1
まさか、異世界なんて物が存在するだなんて思ってなかったし、私がそこに転生するとも思ってなかった。でも現にそうなっている以上、信じるしかなかった。
私の転生した世界は、典型的な中世ヨーロッパ風、剣と魔法の世界。
私は城下町の平民の家に産まれたけど、代々王府に勤める役人の家系、つまり公務員のようなもの。位は高くないし裕福でもないが、家計は安定している。
家族は祖父母に父母に、弟がいる。弟は役人になるだろうし、私はこのまま中等学校に進み、非常勤の役人をしたのちに同じ平民の男性と結婚し、家庭に入ることになるだろう。
平凡な転生ライフも悪くない。むしろ、サスペンスに振り回される貴族の令嬢や、モンスターと命懸けで戦う冒険者より、安らかな日々を送れる。
ところが、初等学校最終学年になって間もなく、私あてに届いた一通の手紙が、私の未来を変えてしまった。
「あなたは、当ギルドの吟遊歌姫研究生募集において、書類選考を通過いたしました」
吟遊歌姫とは、各地を旅しながら歌や踊りを披露する仕事、つまり私の前世でいうところの、アイドル。一瞬何が起きたか分からなかったが、すぐ思い出した。私の親友が、勝手に私の名前と写真を使ってオーディションに応募したということを。
その時は、まさか私なんか受かるわけないと思っていたから、
「もし合格したら、歌姫を目指す?」
と彼女に聞かれたときには、
「いいよ」
と軽く答えた。
それなのに、その、まさかが起きてしまった!
「家族や友達が本人に断りなくオーディションに応募したら合格してしまった的アイドル話あるある」
が、まさかこの身に起きるなんて!
早速その親友の家、と言っても同じアパートの三軒隣だけど、に文句を付けに言った。
「ちょっと、なんてことしてくれたの? なんで私が歌姫オーディションなんかに合格するわけ?」
平民の娘として平凡に生きるという今世の目標を、あっさり崩されてしまってはたまらない。
すると彼女は落ち着いた様子で、
「お、予想通り。うん、吟遊歌姫の素質アリとみたアタシの目に狂いは無かったね」
「え、どこが?」
「だって、可愛いもん」
「か、かわいくなーい! そ、それに私、人前に出たり、目立ったりするの、イヤなんだけど!」
必死になって、彼女の一言一句を否定する私。恥ずかしくて恥ずかしくて、顔は真っ赤になってたに違いない。
ところが彼女ときたら冷静なもので、
「知ってるけど?」
だと。……あーでもそうだ、幼い頃からの腐れ縁だから私の性格を知らないわけがない……。ん? ちょっと待て。
「知ってるけどって! なら、なんで私が嫌がると知っててオーディションに応募するなんてことしてくれたのよ!」
エキサイトする私。でも、
「んー、何となく、かな」
と、冷静に答える彼女。
うわー出た。うん私も知ってるよ、アンタが気まぐれで他人を巻き込んで引っ掻き回すキャラだってことを。そしてその結果に悪気を持たないことも。
「つか、忘れてた。それ出したこと」
しかも、忘れてやがった!
だから、キッパリ言ってやらなきゃいけない。
「何となくってことはさ、気まぐれってことはさ、私、辞退してもいいよね?」
「ん? 何を?」
「おーい、スットボけるなー。いい? スチャラカな君にも分かるように、ハッキリ言って差し上げますけど、私は! 吟遊歌姫の第二次選考には、参加いたしません! ご辞退申し上げます!」
大きな、ハッキリした声で、言ってやった。本来オーディションなんて自分の意志で応募するものなんだから、張本人の私が嫌だというものを引きずって出場させる権利なんて、彼女には無いんだから。
すると、
「分かった」
との返事。良かった。なんだかんだでやっぱり友達、私の気持ちを優先してくれたんだ。
「アタシはいいよ? 別に。アンタが嫌だっつーなら、無理やり歌姫になれなんて命令する権利はないもんね」
おおー! 私の気持ちを汲んでくれた! なんだかんだ言っても、さすが親友!
