その4-1
6月にさしかかると梅雨の気配が漂い始めていた。
事件のない日は学校が終わるとマンションに帰り夕飯を作って食べ、その後に春香が翌日の朝に見るための動画を作製するのが日課であった。
それは記憶が一日しか保てない春香が毎日滞りなく学校へ通い生活するための重要な芹のアルバイトの一つである。
もちろん、ただ『仕事』だからしている訳ではない。
芹自身がそうしたいと思うし、それによって春香が出来るだけ支障なく生活できていることが芹自身良いと持っているからである。
芹は9時頃に録画を終えるとUSBを手に隣の春香の部屋を訪ねた。
インターフォンの音に春香は戸を開けると
「ありがとう」
と受け取り
「少し話があるんだけど」
と中へと誘った。
芹は自分の部屋の戸を閉めると春香の部屋に入り
「それで話って?」
と聞いた。
春香はUSBを毎日みるデッキの横に置くと
「芹はこの先のことどう考えているのかと思ってね」
と告げた。
「このアルバイトのこともあるし」
芹はそれに目をパチクりと開けると
「あ、うん」
と戸惑いながら答えた。
自分でどんな道を歩いていくのか。
5月の事件の時に二人の話を聞いて初めて気付いたのだ。
ただただ家を出て。
ただただいい会社に入って。
そこに自分の意志が全くないことに…気付いたのである。
春香は考え込む芹を真剣な眼差しで見つめると
「高校を出ても…俺と一緒に探偵業をしてくれないか?」
一緒に歩いて欲しいんだ
と手を伸ばした。
芹は春香の見たことのない真剣な表情に息を飲み込み
「春香と探偵業を…高校を卒業しても?」
と呟いた。
春香は頷いた。
外ではポツリポツリと雨が降り出しザァザァと雨は激しくなり始めていた。
1Day探偵
ゴロリとベッドの上で身体を横にして息を吐き出した。
芹は自分の手を見つめ
「俺、どうしたら良いのかな」
と呟いた。
春香が差し出してくれた手をあの時は握り返すことができなかった。
正直、探偵業というのがピンとこなかったのもある。
…少し考えさせてもらってもいい?…
春香は芹の返事を責めるでもなく静かに笑むと
「だよね」
行き成りだし
と笑って
「でも考えておいて欲しい」
俺は芹と続けて行きたいと思っているから
と言ってくれたのだ。
芹は両手で頭をガシガシと掻くと
「どうしようー」
と呻き、身体を起こすと既に朝日が射し込んでいる窓を見てカーテンを引いた。
昨夜の雨は嘘のように青空が広がり、何故か
「朝は朝なんだよね」
と芹はポツンとぼやいた。
時計の針は午前7時10分。
何時もなら学校に行くのに慌ただしく食事をしている頃だが土曜日はのんびりと過ごせる。
芹はパジャマを脱ぎながらクローゼットから服を出して着替えると顔を洗って朝食を手早くとった。
テレビをつけるとそこには俳優の吉村松二が家族を紹介のコーナーで両親と兄を紹介していたのである。
「竹一兄さんは高校でサッカーをしていて強いんですよ」
俺が前にサッカー選手の幼少期の役をしている時は兄さんが教えてくれました
そう言って彼は兄を笑顔で紹介していた。
兄はそれに困ったように
「いや、それほどでもないけど」
と視線を下に向けて応えていた。
両親はそれをニコニコと見つめている。
芹はパンをかじりながら
「…隆弘が元気な時も俺は父とお母さんからは結構一歩引かれてたからなぁ」
けどこういう雰囲気の写真はあったな
「この子の家族と違って心はバラバラだったけど」
とポツンとぼやいた。
隆弘は無邪気になついてくれたが、特に母親は自分を見ようとはあまりしなかった。
ただ隆弘が腕を組んで笑いかけてくれたから母もその時だけは笑みを見せてくれていた。
芹がハァと溜息を零した瞬間に携帯が震えた。
春香からの着信であった。
芹はそれを見るとドキンと心臓を跳ね上がらせて
「ど、どうしよう」
と思いつつ応答ボタンを押した。
瞬間に春香の声が響いた。
「依頼がきたから出掛けるよ」
…。
…。
芹は昨夜のことを思い出して一人でドギマギしていた自分に
「だよねー」
と心で突っ込んだ。
そして
「わかった」
と答え携帯を鞄に入れると出掛ける準備をして家を出た。
既に春香が待っており
「播磨が来るから」
と告げた。
芹は頷いた。
警察庁特殊班係の播磨正と霧島世雄利の二人がやってきたのはそれから10分後であった。
播磨は春香を見ると
「じゃあ、案内する」
マスコミが凄いからマンションに行くときは裏の方から入るので
と告げた。
春香は頷いた。
芹は不思議そうに見た。
「マスコミ??」
春香は芹を見ると
「そう、被害者が吉村松二なんだ」
と告げた。
芹は「は?」と先のテレビを思い出しながら自室の方と春香を交互に見た。
播磨は芹を見ると
「そういうことなんで、飛鳥君も静かに頼む」
と言い、二人を連れて外で待っている霧島世雄利が運転する車へと連れていった。
春香は車に乗り込み既に座っている明日を見ると
「いたの」
と呟いた。
明日は「いるに決まってるだろ」と突っ込んだ。
言葉が意外と少ない春香の先の言葉が
「先だったんだ」
という意味だと理解しておりそれ以上のツッコミはなかった。
