春の宴と緑士の末路
春を祝う宴にもかかわらず、去年と一昨年の迎春の宴でザカリーが身に纏っていたのは夜の氷壁のような深い青色の服だった。女性たちはその姿を見て「氷壁の……」と頬を赤く染め、わたしは壁際でさっさと宴が終わるよう祈っていた。
十四歳で初めて訪れた迎春の宴も今回で三度目。
「シャーロット」
春の日差しのような笑みで差し出されたザカリーの手に、わたしは自分の右手を重ねた。
金色と濃淡数種類の緑の糸で刺繍が施された若草色のコート、その下にわたしの瞳の色でもある赤紫のウェストコート、クリーム色のズボン。
氷壁の小侯爵のコーディネートがわたしのドレスと揃いだと気づいた人々は、左腕がないことを確認して「ウィリアムズだ」と囁いた。心の中では「寄生虫が」と毒づいているはず。
「シャーロット、こちらへ」
ザカリーにエスコートされてクラウス侯爵夫妻の前に立つと、二人の後ろで双子と同じ年頃の少女がわたしを睨んでいた。小柄でウェーブのかかった美しい金髪とエメラルド色の緑眼。彼女はザカリーの妹のエルゼ・クラウス。
「お兄様、そちらの方は?」
気の強そうな目つきと口調は兄をとられた嫉妬かもしれない。
「はじめてご挨拶させていただきます。わたしは」
名乗ろうとしたとき、ザカリーが手をあげてわたしの言葉を遮った。
「わたしから紹介します。彼女はシャーロット。特別親しくさせていただいている女性です」
「シャーロットにございます」
わたしはザカリーに倣って「ウィリアムズ」の姓を省いた。片腕のカーテシーのあと顔をあげると、侯爵家の人々はわたしの左肩に視線を向けている。
「シャーロットと言うとウィリアムズ男爵令嬢だろう? なぜ家名を伏せる?」
侯爵閣下の眼差しは答えを知っている者のそれだ。
「わたしはウィリアムズを名乗るにふさわしくありません」
「ウィリアムズは名乗れないがクラウスを名乗る資格はあると?」
会場が息をひそめてわたしたちの会話に耳をそばだてていた。
背後から聞こえてくる慌てた様子の足音は両親のものだろう。「シャーロット」と幼子を叱るような母の声がし、ザカリーはそれを無視して話を続ける。
「侯爵閣下、お察しのとおりわたしはシャーロットとの結婚を望んでいます」
ザワッと会場がどよめいた。
「はあっ?」
双子の間抜けな声が聞こえ、わたしはうつむいて笑みを隠す。
「どういうことだ、シャーロット!」
父の手がわたしの腕を掴もうとし、そこに腕がないことに気づいてウロウロとさまよった。
左腕を失くしてから「テーブルでのかしこまった食事は無理だろう」という理由で本邸には一度も招かれていない。父と顔を合わせたのは治癒院からウィリアムズ家に戻った際に挨拶をしただけで、「戻りました」「そうか」の二言で終わった。その時も父は頑なにわたしの左腕から目をそらし、本邸の奥の方から「見たいよ」と言う双子の声と、「だめよ」と言う母の声が聞こえていた。
「お父様、わたくし去年の夏に左腕を失ってしまいました。報告が遅くなってしまい申し訳ありません」
「なっ……、何を言ってるんだシャーロット。タイリィスの治癒院でのことはチャーリーから報告を受けている」
不意にザカリーがわたしの右手をとり、手の甲にキスをした。
「父上、シャーロットとはわたしの幼馴染であるクレイグの治癒院で出会いました。わたしの一目惚れと言ったら信じていただけるでしょうか」
「信じないわ」と言いきったのはエルゼ。
「お兄様、ウィリアムズ家とうちは結婚できないのよ。あの双子とわたしが結婚することはないってお母様が言ってたもの」
「エルゼ」
侯爵夫人が娘をたしなめ、侯爵閣下は「場所を変えよう」と入って来たばかりの扉へと戻っていく。わたしはザカリーに手を引かれてその後に続き、別室へ通されたのはわたしと父の二人だった。
応接用のソファテーブルがあるにもかかわらず立ち話になったのは、侯爵様がわたしと父の関係を察したからのようだ。向かい合わせのソファにこの顔ぶれなら、わたしと父が隣り合って座ることになる。ザカリーはそれを阻止するようにずっとわたしの手を握っていた。
「ウィリアムズ家の家庭事情に口をはさむ気はなかったが、そうも言っていられないようだ。わが息子は氷壁のように固くて頑固だからな」
「申し訳ありません」
父が頭を下げた。