と、思っていると。
「でもさ」
でも? なんかまだ条件でもあるっての?
「アタシはいいけどさ」
いいけど、だから何?
「あんな大声でオーディション通ったこと叫んだら、ご近所に丸聞こえだよ? ほら」
彼女は耳に手を当てて、聞いてみな? という仕草。そして、そんなことをするまでもなく、
「おめでとう!」
「やったね!」
そして、拍手も四方八方から。
ああ、そうだった。壁の薄い公営アパートであんな大声で合格宣言したら、全館に筒抜けだよそりゃ。
吟遊歌姫に選ばれるのは途轍もなく名誉なことだし、それだけに書類選考だけですらものすごい競争率。ご町内から合格者が出るだけでも大変な騒ぎになる。
しかも、私はそれを辞退すると言ったはずなのだが、合格したというあたりから周りは大騒ぎになっていたみたいで、それによって辞退するという声の方はかき消されていた。なるほど、道理で「やめないでー!」という声が皆無だったはずだ。
地域の人々の期待を一身に背負ってしまう羽目になってしまっては、親友と私が辞退しますなんて言おうものなら、間違いなく反対される。
それに、声援のなかには多くのちっちゃな子どもの声が混じっている。吟遊歌姫は女の子憧れの職業。この子たちは、私が自分で辞退すると決めたと知ったらさぞやがっかりすることだろう。
「ま、こうなったからには、二次選考通過めざして頑張ろー!」
親友はさっさと気持ちを切り替えてしまった。それでも、
「心配しないで。書類なんか誰でも通るんだから。二次はもっと狭き門だし、安心しなって」
と、少しは安心するようなことを言ってくれはするけど。
「ところでさ」
彼女が言葉を続けた。
「書類審査の結果は本人に郵送、ってことは覚えてたんでしょ?」
「もちろん。募集要項見せてもらったもん。んでその時、通知は適当に処分してって言ってたよね、って、あっ!」
「そ。気づくのが遅い」
……え、え、ん、あ、あっ、ああーっ! しまったー!
そう、合格通知が届いた瞬間、こいつを握り潰していれば良かったんだ。そもそもこの子ったら応募したことを私に言われるまで忘れてたんだし、覚えてたとしても、不合格だった、通知は捨てちゃった、で済んでたんだ!
——
結局、自分から罠に引っ掛かるように私は次なるステップに登る運命となった。
通知が届いた次の日には、学校でも私が二次に進んだという噂が広まって、全校生徒の注目の的となってしまった。そして少しだけ期待していた「親の反対による芸能界入り断念」というシナリオも、もろくも崩れ去った。何せこの世界で歌姫になるということは名誉と安定を手に入れることだから、反対される理由が無い。
二次選考は全国各地に会場が設けられ、なかでも王都は人口が多いぶん、会場には多数の受験者が集まる。それを目の当たりにした私は、一瞬気後れした。
人混みは嫌い。それに緊張しいだし人見知りだし、人前に出るのは大の苦手。歌姫なんてとんでもない、なりたくない、いや、なれるわけがない。
でもそれ故に、かえって緊張が解けてしまった。
だって、こんなに沢山の受験者がいるなら私なんか受かるはずがないもの。
選考の始まりは健康診断と簡単な体力測定。これは手の抜きようがない。駆けっこを軽く流したりもしてみたが、基礎レベルの体力があれば良いとかで、ほとんどの参加者が合格。真の勝負はそのあとに続く実技審査だ。
まずは歌。わざと音程やリズムを外してやろうと思ってたけど、これが意外と難しくて、つい伴奏につられてちゃんと歌えてしまう。
ダンス。ノリの良い音楽が掛かれば自然と体も動いてしまうけど、自由に振りを考えてきて良いと告げられていたのはラッキー。全然考えて来ず、適当に手足を動かしてやった。
演技。初見のシナリオを渡され、それを元に自分なりの芝居をする。もちろん棒読み。
手応えは、悪くなかった。悪い意味、いや、良い意味だろうか? とにかく、私の実技は周りの受験者より明らかに劣っていたはずだ。
