1-4:異世界の街
「おぉ~、随分近づいてきたねぇ。」
異世界の草原を走ること約一時間。
車の正面に大きな城壁が迫っていた。
「この城壁すごいね、城とかよくわかんないけどめちゃくちゃ複雑な石の積み方してない?」
「ああ、遠くから見た限りだと、中世ヨーロッパあたりの建築様式にもみえたが、こうして近づいてみると少なくとも我々の世界の中世では考えられないほどの技術力だ」
実際、遠目に見ると石を積んで固めただけのように見えるが、その実、全ての石が整形されており、目的を持って積まれ全体の強度を高める構造体を構築していることが見て取れる。
「こんなにでっかくする必要あるのかな?」
気の抜けた顔で城壁を見上げている紫乃葉をつついて、夜千代が外壁の一点を指差す。
「シノ、気づいたかい?」
「なにあれ?はしご?」
夜千代の指差した先には地上部分から丈夫そうな長い梯子が外壁の頂上に向かって伸びており、よく見ると途中には待避所のようなものもあるようだ。
「みたところ壁と一体になっていて、戦時に取り外すようなものでもなさそうだ」
「どういうこと?敵が登ってきちゃうじゃん」
「わからないが、この城壁は人間と戦うことを想定していない可能性が高いんじゃないかな」
そんな話をしながら城門に向かってゆっくりと車を進めるふたりの前に、
金属の鎧を着た、いかにも兵士といった出で立ちの数人が慌てた様子で飛び出してきて、なにやら叫んでいる。
「───!!───、──!!」
「えぇ、言葉通じないんだけど。こういうのって大抵日本語しゃべってるんじゃないの?」
「さすがにそれはご都合主義がすぎるというものだよ」
「そ、そんなことよりさ、なんか殺気立ってない?だ、大丈夫?こ、殺されちゃう?」
車の外の兵士たちは手に手に武器を持っており、中でも長槍のような武器を持った兵士は今にも車に向かって切先を突き刺してきそうな形相だ。
「とりあえず笑顔で手を振っておけ。大抵はなんとかなる」
「うっそぉ!?」
そう言いながらも、藁にもすがる想いで紫乃葉はぎこちない笑みを浮かべて素直にひらひらと手を振った。隣では夜千代も柔和な微笑みを浮かべて慈しむように手を振っている。
すると意外なことに、兵士たちは安堵の表情を浮かべて、何やら話すと、
武装を解くばかりか笑顔まで見せて、すんなり通された。
「えっ?なんで?」
「ほら、なんとかなっただろ?」
予想通り、と言わんばかりの澄ました顔をしながら額の冷や汗を拭う夜千代。
「いやいやいや、おかしいでしょ。この車が敵国の新兵器だったらどうすんのさ」
「中世っぽい服装や建築物で先入観があるけど、もしかすると文明的にはかなり成熟した世界なのかもしれないな」
その後無事に街の中に入った紫之葉たちふたりは、車のままゆっくりと街をまわっていた。
住人たちは奇異の目で見るものの、ふたりが笑顔で手を振ると、やはり安堵の表情で手を振り返すような塩梅だった。
「なんか変な気分。有名人にでもなったみたい」
「なんだろうね。兵士ほどの警戒心も感じられないし。人間というだけで仲間として認識されているとしか思えないな」
まさに夜千代の言う通り、街の住人たちは最初、車に驚くものの、中に人間が入っているとわかると、途端に安心した表情を浮かべるのだった。
「あ、人間といえばみんな、なんていうか”人間”だよね」
語彙の足りない紫之葉のセリフだったが、夜千代には言わんとすることは伝わった。
「ああ。ひと目見て異世界人だ!……って感じじゃないな。東京にいても観光客かな?ぐらいにしか思わなさそうだ」
「そうだ!観光!!ねぇチヨ、さっきの感じだと、言葉つうじないんだよね。会話できないと、ごはんも食べれないじゃん。万能翻訳機とかないの?」
「あるんだなこれが」
「あるの!?ご都合主義ばんざい!!」
「まったく、ご都合展開にするために私がどれだけの労力をかけて開発したと思ってるんだ。まず、ソフトウエア開発のために多元世界を利用した情報圧縮理論の構築から始まり……」
説明モードに入った夜千代の話を紫乃葉は慌てて遮る。
「わ、わぁ!!さっすが夜千代さま!よっ、天才!……って、あれ?じゃあなんでさっき使わなかったの?」
「じつはまだ使えないんだ。使用するにはこの世界の言語をAIにラーニングさせる必要がある」
「……つまり?」
「なるべく人の多いところを通っていっぱい機械に異世界語を聞かせようって話」
「なるほど。」
「そろそろ街の中心だ。人通りも多くなってきたし、このあたりに車を止めようか」
夜千代は、街の中心の広場、おそらく市場として機能しているであろう場所の片隅に車を停め、紫之葉に翻訳機の説明を始めた。
「ほらこれ、首に巻くことで、リアルタイムに声を他言語に変換できるチョーカー。こっちが骨伝導イヤホン。耳にかけるだけで同じく聞こえてくる他の言語を日本語に変換してくれる。」
「へぇ、結構おしゃれなデザインじゃん。ゴスロリアイテムにみえなくもない」
「まあ、ラーニングが終わるまでは本当にただのおしゃれアイテムだけどね」
「よし、じゃあ翻訳機もつけたことだし、さっそく異世界の街を散策しようか」
「どのぐらいで、らーにんぐ?が終わるの?」
「さあ、どうだろう。なにぶん使うのは初めてだからな。まあ、歩いてればだんだんとわかる単語が増えていくはずさ」
車を降りた二人は、ひとまず人の多い方へ向かって歩き始めた。
