円卓組始末記(12)
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しばらく走ると、闇の中に巨大な影が屹立しているのが見えた。瞬間、大型の【特外外】かと緊張したが、どうやら巨木のようだ。これまで何も無かった死の原野に、唐突にして現れた命の象徴。それはとてつもなく力強く雄々しくて、間違いなくここにだけは水脈が有ると、声高に宣言しているようでもあった。
それにしても大きい。優にキャメロット城の天守を凌ぐ高さで、たっぷりと拡げた枝葉は、シルエット的に星空の一部をすっぽりと切り抜いていた。その幹周りは圧倒的で、大人十人で手を繋いでも届くか届かないか。それほどの巨樹の足許に、ひっそりと一軒家が建っている。周辺には狭いながらも畑が何枚か有り、魔女の生活圏で間違いないようである。閉じられた窓から、ほのかな灯りが漏れているのも見て取れた。
『あそこではないでしょうか』
老馬も気付いたようで、その指摘に俺も同意した。「おそらくな。寄ってくれ」
五メートルほど離れた位置で老馬を止めた。彼から降り、建屋へ近づく。念の為に抜刀……しようとした処で、家の中から何やら姦しい声が漏れ聞こえてきた。
『ぎゃー、なにこれ? このリボン! かわええ!』
「でしょでしょ! で、このフリル付きの鞍を合わせるのよ。そうすると……」
『やべぇぇ! 鼻血もんにプリチー! なにこれナニコレ! もう、いななくわよあたし。いなないていいかしら? 魂のヒヒーンよ、魂の!』
俺は肩をすくめて、老馬へ振り返る。安堵したように、彼もまた笑顔を見せた。そのままつかつかと近づき、ノックもせずに扉を開けた。
小さな食卓と椅子が二脚くらいしかない狭い室内に、ロバと馬と魔女がいた。目が合う。
『あ、ガラハドちゃん』
「あ、妖怪 パペットおじさん」
俺の中で緊張の糸が音を立てて切れた。次いで頬が弛む。
「言いたい事は多々あるが……まぁ、無事で何より」
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「……無理」
そう短く答え、魔女は横を向いた。追手が来るので今すぐここを出よう、という俺の提案に対してである。
「わがままを並べていい状況ではない。命を狙われている。真剣に受け止めてくれ」
「母の遺言なの。この土地から離れちゃいけないって」
「事情が事情だ。聞き分けろ」
そこで彼女は思い出したかのように「あっ!」と小さく叫んだ。
「あたしが魔女だってわかったら詫びるって言ってたよね。あやまんなさいよ」
「おいおい……」
呆れ返る俺と、何故かさらに強気になる魔女。彼女は腰に手を当てて、堂々と胸を張った。
「つーかさ、結局あたしもおじさんも怪我なく難を逃れたんだからさ、あのおじいちゃん騎士、そんなに大した使い手じゃないんじゃね? ヘナチョコなんじゃね?」
「彼は円卓の筆頭騎士だ。アーサー王が背中を預けられる、百戦練磨の猛者。それだけでもうんざりなのに、さらに魔法属性武器の剣を所持している」
「あら、珍し。あたしも見たことない」
「扱いとしては有害有形異文化財だからな、国内には王家預かりの十振り程度しか無いはずなのだが……」
円卓にすらその使用権限は認められておらず、容易に持ち出せる代物ではない。ならば、セリズアデスが個人として国外から取り寄せたという事か。そんじょそこらの苦心惨憺では済まなかったはず。そこまで固執する理由とは……いつかの会議で【特外外】について語っていたが……そんな俺の迷いを断つように、魔女が口を挟んだ。
「あ、そうか、あれって魔法の雷だった訳ね。お星さまがしっかり見えてるのに、どこから湧いた雷なんだよ? って不思議だったけど……でも雲も必要ないとか、有利区間だったらべらぼうに魔力を喰ってるんだけど、魔法剣ってどんな仕組みなんだろか……でもおじさんも逃げ出せた訳でしょ。出し抜いたってことは隙が有ったって事じゃね?」
魔女にすればそれ以上の意味が無い発言だったことはわかる。それでも、痛い処を突かれた気がしたのは確かだ。
「……そうだ。逃げ出したんだ。今の俺では勝てない」
「……論点がズレてますけど?」
「それはお互いさまだ」
「いやいや、おじさんのは致命傷ですやん。あたしをお城に連れていくって言い張っているけど、勝てない相手をどうやってかわすの? 逃げ回るだけ?」
「馬を二頭用意している。上手くやれば何とか……」
しかし魔女は首を左右に振った。
「それじゃあ駄目よ。ロバ子は?」
「ロバ?」
魔女の背後に隠れていたロバが、顔だけそっとのぞかせた。何やらプルプルと震えている。それを押さえるように、魔女はロバの頬をさすった。「大丈夫よ。ロバちゃん」
上目づかいで彼女を見るロバ。不安そうに時折おどおどと頭部を小刻みに揺らし、特徴的な大きな耳を萎んだ花みたいに垂れさせていた。