というわけで、不合格通知を心待ちにしていた私の元に、ついに一通の手紙が届いた。わくわくしながら中を開けると、
「合格」
思わず天を仰ぎ、溜め息をついた。
通知を握り潰す手はもう通用しない。二次選考通過となると今後の進路にも影響するため、学校にも通知が届く決まりになっている。それだけこのオーディションは社会的注目も高いし、国ぐるみのプロジェクトですらあることが分かる。
そして、私はもう逃げられない。
三次選考からは、会場が王都の一箇所に絞られる。ここではこれまでよりハイレベルの競い合いとなり、合格は至難の業とも言われる。合格を望まない私にとっては好都合だが、油断せず、しっかり手を抜いていかねばなるまい。
歌と踊りを合わせての審査、フリートーク力を試す集団ディスカッション、そして面接。今度は抜かりなく、しっかりと音やリズムを外し、無口でムスッとした表情で通した。
午後の面接試験は別名裏四次選考とも呼ばれる。と言うのも午前の段階で帰らされる受験者もいるからで、なぜ私がここに残っているのかは不可解だった。でも面接こそが難関だと聞いていたので、そこは深く考えなかった。
午前のディスカッションが集団面接を兼ねているらしく、面接はいきなり個人面接から始まった。私を勝手に応援する友人達から無理やり聞かされた情報によれば実技までの段階で言葉遣いなどの基本的なチェック事項は見られているのだとか。だからディスカッションもさしづめ集団面接の代わりなのだろう。
受かる気が無いためにリラックスして待っていると、私の名前が呼ばれた。
部屋に入るととりあえず最初は普通に挨拶と自己紹介。着席を促されて座り、質問を待つ。
「今回のオーディションに応募された動機はなんですか?」
定番の質問が来た。もちろん私は、何も取り繕う事なく、
「あ、はい、実は友人が勝手に私の名前を使って応募してしまって……。まさか一次を通るとは思ってなかったんですが、周囲が乗り気で、二次も受けないと許されない雰囲気で……」
我ながらよくぞ開けっぴろげに言えたものだ。これでイメージダウン間違いなし、じゃないかな?
ところが、面接官の顔はニヤニヤ笑っている。呆れて苦笑しているのならいいんだけど。
その後、立て続けに質問が来た。
「ご家族の反対は?」
「ありません(さすがに嘘は言えないでしょ)」
「研究生は寮生活になりますが、大丈夫ですか?」
「多分、大丈夫だと思います(一応この世界では自立しても良い年齢だし)」
「共同生活に不安は?」
「そうですねえ、人間関係とか……(ネガティブなことも言わなきゃね)」
「歌姫のOGやカウンセラーが相談に乗ってくれますのでそこは安心して良いと思いますよ」
「あ、はい」
緊張が無いためだろうか、あっという間に面接は最後の質問に移った。
「何かご質問は?」
よしわ既にやる気の無さをしっかりアピール出来たとは思うが、気は抜かず、油断せずだ。よし。
「あ、あの」
「どうぞ」
「もし、途中で嫌になったら、やめることは出来ますか?」
——
おい。いい加減にしてくれ。
いや普通、これからこの業界で頑張ろうという人が辞めるときの心配しないでしょ? そんなやる気ない奴、即不合格でしょ? 常識で考えて。
でもくじけてはいられない。幸い最終選考は、これまでと比べものにならない難関だとか。面接のみで徹底的に人間性を見るため、しくじると面接を打ち切られるとの噂も。
もちろん私にとっては好都合。だからこそ兜の緒を締めて(緩めて?)。笑顔は御法度。終始ムスッと、受け答えも冷淡に。今度こそちゃんとしくじって、この手に不合格を勝ち取り、もとい、負け取らねば!
最終選考に遠くから泊まりがけでやって来る受験者に比べ、王都に住む私は恵まれている。嬉しくないけど。
名前を述べ、志望動機を答える。もちろんこれまでの経緯を赤裸々に。友達が勝手に応募しただけで、ここまで来てしまったと。
面接官の顔が、曇ったように見えた。よし、これで落ちるかもしれない! さあ来い、どんな質問が来てもやる気の無さを発揮してやる!