「娘が家族に隠れて小侯爵様とお会いしているとは夢にも思いませんでした。ウィリアムズ家とクラウス侯爵家は結婚できないと教えてあるのですが」
「緑士様」とザカリーは本当の爵位で父を呼んだ。
「それについてはシャーロットとわたしには当てはまりません。去年、一昨年とシャーロットを宴に連れて来ておきながら、あなたは彼女を侯爵家に紹介しなかった。シャーロットはウィリアムズ緑士家の一員ではないと考えているからでしょう?」
「それは、シャーロットは一般人よりも魔力がありませんから……」
「そうです。シャーロットには魔力がなく魔術師でもありません。だから、貴族であるわたしと結婚しても問題にはなりません」
父はあんぐりと口を開け、侯爵様は呆れ顔で苦笑を浮かべていた。
「ザカリー。おまえが何を主張しようが、この結婚が認められるか認められないかは皇家の判断にかかっている。そう簡単にはいかないと思うぞ」
「簡単でなくても不可能ではありません」
息子の言葉に今度はククッと声を出して笑う。
「そこまでしてウィリアムズ男爵家の令嬢と結婚したい理由はなんだ?」
「父上、わたしはウィリアムズ男爵令嬢と結婚したいのではなく、シャーロットと結婚したいのです。父上が母上を愛して結婚したように、わたしが一人の女性を愛することがそんなにも不思議なことですか?」
「つい昨日まで浮いた噂のひとつもなかった息子だ。いきなり紹介された相手が緑士家の令嬢であれば驚くのも仕方あるまい。二人が出会ったのが去年の夏だというのなら、氷壁の小侯爵のことだ。おそらく色々と手を回してあるのだろう?」
ザカリーはニッと笑う。父親相手に得意げな顔が彼を少し幼く見せた。
「シャーロットを緑士家から出す際に問題となるのは、彼女が〝黙秘の誓約〟ができないことです。黙秘が必要なのは緑士家の任務と魔術知識。ウィリアムズ緑士家の任務についてはクラウス家も知っていますが誓約は行いません。シャーロットもクラウス家に入るのであればそれについて黙秘の誓約をする必要はありません。もうひとつ、魔術知識についてですが」
ザカリーはテーブルに置かれていたベルをリンと鳴らした。扉が開いて「ご用でしょうか」と執事が顔を出す。
「ウィリアムズ家の家庭教師チャールズが会場にいるから呼んで来てくれ」
驚いてザカリーを見たけれど、彼はわたしの視線を微笑でやり過ごしコートの内ポケットから一枚の紙を取り出した。
「これは魔塔主様からの手紙です」
「魔塔主?」
侯爵様の眉間に皺が寄る。
「魔塔との個人的な関わりは禁じられているぞ」
「わたしの結婚は必ずしも個人的なものとは言えません。侯爵家の結婚ですから。わたしは魔塔主様にシャーロットが黙秘の誓約をする必要があるかどうかお尋ねしました。その返事がこれです」
「魔塔主を利用したのか」
侯爵様はこめかみを押さえている。ザカリーは悪びれることなく「侯爵家の結婚ですから」と繰り返した。
「手紙によると、黙秘の誓約が必要なのは魔塔機密とされている魔術公式と魔塔内での研究内容。シャーロットが魔塔の研究を知るはずもありませんから、魔術公式をどの程度知っているかが焦点となります。世界樹跡地の結界術式を知っていれば誓約は絶対」
父はすでにこの話の行き着く先が想像できているようだった。血の気のない青い顔をしている。ザカリーはその蒼白の顔をチラと確認して話を続けた。
「一方、火球や水球といった基礎魔法の術式は密入国魔術師が辺境地で情報を流しているため、実際は機密になっていないのだとか。そのくらいの魔術公式なら黙秘の誓約をする必要はないということでした」
「それで、シャーロット嬢はどの程度知っているのだ?」
タイミングを見計らったようにドアがノックされ、緊張の面持ちでチャーリー先生が部屋に入って来た。両手には数冊のノートが抱えられている。
「シャーロットの学習内容についてはチャーリー先生に答えていただきます」
目配せし合うザカリーとチャーリー先生。二人が事前に打ち合わせをしていたのは明らかだ。
「チャーリー」
父がチャーリー先生を睨みつけ、その父をクラウス侯爵様が睨んだ。チャーリー先生はノートを抱えたまま侯爵様に頭を下げ、「チャールズと申します」と名乗る。
「わたしは魔塔からウィリアムズ家に派遣され、シャーロット様が五歳の時から魔術の家庭教師を務めてきました。ここにシャーロット様の授業記録と、参考までに弟君であるアラン様、ミラン様の授業記録があります。確認いただければ分かりますが、わたしがシャーロット様に魔術公式を教えたことはありません」