「さっきの雷が怖かったみたいで、すっかり怯えちゃって……」
そう言って、魔女はロバの鼻面を優しくなでてやった。頭頂部に大振りのリボンがあしらわれていて、背には花柄の鞍を乗せているのが見て取れた。どうやら先程の会話の主役はこのロバだったらしい。
「さすがにロバを連れては……」と、俺が二の足を踏んで見せるや、魔女は真顔で素早く反応した。
「ロバ呼ばわりすんな。ロバ子よ! あたしの家族なんだから!」
「だったらロバにロバ子なんて安易な名前を付けるなよ」
視界の隅でウマ子がこの世の終わりみたいな顔をしていたが、とりあえずは後回しとした。
「逆に聞く。どのような条件なら付いて来てくれるのだ?」
かたくなに魔女は拒んでいる。ならばと、俺は切り口を変えてみる事とした。
けんもほろろも極まった感が有ったが、以外とそうではなかったようだ。物憂げに、魔女は遠い目をしてみせた。
「……条件……条件かぁ……あー、もう……」
迷っている。上洛に関心が有るのは間違いない。足止めをさせているのは母の遺言か? 死別に根ざす覚悟なら、早々には覆せないか……ここは彼女の出方を待つしかない。
案の定で、しばし魔女は無言となった。ロバ子の耳をフニャフニャと弄びながら、目を泳がせる。手に取るように逡巡が明け透けだったが、ようやく口を開いた。
「ウマ子に聞いたんだけど……その……ウマ子が喋れるのって有利区間なんでしょ?……どんな編み方なのか、おじさんは知らないの?」
俺としては正直に答えるしかなかった。「すまん。魔法は門外漢でな、さっぱりなんだ」
「大魔導士マーリンって、おじさんから見てどんなひと?」
俺はうっかり笑ってしまった。「偏屈おちゃらけじじいだ。隠しても仕方ないので正直に言うが、俺は苦手だ」
「そう……」
ちらりと一瞬だけ視線を俺にくれてから、魔女は小さなため息をこぼした。彼女の口は重そうで、続くであろう台詞がなかなか出て来ない。なので、代わりに俺が並べてみる事とした。たぶん的を射ている筈だ。
「この土地から離れる事はできない。しかし、動物が話せるようになる有利区間には興味がある……と。そんなところか?」
すると魔女はその首をぐにゃぐにゃと波打つように動かした。俺の指摘に対し、否定なのか肯定なのか、曖昧と誤魔化すように。
「……ロバ子と喋れたらいいなって、何度も試したのよ。何度も何度も……でも駄目だった。あたしの力不足なのか、そもそも動物との会話の成立が有利区間には無理なのか、どっちかわからなかったんだけど、今日はっきりした。あたしが魔女として未熟なのね。あたしの魔力が足りないんだ……でも……」
口をつぐむ魔女。ああ、そうか……と、ここに至り、さすがの俺にも彼女の苦悩が読み解けてしまった。裏付けるように、彼女は言う。
「ロバ子と喋りたい。話したい事がいっぱいある。でも、そのためには本気で魔女を目指さないと駄目ってことで……」
望んで魔女の血を継いで生まれた訳ではない……か。
定められた運命に対する拒絶。魔女という特異性ゆえの理不尽、その嫌悪。憧憬として抱く凡庸な日々。なるほど、魔女呼ばわりを嫌がる訳である。
それでもロバ子とは話がしたい。
城へ行ってマーリンに逢い、有利区間の編み方を習う。そうすれば望みは叶う。が、それは魔女として一歩深みにはまる事を意味する。
相反するものを彼女は求めている。苦痛と共に。
さて、どうすればいいのか…………
迷っているのは俺も同じだった。
それならば…………。
「ニュクス」
彼女がこちらを見る。
「改めて言う。円卓に来てくれ。俺の願いを叶えてくれたなら、ニュクスの願いに応える。マーリンには俺が頭を下げる。じじいの有利区間で期間有限だがロバ子を喋れるようにしてもらう。絶対にそうさせる。俺が責任をもってじじいを説得する。任せろ。そして道中の安全も保証する。ニュクスも、ロバ子も、安全に城まで導く。約束する」
「……でも、あたしは魔女としての能力を求められているんでしょ?」
「いまのニュクスに出来ること、それだけでいい。その交渉も俺がする。頼む、信じてくれ」
一瞬、何かを言いかけて、ニュクスは口をつぐんだ。迷うのは当然だろう。もちろん答えを急かすような事はせず、俺は彼女の返答を待った。
「ん……」と、短くうめいてから、ニュクスは銀色の髪を揺らしながら首を左右に振った。
「ごめん。母かロバ子かどっちかを選べみたいな話にしか思えない。即答は無理」
「……わかった。しかし、とにかくここを出よう。刺客が迫って来ているのは確かだ」
「そのじいちゃん騎士はどうするの?」
すると、半開きだった扉から老馬がにゅうっと首だけを差し入れた。
『その点につきましては、わたくしから提案がございます』
目を丸くしたのはウマ子だ。
『えぇー! あんた、ヒトの言葉を喋れたのー? なんでぇー?』
……いや、お前が驚くなよと思いはしたが、あえて言葉にするのは控えた。