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十六歳の誕生日の夜

 変わりばえのしない軟禁生活も今日でちょうど丸二年。ウィリアムズ家の離れから見える最果ての氷壁は今日もキラキラと陽光を反射していた。


 青みがかった透明感のある氷。その氷壁があるのはクラウス侯爵領最北の地。グブリア帝国北部国境でもあり、氷に覆われた断崖絶壁の向こうに何があるかは架空の物語としてしか語られていない。


 クラウス侯爵家の長男が「氷壁の小侯爵」だとか「氷壁の貴公子」と呼ばれていることを知ったのは去年の迎春の宴でのことだ。


 容姿端麗で文武に優れ、女性を一切寄せ付けずニコリとも笑わない侯爵家の息子。宴では砂糖菓子にたかる蟻のように女性たちが彼のまわりに集まっていたけれど、氷壁の小侯爵は氷壁らしく冷たい態度であしらっていた。


 多少顔が良くてもあんな男に嫁ぎたいという女の気が知れない。この軟禁生活もあの男との結婚生活に比べればマシなはずだった。そばにいる夫に冷たくされるより、最初から誰もいない方が寂しさを感じないでいられる。


 離れでの生活は退屈だったけれど、本邸で家族と暮らしていた時より心は穏やかだった。意地悪な双子と顔を合わせないで済むし、双子を甘やかす両親に苛々しなくてもいい。


「シャーロット様、そろそろ本邸に向かいませんと夕食に遅れてしまいます」


 窓辺でぼんやり氷壁をながめていたらソフィアが痺れを切らして声をかけてきた。


「ねえ、ソフィア。馬車くらい寄越してもいいと思わない? 普段着なら歩いて本邸に行けるけど、もしかして着飾る必要なかったのかしら? 今からでも普通のドレスに変える?」


「そんな……」


 ソフィアは滅多にないドレスアップの機会だからと張り切って準備してくれた。本邸で家族とディナーを食べるだけなのに、父が仕立て屋を寄越してドレスをあつらえさせるのはウィリアムズ家の収支をクラウス家に報告しなければならないからだ。


 その理由はクラウス侯爵家とウィリアムズ家の特殊事情にある。


 ここクラウス領には世界樹焼失跡地があって侯爵家はその警備を任されているのだが、ウィリアムズ家も跡地の魔術的管理を任されていた。そもそも、ウィリアムズ家は世界樹焼失跡地の魔術的管理のために興された魔術家門。


 世界樹に関するほとんどのことは帝国で機密扱いされており、クラウス家とウィリアムズ家には「世界樹跡地管理費」が与えられる。クラウス家に報告するのはこの「世界樹跡地管理費」の収支で、クラウス家は帝国に収支報告しているはずだった。


 クラウス家が目を光らせているのは、管理費の無駄遣いではなく取引先の貴族や商団と癒着して機密が漏れること。


 その点は問題ないのだが、ウィリアムズ家の収入は管理費しかなく、クラウス家に台所事情が筒抜けになることが問題だった。収支報告書を見たクラウス家の誰かに「ウィリアムズ家では娘が虐げられているようだ」と疑われないよう、パーティに出かけなくてもドレスを買わなければならない。


「シャーロット様、本当にそろそろお時間が……」


 ソフィアの縋るような声でわたしは重い腰をあげた。


「チャーリー先生の迎えを期待してたんだけど来ないみたいね」


「あっ、チャーリーは魔塔主様に領内を案内するとかで今日は出かけてますよ」


「魔塔主様が来てるの? 世界樹跡地かしら」


「どうでしょう。チャーリーは跡地に入れないはずなので別の場所だと思いますけど」


「別の場所っていうとイブナリア王宮?」


 ソフィアも見当がつかないらしく「さあ」と首をひねる。部屋を出ようとしたところで蹄の音が聞こえ、窓を見ると本邸からの馬車が見えた。


「あっ、迎えが来たみたいです」


「わたしがなかなか来ないから仕方なく馬車を出したのよ」


 空は茜色に染まっていた。真夏とはいえ氷壁から吹き下ろす涼風のおかげで長袖を着ても汗をかくことはない。わたしはソフィアにもらった誕生日プレゼントのケープを羽織り、一緒に本邸へと向かった。


 家族と顔を合わせるのは迎春の宴以来だ。あれはクラウス侯爵邸だったから、前回本邸を訪れたのはもっと前。


「久しぶりだな、シャーロット。突っ立ってないで座りなさい」


 本邸二階にある広間の扉を開けるなり父はそう口にした。わたしを見ているようで視線は微妙に噛み合わない。


 わたしが執事に案内されたのは母の隣の席で、向かいには双子が座っている。真ん中の椅子には父。父の背後には以前と変わらず二枚の肖像画があった。


 英雄ハリー・クラウスとその三男テオ・ウィリアムズ。父は家族がこの広間に集まるたび二人の祖先の話をわたしたちに語って聞かせた。それは今夜も始まるようだ。


「むかし、この辺りにはイブナリア王国があった。二百年前の戦争で帝国の領土となったが、そのとき武功を立てた帝国騎士ハリーがクラウス侯爵家の始祖だ。平民だった彼はクラウスの姓と侯爵の爵位、そして旧イブナリア王国領をグブリア皇帝から与えられ初代クラウス侯爵となった」