「魔術の家庭教師なのにか?」
問い返す侯爵様の声は懐疑的だ。
「はい。弟君の記録と比較していただければ一目瞭然ですが、シャーロット様の授業には魔術演習がありません」
「水球や火球とやらも教えていないのか?」
「シャーロット様は魔術行使の前段階である魔力錬成でつまずかれたので、基礎公式を教えるまでに至りませんでした。授業は一般人向けに書かれた魔術関連本を使用しており、魔塔機密にあたる内容は含まれておりません」
ザカリーがおもむろに内ポケットに手を突っ込み、また一枚の紙を取り出した。
「彼が証言したことについてですが、あらかじめ魔塔主様に授業記録と教材を確認いただき、シャーロットがクラウス家に入るなら黙秘の誓約をする必要はないと一筆いただきました」
侯爵様がザカリーの手から紙を奪って確認する。
「魔塔主は二人の結婚に賛成しているということか?」
「それはどうか分かりませんが、魔塔内では緑士を廃して正式な魔塔支部を置くべきという考えが広まっているようです。もしそうなった場合ウィリアムズ家の魔術師は魔塔へ行くことになると思いますが、魔術師でないシャーロットには行き場がない。魔塔主様はそれを案じておられました」
「どっ、どういうことでしょうか? 緑士家がなくなる?」
父とわたしにとっては青天の霹靂だった。魔塔所属のチャーリー先生は知っていたようで、侯爵様も思い当たるふしがあったらしい。
「無駄な爵位を整理すべきと陛下がおっしゃられていたのは緑士家のことだったか」
とため息を漏らす。その後に続いたザカリーの話も、緑士廃止と同じくらい衝撃的だった。
「ウィリアムズ緑士家の始祖は戦争の英雄ハリー・クラウスの三男テオ・ウィリアムズとされていますが、ウィリアムズ家の魔術師として世界樹跡地に結界を張り、遺物の保存に努めたのはイブナリア王国の魔術師たちだったということです。ご自身もイブナリアの魔術師だった魔塔主様が、仲間の魔術師をイブナリアの地に留めるため考え出した苦肉の策が〝緑士〟だったとか」
「では、始祖テオ・ウィリアムズは魔術師ではなかったのか?」
侯爵様の問いに「いえ」とザカリーが首を振る。
「テオ・ウィリアムズも魔術を使えたらしいのですが、それは彼の妻となったイブナリアの魔術師が手ほどきしたのだそうです。使えたのは火球、水球といった日用魔法程度で、結界を維持することなど到底できなかったと。当時の黙秘の誓約は、イブナリア側の立場で戦争が語られることを防ぐために皇帝が指示したものらしいです」
ついに父は床に膝をついてしまった。
「……ですが、今になって緑士家をなくすなど」
「好奇心と探求心を封じられた魔術師は衰退するしかない――と魔塔主様が手紙に書かれています。魔術師でないわたしにはよくわかりませんが、任務を果たすだけのウィリアムズ家に優れた魔術師が生まれないのは仕方ないことだそうです。その質も代替わりするごとに落ちていて、シャーロットのように魔術を使えない子どもが生まれても何の不思議もないと」
すべておまえのせいだとでも言いたげに父がギッとわたしを睨んだけれど、今さら傷つきはしない。わたしはすでに自分の魔力が異常に少なかった理由を知っている。魔力の循環路であるマナ経路に銀色のオーラが流れていたからだ。
「お父様、ミランは魔塔に入りたがっているのですから、緑士の廃止を待たずともすぐ魔塔に入れてあげてはどうでしょう? あの子の好奇心が死んでしまう前に」
「シャーロットは優しいな」とザカリーが言う。
父への皮肉しか込められていない言葉なのに、ザカリーは本気でそう思っているようだった。
「優しいのはザカリー様です。わたしのために魔塔主様までこき使って」
「つまり優しいのは魔塔主様ということか」
ザカリーがわたしの左肩に触れた。その意味はわたしたち二人だけの秘密だ。左腕を治癒したのはクレイグで、ザカリーとはタイリィスの治癒院で初めて出会ったことになっているのだから。
そのあと父は部屋から追い出され、わたしとザカリーと侯爵様の三人が残った。ザカリーがウィリアムズ家でのわたしの状況を説明すると、結婚も婚約もしていないにも関わらず当夜からクラウス邸に部屋を与えられることに決まったのだった。