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二度目の家出と失われた左腕

 ウィリアムズ家の建つ丘の麓にはキルススという小さな町があり、その先の森を抜けると世界樹焼失跡地にたどり着く。


 二百年前の戦争で焼失したのは世界樹だけでなく周辺一帯の森で、世界樹焼失跡地に指定されて結界に覆われている範囲はウィリアムズ家の丘とキルスス町を合わせたよりも広いくらいだ。


 キルスス町を出る頃には三日月はふたつとも沈み、目の前に広がる森の向こうにうっすらと氷壁の光が見えた。世界樹焼失跡地を囲う石塀に設置された無数のマナ石。マナ石は照明ではなく、石塀から氷壁に向かってドーム状に張られた結界を維持するためのもの。発光はその副産物だ。


 とはいえ警備のためには十分過ぎるほどの明るさがあり、このまま馬鹿正直に世界樹跡地に向かえば警備兵に捕まってウィリアムズ家に強制送還されることになる。


 わたしは馬車道を逸れて森に足を踏み入れた。この森を進めばユリエスト峡谷に突き当たる。峡谷の始まりとされているのが幅数十メートルに渡るユリエストの滝で、そこは氷壁と山林の境目にあたる場所でもあった。


 その年ごとの気候により滝の水量も氷壁の範囲も変わる。わたしがユリエストの滝を目指すのは世界樹焼失跡地の結界範囲を外れているからだ。


 チャーリー先生の話では峡谷を渡った先の山林に獣人が住み着いているというから、峡谷を越えるルートは必ずある。氷壁が世界樹の呪いだという噂は、猟師(ハンター)から住処を守るために獣人が流したデマなのではないかとわたしは考えている。


 迷わないよう跡地の光を木々の合間に探しながら、わたしは警備兵の目を避けつつユリエスト峡谷を目指した。


 実は、前にも一度ユリエスト峡谷に向かったことがある。双子が魔術師として認められたあと初めて世界樹跡地に入る日、母の提案でわたしも同行することになったのだ。


 落ち込むわたしを元気づけようとしたのかもしれないけれど、魔術師ではないから当然結界内には入れない。警備兵の宿舎で時間を潰していたとき、三階の窓からわずかに見えた瀑布に誘われ滝を目指したのだ。


 けれど、木々の向こうに水飛沫が見えたときわたしは突然現れた魔術師に捕まってしまった。その魔術師がたまたま跡地に来ていた魔塔主様だと知ったのは、彼が魔塔に帰ったあとのこと。


 彼がわたしを見つけられたのは首にかけていたマナ石ネックレスのせいだった。「守護魔法具だから肌見放さず身につけていなさい」と父から渡されたもので、居場所探知の魔術が付与されていたらしい。


 ――家出するときは外したほうがいいですよ。


 わたしを捕まえた魔術師はそう言って人差し指を唇に当て、ニコッと笑った。それ以来屋敷を抜け出すときはネックレスを外しているけれど、そのことはソフィアもチャーリー先生も知らない。今夜もネックレスは離れに置き去りにした。


 ソフィアはわたしが眠ったと思っているから、いなくなったことに気づくのは明日の明け方だろう。そのとき枕の下からネックレスを見つける。そのあと離れを探し、庭先の倉庫と厩舎を回り、本邸に向かう前にもう一度離れをくまなく探す。両親は任務で出かけているからチャーリー先生に相談して、二人で本邸を回っても見つからず執事に報告。使用人たちが双子に内緒で敷地内を捜索するけれど、屋敷の異変に気付いた双子がこっそり馬車を出し、「害虫駆除完了」などとニヤニヤしながら父の元に向かうのだ。


 ただの想像に苛立ちが再燃し、未だにウィリアムズ家に囚われている自分にうんざりした。


 腹立ち紛れに杖代わりのアイスピッケルで飛んできたコウモリを薙ぎ払う。気づけば跡地の明かりを見失っていたけれど、頭上に白んだ空が見えた。滝の音と鳥の囀り。


「いたか!」


 突然聞こえた男の声に、咄嗟にその場にしゃがみこんだ。


 ウィリアムズ家の人間がこんなに早くわたしの失踪を知るわけがない。ということは、この森の中に逃げている者とそれ追う者がいるということだ。誰であれ見つかってしまえば計画は台無しになる。