「その話は聞き飽きたよ、父さん」


 双子の一人アレンが言い、父親の口調をまねて話を続ける。


「我がウィリアムズ家の始祖は英雄ハリー・クラウスの三男テオ。グブリア皇帝からウィリアムズの姓とともに『緑士』という爵位を授かった。しかし、『緑士』という爵位の存在は誰にも秘密。だから、父さんはウィリアムズ緑士じゃなくてウィリアムズ男爵って名乗らないといけない」


「ぼくとアレンのどっちかがいつかウィリアム男爵を名乗るんだよね。本当はウィリアム緑士だけど」


 双子のかたわれミランも話に加わった。横目でチラと母の様子をうかがうと、微笑ましそうに双子を見つめている。


「あっ! それならぼくらのどっちかが緑士になって、もう一人が男爵になればいいんじゃない?」


「でも、そうなったら緑士と男爵どっちが上だ?」


「アレン、ミラン。緑士は特別な爵位なのよ。それを隠すために男爵を名乗っているのであって、ウィリアムズ家にふたつの爵位が与えられているわけではないの。うちは男爵家ではなくて緑士家」


 母が諭すように言うと、アレンとミランが揃ってチェッと舌打ちした。母は弱った顔をしながらもクスリと笑う。


 いずれ家長の座を競う二人が今はまだ仲良くしていられるのは、ウィリアムズ家にわたしがいるからだ。二人して落ちこぼれのわたしを馬鹿にすることで互いが味方だと錯覚している。


「アレン、ミラン。どちらが緑士を継ぐことになるかまだわからないが、ウィリアムズ家の人間に必要なのは出世欲ではなく誇りだ。最果ての魔術師としての誇りを持ち――」


 ――最果ての魔術師としての誇り。


 それは父の口癖だった。


 緑士という爵位は領地と紐づいておらず、ウィリアムズ家に土地はない。立派な屋敷も贅沢な暮らしも帝国からの「世界樹跡地管理費」によって賄われ、万が一不祥事でも起こして緑士の爵位を剥奪されれば行きつく先は良くて魔塔、悪くて監獄。最悪の場合この世から抹殺されることになる。双子はまだ緑士の危うさを理解していない。


「でも父さん、いくらウィリアムズ家が頑張っても誰も褒めてくれないのは変じゃない? 平民にまでバカにされてさ」


「ミラン、おまえは褒めてもらうために仕事をしているのか? 最果ての魔術師としての誇りはないのか」


「父さん、ぼく、緑士になれないんだったら魔塔の魔術師になりたい」


「何バカなことを言ってるんだ」


「だって、ぼくも世界樹や氷壁の研究がしたいよ。ウィリアムズ家の魔術師は跡地に入れても結界維持しかさせてもらえないじゃないか」


「それに誇りを持てと言っているんだ。ウィリアムズが魔塔に行ったところで向こうも持て余すだけだ」


 クスッと声をもらしてしまい、わたしに視線が集まった。


「笑っただろ」


 ミランが不機嫌な声を出したけれどわたしは何も言わず鹿肉のソテーを口に運ぶ。


「おまえのことだよ、シャーロット。ウィリアムズ家の寄生虫。世界樹跡地に入ることもできない無能が魔術師を笑ってんじゃねえよ」


「こら、ミラン」


 母は窘めるフリはしても本気で双子を怒ることはない。


「でも、シャーロットに世界樹跡地を見せてあげられないのは残念だわ。小さい頃からずっと跡地の氷壁に触りたがっていたのに」


 血の繋がらない母の無神経な言動はいつもわたしを苛つかせる。しかも悪気がないからタチが悪い。ソフィアがわたしを気遣ってか減ってもいないグラスに水を注いだ。


 わたしの生みの母は魔術を使えない普通の人。黙秘の誓約をして父と結婚し、わたしを産んだあと産褥熱で死んだらしい。生みの母の侍女をしていたのが今の義母。父とは遠縁にあたり、ウィリアムズ家の任務にあたった経験もある最果ての魔術師の一人だ。


「母さん、シャーロットが跡地を見たからって何になるのさ。世界樹跡地もイブナリア王宮も観光地じゃないって、いつも母さんが言ってることだろ」


「それはそうだけど」


 それが母親らしい仕草だとでも思っているのか、義母は頬に片手をあてて窓に目をやった。


 遠く、闇を照らすぼんやりした青黒い光は世界樹焼失跡地に設置されたマナ石の発光が氷壁に映ったもの。ウィリアムズ家の仕事は夕刻に終わるけれど、クラウス侯爵家の警備兵はあのマナ石の光を下で今も跡地周辺を巡回している。


