円卓組始末記(11)
※
セリズアデスの両腕が剣を握った形で上へと跳ね上がる。面くらったその顔。好機。
俺は素早く剣を振り被る。が、重い。剣の重心がズレているような、この不快さはなんだ? 疲労か。いや、まだだ。振り絞れ。それでも剣は扱いづらく、ありえないほどの遅さに俺は苛立ちに震えるほどだった。犬歯を剥く。血の味が広がる。ようやく剣が頭上へ。セリズアデスの脳天へ叩き込め。奴の頭蓋を割れ。
………………と……。
強烈な違和感に、たまらず息を呑む。
奴の剣。ようやく気付いた。円卓の正規品、王家御用達の鍛冶職人による作ではない。絶対に異なる。彼の私物か。妖しい照り返しを放つ刀身はどこか妖しく、ただならぬ気配に満ち満ちていた。刃はしっとりと濡れているようで、結露の果ての水滴を、たらりたらりと垂らしていた。
異様。ただの剣ではない。うかつだった。セリズアデス本人ばかりに気を取られ、ここまでこの異変を感知できなかった自身の未熟さを恥じる。警戒すべきだ。容易に踏み込むのは危険と判断する。
切先を掲げたまま、俺の動きが止まる。彼は? どう出る? セリズアデスもまた、剣を斜めに構えたままに動作を止めていた。
月明かりだけの闇の中、浮かべている表情は高揚でもなければ余裕の微笑でもなかった。平静。言うなれば円卓に腰掛けている時の、あの良く知る柔和な卿の顔だった。不自然なほどの自然さ。不気味でしかない。
その唇が動いた。
「…………馬……だと」
言われて背後の気配に気付く。
老馬だ。俺のすぐ後ろにいる。ウマ子は東に向かった。つまり、野営した場所とは反対側である。老馬に声を掛ける余裕はなかった。老馬はこれまでの騒動で目を覚まし、つい俺の近くまで来てしまった、というところか。この機会をどう捉えるべきか。
セリズアデスの注意が老馬に向いている。今、ここで勝負を仕掛ければ……
いや、それはただの短絡思考だ。軽率過ぎる。セリズアデスの集中力をどこまで削いでいるのか、まったく未知数でしかない。あの剣もある。無用心に飛び込むべきではない。
そんな俺の逡巡へ、何者かの活が飛んだ。
『ガラハドどの! お乗りなされ!』
セリズアデスから目を離すのは誤った判断だ。それでも俺は声の方を振り向いた。老馬しかいない。
『早く!』
老馬が叫んでいた。
それを呑み込むのと同時、俺の身体が動いた。老馬の背へと。
跨がるやいなや、老馬は駆け出した。ウマ子の全速力もかくやというような加速。夜の闇を斬り裂いて、俺たちは疾走った。東へ。
※
その疾駆は五分ほど続いたが、やがてゆるゆると減速、見るからに力を使い果たしたような不安定な足取りとなった。慌てて俺は飛び降り、老馬を押し留めた。
「無理をするな、もう大丈夫だ」
全身からの発汗量もすさまじく、今にも卒倒してしまいそうなほどによろめきながら、老馬は粗い息を吐き続けた。
『……ガラハドどの……』
「まずは息を整えろ」
馬の発言を制するというのも何だが、幾分と慣れてきた。もうこの程度の非常識さは些末でしかない。しょせん奇天烈な旅なのである。
それを踏まえた上で、改めてウマ子が話していた老馬の事を、じっくりと思い返していた。
……確かに……冷静に考えれば……野盗が馬をさらうのならそこら辺に有る話だが、そうではない。
つまり、ただの馬が密猟者に狙われる訳がない。
「……はずみで……歯が抜けたと聞いたが……」
いく分か呼吸の乱れが収まりはじめ、老馬は大人しくうなづいた。『……ええ……』
「……かもしれないが……実はそれだけではなくて、悲痛のあまりに角も失った……というのが本当のところなのではないのか……」
『……おおせの通りで……』
ユニコーンは、素直に妻と角を失っていた事を認めた。
「……なぜ俺を助ける? ヒトは女房の仇なのではないのか?」