「建物は中世ヨーロッパって感じだけど、なんか人はいろんな人種の人がいるように見えるね」
「たしかに。街自体には統一感があるんだが、獣人やエルフみたいな人外こそいないものの、人々の顔つきや肌の色はは多種多様だ」
「活気もすごいよね。商人の町なのかな?」
紫之葉の言う通り、街の広場には所狭しと露天が立ち並び、言葉はわからないものの、あちらこちらで売り込みと思わしき声が上がっている。
「うーん、商業を中心とした町なら街道のようなものがもっと整備されていてもいいはずだが、この街に来るまでにそれらしいものはみなかったな」
「言われてみればたしかに」
「それに、入り口の門をくぐった時にも思ったが、内部の活気に比べて私達以外に人が出入りしている様子がなかった。なにかしらの移動手段が確立されているか、もしくは……」
「あっ!まって!いま日本語聞こえた!」
周囲の雑踏の中から突然意味のある単語が耳に、正確には耳に引っ掛けた骨伝導スピーカーから飛び込んで来たため、夜千代の考察を遮って紫乃葉が叫んだ。そのまま声の発信源をたどろうと辺りをキョロキョロと見渡している。
「──あっ!あの人だ!」
紫乃葉が指を指した方を、つられて夜千代も見やると、おそらく生鮮食品を扱っているのであろう露天商が声を張り上げている。
「────だ!!貴重な──の魚────!新鮮な───!!」
「すごい!すごいよチヨ!ところどころ意味がわかる!!」
夜千代の翻訳機は極めて優秀で、声の音量、声の質、声色をそっくり再現して出力していた。
「よしよし、ひとまずはうまく機能しているね。だけど、この様子だともう少しラーニングが必要なようだ。シノ、もう少し歩こうか」
「わかった。なんか楽しいねこれ」
再び歩き始めた二人。意識していると、意外と沢山の単語がすでに翻訳されていることがわかる。すっかりテンションのあがった紫乃葉は、まさに言葉を覚えたての子供のようにはしゃいでいる。
「そこの人が売ってるのは多分山菜のたぐいだよ。あ、いまお酒って聞こえた!あっちは酒屋さんかな?」
そんな具合で市場の端から端まで歩いたあたりで、おもむろに夜千代がつぶやいた。
「ふむ。そろそろいいかもしれないな」
「なにが?」
「シノ、店の人に話しかけてごらんよ。簡単な会話ぐらいならできるんじゃないかな?」
「えっ、ほんと?なんか緊張する。」
「異世界人とのファーストコンタクトだ。」
「わかった。戦争は回避してみせる」
「ははは、向こうは異世界人だと思ってないから大丈夫だと思うよ」
以前夜千代と一緒に観た宇宙人が地球にやってくる映画のワンシーンを思い出しながら、紫乃葉はなるべく話しかけやすそうな人を求めて市場をふらふらと歩き始める。
そうしているうちに目に止まったのは、柔和そうな表情で露店に立つ背の低い初老の女性。
そして、なによりもその女性が目の前で焼いている、おもちのような、まんじゅうのような、香ばしい香りのする食べ物に惹かれたのだった。
「あ、あの、こんにちは。」
「はい。こんにちは。」
すごい!通じた!と、夜千代の方を振り返って、アイコンタクトを送り、話を続ける。
「それ、なんですか?食べ物?」
「これはね、────だよ。───を甘辛く煮てから焼くんだ。とってもおいしいよ」
肝心なところが翻訳されず、結局なんなのかわからなかったが、食べ物であることは間違いなさそうだ。紫之葉の口からじゅるりとよだれが垂れるのをみたおばさんが、つづけていう。
「ふふ、ひとつ3”通貨”だよ。ふたつだと5”通貨”におまけしてあげる」
そこで、紫之葉ははたと気づく。
「あ!この世界のお金もってないじゃん!!」
あわてて踵を返し、後ろでみていた夜千代のところにすっとんでいく紫之葉。
「チヨぉ!!お金!!」
「日本円しかもってないよ」
「そんなぁ!あれ食べたい!!」
よだれを垂らしながら謎の甘辛焼きを指さして駄々をこねる紫乃葉に、夜千代は満を持して、といった得意げな表情でこんなことを言った。
「実は異世界のお金を手に入れる手段を考えてある」
「ほんと!?すぐやろう!!」
それを聴いた紫乃葉は、内容も聞かないうちからまた露天のおばさんのところに駆け寄り、「かならず食べに来るから!!」と、宣言してすぐに夜千代のところに戻ってきた。
「で、なにするの?あ!わかった!ギルドでクエストを受けるんだ!薬草採取とか!?」
初めての異世界コミュニケーションの影響からか、テンション高めで食い気味に話す紫乃葉を夜千代はどうどう、と落ち着かせながら、冷静に「ちがうよ」と述べた。
「実はさっきシノが露天商のおばあさんと話しているときに、街の人に古物商の場所を聞いておいたんだ。」
「こぶつしょう?」
「リサイクルショップだよ」
「いや、うん。それは流石にわかる。古物商にいって何するのさ」
「ふふふ、こんなこともあろうかと百均で適当に売れそうなものを買い漁っておいたのさ」
そういうと夜千代は白衣の下のポーチからビニール袋を引っ張り出した。
「なるほど!さっすがチヨ!あったまいい!さっそく甘辛焼き……じゃなかった、お金に交換しにいこう!!」
紫乃葉の頭の中はもう未知の食べ物のことでいっぱいらしく、夜千代から袋を受け取るなり、明後日の方にむかって走ってゆく。
「おちつくんだシノ、まだ場所教えてないよ。」
「あ、そっか」
無邪気にはしゃぐ紫乃葉のそんな姿に、夜千代は満足気に微笑むのだった。