「ミラン、知ってる?」


 わたしが口を開くと、カチャと音をさせて父がナイフとフォークを置いた。


「何を言うつもりだ? シャーロット」


「わたしの夢のことです。ミランと同じように世界樹と氷壁を研究したかったという」


 世界樹跡地で、かつて青々と葉を繁らせた世界樹がどんな植物だったのか調べたかった。世界樹が燃える前は岩肌がむき出しだったという最果ての絶壁が氷に覆われた理由を知りたかった。


 一部の領民は氷壁を「世界樹の呪い」と言う。この手で氷壁に触れ、それが真実なのか確かめたかった。


 そんな夢を抱いていられたのは九歳まで。双子の魔力を見せつけられ夢は打ち砕かれた。


「おまえなんかと一緒にするなよ、シャーロット。おれは魔術師でおまえは無能だ」


 ミランからは予想通りの言葉が返ってくる。


「ミラン、チャーリー先生も同じ夢を抱いてたって知ってる?」


「シャーロット」


 父の声に怒気が混じった。ミランが黙っているのはわたしが次に何を言うか気になっているからだ。


「チャーリー先生は元はウィリアムズ家の魔術師だったのよ。夢を叶えるために魔塔に入ったというのに、今では跡地に入る資格もなくウィリアムズ家の家庭教師をしているの」


「マジか」と双子は顔を見合わせる。


「ミラン、あなたもいずれアレンの子どもに魔術の基礎を教えることになるかもしれないわね。魔塔へ行っても研究者になどなれないのだから、叶わない夢は持たない方がいいわよ」


「黙れ!」


 ミランがテーブルを叩き、ガシャンと什器が音を立てた。


「ミラン!」


「だって父さん! この女が!」


「シャーロットも言い方に気をつけなさい」


「言い方もなにも、わたしが幼いころ緑士様から教わったことをそのまま話しているだけです。最果ての魔術師に必要なのは誇りであり好奇心など必要ない、世界樹に心を奪われてはチャーリーのように落ちぶれるだけだと。ですが、わたしはミランが魔塔に行けばよいと思っています。そうすればアレンとミランが緑士の後継争いで殺し合う必要もないでしょう? ある朝目が覚めたら離れの庭に弟の死体が転がってたなんてゴメンだわ」


「シャーロット!」


 父がテーブルの上でこぶしを震わせ、アレンとミランは血の気の引いた顔でわたしを凝視している。互いに緑士を競うということはわかっていても、殺し合いなど想像もしていなかったのだろう。けれど、過去には実際あったことだ。


「緑士様はずいぶん弟たちに甘いようです。先日、ミランはイブナリア王宮石塔の品質保持結界の修復に失敗したと聞きましたし、アレンはまだ修復に携わるレベルに達していないとか」


「仕事のことはおまえが口出しすることではない」


「失礼しました。わたしはウィリアムズ緑士家の人間ではありませんものね」


 父は肉を切りかけていた手を止め、ハァとため息をついた。


「おまえは普段は不機嫌に押し黙っているくせに、口を開くとどうしてそう攻撃的な言い方しかできないのだ。せっかく本邸に招いて誕生日を祝ってやっているというのに」


 ハッ、と笑いがこみ上げたと同時に、無意識に椅子から立ち上がっていた。


「わざわざお招き下さったにも関わらず不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありません。みなさん普段着でいらっしゃるし、着飾っても自分のドレスは見えませんので、自分が誕生日だということもすっかり忘れておりました。祝いの言葉を耳にした記憶もありませんが、何かプレゼントでもご用意いただいてるのでしょうか?」


 両親はバツが悪そうに視線をそらし、向かいの席から「大人げないヤツ」「あの日じゃねえの」と聞こえて椅子を蹴り倒しかけた。かろうじて踏みとどまり、わたしはドレスの裾をつまんでお辞儀する。両手でカーテシーをしたのはこの時が最後になった。


 わたしはそのまま本邸を出ると歩いて離れに戻り、ベッドにもぐりこんでソフィアがいなくなるのを息を殺して待った。ソフィアはわたしに優しくしてくれるが、一日の終わりにわたしの動向を父に報告する役目は怠らない。彼女が離れを出て行ったのは日付が変わってからだ。



 ベッドから起き出して寝室の窓を開けると、天頂近くに赤銅色の三日月、氷壁のずうっと左手の西の空に青白い三日月が沈みかかっていた。すべて捨ててウィリアムズ家の呪縛から逃れるには最適の夜――そんな気がした。


 わたしは準備していた家出用のザックを背負い、憧れ続けた氷壁へとひた走った。どうせ家出なんて上手くいきはしない。見つかったら軟禁生活から監視付きの監禁生活へと変わるだろう。簡単に屋敷を抜け出せるのは今回が最初で最後。それなら、


「このまま死んでしまえばいい」


 解放感に狂いそうだった。絶望したわけではない。その証拠に、わたしの胸は期待に満ちている。


 目指すのは氷壁。死を恐れなければ、世界樹跡地に入らなくても氷壁に触れられる場所はあるのだ。



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