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ささやかな幸せ、唐突な悪意

 小さなケーキに詰まった笑顔と寄せ合う温もり。しかし甘いひと時はそう長く続かなかった。

 隠されていた真実が明かされるとき、思わぬ影が忍び寄る……。

「ただいま」

 ラボのドアを潜ったマコがそう告げると、すぐに足音が駆けてくる。

「マコ、おかえりっ!」

 声の主はメアリーだった。両手に買い物袋を抱えたマコは、しゃがみ込まずに笑って手だけを軽く振った。

「マコさん、お帰り〜」

「パレッタ。出迎え、ありがとな」

「荷物持つよ」とパレッタは手を伸ばして言った。

「そうか、ならこっちの袋の方をお願いしようかな」

 そう言ってマコは卵の入った袋ではない方をパレッタへと渡す。中身が気になったのか、パレッタは袋をちょっとだけ開けてみた。

「……マコさん、この箱何が入ってるんだ?」

「それ? フォルテのリクエストで買ってきた甘いものだよ。傾けたりすると、崩れるかもしれないから慎重に頼むよ」

 それを聞いたパレッタの動きがぎこちなくなる。そんな彼の様子を見て、マコは幼い頃の妹の姿と重なったのか小さく吹き出した。

「メアリーもおてつだいする〜!」

「いや、メアリーには危険だから、兄ちゃんである俺が責任を持って運ぶ!」

「むー!」

 小さな口論を繰り広げながら、一足先にリビングのある方へと向かう二人の後ろ姿を、マコはそっと目で追った。


 リビングに顔を出すと、テーブルの傍にいたフレディがすぐにマコの方へと歩み寄る。

「マコ、お帰り!」

「……どこも怪我していないよな?」と小声で尋ねるフレディ。彼の瞳には、心配の色が混ざっていた。

 マコは苦笑混じりに袋を持ち上げたりして、自身に何も起きていないことを伝えた。

「大丈夫だよ。俺も、頼まれてた卵も無事だ」

 冗談めかしたマコの返答に、フレディは安心したのか、肩を緩めていた。

「わあっ!」

 テーブルの方から歓声が上がる。「マコさん!」と袋に入った箱のデザインを見たであろうフォルテが目を輝かせながら、マコに尋ねた。

「ここのケーキってもしかして……!」

「あぁ、パティスリー・ムラクモのやつだよ。種類は多い方が良いかと思って、色々買ってきたんだ」

 マコは袋から箱を取り出し、蓋を開けて見せた。中にはタルトやモンブラン、ショートケーキなど、色とりどりのケーキが美しく並んでいる。

「すごい……! マコさん、ありがとう‼」

 フォルテの声には、言葉にならない程の感動が滲んでいた。

「どういたしまして」

「……マコ」とフレディが彼を呼んだ。

「ありがとう。フォルテがあんなに喜んだ顔、初めて見たよ」

 ……フレディ自身も嬉しいと感じているのか、彼の耳はパタパタと揺れていた。それに気づいたマコは口元を緩める。

「……喜んでもらえて何よりだよ。俺には……楽しい思い出を作ってあげることぐらいしか出来ないからな」

「……」

 マコとフレディの目が合った。……一瞬だけ沈黙が訪れるも、マコはすぐに笑ってその場の空気を和らげる。

「ちょっと姉さんに電話かけてくる。先に皆で食べててくれ」

 そう言い残すと、マコは背を向け、リビングを静かに後にした。


 ……マコは廊下をゆっくりと歩きながら、ポケットに入っていた端末を取り出した。

 リビングの明るい空気とは対照的に、心の中に残っている重苦しいものを抱えたまま、階段を上る。

 静かで、ヒトの目がつかない場所まで来たのを確認してから、マミの番号へと発信ボタンを押す。

 数回のコールの後、「もしもし?」と張りのある声が返ってきた。

「姉さん、今ちょっと話せる?」

「えぇ問題ないわよ。何かあった?」

 少し声を落とし、マコは本題を切り出した。

「フレディの記憶のことなんだけど……全部戻った。『あの日』が何だったのかも、漸く分かったよ」

「そう」

 マミは淡々とした返事を返したが、すぐに「ちゃんと休めてる?」と心配を口にした。

「……俺の方は大丈夫。姉さんの方こそ、無理してない?」

「大丈夫よ。ついさっき古書店から戻ってきたところでね……例の本を売り込みに来た相手の話も聞けたわ」

「そうか……ちなみに、何て名前だった?」

 マコからの問いに、マミは「アベル・ヌーマイト」とだけ答える。

 マコはそれを聞いて、階段の踊り場で足を止めた。

「そいつ……フレディたちの開発者だよな。そいつのことで、引っかかることがあるんだけど」

「……何?」

「フレディの心を覗いた時にな、ニンゲンだった頃の彼を殺した犯人の顔が……アベルに瓜二つだった」

 マコは続けざまに言う。

「それだけで断言するべきじゃないとは思ってる……けど、姉さん前に言ってただろ? アベルが名前と器を変えて、生き永らえてる可能性が――」