「……そうですか。では、歌姫になりたいという気持ちは、全く無いわけですね?」
来た! 単刀直入な質問! これまで誰にも言えなかった本当の気持ちを、言ってやるんだ!
「はい。ありません」
言った。言えた。
これでもう、不合格のキップはつかみ取ったも同然。さあ面接官さん、どうぞ私に、この部屋から出ていけとのお言葉を!
「……よろしい」
おおっ、待ちに待った一言が聞けた。そう、その一言が欲しかったんだよ。よろしい、って。
……よろしい?
何と、おっしゃいました、か?
しばしの静寂、そして面接官が口を開く。
「おや、ずいぶん驚きのようですね」
彼は初老の男性らしい皺の寄った両手を顎の下で組み、常に微笑みを絶やさず、穏やかな口調を常に崩さない。
「分かっていましたよ、わざとだって」
……は、はい?
「確かに、実技科目をこなすあなたは明らかに精彩を欠いていました。ですが、なかなかの出来栄えでしたよ。芸ごとは大の苦手な受験生に扮しての、演技」
……バレてた。手を抜いていたことが、バレてた。
いや待て、私はそもそも歌やダンスに演技なんてもの、まともに練習したことが無い。上手くやろうとしても、そう大差ないくらい下手くそなはずなんだけど?
「もちろんあなたが、歌姫目指して特別なレッスンをしていないことも分かっています。第一それは、エントリーシートを見れば一目瞭然ですから」
それはそうだ。親友に見せてもらったエントリーシートの控えにはボイストレーニングやダンスレッスンなどの選択肢から経験あるものを選ぶ項目があったけど、どれも私には当てはまらなかった。さすがに嘘は書けないからね。
「ですが私達は、そこは余り重視していません」
は?
「なぜなら、それらのスキルを身につけるための研修生制度ですから。現時点でのあなたの実力は、はっきり申し上げると、平均より少し上といった程度のものでしょうか」
どこの平均かは分からない。受験者なのか、それとも私と同年代の女子の平均なのか。いずれにしても、買いかぶりすぎだと思うけど……。
「私達が重視するのは、これからの伸びしろ、いや、ここを受験するからには伸びしろは誰にもあります。大事なのは、伸びしろを全て使おうとする向上心と努力。それさえあれば、結果はあとから付いてきます」
ああ。現時点での実力とか才能よりも、これから実力を伸ばそうとする意欲をみていたわけだ、なるほど、なんか、納得……、
して、たまるかー!
「すみません、お話の途中ですが」
我慢できず、私は言ってしまった。
「意欲というお話をされましたが、ならば私がここまで残った理由が分かりません。私は、歌姫になる気は無いんです! だからひたすら手を抜いて、目立たず、上手に見せず、もちろんやる気だって無い。これは心底本当のことです!」
一息に喋り切って、ふうと息をつく。これだけ言えば、分かってくれると思うのだけど……。
「……分かりました。ではあなたが今ここにいる、最大の理由申し上げましょう」
面接官は、私の目を見つめる。柔和な中に鋭い眼光がひかる。
「歌姫には向上心と努力が必要、すでに申し上げましたね」
ええ。だからこそ、私は……、
「だからこそ、なのです」
はい?