 声は世界樹跡地とは反対方向から聞こえていた。その声が峡谷方向へ向かっているのが厄介だ。


 逃亡者がどこにいるのか分からないけれど、追跡者の後ろを行けば見つからないかもしれない。いざとなったら木陰に身を潜めればいい。今さら氷壁を諦める気はなかった。


 遠ざかる声を追って森を駆け、ほんの少し行ったところで木々の間に張られた赤いロープに足止めされた。


『クラウス侯爵家特別管理区域につき立ち入り禁止』


 札がぶら下げられ、右を見ても左を見てもずうっと向こうまでロープは続いている。さっきのはクラウス家の兵士が侵入者を追っていたのだろうか。


 なんにせよ、以前来た時にはこんなロープはなかったはずだ。目の前には木が生い茂るばかりで、滝の轟音は聞こえても水飛沫はまったく見えない。


 逡巡したのはほんの数秒。わたしはロープをくぐり、滝の音をたよりにユリエスト峡谷を目指した。追手の声はまだ聞こえている。それどころかが数が次第に増え、少なくとも五人以上はいるようだった。


「おまえらは二手にわかれろ。おれは跡地の警備兵に警戒するよう伝える。わかってると思うが見つけても下手に刺激するな!」


 了解、という声が四人分。こっちに近づいて来る足音は一人。


 近くの木陰に隠れようとしたとき、頭上でバサッと音がしたと思ったら左腕に何かがしがみついた。


「イヤッ!」


 思わず声をあげ、持っていたピッケルで払おうとすると二の腕に釘を刺したような激痛が走った。


 ――毒だ。


 本能的にそう思った。二の腕の何か(・・)はいくら引き剥がそうとしても羽のようなものをバタつかせるだけで離れようとしない。


「なんでこんなところに女がいるんだ」


 息苦しさに木にもたれかかったわたしを男が呆然と見つめていた。その目はわたしの顔から二の腕の獣へと向けられる。大きさは猫くらいだろうか。


「おい、女。そのままだとおまえ死ぬぞ」


「……だめ。死ぬのは氷壁に触れてから」


 すぐそこに氷壁があるのにこのまま死ぬわけにいかない。


 わたしは右手でピッケルを握り締め、歯を食いしばって獣がへばりついた左腕に振り下ろした。ギャッと鳴き声がしたようだけど、その声はわたしの叫び声にかき消される。ピックは獣だけでなくわたしの腕に達し、目の前で光が弾けた。


「――おい、女」


 朦朧とした意識に男の声がする。左の肩口が紐か何かで固く縛られ、口に布を噛まされた。


「左手でこの枝を掴んでいろ。死んでも離すな」


 言われるがまま、わたしは掴まされた枝を力の限り握りしめた。


「いくぞ」


 どこに? 


 ぼんやりした疑問が瞼を持ち上げさせ、目の前には剣を頭上に振りかざす男の姿。ヒュッと風を切る音とともに閃光が走り、刃がわたしに向かって振り下ろされた。


「熱っ……」


 痛みのせいか、毒のせいか、視界が暗くなり意識が遠のいていく。


 いくつもの足音が聞こえたけれど、どこか違う世界の音のようだった。体の芯は凍えているのに、左腕だけが燃えるように熱い。


「……死にたくない。氷壁に触るまで」


「氷壁はここにいる。今はそれで我慢しろ」


 その声を最後に意識は途切れ、目を覚まして最初に目に入ったのは見覚えのないマナ石ランプが吊るされた天井だった。


 簡素な狭い部屋にはわたし以外誰の姿もなく、混乱したままベッドから起き上がろうとしてバランスを崩した。着せられたシャツの左袖は中身がなくペタンと垂れ下がっていて、はだけてみるとやはり左腕はない。


「夢……?」


 そう考えたのは痛みがまったくないからだ。夢にしては意識が妙にハッキリしていて、鎮痛剤で痛みを抑えている感じもない。患部は包帯が巻かれているわけでもなく、完治した傷のように皮膚で覆われていた。触ると少し痛みが走ったような気がしたが、本当にささいな痛みだ。


 まさか、傷が完治するまでずっと眠り続けていたのだろうか?


 ここはどこなのか、誰がわたしをここに連れて来て治療したのか、ウィリアムズ家の人間はわたしがここにいることを知っているのか、そもそもここは安全なのか。


 疑問がぐるぐると頭を駆け巡った。


 ベッドから下りて小窓にかかったカーテンをめくり、陽光のまぶしさで正午ごろだろうと見当をつける。木々の様子からまだ夏のようだし、それほど日にちは経っていないのかもしれない。だとしたら、この傷は魔術師が治療した可能性がある。


