パーティー
初めて対峙した魔物は灰茶色のウサギ型で、オレ達が知っている可愛らしいそれよりも二回りほど大きい。戦う相手として困るサイズじゃないが、こちらは転生初日で戦闘の勝手もわからない。目を離さないように注意しながら、高崎さんに声を掛ける。
「剣を貸してくれ。慌てずゆっくりと渡してくれればいい」
彼女にはやはり剣を振るう意思はないのだろう。素直に手渡された中サイズの軽い剣を、握り方もよくわからないまま両手で持って構える。
「どうするつもりなの?」
魔物といっても、ベースはウサギだ。盛り上がった筋肉と、爪と牙の発達がおぞましいが、つまり攻撃方法は、引っ掻きと噛みつきくらいだろう。
「オレはオレの戦い方をするだけだ。よく見てな」
すうう、と息を吸い、どこまでも響き渡れと、ありったけの声を張り上げた。
「仲村くううううん!! モンスター出たああ!! たーすけてくれええー!!」
洞窟までは歩いて五分もかからない。夜の森のこの静けさの中でなら声も届くだろうし、ある程度の方向もわかるはずだ。
「あいつ一人来たからってどうなるわけでもないでしょ!」
「いいや、必要だね」
逃げるなら援軍は要らない。だけど図らずもこうして剣を握った以上は――
「来るぞ!」
インプットしろ。注意するべきは引っ掻きと噛みつき、それを避けて斬りつける。
――ドン!
「う”っ!」
まともに腹に食らったのはただの頭突き、というか体当たりで、ただ威力が鉄球をぶつけられたみたいな衝撃で、呼吸が一瞬止まった。
「ゲホッ、ゴホッ、ううー、痛ええー」
「ちょっと、大丈夫!?」
つばに血が混じっている。そのまま攻撃を続けられたらやばかったが、少しは警戒しているのかじっくり責める習性なのか、敵はいったん退いて元の位置に戻った。まずは助かったが、すぐに次の攻撃が来るだろう。
「高崎さん、オレの後ろに隠れるようについてきて」
「でも、それじゃあんたが」
「かばってるわけじゃない、その方が都合が良いんだ。次、突進して来たら右へ避けよう」
武器が剣一本しかない以上、攻撃対象を分散させたくない。スピードで勝てないならばこちらから仕掛けられず、勝機は向こうから突っ込ませての接触時にしかないのだ。
じりじりと神経をすり減らしながら、開けた場所の真ん中へ位置取る。ここでチャンスが来るまで相手の突進をかわし続ける。
ウサギは、フェイントのつもりか左右に小刻みに跳ねながら距離を縮め、ある地点を過ぎると、猛スピードで一気に突っ込んでくる。オレと高崎さんは、それを横っ飛びで右へかわし、追撃に備えてすぐにまた向き直る。
あと何度避けられる。もちろん逃げる手もあるんだろうが、こいつはどうせレベル1とか2の魔物だろう、今ここで戦うことは後々重要になる気がしている。
「後藤田さん」
横側の茂みから仲村君の声がした。大声で呼んだりしないところが冷静で、助けてほしいから君を呼んだということを理解してくれている。
「援護します。僕がやるべきことを言って下さい」
「ウサギ型の魔物からタックルを繰り返されている。それを邪魔して隙を作って欲しい。もしそっちに攻撃がいったら、直線軌道だから真横に避けること」
「了解。――もう一度避けられますか? どのくらいのスピードか確認したい」
「了解。高崎さん、次は左にかわすぞ。さっきのタイミング」
「わ、わかった」
左右へのステップから、少しずつ距離を縮めてくる、しょせんは低レベルの魔物のワンパターン攻撃だ。けれど唯一、攻撃のタイミングだけが読みづらい。
ドンッ、と猛進してきて、今度は逆側にかわしたが、わずかに高崎さんの体をかすめて肝を冷やした。
「丁度、肩当ての所だった、問題ないわ」
「安心して。顔に傷ができたら責任とるから」
「ありがとう。次からは全力で避けるわ」
「後藤田さん。次、土の塊を投げつけます」
仲村君の声は震えている。臆病な男が、オレ達を助けるために動いている。オレは剣を強く握り直す。
ウサギが攻撃モーションに入る。馬鹿の一つ覚えのステップから突然の猛進――に合わせて仲村君の投げた土塊がヒット!
顔面は外したが、後ろ足に当たってウサギの意識が一瞬だけそれたように見えた。オレは無我夢中で剣を突き出して、しかし顔を狙ったはずがガードされた前足に刺さり、そのまま払いのけられて剣を落とし、もう片方で肩を押さえつけられながら背後に高崎さんごとひっくり返った。
シャツ越しに爪が食い込んで肩に激痛が走り、さらに大口を開けて襲ってくる顔面を抑えて噛みつきを防ごうとするが、首を激しく振るので上手くつかめない。
「後藤田さん! 逃げて!」
仲村君の悲痛な叫び声を聞きながら、とうとうむき出しの鋭利な牙が眼前に迫ったその時だった。
――ヒュッ
今まさにオレを捕食せんとしていた魔物の動きが止まり、爪を食い込ませていた前足の力も抜けて、だらりと頭を垂れた。ややあって首の辺りから血が流れ出てくる。
「はあっ、はあっ」
いつの間にかウサギの背後に回り込んでいた高崎さんが、息を荒げて立ち尽くしている。暗殺者のスキルだろうか、拾った剣を後ろから回して喉元を切り裂いたらしい。間一髪だ。
オレはそのまま反り返って、地面に転がった。「後藤田さーん」と、仲村君が泣きわめきながら駆け寄ってくる。高崎さんは力が抜けたように膝を折ってへたり込んだ。
「高崎さん、あんたも! うわあー、よかったああー!! 皆、無事で、生きててよかったあー!!」
夜空に丸い月が三つ。まだお目にかかってはいない太陽も、明日には昇るのだろう。それぞれ情けないオレ達も、どうやらそこへは行けそうだ。
「高崎さん、どっかでさあ」
「……何?」
「ウォーターの、使い道ないかなと思ってたけど、……本当になかったな」
ふ、ふ、と笑い声が漏れるのを聴いた。とことん疲れて、洞窟に戻る気力もない。水を出してMP消費したことも関係あるかもしれない。
「後藤田さん、ちょっと水出してくださいよ。〈水道屋〉で」
「……は?」
「僕がコップつくりますから。あ、たき火もしますか?」
言葉が出ないオレに代わって、高崎さんが応答している。
「それがですね、スキルの使い方を色々試していたら、すごいことを発見しまして。空中に火の絵を描いたら、火として使えるんですよ。高崎さん、これ、ちょっと見て下さいよ」
――何を言っているんだ、こいつは。
「何これ、火っていうか、微妙に温度低いような」
「多分、僕の絵のレベルだと思うんですよね。でも葉っぱを当てたら燃えたから」
「だけど燃やすものがあるの? まきとか薪とか」
「そういやそうですね。雨上がりだから木の枝も濡れてるし。あれ、まきを描けばいいのか? ちょっとやってみますね。あ、その前にコップだ。初勝利のお祝いに、後藤田さんの水で乾杯しましょう!」
――それは当たりどころか、かなりの万能スキルなんじゃないのか。約束が違うっていうか、約束はしていないけれど、自分ばっかりずるい。
だけど今夜、三つ月の下で焚いたキャンプファイアーのまぶしさを、雨上がりの芝生の座り心地の悪さを、眠気をこらえながらただの水で交わした乾杯のことを、きっとオレ達は忘れることがないのだろう。