芹も最近は春香の言葉の足りない部分を理解するようになっていたので苦笑するだけで彼に続いて座った。
車は一路東京の代官山へと向かった。
吉村松二と家族が暮らすマンションは代官山にあるヒルズ・トゥール代官山であった。
が、車はそのマンションより手前で止まった。
ヒルズ・トゥール代官山や他のマンションが取り囲む池と遊具がある公園で吉村松二が倒れているのが発見されたのである。
公園には黄色のテープが張られ野次馬が垣根を作っていた。
芹と春香と明日は播磨と霧島に案内されてその垣根を割りながらテープを潜った。
少し行った池の淵に白いテープが人型を作っている。
周囲では鑑識がカメラで現場写真を撮っていたり、血の付いた石から指紋を採取していたりしていた。
播磨はその前に立つと三人に
「吉村松二はここで頭から血を流して倒れているのが発見され」
本人は現在意識不明で病院だ
と告げた。
春香は周囲を見回し
「彼の発見は?」
ここは池の淵だし公園の道からは茂みで死角になっていると思うけど
と告げた。
明日も頷いて
「確かにな」
それこそ散歩中に見つけましたレベルで見つけられる場所じゃないな
と告げた。
播磨は「確かに」と答え
「『ヒルズ・トゥール代官山の近くの公園の池の淵で人が倒れている』と匿名の電話があって調べたところ彼が倒れているのが見つかったというわけだ」
と付け加えた。
芹は周囲を見回した。
「…そうなんだ」
春香はあっさりと
「つまり、犯人もしくは犯人の共犯者が電話をした可能性が高いってことだね」
と告げた。
芹は驚いて
「え?」
と春香を見た。
それに明日が
「芹、考えてみろ」
普通の通行人じゃ見つけられない場所で倒れている人がいることを知りえることが出来るのは犯人だけだろ
とビシッと告げた。
「見つけられないんだからな」
芹は「なるほど」と頷いた。
「やっぱり探偵だよね」
2人とも
そう心で突っ込んだ。
ただ芹には他に気になっていることがあった。
「…う~ん」
唸った芹に春香は顔を向けると
「何か気になることがあるなら言って欲しいけど」
と告げた。
芹はハッとすると
「あー、凄く他愛のないことだけど」
と言い
「彼を襲ったのに何で救いの電話を入れたんだろうなぁと思って」
それにここ池の淵だから
と指をさして告げた。
…。
…。
明日は「ん?」と芹を見た。
「確かに襲いながら警察へ電話を入れるのは矛盾していると俺も思う」
だがその後に池の淵だから…なんだって思ったんだ?
芹は腕を組んで
「憎んで恨んで襲ったなら先ず救助の電話を入れないし態々池の淵で襲ったんだから池に…って」
と罰が悪そうに苦く笑んだ。
「俺、けっこうエゲツナイこと考えた」
春香はあっさり
「いや、あるあるだから」
と言い
「確かに池の淵で態々襲っておきながら確実に止めを刺していないってことだね」
芹が言いたいことは
と告げた。
明日は頷いて
「確かにそうだな」
理由としては怨恨だったが怖くなって殴るだけで終わった
「怨恨だったが殺すまで出来ずに助けた」
だろうな
「ただの怨恨って訳じゃない顔見知りの犯行だな」
と告げた。
「通りすがりの犯行なら争った形跡があるだろうし」
ガイシャがここまでノコノコやってくるのもないだろうしな
春香は明日の言葉に
「こんな人目の付きにくい場所まで被害者が抵抗なく来たってことはかなり近しい間柄ってことか」
と呟いた。
芹はふと今朝のテレビのことを思い出し
「…そうなのかな」
と呟いた。
それに春香と明日は顔を向けた。
芹は視線を下げて顔を上げると
「あ、被害者の吉村松二くんが治療を受けてる病院へ行きたいんだけど」
家族の人もいるんだよね
と告げた。
春香は播磨と霧島を見た。
播磨がそれに
「ああ、彼の家族は両親と兄が一人」
三人とも病院だ
と答えた。
春香は頷いて明日を見ると
「明日、俺と芹は病院へ行ってくるけど」
と告げた。
明日は現場を見回して
「凶器もあるし現場の状況の採取は鑑識が終えているから、俺も行く」
怨恨の聞き込みとかしないとな
と告げた。
播磨は三人を見て
「わかった、病院だな」
と告げた。
霧島も頷くと車へと向かった。
芹も春香も明日も播磨と共に後を追うように車へと向かった。
吉村松二が入院している病院は車で10分程走った場所にある代官山総合病院であった。
現在も意識不明の重体であった。
そこに母親と父親と兄の竹一がいたのである。
播磨は芹と春香と明日を連れて集中治療室の前で彼の様子を見ている彼らの元に行くと手帳を見せて
「警察のモノですが」
と告げた。
「実は怨恨の線で調べているのですが松二君から誰かに恨まれているとか…トラブルとかの話は?」
あと昨夜の様子や何時ごろに出掛けたなど詳しくお話を聞きたいのですが
それに母親は泣きながら
「松二は明るいしそんな人から恨まれるなんて」
トラブルもなかったですし
と答えた。
「昨日は撮影が5時頃に終わって6時ごろに出掛けると言って出て行って」
7時頃に電話がありました
「だからまさかこんなことになっているなんて」