「本来持っている実力を出さず、むしろ劣っているように見せるのは非常に難しいものです。しかしあなたはそれに挑戦し、不合格になるための努力を積んできました。そして今回のオーディションで、あなたはその成果を存分に発揮しました。我々があなたに見出した輝きは、その努力を形に出来る力なのです」
——
「この場で受験生の合否について明かすことは出来ませんが、おおよその感触はつかめたかと思います。結果は追ってお知らせしますので、もうしばらくお待ち下さい」
との言葉に送られて、呆然としながら会場をあとにした私。
ほどなく、合格通知と保護者の承諾書が私とその家族に届いた。無論、私は気乗りしない。すでに町内および校内で目立ってることすら、いたたまれない。それくらいのあがり症だというのに。
でも、もう後には引けない。いや、周りの誰もが、引かせてくれない。
初等学校の卒業式が終わると、クラスメイトはそれぞれの道に進む。進学する者、就職する者。
私を歌姫候補に推挙した親友は、私が本来進みたかった中等学校への入学が決まった。彼女をはじめ、王都で親元での暮らしを続ける生徒が多くいるなか、私は王都から離れた研究生の合宿所へと旅立つこととなった。合宿所は国内に四箇所あり、あえて自分の居住地から遠い場所が当てがわれる。
大勢の見送りの中、私は乗合馬車へ。母や祖母はもとより、弟や友達までもが涙を流しているなか、私は故郷を、はたまた親元を離れる悲しさというのはさして感じなかった。むしろ新たな生活への不安と、気が乗らない故の憂鬱感が勝っていた。
そんな心を落ち着けるため、いつでも帰れる、嫌なことがあったら我慢せず帰ってやる、それを忘れないよう自分に言い聞かせていた。
根性主義? そんなのくそくらえだ。尻尾まいて逃げて、何が悪いんだ。
第一、まだ研究生じゃないか。どうせその中で、私なんかふるいに掛けられるに決まってる。努力が出来る人間? 上等だ、だったら努力しないでやろうじゃないか! 言うて研究生、勝ち残るのはほんの一握りだろうし。
ところが、研究生としての生活は拍子抜けするくらいに快適だった。
学生寮は質素ながら清潔で、三度の食事も丁寧に調理された、バランスの良いおかずが並ぶ。これがタダなのだから驚いてしまう。
研究生のレッスンはハードだけど、しごきなどは一切なく、理論的に身体を作り、スキルを身につけることができる。座学もあるけど、実践的なカリキュラムになっている。
固定のレッスンや授業は午前中で終わるので、午後はおのおのが練習したいレッスンや勉強したいところの補習を受けたり、自主練習をしたり。ただしそれも時間が決まっていて、やり過ぎで疲労や怪我をしないよう配慮がなされている。
ちなみに研究生養成所は中等専門学校という位置付けなので、三年在籍するか、それ以内に歌姫デビューすると中等学校と同等の卒業資格がもらえる。もちろん学費も無料。
その代わり国語や数学の勉強もあるんだけど。
研究生は初等学校卒業済みの、私と同世代の子が集まっている。平民から貴族まで、さまざまな身分の子女が同じ屋根の下に住まうのは、この世界では珍しいこと。
もっとも、研究生の間では身分の差は関係ない。皆が同じものを食べて(アレルギー対応は別)同じ形の部屋と家具を使い、同じ額のお小遣いを持つ。実家からの金銭の仕送りは厳禁。
その代わり、研究生全員に生活費が支給される。もちろん忖度なしの全員同額。入寮時の私物の持ち込みは制限されているので、必要な物があればこの中から予算を捻出するしかない。
週休二日なので、休日には時間制限こそあれど、近くの街へ遊びに行くことも許されている。そこで私服を買ったり、研究生仲間とお茶したり。研究生どうしはみんな仲が良く、ライバル同士の足の引っ張り合いや嫌がらせ、いじめなどは一切みられない。家柄をかさにきて威張る子も皆無で、皆が対等に、吟遊歌姫への道を切り開こうと、無理ない範囲で努力している。
これは、やばい。
居心地が良い。
アイドル候補生は茨の道を歩むもの、前世を知る私はそう思っていたし、もともと吟遊歌姫という職業にさほど興味が無かったし、こっちの世間的にも、研究生の日々の様子が知られているわけではないから、あちらの世界を参考にして予想するしかなかった。
ところが蓋を開けてみれば、自由で伸び伸び、それでいて合理的・実践的なレッスンが行われている。しかも学費も寮費も食費も無料。まあ給料から差っ引かれてるのと同じことなんだろうけど、残りを生活費として貰えていると考えると結構な額になる。平民の私たちは持て余してしまうくらいなので、余りは貯金したり仕送りしたり。
普通の中等学校なら逆に学費を払わないといけないのに、なんか親孝行の娘になってるみたいで。
人見知りで緊張しいだった私だけど、日々研鑽を積んでいるうちに人前に立つことに慣れてきたし、人との会話も進んで出来るようになった。これも思わぬ副産物。
ここに来て良かった、そう思いはじめてしまった。
——
一年の月日が流れた。
養成所は原則三年過程だが、優秀な生徒から順次デビューを果たしていくし、年度末が近づくと一年次や二年次の研究生も全員、吟遊歌姫になるためのオーディションにチャレンジ出来る。要は飛び級みたいなものだ。
裏を返せば実力主義だし、もちろん私はそれを通る力がないと自覚していたので、来年か再来年に望みをかけて、これまでと変わらぬ日々を過ごすつもりでいた。
それとは別に、養成所からの推薦枠があるが、これはより狭き門だし、一年次生からは選ばれたとしてもせいぜい一名……。
……もう、驚かない、いやいや、そんな事はない。
一年生唯一のデビューメンバーが、なぜ、私?