 マコがその先の言葉を最後まで紡ぐことはなかった。次の瞬間、背中に鈍い衝撃が走り、彼の身体が不自然な角度で前に押し出される。

「ッ――」

 マコの身体は踊り場の縁から宙へと舞い、階下へと転がり落ちて行った。

 握っていた端末は彼の手から離れ、硬い床にぶつかってコトリと転がる。

「……マコ? 何か凄い音がしたけど、大丈夫なの?」

「……ッ……‼」

 返事をしたかったマコだが、激痛に苛まれ、すぐに声が出せそうになかった。意識はあるものの、利き腕の右を動かそうとすると鋭い痛みが走り、何も出来ない。

「……⁉」

 逆光で見えにくいが、先程まで自分が居た位置に、此処のラボで活動をしているスタッフボットが呆然と立ち尽くしているのが見えた。エラーでも起こしているのか、赤い光を何度も明滅させている。

 あれに突き落とされたのだろうと頭は変に冷静で、まだ動かせるほうの左腕を伸ばして端末を取ろうと四苦八苦している間に「マコ⁉」と今一番心配を掛けたくない相手の声が響く。

「フ、レディ……」

 フレディは階段と、床に転がったマコを何度も交互に見ていた。

「まさか階段から落ちたのか⁉」

「いや……突き落とされた……」

 フレディの目が焦っている。「落ち着いて」とマコは言いたかったが、説得力がないと悟り、口を噤んでいた。

 しかし様子を察したのか、「フレディくん」とマミの声が放たれる。

「大丈夫、落ち着いて。マコも突然の痛みで驚いているだけだから」

「でもっ……!」

「そうね、もしかすると骨に異常が出ているかもしれないから、病院に連れて行った方がいい」

「近くに誰かいる?」というマミの問いに、フレディは「いない……」と答えていた。

 人目に触れたくなかったからという理由で適当な場所を選んだのが仇になってしまった……とマコは反省する。

「ならルナに状況を伝えてくれる? それから病院に連絡してもらいましょう。……説明は出来そう?」

「……やってみる」

 傍でフレディがルナと連絡を取ろうと通信をしている間、マミはマコへ声を掛け続けていた。

「マコ、ただ聞いているだけでいいから。アベルの件はこっちに任せて、あんたはしっかり療養しなさい。絶対に無理はしないこと」

「いいね?」と念を押されてから通話が終了した。感覚が麻痺してきたのか、痛みに慣れてきたマコは左腕に体重をかけて身体を起こし、自分の身体がどういう状況なのかを確認してみた。

(結構派手にいったな……擦り傷と……多分骨折もしてる。顔の方は――)

 ……擦れて赤くなった手のひらの上にポタリと別の赤いものが付いた。マコは咄嗟に手を握ってそれを隠し、鼻を押さえる。

「あー……フレディ、悪いけど暫くこっちは見ないでくれ」

 床にぶつかった衝撃で鼻も打っていたのだろう。床には点々と赤い模様が散っていた。今この姿をフレディに見られてしまったら、きっと彼の心に更なるトラウマを植え付けてしまう。

(意識はハッキリしているから、レントゲン取ったらすぐに帰してはもらえるはず。腕は……早くても二ヶ月程度だろうな)

 生活の問題はどうにかなる。それよりも問題視すべきなのは、自分を突き落としたスタッフボットだ。セキュリティプログラムに何かしらの不具合が生じて自分を侵入者と見なしたのか。だがルナがそういった問題を見逃すとも正直考えにくい。

「……コ、マコ‼」

 喉に血が流れないよう、マコが少しだけ顔を上げるとルナの喉から短い悲鳴が出た。

「出血してるとは聞いてないわよ⁉」

「……そんなことより、あの踊り場にいるスタッフボット、回収しておいた方が良いぞ……多分不具合が生じてる」

「今はあんたを病院に連れて行くのが先に決まってるでしょうが‼」

 ルナからかつてないほどの声量と剣幕で怒鳴られ、流石のマコも怯んだ。その間にあれよあれよと彼女が連れてきた別のスタッフボットに担がれ、ラボの外へと運ばれていく。

「フレディ、悪いけど留守番を頼んでも大丈夫かしら。多分すぐに戻ってはこれると思うけど……」

「……大丈夫。待つのは、慣れているから」

「ルナの言うように、すぐに戻ってくるよ。丈夫さには自信があるから」

 余計なことを言うなと鋭い視線で釘を刺され、マコは口を噤んだ。それでも彼の様子を見て余裕が出来たのか、フレディはぎこちない動きではあるものの、うんうんと何度も頷いていた。

「じゃあ行ってくるから!」

「あぁ、気をつけて」

 赤色灯を明滅させて走り去っていく車の姿が見えなくなるまで、フレディはラボの前に立っていた。……そんな彼の手が震えていたのを知る者は誰もいない。

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