 コンコンとノックの音がし、返事をするかどうか迷う暇もなくドアが開いた。


「おや、目が覚めたようですね。痛みはありませんか?」


 長い黒髪と吸い込まれそうな碧眼、濃紺のローブを羽織った二十歳くらいの男。その姿にわたしは言葉を失った。


「わたしが帰る前にシャーロット様が目覚めてよかったです。傷は完全に塞がっていますが、マナ経路だけ確認させてください」


 彼はわたしをベッドに座らせ、シャツの上から左肩に触れる。


「あの、……魔塔主様?」


「痛みますか?」


「いえ、わたしは魔力がないのでマナ経路を確認する必要はありません」


「マナ経路を巡るのはマナや魔力だけではないんですよ、シャーロット様。今回の家出は少々お転婆が過ぎましたね」


「魔塔主様は緑士様に頼まれてわたしを探しに来たんですか?」


「いえ、ウィリアムズ家の人たちはあなたが家出したことも腕を失ったこともまだ知りません」


「えっ?」


 ソフィアはわたしがいなくなったことを知りながら父にも誰にも報告していないということだろうか。ソフィアが何も言わなければ一か月くらいは知られずに済みそうだけど。


「魔塔主様、わたしはどれくらい眠っていたのですか?」


「明け方から五、六時間ほどでしょうか。混乱されているようですが、シャーロット様がモンリックヴィルという毒をもった獣に襲われて左腕を斬り落とすことになったのは今朝のことです。ザカリ―公子が腕を斬らねばシャーロット様は毒に侵されて死んでいました。そしてたまたまクラウス領に来ていたわたしにあなたの治癒を依頼し、あなたは腕を失ってから数時間で痛みもなく起き上がれるというわけです」


 自分が汗臭いのも、髪がべとつく理由もよく分かった。でも、納得いかない。


「なぜウィリアムズ家に報せていないのですか? ここは跡地のそばにある森の中ですよね。呼びに行こうと思えば両親はすぐそこにいるはずですが」


「それについてはザカリー公子にお尋ねください。わたしは治癒を頼まれただけ。そうそう、わたしが治癒したことも内緒ですよ」


 魔塔主様はそう言って唇の前で人差し指を立てる。その姿は以前見たときと変わらず、魔塔主様が三百年生きているという話はどうやら本当のようだ。


「銀髪のレディー、あなたは自分の進む道を自分で切り開く方です。世界樹の加護があなたに降り注ぎますように」


 魔塔主様はわたしの銀髪に口づけると、「ではまたいずれ」と部屋を出て行った。入れ替わりに顔を出したのは氷壁の小侯爵ザカリー・クラウス。


 迎春の宴で顔を見たことはあったけれど、夜明け前の薄明りでは彼だと気づけなかった。金髪にエメラルドのような緑眼はウィリアムズ家の双子と同じ。でも貴公子然とした佇まいは双子にはまねできない。


「ウィリアムズ家の娘が魔塔主様と知り合いだとは思わなかった。二度目の家出らしいが、ウィリアムズ家が嫌いか?」


 わたしの前に立つザカリー・クラウスの手に握られているのはわたしのアイスピッケル。ベッドの縁に腰かけたまま、わたしは彼を見上げた。


「ウィリアムズ家がわたしを嫌っているのです。離れに軟禁されたまま死んだように生きるくらいなら、世界樹に呪われて死んだ方がマシです」


「魔力がない人間がウィリアムズ家で暮らすのは難しいようだな。せめて誓約ができれば軟禁されはしなかっただろうに。生まれる場所を間違えたらしい」


 氷壁の小侯爵はその呼び名にふさわしく淡々と冷たく言い放つ。同じセリフをウィリアムズ家の人間に言われたら腹立ちまぎれに皮肉を返すところだけれど、感情のこもらないザカリーの声がわたしを揺さぶることはなかった。彼の言葉は言われるまでもない事実だ。


「小侯爵様はなぜわたしの愚行をウィリアムズ緑士に報せないのですか?」


 緑士という言葉でザカリーの口元がわずかに笑ったように見えた。


「シャーロット嬢を毒針で刺した獣はモンリックヴィルと言う。あれは山を越えて来た帝国外の獣で、存在自体が機密扱いにされている特殊な獣だ。モンリックヴィルを含め、ここ数年で五種類程度の新種がユリエスト峡谷付近で確認されている。その機密扱いの獣で貴族の令嬢が腕を失ったというのは、管理者である侯爵家にとっても都合が悪いのだ」


 ということは森の中を逃げていたのはモンリックヴィルという獣で、追跡者はクラウス家の者。赤いロープは新種による獣害が一般人へ広がらないよう張られたのだろう。警告を無視して立ち入り禁止区域に入ったのはわたしなのに、ザカリーの口調に責めるような響きはなかった。


「わたしは黙っていればよいのですね。ですが、左腕がきれいになくなってしまったのですから、家族から問い詰められるのは避けられません。それに、わたしの姿を見たのは小侯爵様だけではないでしょう?」


「シャーロット嬢を目撃した者のことは気にする必要はない。彼らも隠れて生きることを選んだやつらだ。それに、やつらはおまえの仲間だ」


「仲間?」


 首をかしげると、ザカリーは「記念だ」とピッケルをわたしに手渡した。血はちゃんと拭われている。


「わたしが左腕を失った記念ですか?」


「おまえが銀色のオーラを発現した記念だ」


「銀色のオーラ?」


 銀色のオーラはグブリア皇族に受け継がれる力のはず。どうしてそれがわたしに――。



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