『……密猟を生業とする輩どもは今でも憎い……許してはおけない……しかし、だからと言ってそれですべてのヒトを憎めるほど、わたしのヒトに対する知見は深いものではありません……単純にガラハドどのは私の目には悪党に見えなかった。それだけです……』
まるでこちらを見ようともせず、老馬は淡々と語った。それでも俺は彼に頭を垂れた。
「礼を言う。助かったよ」
それからニ分ばかし経ち、ようやく老馬がその首をもたげた。
『行きましょう、ガラハドどの。遅かれ早かれ刺客めは追ってきます』
「……行けるか」
力の宿った目線で、老馬は俺を見た。『早くニュクスどのたちと合流せねば』
「頼む」
俺が跨ると、老馬は再び夜を駆け出した。
※
どうにも解せない。
現状の整理を試みるが、考えれば考えるほど、腑に落ちないのである。
セリズアデスは馬で追ってくる……と考える方が妥当だ。警戒はしていたが、結局のところ尾行されていた。そう認めるしかない。乾いた土地ではあっても、荷車の轍は残っていたという事か。彼は距離を置いてそれを追って来ていた。
ならば、問題は夜だ。
日が沈んでから、彼はより慎重な行動を求められていた事となる。日没前に俺が野営を始めたのならまだしも、そうでない場合、見えないのだからうかつには距離を縮められない。昨晩と昨々晩はそうだった。気配を探られないため馬を置き、自分の夜目だけを頼りに近づくしかない。そうやって俺と魔女が接触しないか見張り、朝陽の登る気配と同時に馬の場所まで戻る。その間を突いて俺と魔女が邂逅してしまう不運も考えられるが、セリズアデスは幸運だったようだ。それは今晩にしてもそうで、日が落ちる前に俺は本日の進行を止めた。彼に余裕を与えたようなものだった。
そう。この考え方が的を得ているのなら、セリズアデスは三日三晩、ほぼ不眠不休だったという事になる。
そこまでして彼は何を待っていたのだろう?
寝込みを襲うでもなく、また、俺を出し抜く事もしていない。
俺と魔女の接触を待っていた。そう考えざるを得ないが、では、それに込められた意図とは?
わからない。あやふやすぎる。曖昧模糊に思考は囚われ、導き出されたのは薄ら寒い恐怖だった。セリズアデス卿は果たして何がしたいのか……
そんな彼に俺は剣術で圧倒された。精神力も体力も奴の方が数段上。積み重ねて来たものの差が歴然だった。
さらに加えて………
『お気づきでしたか、あの剣』
少しだけ体力が戻ったのだろう、老馬がチラリとこちらを見た。
「ああ。厄介だな……」俺は愚痴るしかなかった。
セリズアデスの発言の中に「落雷の揺動」というのが有った。あれはたまたまの自然現象を利用したのではない。いくら何でも偶然にしては出来すぎである。そんなに都合よく雷なぞ落ちはすまい。『揺動』だったのだから故意だと考えるべきだ。ならば奴の有利区間なのか? となるが、おそらくはそうではない。あの落雷が編集された作品ならば相当に凝った演出であり、要求される魔力も甚大である。
見た目の派手さは消費される魔力に比例する。
かたくなまでに騎士としての生き方を貫いて来たセリズアデス卿に、片手間で魔法をかじるようなローエングリン並の器用さは無いと断言できる。
では魔道士の仲間が隠れていたのでは?……となるが、こちらも違う。加勢に現れていない。魔女にあと一歩まで迫っていたのである。出し惜しみをする局面ではない。卿は単独で行動している。
ならば、考えられるのはひとつ。あの異様な剣。信じたくはないが、おそらくそういう事なのだろう。
『左様です』と老馬。『相当に珍しいものをお持ちでした。あれは色業物かと』
面倒だな……重い吐息をこぼした俺の脳裏に、セリズアデスのあの剣が苦々しく思い出されていた。
「……魔法属性武器……雷撃の剣か……」