癒えぬ傷、なお生きて
忘れていた記憶が静かに、しかし確かに蘇る。それはフレディの傷を抉ると同時に、確かな一歩を踏み出すための灯火となっていた。
真実を知ったマコは怒りと悲しみを抱えながらも、ある行動に出る。
マコは半ば強引にフレディの手を取り、無理やり意識を現実へと引き戻した。
光と音が戻ってきたものの、二人は口を開かなかった。言葉を紡げなかったのだ。
「……」
フレディはベッドの近くにあった小さなゴミ箱をぼんやりと見つめ、暫くしてから沈黙を破った。
「……僕は要らない子だったんだろうな」
その言葉にマコの胸が軋む。
「僕を殺したのは……父さんで間違いない。要らないものは、捨てる……何も、間違ったことじゃないのに……」
「――要らない命はない」
マコはそう短く言い放ち、フレディの頭を何度も撫でた。
「しっかり休んでろ。俺はちょっとルナの所に行ってくるから」
普段はフレディの返事を聞いてから動くマコだったが、今は自分にも余裕がないのか、足早に部屋を出て行ってしまった。
部屋を出たマコは、誰にも見られないよう場所を選び、憂憤に染まった拳を壁に叩きつけた。
「――そういうことは、自分の家でやってくれないかしら」
「あの子たち連れて来てなくて良かった」と呆れた様子でマコを見ていたルナは言う。
「ほら、眉間の皺取って」
マコはそれに応じなかった。彼の腹の内では怒りが渦巻いており、眉間の皺を取る余裕などなかった。
「……また何かあったの?」
「――さっきの診察で、フレディの記憶が完全に戻った」
「フレディの言っていた『あの日』っていうのは……自分が殺された日のことだったみたいだ。ニンゲンだった頃のあの子は、当時の親代わりの孤児院の院長にお使いを頼まれていて……その帰りに殺された。それも院長に」
ルナは無言で、何度も瞬きを繰り返していた。
「本人も傷ついていたよ。身体の構造上……泣けない姿を見て、こっちが辛くなるほどにな……」
「……私は心とか読めないけど……あんたからは別の感情があるように見えるわよ」
マコは壁を殴った手を見て言った。
「八つ当たりしたのは悪かったと思ってる。でも……どこかに怒りをぶつけないと気が済みそうになかったんだ。命は尊いもので……他人が勝手に奪っていいものじゃない」
「違うか?」とマコはルナの答えを求めた。
「っ、当たり前でしょう‼」と怒鳴り返すように答えるルナ。
それを聞いたマコはルナの肩を軽く叩き、彼女とすれ違いざまに「フレディのこと、頼むよ」と囁いた。そしてそのままルナの脇を通り抜けようとしたものの、手首を掴まれ、引き留められてしまう。
「……何だよ、ただお使いに行って来るだけだぜ」
ルナの眉間には深い皺が寄っていた。言葉は無くとも、彼女の顔が全てを物語っていたのだ。
「別にアベルの所へ殴り込みに行くわけじゃないって……頭を冷やしたいんだ。行かせてくれよ」
マコはルナの手を振りほどき、制止の声も聞かずに歩き出した。そんな彼の様子を見て、ルナは唖然としていたが、声を張って言った。
「卵は二パック! それと何か甘いもの適当に買って来て‼」
ルナの要望に対し、マコは分かったと言わんばかりに手を適当に振りながらさっさと歩いて行ってしまった。
「全くもう……」
「……命は尊いもので、他人が奪っていいものじゃない……ねぇ」
先程放ったマコの言葉が、ルナの頭にはこびりついていた。
……妖怪と獣人の狭間に生まれ、誰よりも『命』を大切に想うマコ。彼の慈愛に満ちた精神は、妖怪らしからぬアンバランスさを際立たせていた。
「国境の妖怪から異端な精神科医って呼ばれるわけだわ……」
「――それって、マコさんのことですか?」
ルナは「そうそう」と返事をした。……当たり前のように返事をしてしまった彼女だが、背後からの声の主に慌てて振り向くと、そこにはフォルテが立っていた。
「今さっきマコさんとすれ違いました。ちょっと怖い顔してましたけど……何かあったんですか?」
「あー……フレディの診察でちょっとね」
ルナは言葉を濁した。
「あいつ、他人の心とかが読める分、同調しやすいというか……フォルテこそどうかしたの?」
「あ、いや……フレディ、何だか様子がおかしかったから……」
「心配で……」とフォルテが指先を弄りながら呟いたのを見て、ルナは微笑を浮かべて彼の頭を撫でた。
「フォルテは皆のことをしっかり見ているのね……偉いわ。そうだ!」
「お試しで開発したソフトがあるの。よかったらテストに付きあってくれないかしら」
……頭を冷やしに買い出しへ出かけたマコは、卵の入った袋を片手にタウンのメインストリートを歩いていた。後は甘いものを買って帰るだけだが、何を買おうかと悩んでいたのである。
「!」
ポケットに入れていた端末が振動しているのに気づいたマコは「もしもし?」とろくに番号を確認せずに電話に出た。
「……マコ?」
「……フレディ? 何で俺の電話番号知って……」
横槍を入れるように「ハロー」とルナの声が聞こえた。
「フレディたちがあんたといつでも連絡取れるようにと思ってソフトを開発してみたの。両方上手く作動してくれてるみたいで安心したわ」
電話の向こうからはフォルテの声も聞こえてくる。
「電話以外にも、メッセージを送ることとか、色々できるみたいです……」
マコは耳元に当てていた端末を一旦離してみた。画面には通話時間の他に、クマとウサギ、そしてネコのマークが表示されている。
「……確かに便利だけど……ルナ、お前いつ俺の端末触った?」
「……」
返事は何も返ってこない。……都合が悪いと黙るのは彼女の悪い癖だ。
「……まぁいいけどさ。そうだ、ルナに甘いものを買って来てくれって頼まれてるんだよ。二人とも、何か食べたいものとかある?」
「甘いもの……」
フォルテが何か言いたげな声を上げたのに気づいたマコは、遠慮はいらないとを伝えた。
「僕……ケーキが食べてみたいです!」
「分かった。じゃあそれを買ってくるよ」
「やった! ありがとうございます!」
「よかったな」とフレディの穏やかな声。電話越しでは、彼がどのような表情をしているかは分からないものの、多少落ち着いているようだった。
「フレディは? 何かリクエストはあるかい?」
「……いや、僕は大丈夫。皆と一緒に食事が出来るだけで、嬉しいから」
「……そうか、分かった──おっ、と」
「どうした?」とフレディに尋ねられたマコは「大丈夫」と短く答えて一旦端末を下ろした。話をするのに夢中になって、近くを歩いていた男性と肩がぶつかったのだ。
「すみません」
「お気になさらず。こちらこそ申し訳ない」
お互いに謝罪を述べ、頭を軽く下げてから別れた。
「……」
(……今のヒトは……よそう、ヒト違いの可能性だってある。まだ頭が完全に冷え切っていないだけだ)
「マコ?」
「あぁ、悪い。ちょっとヒトとぶつかっただけだから。ケーキを買ったらすぐに帰るよ」
そう言ってマコは電話を続けながらまた歩み始める。
……それとは対照的に、先程マコとぶつかった男は立ち止まってジッと彼の背中を見つめ続けていた。




