1-8:エピローグ
「ひぁー!!死んだかとおもった!!」
「大丈夫、生きてるよ。」
夜千代の”奥の手”が功を奏し、無事に転移装置を作動させることに成功したふたり。
しばらく放心状態でぼんやりしていた紫乃葉だったが、我に返ってあたりをキョロキョロと見渡し始めた。
窓の外を覗いてみるも、虹色の“もや”に覆われていてよく見えない。
「ここどこ?」
「有り体に言えば次元の狭間というやつだね。なにか気の利いた名前をつけてもいいけど。」
「ぎんぎら空間。」
紫乃葉のおよそ脳みそを経由したとは思えない即答に、夜千代は否定も肯定もせず代案を示した。
「……そうだな、オーバーパーパススペースってのはどうだい?」
「え?なに?早口言葉?」
死地を乗り越えた安堵感から、すっかり気の抜けた会話をしているうちに、周りの“もや”はだんだんと薄くなって見慣れた夜千代の家のガレージがぼんやりと見え始めた。
「あ!チヨの家!ガレージの中……?そういえば結構なスピードで突っ込んだけど、大丈夫なの?家にぶつかったりしない?」
「すこし説明が難しいんだが──」
「あ、大丈夫。説明が難しいならぜんぜん大丈夫。」
「──この空間に入った時点で物理的な速度はゼロに等しくなるんだ。」
長い説明が始まりそうな気配を察知して止めに入る紫乃葉と、それを無視して話し始める夜千代。
「あれ、意外と単純な話じゃん」
「──もちろん空間的に完全に静止しているわけじゃない。量子的な空間エントロピーをマイナス方向に加速させることで通常位相空間を引き寄せ元の世界への──」
「あ、もう大丈夫。すっごく理解できた。うん。大丈夫。」
やっぱり難しい話が始まって全力で静止する紫之葉。どうやら伝わっていないと気付いた夜千代は、すこし考える素振りをしてから言った。
「そうだな。端的にいうなら、じわじわ元の世界に帰ってきているから問題ないって話さ」
「なるほど。最初からそういってよぉ」
そんな話をしている間にどんどんと周囲の景色は濃くなり続け、突然ピントがあったようにはっきりと景色が視認できるようになった。
それと同時に”カチン”と音を立てて時空ブレーキのレバーが元の位置に戻り、元の世界への到着を知らせる。
──車の時計は午後5時過ぎを指している。
ガレージはすっかり夕焼け色だ。
「オーケー。転移終了だ。元の世界に戻ってきたよ。」
「もう降りていいの?」
夜千代が頷くと、紫乃葉はドアを開けて車から降りた。
「ふぅ、どうなることかと思ったけど、無事帰ってこれてよかったー。」
「どうだい?私のこの発明は」
得意げな夜千代に、笑顔のまま無言で拳をふり上げる紫乃葉。
「か、顔は勘弁してくれよ?」
殴られるのも致し方なしと両手を上げて覚悟を決める夜千代。
「……まぁ、なんだかんだ楽しかったし、こうして無事に帰ってこれたし、晩御飯、奢ってくれたらチャラにしてあげる」
その言葉にほっと胸を撫で下ろす夜千代。
「お安いご用だ。シノは何食べたい?」
「うーん。お寿司。……回転寿司で勘弁してあげる」
「ははは、助かるよ。たしかキャンパスの近くにあったね。……5時過ぎか。少し早いけどもう行くかい?」
「賛成!帰ってこれてホッとしたらめちゃくちゃお腹すいた!」
お昼には夜千代が呆れるほど食べていた紫乃葉だったが、どうやら関係ないらしい。
「それにしてもチヨ、結構無茶したね。帰らないと行けない理由がある!とか言って。そんなに急いで帰りたかったの?」
紫乃葉のその言葉に夜千代は意外そうな、照れくさそうな、複雑な表情をして答えた。
「あー。いや。まあそうだね。急いで帰る理由があったのさ。」
「ふぅん。あ、チヨちょっと待ってて、手洗ってくる」
さして理由に興味を示さなかった紫乃葉は手を洗いにガレージを出て夜千代の部屋に上がっていった。
その後ろ姿を見送りながら、夜千代は独り言のようにつぶやいた。
「……シノ、君が暗くなる前には帰りたいと言っていたからね」
そうして、やれやれと言った表情で静かに微笑みながら、車に寄りかかって紫乃葉が戻るのを待つのだった。