これはいくら何でも選び方に問題アリなんじゃないの? 確かに最近は日々のレッスンが楽しくなってきてしまっていて、自然と上達していってしまう実感もあった。
とは言え、他に上手で華のある子は沢山いるのに、なんで、私が?
でも、ここまで来るともう後には引けない。やれる所までやるしか無いと、そんな心づもりも出来てきた。養成所での暮らしも楽しかったし、この歳で仕送りをするという親孝行も出来ている。
養成所の仲間たちも、私を快く送り出そう、お祝いしよう、応援しよう、という雰囲気になっている。一歩抜きん出た存在である私に対して、嫉妬や嫌がらせ的なものは一切みられない。シューズに画鋲が入ってるとか、刃物の入った封筒が届くなんてベタな意地悪も、あるわけない。
選に漏れた先輩方ですら、励ましの言葉やアドバイスをくれたり、時には厳しめのことも言われたけど、それは愛のある叱咤激励だったり。
私を快く送り出そうというムードに研修所は包まれていた。
そして、壮行会も送別会も終わり、いよいよ出発を明日に控えた夜。私は担任の先生に呼び出され、最後の面談と明日からの説明を受けた。
「全国四箇所の養成所のなかで、今年の一年次生は各校一人ずつ。したがってあなた方には、その四人でユニットを組んでもらうことになると思います。これまでに比べると厳しい日々になると思います。私はすでに他校の代表のプロフィールを見ました。皆、歌やダンスの実力を蓄えています」
話を聞いているうち、顔がこわばっていくことに気づいた。相当、緊張をしているらしい自分に驚く。
しかし、
「あなたは目標めざして努力のできる人ですから大丈夫」
先生のその一言で救われた気がした。そう、これまでもこうして乗り切って来たのだから。
しかも、
「その力を今度は受かる方に使ってくださいね」
と、付け加えられたときには苦笑せざるを得なかった。私がオーディションでわざと手を抜いたことは、先生方の共有事項になっているのだ。
ひと通り話を聞くと、いよいよ最後の意志確認がなされた。もちろんこれは念の為、形だけのものでしかない。
「……ということですので、あなたは今まで通り、出せる力を出して行けばいい。周りの環境も、この養成所とさほど変わりません」
契約書の説明も形通り。無論、私には何の異議もない。
ところが。
「ただ」
ただ? 先生が急に真剣な顔になって、私の顔をまじまじと見つめて確認した。
「歌姫になると、ちょっとばかり不適切なことが起きるかもしれませんので、それは承知しておいてください」
不適切?
どういうことなのだろう。よくは分からないが、命を取られたりの話では無いとのことだし、これまでの養成所の暮らしを思い出せばひどいことにはならないだろう。だからアイドルへの道を歩むことに、
「はい!」
と返事をするのに抵抗は無かった。
というわけで、一夜明け、私たちは旅立ちの途についた。行く先は希望。そして厳しい戦いのなかにもあるであろう、楽しみへの期待。
それでも私は、まだひとつだけ引っかかっていた。
「不適切って、何だろう?」