三つ月夜
「ウォーター」と唱えると、手のひらから水がジョボジョボと出る。魔法の使い方は教わっていなくても理解できるらしい。
「飲み水を確保できるとしたら、意外と冒険者としては良いスキルかもね」
「でも後藤田さんの体から出た水飲むの、ちょっと抵抗あるなあ」
「ははは。砂漠越えで喉カラカラになってもそう言ってろよ」
「ひでえ。その時はしっかりと助けてくださいよ」
きゃっきゃと仲村君とたわむれながら、ちらりと振り返ってみると、彼女はこちらに一瞥もくれずに座って呆けている。高崎さんという19歳の女の子で、職業スキルは〈剣士〉だと名乗った彼女もまた日本からの転生者で、三人で山を降りて来たのだけれど、何というか、性格にやや難がある。
まず高崎さんは〈水道屋〉〈画家〉という僕らのスキルをかなり見下している。まあ褒められるものとも思っていないのだが、彼女は自分に〈剣士〉が付与されたのは長年の剣道歴があるからで、オレ達が下らない職業スキル(本当にそう言った)なのはそういう生き方しかしてこなかったせいだと、はっきりと言葉にするわけだ。
他にもこういうことがあった。気まずい臨時パーティーで山を下り、麓の森に少し入ったところで、洞窟を見つけたので、今夜の寝床とすることにした。
ほっとすると腹が減るが、当然、食料など何もない。二、三日なら空腹だけで済むだろうが、早々に解決するべき問題だ。
「町を探すしかないですね」と、仲村君が言う。
「それか人だなあ。冒険者に出会えれば、サバイバル術を教えて貰えるかもしれない」
すると「駄目よ」と、唐突に高崎さんが否定した。
「考えなしに現地の人間と接触すると、危険が増える。勝手なことをしないで」
それでオレ達は黙ってしまった。正しいことでも、伝え方というものがある。オレ達は、特に仲村君はすっかり萎縮してしまって、それから二人は口をきいていない。
ともあれ、異世界にも夜が訪れる。月が三つあるおかげで、地球の夜よりもずいぶんと明るい。
フルーツでも成ってないか探してくるよ、と言って洞窟を離れ、一人で軽い散策をすることにした。仲村君には悪いが、気まずい空気の中では心が安まらない。キノコをいくつか見つけてポケットに入れ、洞窟からそう離れていない距離で少し開けた場所を見つけて、芝生のような地面に寝転がる。
「あー……」
食料のこと以外にも、考えるべきことは山積している。当面の課題は行き先についてと、パーティーをどうするか、だな。
すると、がさがさと茂みを通る音がして、誰が来たかの見当はついていた。
「驚かないのね」
「来るような気がしてた。仲村君は?」
「洞窟の奥で下手な絵を描いてる。ふん、陰気な奴」
仲村君は、〈画家〉の能力で宙に絵を描くことが出来る。今のところ使い道は思いつかないが、なかなか楽しい能力だ。
――ヒュン!
高崎さんが剣を抜いてオレの鼻先に突き立てるのを、寝転がったまま見ている。
「もう今日は疲れたんだ。明日にしてくれないか」
「あんたらは役立たずよ。私の言うとおりに動きなさい」
「それでかまわないよ。水、飲む?」
ウォーターを唱えて手のひらからチョロチョロと水を出して見せたが、微動だにせず剣を構えている。
「――君の本当の職業スキルは?」
「……〈暗殺者〉よ。どうしてわかった?」
「嘘が下手だから。それに剣士というには剣が小さいし、装備も軽いしな。しかしまた、暗殺とはね。闇から出でて、対象の喉元をヒュッてか。君にやれそうかい?」
彼女はため息を一つ吐いて、その剣を鞘に収めた。
「無理ね。私は看護師学校に通ってたの。人どころか、獣の一匹も斬れないでしょうね」
そう言うと、寝転がった僕の隣に座り込んだ。なるほど、〈暗殺者〉とは対極の職業倫理を持っているわけだ。
「どうしてこう、上手くいかないのかしら」
「さあね」
それから少しの間、ぽつぽつと身の上話をした。僕は冴えない大学生で将来の展望もなく、彼女は看護師を志していたものの、専門学校でのコミュニケーションが上手にやれていなかった。強気に振る舞っているが、本来は気が小さく、崖の上で出会った時には、怒濤の展開に腰を抜かしていたらしい。
「先に言っておくけど、オレは何もしてあげられないから」
「……私に腹を立てているんでしょう」
「違うね。ガキの頃に出しゃばって嫌われたとか下らないトラウマで、前に出ることが嫌なんだ。異世界くんだりまで来て何だが、オレは脇役でいい。勇者にもパーティーのリーダーにもならない。君か仲村君が世界を救う気なら手伝えることもあるかもな」
「……誰も〈水道屋〉に世界を救えとは言わないわ」
「夜中にトイレが壊れない限りは」
ふ、と彼女が小さく笑ったところで、獣のうなり声が聞こえて、二人同時に飛び起きた。
茂みからゆっくりと出てきたウサギを、月光が照らす。まとっている凶暴な気配と、黄緑色に妖しく光る目を見れば、ただの獣じゃないことがすぐにわかる。
「魔物だ」