに怯えているような……そんな感じ」
「……!」
マコは絶句した。マミの言う子供が、フレディと同じ存在なのかどうか……それすらもまだ、分からなかった。